東方見雲録

東方見雲録

2024.10.22
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カテゴリ: 郷土
山陰最大規模の歓楽街として知られる米子市朝日町エリア。以前は米子で「飲みに出る」といえば、誰しも朝日町エリアを連想したはずだ。小料理屋から料亭、居酒屋やバー、スナック、クラブ、ラウンジなどさまざまな業態の飲食店が集積し、幅広い年齢層の人々の喜怒哀楽を受け止めた。だが、近年は地方経済の衰退に加え、JR米子駅前通りの飲食店の出店ラッシュやコロナ禍などにより、ネオンの明かりに陰りが見られるようになった。往年の輝きを取り戻すことはできるのか。

街全体が百貨店 
 「朝日町通りは映画館、劇場を中心に百般の業種が軒を並べ、特に飲食店と食料品店と多いことは正(まさ)に米子一と云(い)ふべく、更(さら)に医院、写真館、美容院、理髪館、風呂屋、旅館に至るまで、何でもかんでも一通り揃(そろ)っている。まことに異色のある繁華街である」。1952(昭和27)年に1号が制作された冊子『朝日町通り商店案内』の一節だ。

 朝日町は、1912(明治45)年に米子高等女学校(同市錦町1丁目、現市総合福祉保健センター)で「全国物産品博覧会」が開催された際に、角盤町と西倉吉町を結ぶ通りとして利用されたのを機に発展した。当時は桑畑が広がっていたが、大正から昭和にかけて映画館やカフェ、夜店が相次いで開業し、にぎわうようになった。

 「街全体が百貨店のようだった」-。戦後間もない50(昭和25)年に創業した料亭「みさご」(同市朝日町)の佐久間信社長(73)は50年代の朝日町の印象をそう語る。現在の朝日町通りが商店街で、平行する裏通りに飲食店が集中していたという。「表通りは行き交う人の肩が触れあうほどの人通りだった」と懐かしむ。






日本海新聞 0915
引用サイト: こちら

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Last updated  2024.10.24 15:59:07
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