東方見雲録

東方見雲録

2023.02.04
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カテゴリ: 文化




大阪城は豊臣の豪華と徳川の清楚のベストミックス
太平洋戦争後の城下町では、天守閣復興がブームになったが、明治以降、初の事業は岐阜城で、明治43年(1910年)の博覧会のパビリオンとしてだった(現在の天守閣は戦後の復興)。

だが、本格的なものは、昭和天皇即位の御大典を記念した大阪城天守閣からだ(歴史的には大坂城だが、現在の施設は大阪城)。徳川時代の大型の石垣の上に黒田家蔵の「大坂夏の陣屏風」に描かれた豊臣時代の意匠だが、壁は豊臣風の下見板張りでなく白壁づくりと、ごちゃまぜである。

桃山風の華麗さと江戸風の清冽さの同居は、“ええとこ取り”で近代日本人の美意識にぴったり合い、各地の天守閣復元に規範を与え、昭和の名建築として登録有形文化財になっている。鉄筋コンクリート、エレベーター付き、最上階には高欄をめぐらした展望台、それ以外の階は博物館という、画期的なアイデアだったので各地で模倣された。

戦後は、戦災で焼けた和歌山、名古屋、岡山、広島、福山の天守閣が復興のシンボルとして再建された。熊本、会津若松は明治初年の写真が残っていたので、再現が試みられた。小倉のように幕末以前になくなっていたものや、富山のようにもともと天守閣などなかったもの、熱海城のように城跡でないところにも天守閣が出現した。

「古絵図か写真がないと復元させない」はおかしい
ところが、文部省(文化庁)が、史跡については写真や図面などたしかな証拠がないと復元を認めないと言い出した。とくに、特別史跡には厳しい。

安土城の復元は西武グループ創始者の堤康次郎が悲願としたが、狩野永徳が描き、ローマ法王に贈呈された屏風でも見つからない限りはダメと一点張りで、セビリア万博日本館に巨額の費用をかけて復元制作し出展した上層階は、近隣の展示施設に置かれたままだ。高松城も、写真が1枚しかないから全容が明らかでないと駄目と言われており、“被害者”のひとつだ。

一方、縄文時代の三内丸山遺跡や奈良時代の平城宮跡、薬師寺などでは、資料がなくとも復元させているのだから、風致を汚さねばいいはずだ。沖縄の首里城など地元の希望で焼ける前より豪華絢爛(けんらん)にしており、首尾一貫していない。

時代によって焼失や老朽化した建物のあとに、時代のニーズに合わせた用途やデザインの建築をすることは何も悪いことでない。

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関連日記:2025.01.30の日記  鉄筋コンクリート製から史実へ近づく天守閣   こちら





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Last updated  2026.05.05 05:38:49
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