東方見雲録

東方見雲録

2025.10.14
XML
カテゴリ: ランドスケープ



意匠図案説明  境港大橋を描き、「ゲゲゲの鬼太郎」像と「鬼太郎のゲタ」像を配す。
開設場所    〒684-0004 鳥取県境港市大正町57

引用サイト: こちら


鬼太郎の下駄



引用サイト: こちら

大正町の歴史​

歴史
1835年、鉄山融通会所が設置される。
1926年5月、境町では旧来の地字を廃し、改めて大字21町を新設する行政区画改正を実施。
大正時代に国鉄境駅がこの土地に移転新設され、駅前地区が整備され「大正町」が新設される。

1945年、大正町の岸壁で陸軍の軍用船「玉栄丸」が突如大爆発を起こす(玉栄丸爆発事故)。町内住宅はほとんど倒壊・焼失する。
戦後は戦災地区の指定を受け、昭和20年代に区画整理事業が実施され、再建される。
1954年に境町が周辺の渡村・外江町・上道村・余子村・中浜村と合併して境港町となり、境港町の大字「大正町」となる。
1956年、市制施行に伴い境港市の町名「大正町」となる。
引用サイト: こちら

境港鉄山融通会所の設置
鳥取藩は鉄山の打込みや、鉄穴流しその他の事業に対して許認可を行い、また幕府が大阪に「鉄座」を設置して以降の不安定な鉄価格を改善するための「海路為替回漕仕法」(寛政12年~1800)、「鉄鋼銑江戸直回仕法」(文化13年~1816)といった流通に関わる制度を設けたり、境鉄山融通会所を設置(天保6年~1835)するなど、産鉄の流通や販売を促進する政策を進めました。
・・・・
天保6年(1835)日野、会見郡産鉄を境港に出荷するため、鳥取藩は境鉄山融通会所を設置しました。それまで米子の鉄問屋に鉄の流通を依存するも、販売が円滑に行われず、また越境して安来港からの出荷を行うも資金の回転が滞ることが多く、大阪や江戸の鉄価低迷もあり、経営に巨額の資金運用が求められる日野郡の鉄山業は苦境にありました。

そこで日野郡(日南町)阿毘縁村の松田屋彦兵衛らの鉄山師や庄屋らは藩に、鉄を境港に集積し、自ら販売をさせてほしいとの請願を行いました。それにより天保6年(1835年)に設置されたのが鉄山融通会所です。この会所の設置により藩の倉庫に製品を納入すると即為替を受け取ることが可能になり、資金の回転も円滑になりました。

鳥取藩としても重要な外貨獲得の港湾として位置づけ、嘉永元年(1848)には銀行業務も始まり、金融と商業(港湾)の基盤が出来上がって、半農半漁の村は港町として急速に発展し、境港は現在の環日本海交流の拠点という地位を得ることに繋がっていくのです。

文久3年(1863)に山陰一の砲台がある台場が建設されたのは、境港の地政的な重要性を物語っています。現在の境港の環日本海の中心地、漁業の基地へと至る成長はまさに、天保6年(1835)がターニングポイントになっているのです。
こちら

電子紙芝居「伯耆国の流通革命」 こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.10.14 00:00:09
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: