東方見雲録

東方見雲録

2022.11.19
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カテゴリ: 教育
永井博士は長崎医科大学で放射線医学を専攻、研究治療の影響で放射線被曝して慢性骨髄性白血病で余命3年と宣告されます。

そして長崎市に投下された原子爆弾で、妻を失い、本人も重傷を負いましたが、医者として被災者の救護活動を行います。

どんな思いで白血病と闘い、どんな思いで被爆した妻を送り、どんな思いで市民を看病し、どんな思いで執筆し、どんな思いで桜を植え続けたのでしょうか。

どん底にも大地はあるのです。

この言葉は永井隆博士ならではの表現だと思います


如己堂は『どん底に大地あり』の書を遺してこの世を去った永井隆博士(1908~1951)が起居した二畳ほどの小さな建物。
• 如己堂の赤瓦は、永井隆の出身地である島根県飯石郡三刀屋町(現雲南市)にある実家から運ばれたものである。
• 2008年、永井隆の生誕100周年を記念して、出身地の雲南市にある永井隆博士記念館の敷地内に、如己堂が再現された


歌手の木山裕策(きやまゆうさく)さんの講演が大好きです。木山さんはサラリーマンをしながら4人の男の子を育て、35歳の時にマイホームを35年ローンで購入しました。



本当に人生のどん底を味わうのですが、「もうこれ以上、悪いことにはならない」という一種の開き直りで、雑草魂に火がつきます。

すぐに落ち込むけれど負けず嫌いな気性で、出せる低い音程から練習をして徐々に歌声を取り戻します。

それからは人が変わったように、夢は「いつか叶う」ではなくて、「今やる!」にスタイルを変えました。

街のお祭りやコンテンストに次から次へと出場を重ね、歌手の道へと歩き出しました。

その結果、あるオーディション番組で有名な音楽家と出逢い、あの名曲「ホーム」が生まれて、紅白歌合戦に出場するまでになったのです。

しばしサラリーマンと歌手の二足のわらじをはいていましたが、2019年に本格的に歌手一本で独立しました。

そこにコロナ禍が襲ってきました……。

すべてのコンサートや講演会が中止になりまた絶望へと墜とされたのです。緊急事態宣言の最中はウツ気味にもなったそうですが、できることはゼロではない! とまた底打ちをして、自宅にあるパソコンとマイクとスピーカーを使い、YouTube で自身の音楽の配信を始めました。

すると次第にチャットで視聴者同士の交流も始まり、やがて全国の学校での演奏会の仕事へとつながることになりました。

思い悩んでいる生徒たちに、

「生きていればなんとかなる! まずは誰かに相談しよう!」



木山裕策さんのお話を聴いていて、人間どこかで必ず底打ちをしたら、徐々に昇っていくものなのだということを実感します。

底打ち、立ち直り、そして上昇する強いイメージをもつことが大切です。

引用サイト:ダイヤモンドオンライン 松尾 一也  こちら

雲南市 永井隆博士記念館  こちら

長崎の鐘 関連サイト  こちら

こちら

木山裕策 「HOME」  動画   こちら
木山裕策 「HOME」(令和版)  動画   こちら





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Last updated  2023.03.15 07:34:16
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