東方見雲録

東方見雲録

2025.05.01
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カテゴリ: ランドスケープ


意匠図案説明 東林間駅と「千代の松」 「千代の松」は昭和62年の東林間開発百年祭記念に因み名付けられた、推定樹齢百三十年超の名木。
開設場所   〒252-0311 神奈川県相模原市南区東林間5-12-3
引用サイト: こちら

地名:東林間

なぜここが中央「林間」なのか。地域の歴史に詳しい、つる舞の里歴史資料館(大和市)を訪れると、資料館職員の箱崎淳さんが解説してくれた。

「中央林間駅は1929年(昭和4年)、中央林間都市という駅名で開業しました。小田急が推進した『林間都市計画』の中心だったのです。林間という名前は、この辺りがかつてカラマツなどが生い茂る雑木林だったことに由来しています」

箱崎さんによると、小田急は中央林間、南林間、東林間に合計80万坪(260万平方メートル)もの用地を取得した。中央林間と南林間を高級住宅地とし、東林間には工場を誘致。さらには小田原線の座間駅付近にも20万坪(66万平方メートル)ほどの土地を買収して遊園地をつくる計画だったという。住む場所、働く場所、遊ぶ場所を一気に整備するというわけだ。
・・・・
神奈川の軽井沢――。関係者は当時、林間都市をこう呼んでいた。小田急が打ち出した売り出し文句は「Your House on Your Land」(あなたの家はあなたの土地に)。



計画当初、新設する駅は「公所(ぐぞ)」「相模ケ丘」「中和田」という名前だった。これが開業1カ月前になって急きょ「中央林間都市」「南林間都市」「東林間都市」と変わった。小田急本社から強い要請があったという。さわやかな林間に広がる都市、というイメージを植え付けたかったようだ。
・・・・
一連の計画を主導したのは小田急の創業者、利光鶴松だった。

利光は衆議院議員などを務めた政治家だ。鉄道事業に進出し、小田急を創業した。新宿から小田原まで80キロ超をわずか1年半で敷設した手腕は当時、大きな話題となったという。

小田急電鉄の社史、「小田急五十年史」によると、利光社長が林間都市を構想したのは大正中期以降。小田急線の計画と並行して考えていたらしい。当時、渋沢栄一が田園都市会社を設立し、息子の渋沢秀雄らが中心となって田園調布に「田園都市」を建設した。後に東京急行電鉄の母体ともなるこの計画が、利光社長を刺激したという。

社史によると、利光社長はさらに大きな構想を抱いていた。林間都市に首都を移転するというプランだ。東京郊外こそこれからの時代の中心となる――。利光社長にとって、林間都市は理想の都市像だった。
引用サイト: こちら

千代の松

引用サイト: こちら

「千代の松」の由来
この松は、推定樹令百十余年、桜と共に、駅前の名木
として残したいとの願いで、名前をつけようという

に因み、自治会員にアンケート調査の結果、高点で
「千代の松」に決まりました。
次に「ふれあいの松」と「新開の松」も多かったの
で、次の一首で松のイメージを保存することにした
ものです。

ふれあいの場に千代の松かな
地域のまちづくり発展と共に生きる名木として、
みんなで大事に守ってあげましょう。
東林間開発百年祭実行委員会
東林間自治会
東林間神社
引用サイト: こちら

関連日記:2025.02.18の日記  田園都市 東急   こちら





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Last updated  2025.05.01 20:37:08
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