東方見雲録

東方見雲録

2025.08.22
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カテゴリ: ランドスケープ


意匠図案説明  松江大橋に松江城を描く。
開設場所    〒690-8799 島根県松江市東朝日町138
引用サイト: こちら

松江大橋

上は和田見川河口(現在の売布陣神社のあたり)から大橋方面を写したもの。
写真左にかすかに明治24年完成の第15代大橋が見られ、右後方には松江城、大橋川には多くの船が停泊している。

下は第15代トラス橋を拡大し、写真を修整し、特に橋を白くしている。
誇張した修整はハーンが来た明治24年にはトラス橋が出来たばかりで、このように新品であったということを示したかったと思われる。

八雲会がこの時代に出した小泉八雲絵葉書セットの1枚であり、古い写真をもとに修正を加えたと推察される。


【年代】 大正7年~昭和7年 【発行】 八雲会・今岡商店発行 絵葉書用ガラス乾板
引用サイト: こちら

関連日記:2025.08.09の日記   こちら

松江城


人柱にされた娘の呪いが歴代城主を苦しめた!?
慶長16年(1611)に堀尾吉晴が築いた松江城は築城の際、本丸や天守台の石垣工事が難航していたという。そこで工事の成功を祈願して人柱を立てることになった。折しも盆踊りの時季でもあり、吉晴の家臣たちは「盆踊りで一番踊りがうまく、美しい娘を連れてきて人柱にしよう」と相談し、何の罪もない城下の若い娘をいきなりさらってきて、生きたまま人柱にしてしまった。

犠牲になった娘の無念はいかばかりか。石垣の下に生き埋めにされた娘の怨みは呪いとなって、この城の城主たちを苦しめはじめる。まず吉晴とその子・忠氏。二人は城の完成前後に相次いで死去してしまう。3代目の忠晴も跡継ぎがいないまま早逝してしまい、堀尾家は断絶の憂き目に。続いて城主になった京極忠高もわずか3年後に急逝し、こちらもわずか1代であっけなくお家断絶となった。
・・・・
文豪・小泉八雲の『神々の國の首都』には、松江城に関して次のような記述がある。

「この城を築いたおりに、戰國時代の原始的な蠻風(ばんぷう)にしたがって、松江の一少女が、なにがしの神への人身御供となって、城壁の下に生き埋めにされたといわれる。その少女の名は傳わっていない。なんでも美しい娘で、踊りの大へん好きな子だったそうである。それ以外には、何も記憶されていない。

ところで、城が落成してから、松江の町では女の子は盆踊りをおどってはならぬという禁令を出さなければならなくなった。それは、盆おどりに女の子が踊ると、お城山がかならず搖いで、大きな城が礎から本丸のてっぺんまで搖れるからであった」
引用サイト: こちら

こちら
関連日記:2024.10.06の日記   こちら
関連日記:2025.08.10の日記   こちら





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Last updated  2025.08.22 00:00:15
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