東方見雲録

東方見雲録

2026.09.19
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日   1975年7月1日
意匠図案説明  徳丸原遺跡碑、高島平団地を描く
開設場所    〒175-8799 東京都板橋区高島平3-12-1

高島平団地

敷地面積36.5ha。総戸数は10170戸(賃貸8287戸・分譲1883戸)で、日本住宅公団が手掛けた団地の中ではナンバー1の規模(戸数)を誇る面開発市街地住宅です。

当地は、もともと徳丸ヶ原・赤塚たんぼ・徳丸たんぼ等と呼ばれる水田地帯でしたが、周辺に工場が立地し始め水質汚染が発生するなど営農に適さない土地となりつつあったため住宅不足解消のための開発適地と見られるようになりました。ところがこの地域は、首都圏整備法という法律で近郊地帯(緑地地域=グリーンベルト)に位置付けられていたため、宅地開発が制限されていました。
一方で、この法律による開発規制は実効性に乏しく、無届建築が横行するなどかえって環境悪化を招いているケースがあったことや「地元の発展を阻害される」と緑地地域内の自治体が猛反発していたことから、都は「土地区画整理事業」や「一団地の住宅経営」により一定の公園面積が担保される場合、緑地地域の指定解除を行える方針を示していました。

このような背景があり、当地においても区の働きかけのもと「板橋地区土地区画整理事業」として事業が始まりました。途中からは日本住宅公団が事業に参画し、地主たちから坪2万1千円で約36万坪の土地を購入したうえで高島平団地の建設が始まりました。

ちなみにこの「高島平」という名称は、江戸時代に砲術家の高島秋帆(たかしましゅうはん)が当地で日本初の洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ったことに因んで名付けられました。これにより団地完成以前に開業していた都営地下鉄6号線(現三田線)の志村駅は、高島平駅に改められました。
引用サイト: こちら

関連日記:2026.02.02の日記 こちら

徳丸原遺跡碑

1841年に高島秋帆(たかしましゅうはん)が幕府の御用地である徳丸ヶ原(現在の高島平)でおこなった洋式調練を記念して、1922年に弁天塚(高島平6-2番地内)に建てられた碑です。
1969年、この地が「高島平」と名付けられ高層住宅団地となると、当碑は現在の徳丸ヶ原公園に移転しました。
当碑の「徳丸原遺跡」という扁額は徳富蘇峰の筆とされています。

住所:板橋区高島平8-24-1(徳丸ヶ原公園内)
引用サイト: こちら

高島秋帆
① 高島秋帆は長崎町年寄の家系に生まれ、長崎会所や出島台場を任された。貿易を司った関係から、10万石の大名に匹敵する財力をもっていた。

② 和製砲術では外国船に太刀打ちできないと考え、出島のオランダ人に洋式砲術を学び、高島流砲術を完成させる。

③ 砲術家の近代化を訴え幕府に重宝されるが、蘭学を好まない幕臣の妬みにより、冤罪で投獄される。

④ ペリー来航により海防強化の必要性が叫ばれ、赦免となる。晩年は講武所にて兵術・砲術の指南に尽力した。
引用サイト: こちら

赤塚公園





引用サイト: こちら





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Last updated  2026.09.19 00:00:07
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