心おだやかにいきるために in rakuten

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Tatsu1965

Tatsu1965

2005.08.30
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カテゴリ: ラグピッカーより
多くの人は、誰でも、

おそらく何らかの形で、

「執着」の元になるものをにぎっていると思います。

僕が思うには、

かなりのパーセンテージの高さで、

僕と同じように、

それは、表面的には、

伴侶となった人も含めて、

異性の問題であることが多いと考えています。



異性や、愛人、それから、親、子供、兄弟等の家族関係、

そのほかにも、

お金や収入、出世や名刺の肩書き、地位や名誉、会社の椅子やポスト、

さらには、遺産や土地や持ち家などの場合もあるでしょう。


あの人は「私の」ものだ

私の恋人だ

私の妻だ

私の子供だ

私の親だ

私の部下だ

私の名刺だ



私の椅子だ

私の会社だ

私の客だ

私の家だ

私の土地だ



私の貯金通帳だ

私のお墓だ...


いってみれば、

これが「執着」です。


僕の苦しみの例でいえば、

僕の好きだった彼女を自分の所有物と見ていたわけです。

「彼女は『僕の』もの..」

良く恋愛ドラマや恋愛ソングで出てくる言葉ですが、

本当にそうでしょうか?

彼女は、「僕のもの」ではなかったのです。

後にも先にもそうであったことなどないのです。

縁あって、共に同じ時を過ごしただけなのです。

でも、「自分のものである」、「自分の所有物である」、

そう考えて、自分の思いどおりにならないから腹を立てる...


僕の場合も、

「愛している」といっても、本当には愛していなかったのです。

自分を愛して欲しいから、手放したくなかっただけなのです。

これが執着です。

愛という言葉を使えば、それは「奪う愛」だったのです。

この20代の時の失敗を経験した今、

僕は、僕の妻や子供たちを、

自分の所有物だとは微塵も思っていません。

自分の思い通りにしたいとは少しも思いません。

ただその幸福を願って、僕にできるだけのことをしてあげるのみです。

これを仏教では「慈悲」といいます。

愛という言葉を使えば「与える愛」です。


よくよく考えてみれば、

何一つとして、自分だけのものなどないはずなのです。

それは、あなたのものであって、あなたのものでない...

非常に難しいですけど、

このニュアンスを理解して欲しいと思います。

それらはすべて、仮に、自分の近くにあって、

自分が生きていくために必要なときに、

ひととき与えられているものなのです。

一緒にいてくれて、一緒にあってくれて、

どうもありがとう...

そうした、感謝の対象であるのみなのです。

これを勘違いして、

自分のもの、自分の所有物と考え、

自分の思いどおりにしたいと考える...

そして、

自分の思いどおりにならないと腹をたてる...

自分の思いどおりにしてもらえないと腹をたてる...

自分を思いどおりにあつかってくれないと腹をたてる...

この怒りから、憎しみが生まれる、

口論になる、最悪の場合暴力に発展する...


この「執着」から苦しみが発生するのだと思います。





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Last updated  2005.09.10 10:38:21
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