東方見雲録

東方見雲録

2026.03.06
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カテゴリ: 土木



使用開始日    2015年1月19日
意匠図案説明
●隅田川にかかる厩橋と花火、屋形船、スカイツリーで地域色を出しました。
備考
●局舎移転に伴う局名変更、新規作製。
開設場所
〒130-0004   東京都墨田区本所1-25-7
引用サイト: こちら

厩橋
東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川に架るレトロな橋が、厩橋(うまやばし)。現存する橋は、関東大震災後の昭和4年9月、帝都復興計画に基づいて東京市復興局が架橋した橋。地盤の良さを反映して、隅田川で唯一の3連アーチ橋です。

施工主体は、東京市復興局で、設計は東京市土木局。
橋桁は浅野造船所(横浜市にあった浅野財閥の造船所=セメントで財をなした「京浜工業地帯の父」浅野総一郎の会社)が製作しています。
「優美な3つの曲線が連なるアーチ」ということで、蔵前橋、駒形橋、吾妻橋、白鬚橋、両国橋、言問橋とともに東京都選定歴史的建造物に。
・・・・
ちなみに隅田川に震災復興橋梁として架けられた橋は、下流から相生橋、永代橋、清洲橋、両国橋、蔵前橋、厩橋(うまやばし)、駒形橋、吾妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)の9橋で、被害を受けなかった新大橋を含めて「隅田川十大橋」と称されています。



明治26年架橋の2代目となる厩橋(関東大震災で焼失)旅行ガイド、旅行記
引用サイト: こちら


関連日記:2026.01.27の日記  蔵前郵便局 台東区   こちら
関連日記:2026.02.11の日記  隅田川十大橋   こちら
関連日記:2023.10.02の日記  隅田川名橋   こちら

隅田川花火
伝承
隅田川花火大会は、大飢饉とコレラの流行によって江戸で多くの死者が出た1732年(享保17年)、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡る。1733年7月9日(享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされる。



コレラの流行
慰霊と悪疫退散という目的
時の政府(江戸幕府)による実施
水神祭と川施餓鬼
という4点を付け加えた。これまでばらばらだった断片がまとめあげられ、ここに「伝承」が完成したのである。

開催記録
天保13年5月24日(1842年7月2日) - 幕府が仕掛花火、筒物を禁止。
天保14年4月17日(1843年5月16日) - 玉屋が将軍御成の前夜に失火し所払、誓願寺前に移る。
安政2年10月2日(1855年11月11日) - 大地震による火災で柳橋花街が全滅。
安政3年(1856年) - 川開き花火開催。
文久3年5月28日(1863年7月13日) - 両国橋辺の夜店始まる、花火無し。
慶応4年6月8日(1868年7月27日) - 両国川開き開催、大盛況の大会。




引用サイト:Wikipedia情報   こちら
関連日記:2024.08.04の日記 夏祭り   こちら

屋形船

引用サイト:東京の夏の夜空を彩る花火を屋形船スカイデッキから観賞    こちら

関連日記:2023.09.26の日記 屋形船 協会 組合   こちら





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Last updated  2026.03.06 00:00:11
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