東方見雲録

東方見雲録

2025.06.07
XML
カテゴリ: 文化
2003.06.07の日記 こちら


歴史的名花といわれる「宇宙(おおぞら)」
引用サイト:明治神宮の花菖蒲   こちら

「菖翁」松平左金吾定朝(さだとも)
牡丹、菊、朝顔など、さまざまな古典園芸植物が生まれますが、中国原産の植物が多い中、日本の山野に自生するノハナショウブから改良され、独自に発展したのが花菖蒲です。

といっても、江戸前期の花菖蒲はまだ原種の面影を残した単純な形で、せいぜい数十種類でした。しかし、後期に登場した一人の旗本が生涯をかけて品種改良を繰り返すことで、200種以上の花を生み出したといわれ、花菖蒲を飛躍的に発展させました。松平定信の遠縁にあたり、晩年、自ら「菖翁」と号した松平左金吾定朝(さだとも)です。

1773年、江戸に生まれた定朝は父譲りの花好きが高じ、現在の港区元麻布の中国大使館辺りにあった広大な屋敷において、84歳で亡くなるまでの六十余年にわたり、花菖蒲の改良に取り組みました。

退職前の十数年間は京都に赴任し、京都町奉行などを務めますが、なんと江戸から花菖蒲の株を携えて行って官舎の庭でも栽培を続け、再び江戸に持ち帰ったそうです。車も電車もビニールポットもない時代に一体どうやって運んだのかと、その情熱には恐れ入ります。

隠居後はますます研究に励み、名花「宇宙」に代表される、珍花奇花を作出。当人は苦労してつくり出した花が庶民に広く売買されることを好まず、晩年まで門外には出しませんでしたが、屋敷内の花の見事さが次第に世間に知れ渡り、開花期には見物客が門前市を成して、苗を欲しがる人や栽培法を聞く人も大勢押しかけたようです。

一方、菖翁は肥後藩主細川斉護(なりもり)から花菖蒲を譲ってほしいと打診され、初めはすげなく断ったものの、あきらめきれない斉護が江戸勤番となった藩士の一人を弟子入りさせたため、その熱意に動かされたのか、最後は秘蔵の花の苗を分け与えました。これがのちに肥後における改良によって独自の発達を遂げ、室内観賞向きに鉢植え栽培される肥後系の花菖蒲のルーツです。


『花菖培養録』嘉永6年版(1853年)の写本。栽培法だけでなく、品種改良の経緯や花菖蒲に対する独自の美学などが綴られ、自身が作出した名花21品種の図譜も掲載。写真は右が「獅子奮迅」(現存せず)と「霓裳羽衣(げいしょううい)」、左が「宇宙」。
こちら


原種ノハナショウブ
今でも全国の湿原や高原に多く自生。日本だけでなく、ロシアや中国東北部、朝鮮半島にも分布する。写真は北海道の海岸草原に咲くノハナショウブ。濃い紅紫色の素朴な三英花が美しい。

参考サイト:日本が花卉遺伝資源に恵まれ園芸文化が発展したのは、多様な自然と日本人の感性による こちら
2027年に横浜で開催される国際園芸博覧会は、日本の花卉の素晴らしさを世界にアピールするチャンスです。コロナ後にインバウンドが急速に回復しているいま、海外から日本に訪れる人々は、和食、風景、建築物、伝統工芸、庭園など、日本らしさを感じさせるものを強く求めています。こうした日本の自然に根差した美意識や世界観と、日本の花卉遺伝資源や園芸文化とは密接な関係にあります。日本の自然環境の中で生まれた野生植物や、日本人の感性で作り上げてきた園芸品種や園芸文化をあらためて見つめ直し、花卉遺伝資源の保存・利用や園芸文化の発展へつなげていくことは、過去へのノスタルジーではなく、これからの日本にとって非常に重要なことだと考えています。

関連日記:2022.06.02の日記  花菖蒲の思い出   こちら
関連日記:2003.07.17の日記  花菖蒲交流   こちら
関連日記:2024.03.12の日記  大山鏡ケ成のノハナショウブ   こちら
関連日記:2025.05.19の日記  江府町 アヤメ   こちら
関連日記:2024.05.05の日記  2027横浜国際園芸博覧会(花博)   こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.06.08 06:51:29コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: