心おだやかにいきるために in rakuten

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Tatsu1965

Tatsu1965

2005.05.14
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カテゴリ: ラグピッカーより
結局、反省的瞑想を続けるなかで、

断片的に思い出される嫌な思い出が、

一本の糸のように連続してつながっていることを、

客観的に認識することができたのでした。

その結果、

“嫌いな自分”である、

『人を蔑む心(感情)が湧いてくる自分』になってしまった原因は、

一番身近な母に対して、

“求めること”をしなくなってしまったこと、



もう母(他人)に自分を理解してもらうことは求めない。

そう幼心に強く思ったことにあり、

結局、人に求めなくなると同時に、

自分の意見(欲求)も表に出すことができなくなっていったことを起点として、

主体性のない人生になっていき、

人の想念に左右されてしまいがちな自分となっていき、

結果として、虐めに加わり、

人を蔑むような心の芽がでてきてしまい、

それに修正をかけることもなく、

野放しにしてきたことに問題があったことが分かってきたのでした。


まるで木が育つように、



その枝のひとつが、

『醜い心を持った自分』となって育ってきていたのです。

さらにそこから“自己嫌悪”の枝が育ってきていたのでした。

そのような結論に至り、

なぜか僕は、



“自己嫌悪”に陥っていたけれども、

果たしてこの自分は、

“本物の自分”なのだろうか、

“ニセモノの自分”なのだろうかと、

心の中で自問自答していました。

自問自答しているうちに、

ふとこのようなことに気が付きました。

今までは、この“嫌いな自分”を自分自身だと思いこみ、

自己嫌悪してきたけれども、

自分の本質部分ではなかった、ということに気が付いたのでした。


なぜなら、その起点となる、母親との葛藤以前には、

“自己嫌悪”の基になるものが微塵も存在していないことに気が付いたからです。

さらに、その起点よりも以前の自分を思い出したときに、

天真爛漫な自分がいたことも思い出したのです。

そして、起点以前の自分と、起点以後の自分を比較したときに、

後からできたものは“本物の自分とは言えない”。そう“感じた”のです。


その時に、“嫌いな自分”を自分自身だと思う必要はない!


この“嫌いな自分”はニセモノだ!


こんなニセモノの自分は要らない!


そう思い、心の中で、

今まで“自分自身だ”と思っていた“嫌いな自分”を捨て去りました。

すると、どうでしょう。

途端に、心と体か軽くなり、

心に光が差してくるような感じを受けたのでした。

初めての体験でした。


今思えば、


“本物の自分”と“ニセモノの自分”


という考え方を知っていなければ、

「だから、自分はダメなのだ!」「だから、生きている資格がない」と、

落ち込み、「この世の中から消えてしまいたい」と思っていたかもしれません。

しかし、幸いにも、

“本物の自分”と“ニセモノの自分”という価値観を学んでいたおかげで、

問題が、解決する方向に向かっていったのでした。


そして、今現在はよく分かるのですが、

手で何かを握り締めたり、手放したり、捨てたりすることができるように、

心の中でも、実際の手と同じように、

何かを握り締めたり、手放したり、捨てたりすることができるようなのです。

(心には、実態がないけれども、

行為の奥には思いがあるので当然のことかも知れません。)

私の場合は、

握り締めて離さないものが“ニセモノの自分”であり、

“人を蔑む心を持った自分”だったのでした。

それを手放す(執着を去る)ことで、

心の平安を得ることができたのだと、現在理解しています。





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Last updated  2005.06.16 06:58:31
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