東方見雲録

東方見雲録

2025.08.07
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1983年11月10日
意匠図案説明  宍道湖を背景に八雲本陣(重文)とツツジ(町花)を描く。
開設場所    〒699-0499 島根県松江市宍道町宍道873-6
引用サイト: こちら

八雲本陣(重文)















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宍道町

宍道湖(しんじこ)  
宍道湖 全国で7番目に大きい宍道湖は、真水と海水の混ざりあった汽水湖です特に刻々と表情を変えるタ景の美しさは絶景で、水都松江の象徴になっています。

 また、宍道湖のしじみは「大和しじみ」と呼ぱれ、真しじみに比べてコクのあるのが特徴です。早朝から湖に小舟を出し、クマデにカゴを付けたような独特の鋤簾で獲るしじみ漁の光景は、朝の風物詩です。
・・・・


 宍道町には、近世山陰道沿線に江戸時代に本陣とされた木幡家住宅と、当時の宿場町の町割りが残っています。毎年7月にはれんげ祭の御興行列が練り歩いて、かつての宿場町の繁栄を偲ばせています。
引用サイト: こちら



松江市宍道町宍道は宍道湖畔の宿場町であり、江戸期を通じて松江藩領であった。
宍道が江戸時代に宿場町として大いに発展したのは、交通の要衝であったからである。宍道湖岸を通る山陰道と、雲南三郡(飯石・仁多・大原各郡)からの物資集散と人の往来する地となり、街道沿いに町並みが形成され、宿場町として発展したものである。特に宍道湖を利用した海運の盛行は顕著なものであった。3軒の本陣宿と元禄12年(1699)の宿屋4軒、舟32艘の記録がこれを示している。同年の家数161・人数775であり、寛延2年(1749)には家数280・人数1,002に増えている。文化10年(1813)の天文方御用手鑑によると家数249・人数1,137とあり、文久2年(1862)の意宇郡村有高輪切帳では家数350・人数1,423とある。
近代にはいっても交通の要衝としての役割は大きく、海陸共に栄え明治10年代には宍道湖航路に汽船が就航し、明治42年には山陰線(現JR山陰線)宍道駅が開設された。
明治28年宍道村で交通運輸に関係するものは、人力車10台・荷馬車3台・客馬車1台・荷車15台・伝渡船7・平田舟5・旅人宿14軒・問屋荷宿(運送業)5軒・沖仕17人であり、これは町内家数数約300軒のうち25%にものぼるものであった。
また宍道村内で山陰道沿いに町並みが発達したところは宍道町と呼ばれた宿場町の部分だ。町の西端から南へ出雲備後道が分岐していた。街道の分岐点という立地条件から宿駅として栄え、宍道湖を利用した舟運の要衝でもあった。
小豆沢家・木幡家・葉山家の3家が本陣を務めた。宍道町だけを見ると元禄12年(1699)には家数71軒で、文久2年(1862)には87軒となっている。町の長さは200間、街道幅は4間とあり、その幅は今にそのまま残っている。嘉永2年(1849)の記録では街道を挟んで山側に40軒・湖側に42軒が描かれている。
今に残る本陣の遺構は木幡家本陣で、八雲本陣(国重文)と呼ばれ、今は料理旅館として営業されているが、見学だけでも可能です。享保18年(1733)建築の主屋を主体に見学できる。
引用サイト: こちら





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Last updated  2025.08.07 07:00:09
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