東方見雲録

東方見雲録

2025.07.25
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カテゴリ: 文化


歴史学者、マンガ学会大会で研究発表する
6月28日、鳥取県米子市で第24回日本マンガ学会大会が開催されました。会場である米子市文化ホールで、開会セレモニー直後のメインホールに登壇したのは九州大学の永島広紀・韓国研究センター教授です。この枠は、学会会期中で最も注目の研究発表がなされるいわば“特等席”。演題は〈予備役大尉・野良犬黒吉の再出征は何時? ーのらくろと「田河水包」の「昭和19年」〉というものでした。永島教授はこう明かします。
・・・・
断筆したはずの『のらくろ』を変名で描いた?
こうして「少年倶楽部」から『のらくろ』は消えました。深川生まれの江戸っ子だった田河さんは、次第に激しくなる空襲を避けて1944(昭和19)年に宇都宮、さらに信州へと疎開しています。

冒頭で紹介した永島教授が“発見”したのは、その昭和19年3月から10月にかけて「戦時版よみうり」に田河「水包」名で連載された「のらくろ」の4コマ漫画です。

永島教授に再び登場してもらいましょう。

「新聞の戦時版とは、1944年3月1日から新聞5社(読売、毎日、中部日本、大阪、西日本)が一斉に発行を開始したタブロイド判日刊紙のことで、“産業戦士”という名の工場労働者や徴用工を主な読者層としたものです。『のらくろ』は、「戦時版よみうり」の創刊号から連載が開始されています。



田河さんは、1961(昭和36)年1月から、雑誌「丸」(光人社、現・潮書房)で『のらくろ召集令』の連載を開始しました。猛犬連隊に予備役召集されたのらくろ大尉は、中隊長として新兵教育に当たりますが、山猿軍と和平が結ばれ、再び一市民に戻ります。そして紆余曲折の末、おぎんちゃんという伴侶を得て、喫茶店のマスターとして穏やかな日々を送ることでハッピーエンドを迎えるのです。

1979(昭和54)年、田河さん80歳の年に、この「丸」連載版が『続のらくろ漫画全集』として講談社から出版されました。しかし田河さんは、講談社から出した全集に、「戦時版よみうり」の作品を載せませんでしたし、自叙伝、数多のインタビューなどでも、一度も昭和19年に「のらくろ」を描いたとは発言していません。

永島教授はこう続けます。

「年少期において「少年倶楽部」に慣れ親しんだ世代が、戦時末期にはちょうど勤労動員に駆り出されているタイミングであり、「戦時版」での『のらくろ』連載は、まさに時宜にかなったものでした。しかし、田河水泡氏が「水包」なる変名まで用いて『のらくろ』を描き続けていた意図と経緯、その媒体として「戦時版よみうり」が浮上したこと、満洲国・関東軍や満蒙開拓青少年義勇軍との関係、また戦後における田河氏らの“沈黙”に関してなど、今後とも解明すべき点は課題として多く残されていると考えています。

私は今回の「戦時版のらくろ」を、戦争協力という単純な文脈だけで取り上げたくはありません。また当時の漫画家たちの戦争責任を問う意図もほぼありません。一方で、田河氏らが軍部/戦争に反対したという戦後的な語りは明確に否定したいとも思っています。まずは“静かに”田河氏の作品年譜の書き換え(追加)が行われるということが、非常に重要なのではないでしょうか」
引用サイト: こちら






引用サイト: こちら




日本海新聞 0902





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Last updated  2025.09.02 07:05:42
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