東方見雲録

東方見雲録

2023.07.08
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カテゴリ: 教育
日本の成熟社会は1998年から始まった。

 成長社会から成熟社会への変化とは、正解至上主義の教育が正しかった時代から、正解至上主義では通用しない時代への変化でもある。

 戦後日本の高度成長社会では、大きいことはいいことだ、早いことはいいことだ、安いことはいいことだというように、社会的な「正解」がはっきりしていた。だから、学校ではひたすら「正解」を覚えさせたり「正解」の出し方を練習させる正解至上主義の教育が行なわれた。結果、答えを早く正確に当てられる「早く、ちゃんとできる、いい子」が増産され、産業界に処理能力が高いホワイトカラー、ブルーカラーとして送り出されてきた。

 戦後50年はこれで良かった。正解だったのだ。

 ところが、成熟社会に入ると、すべてのモノ、コト、ヒトが多様化、複雑化し、変化が激しくなってくる。一様ではないし、平均が意味をなさなくなる。

 学校でも「みんな一緒」だったのが多様化して「それぞれ一人ひとり」になり(軽度発達障害だって一括りにできない)、家庭の事情も複雑になり(離婚も虐待も増えている)、変化も激しくなっているのだ。

 成長社会から成熟社会への変化は、どんどん「正解」がなくなっていく変化でもある。

 成長社会では「正解」の出し方を知っている方が有利だったし、私企業に勤めても公務員になっても偉くなれた。つまり、正解至上主義教育で育まれた「情報処理力」(答えを早く正確に当てられる力)が日本人の幸福に直接結びついていたわけだ。

 ところが、正解がないかもしくは減じていく成熟社会では、「情報編集力」の方が大事になる。



「納得解」を導くためには知識、経験、技術のすべてを組み合わせなければいけないから、「編集」という言葉を使う。文科省がしきりに謳う「思考力・判断力・表現力」のことだと理解していただいて構わない。



こんな疑問も残ると思う。学校の先生っていうのは「正解を教えるプロ」であって、正解がない問題へのアプローチを教えるのはしんどいんじゃあないか、と。その通りだ。

 だからこそ、学校を職員室の先生だけで運営する時代を終わらせ、地域社会の資源を学校につなげるべきなのだ。大学生や塾の講師、地域に戻ってきた団塊世代やIT企業のビジネスパーソン、果ては職人さんまで。しかも、日常的な触れ合いが校内で起きるようにしたい。たまにゲストに招くだけではダメだ。

 それが「地域学校協働本部」や「コミュニティ・スクール」化の意義である。

 もう、学校を教員だけで運営するのは無理なのだ。そう、はっきり告げよう。学校という車を、職員室の先生と地域社会の両輪で動かしていくのだ。

 だからこそ、学校で学ぶ児童生徒も、大胆に地域社会の力を借りて、ナナメの関係を強めていくべきだ。先生・生徒や親子というタテの関係ではなく、友達同士のヨコの関係でもない、利害関係のない第三者との関係である。

 そうでないと、子どもたちのイメージできる職業が、親の仕事か教員(塾の講師を含む)、あるいは通学路の途中にあるハンバーガー店やコンビニの店員のような身近な存在に限られてしまうから。

●藤原和博(ふじはら・かずひろ)
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。

引用サイト:AERA こちら

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Last updated  2023.07.08 16:32:29
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