東方見雲録

東方見雲録

2024.01.15
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カテゴリ: 政経
国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、国家の状態、国柄のこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。

国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系の天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。
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もともと国体という語は国家の形態や体面を意味していたが、幕末の対外危機をきっかけに、 水戸学が日本独自の国柄という意味で国体観念を打ち立てた。 水戸学の構想は日本全国に広まり、国体論が一つの思想として独立した。国体論は、明治維新の後の過渡期を経て、帝国憲法と教育勅語により定式化された。
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国体の語義
「国体」は旧字体で「國體」と書き、「國」という字は一政体の下に属する土地・人民などの意、「體」という字は、からだ、てあし、もちまえ、すがた、かたち、かた、きまり、などの意である。

クニカタ
日本の古典に現れるのは、延喜式所載の出雲国造神賀詞に「出雲臣等が遠祖天穂比命を国体見に遣時に」とあるのが初見であるといわれる。

クニノアリカタ


クニガラ
『大鏡異本陰書』や『古事談』に国体の語が見える。国風や国姿などの意味

1853年(嘉永6年)黒船来航以降、国体という語は内治外交上重要なものとして用いられ、詔勅・宣命・その他公文書にも多く見られるようになる。

明治維新後、国体の語が公文書にあらわることがますます多くなり、とくに詔勅に国体の語をしばしば用いる。

以上のように、国体のという語は近世以降頻繁に用いられたが、その意味は必ずしも一定したものではなく、多くは国風、国情、国の体面、国の名分、国の基礎、国の特性などの意味に用いられた。
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国体の語が日本人一般に認識されたのは近代のことであるが、国体の語を用いなくともこれと同一の観念が起こったのはかなり古い。すなわち、日本人が自国を外国と比べて自国の国家成立の特色や国家組織の優秀性などを誇ることが多々あった。その特色または優秀性とされるものは、日本が 神国 であること、 皇統が連続して一系 であること等である。
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建国 に関して神話が遺されていること
古代において 祭政一致
日本書紀の神功皇后の三韓征伐の条 で、攻め寄せる日本兵を見た新羅王が「われ聞く。東に 神国 ありと。 日本 と謂う。また聖王ありと。 天皇 と謂う。必ずその国の神兵ならん」と言ったとされるのも、形は新羅王に言わせているが実は新羅王の口を借りて日本国民の観念を述べている
大化の改新 にあたって何事も唐の制度を取り入れたが、ただ 神祇官を八省の上に
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神国思想は万世一系の思想につながる
「我が国は開闢以来、君臣定まり、臣をもって君と為すことは未だあらざるなり。天の日嗣は必ず皇嗣を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし」(和気清麻呂)
「天に双日なく、国に二王なし。これ故に天の下に兼ね併せて万民を使うべきは、ただ天皇のみ」(中大兄皇子)
「日本朝は、いわゆる神明の国なり。神明の助け護り賜わば何の兵寇か近く来るべき」(新羅の船が襲来)
鎌倉時代の末、虎関師錬は著書『元亨釈書』において、日本は皇統連綿として万世に替わることがないと論じた。これは日本の国体の依って定まる所を明らかにしたものだという

南北朝時代、南朝方の公家北畠親房は『神皇正統記』を著し、同書の始めに「大日本は神国なり。天祖、初めて基(もとい)を開き、日神、永く流れを伝え給う。我が国のみこの事あり、異朝にはその類いなし。それゆえ神国というなり」と述べて日本が神国であることを明示し、さらに進んで万世一系の国体を論じて「ただ我が国のみ天地ひらけし初めより今の世の今日に至るまで日嗣を受け給う事よこしまならず。一種姓におきても、おのずから傍らに伝え給いしすら、なお正に返える道ありてぞ保ちましましける」といい、「これ、しかしながら神明の御誓い新たにして余国に異なるべき謂われなり」と結ぶ。神道については「この国は神国なれば神道に違いては一日も日月を戴きまじく謂われなり」と論じた

日本の国防上の危機感が高まったときに神国思想が強調された。
引用サイト: こちら





国家神道から国体思想へそして神国日本へ こちら

参考サイト:
日本人から思考を奪う「国体の正体」とは何か
こちら
国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。
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アメリカの元国務長官、ジョン・フォスター・ダレスの分析です。ダレスは日本について、日本人は欧米人に対するコンプレックスと同時にアジア人に対するレイシズムを持っており、この2つをうまく利用すれば日本を支配できる、と言った。

実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。
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奴隷根性から脱出することが日本にとって重要な課題であり、『国体論』のひとつの課題でもあったと思います。ただその際、奴隷根性から脱出したあとの姿があまりイメージできないということも事実です。

参考サイト:
激変する社会に適応するための全体知の必要性
こちら

全体知とは何か、これを端的に言い表したのが、仏教学者・鈴木大拙が言うところの「外は広く、内は深い」という言葉だ。私の理解では、内の深さと外の広がりに対して柔軟に感じ取る力を持つことこそが、全体知の入り口だ。

「内は深い」とは意識の深さのこと。認識は合理的に理解することだが、意識は美意識という言葉があるように、合理性だけでは判断できない世界のことだ。つまり、この意識の深さが全体知につながる。また、「外は広い」は、世界的見地、宇宙的見地に立ち物事を判断することの重要性だ。





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Last updated  2024.01.15 09:00:10
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