東方見雲録

東方見雲録

2026.08.07
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カテゴリ: 文化



使用開始日    2021年3月8日
意匠図案説明   近隣にあるトキワ荘マンガミュージアムの開館1周年を記念し、建物や近隣の風景を描く
開設場所     〒171-0051 東京都豊島区長崎4-25-1
引用サイト: こちら


【取材メモから深掘り考察】なぜ天才たちは「トキワ荘」に集結したのか?
ここでミュージアムに到着する前に、一つの大きな疑問について紐解いておきましょう。

なぜ、日本中から集まった若き才能たちは、都心の一等地でもなく、当時はまだのどかだったこの西武沿線の目立たない木造アパートにこぞって集結したのでしょうか?

「手塚治虫が住んでいたから」というのは最大の理由ですが、ではなぜ手塚治虫はこの場所を選んだのか。実際にこの街を歩いて取材したことで、一つの「地理的・交通的な必然性」が鮮明に浮かび上がってきました。

ポイント

トキワ荘がある南長崎の通りを、目白方面へまっすぐ進んでみてください。やがて道は大きな「目白通り」へと合流します。 そしてその目白通りをさらに東へ進むと、「江戸川橋交差点」にぶつかり、その先の「護国寺」周辺へと至ります。

勘の鋭い方はお気づきでしょう。護国寺・江戸川橋エリアといえば、講談社をはじめとする日本を代表する大手出版社が昔も今も密集している「出版の聖地」なのです。

当時はもちろん、インターネットで原稿のデジタルデータを送信できる時代ではありません。

バイク便や宅急便すら一般的ではなく、原稿の受け渡しは「漫画家自身が出版社へ持ち込む」か、「担当編集者がアパートまで直接取りに来る(時には徹夜で見張る)」のが絶対の基本でした。

締め切りギリギリの極限状態の中で、出版社とアパートを何度も往復することを考えれば、トキワ荘のあったこの場所は、目白通り一本で護国寺の出版社群へと直行できる「極めてアクセス効率の良い、交通の要所」だったのです。

手塚治虫にトキワ荘を紹介したのも、当時の出版社の関係者だったと言われています。
引用サイト: こちら



引用サイト:「南長崎通り」から「トキワ荘通り」へ!   こちら





関連サイト:文化と歴史薫る護国寺・江戸川橋   こちら
関連サイト:出版・教育・専門サービスの静謐な知的拠点:護国寺・茗荷谷・江戸川橋エリア   こちら
関連日記:2025.02.08の日記 護国寺・雑司ヶ谷・池袋   こちら

ちょっと横道:水木荘








しげる青年は復員後、魚屋、輪タク、募金旅行を経て、郷里に帰る途中に一泊した神戸の安宿にて、その主人から宿を二十万円で買ってアパート業をやってみないかと持ちかけられ、手元の十万円に加え、父・亮一から十万円を借金して購入。ただし、この宿には元々百万円の借金があり、それを引き継ぐという条件付。

建物が兵庫区水木通に立地していたことから「水木荘」と名付ます。やがて水木荘に入居した紙芝居画家の縁で、しげる青年は紙芝居画家に就こうと手製の紙芝居を持ち込んで回った先の紙芝居の貸元で、演じ手のまとめ役をしていた活弁士の鈴木勝丸に見出され、画業生活を開始。

鈴木が独立して阪神画報社を設立した際、しげる青年は引き抜かれ専属の扱いとなり、当初は本名で活動していたが、鈴木が本名を覚えず「水木さん」と呼ぶことを止めなかったため、ペンネームを「水木しげる」と改めます。

1953(昭和二八)年、アパート経営の不振で水木荘を売却。購入時の借金を清算して大屋を廃業。西宮に移り住み紙芝居の専業作家として「空手鬼太郎」や「河童の三平」などの作品を制作しています
引用サイト:水木しげるさんの足跡をたどる   こちら





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Last updated  2026.08.07 00:00:09
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