今甥っ子(妹の子)が赤ちゃんなのですが・・甥っ子に対する母(おばあちゃん)の様子を見ていてもなんだかちぐはぐで・・暖かさが感じられません。やっぱりな、という気持ちです。妹も私も慣れっこです。想定の範囲内ってやつで、今さら傷ついたりしません。
ただ思うことは、たとえ”母に”愛された実感がなくても私は人、そして自分を愛することができる・・という思いです。過去を思い出すことで解決して行く事に、この点においては少々限界を感じています。
・・ですが今集中内観についての本を読んでいまして、自分が「してもらったこと」「して返したこと」そして自分にかかった「養育費の算出」といったことをしてみると良いのだと知り、やってみようと思っています。
感謝の心を重ねていくことはできるけれども心から「愛」を感じることはないだろうという思いが・・「嫉妬」の中身かなと思います。

(2005.10.14 08:25:51)

心おだやかにいきるために in rakuten

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Tatsu1965

Tatsu1965

2005.09.05
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カテゴリ: ラグピッカーより



一緒に瞑想指導を受けたMさんに、

きのう今日と、実りの多い学びがあり、

一番の問題を解決することができた喜びを話しました。

「母に叱られてばかりで、愛された記憶のない自分のこと。」

「それは、母は怖い人だと、

自分から遠さかっていたからだと気づいたこと。」

「母は、父にばかりあまえている私に嫉妬して、

つらく当たっていたのだと気づいたこと。」

「だから、母との楽しい思い出はないのでしよう…。」など。

Mさんは、母の立場で考えられて、いろいろ話されました。

その中でも、

「自分の娘に背かれて淋しい人生だったでしょうね。」

の一言が強く心に響きました。

家に帰り、寝る前に床の上に座ってから、

「憎しみがあったら、

相手の立場で考えたら“どうして”が解けますよ。」

とのアドバイスと、

Mさんの「自分の娘に背かれて淋しい人生だったのでは…」

との言葉を思い出していました。

ふと、「見たくもない」と、

タンスの中にしまい込んでいた母の写真を見たくなり、

取り出して母の顔に見入りました。

母の写真は、子供四人と写っているのですが、

私が一番似ています。(たぶん性格も似ていたと思います。)

こんなに“見つめた”のは初めてです…。

そして、写真の母に話しかけました。

「私がお母さんに優しくされた覚えがないのは、

私がお母さんを避けていたからなのね。

そして、私が、お父さんにばかり甘えているのが、

お母さんの気に入らず、

少しの事で叱られていたのね。

きのう、やっとお母さんの気持ちが分かったのよ」と。

すると、今まで思い出さなかった、

私の母へ対する「みにくい心」の思い出がよみがえってきました。

私は花が大好きです。

子供の頃からそうだったみたいです。

私が野の花を摘んできて花瓶に挿してあるのを母が見て、

言いました。「まあ、きれいな花、いい匂いね。」

私の心の中「フン、お母さんのために摘んできたのではないわ。」


頼まれて洗濯をしてきた後に、母は言いました。

「まあ、きれいになったわ。石けんの匂いがいい匂い。」

私の心の中「フン、うまいことを言って、また洗わそうと思って…。」

等々、次々に思い出されてきたのです。

そして、

「私の心を傷つけて、

きびしくしたのを謝りもせず、死んでいって…。

生んでからしっかり躾もしてくれず、死んでしまって…。

私がつらい思いをするのは、お母さんのせいだ…。」

と恨んでいたのが、

実は「謝らねばいけないのは私だった」と気付いたのです。

こんなにも母の気持ちをないがしろにしていたとは…。

「ごめんなさい。お母さんの愛を受け入れなかった私を許して…。」

と、写真を見ながら心から涙して詫びました。

…今まで「きびしい母」の写真と思っていたのですが、

「やさしい母の顔」がそこにありました。

生きてそばにいる感じです。

「そんなに、ひどく傷つけていたのね…。」と言われた気がしました。

目に見えないけれど、

母の存在をすぐそばに感じ、

和解しあえたその喜びで、

しばらく「ごめんなさい。ごめんなさい。」と声に出して泣いていました。

すると、不思議なことに、

今度は“母に優しくされた記憶”が思い出されてきたのです。

一年生の時、

図工の時間に何でも良いから書くように言われたけど、

何も書けなかったことを伝えたら、

「好きなものを書いたらいいよ。

あなたは花が好きだから、それを書いたらいいよ。」

と言って、洗濯物を干していた手を休め、

スミレの花とチューリップの花を、

地面に書いて見せてくれた事を思い出しました。

うれしかったです。

ここ数十年探し求めていた、やさしい母の記憶です。

そして、次々に

“母に優しくされた思い出”がよみがえってきました。

その度ごとに新しい発見のように、

幸福で私の心は満たされました。

現在、私の楽しみにしている、

草花を描くことや、縫い物をすること、

踊りやダンス、水泳など、みんな母から教わったことでした。

その一つひとつの記憶が、明確に思い出されたのです。

それが母の置きみやげであることに気づき、

「お母さんありがとう。ありがとう。

私を産んで育てて下さって、本当にありがとう。」

と私の心は感謝でいっぱいになりました。

そして、“母に愛されていなかった”

という“思い”は消え去っていきました。

今では、母の写真をベッドのそばに置き、

毎日感謝の気持ちでありがとうと語りかけています。

母に愛された記億のないことが、執着になっていたのですね…。

それが、魂にくもりを作っていたのですね。

自分のあやまちに気づいて心から詫びると、

魂のくもりが取れ、

だんだん心の内の光が輝き、

回りを照らし、

暗い部分がなくなって、

心が満たされ、喜びに変わるのですね。

この喜びを多くの方々に伝えたくて、

つたない文にまとめました。


この教訓から、自分の考えよりも、

まず相手の気持ちを理解するように努めます。

そして、回りの方々の長所を見つけて、

それを認め、

愛語を努めて口にするように心がけるようにします。

「主よ、私の心の傷を癒していただき、

本当にありがとうございました。」




 “愛を感じる瞑想”とは、

 僕が、 P.P.I.com in livedoor 」心おだやかにいきるために 前編- の中で、

 「悩みを打ち明けること」
  「与えられていることに感謝すること」

 で書いた「内観」とほぼ同じ内容のものです。

 ライブドアのHPでは、 愛を与えられたことを、

 紙に書き出すという方法として紹介させていただきましたが、

 ある程度、心境が進めば、

 瞑想の形をとって、

 自分が与えられた愛を、

 一つ一つ思い出して、心に描くとよいと思います。

 この母の体験のように、

 一度では、うまくいかなくても、

 二度、三度やっていると、

 だんだん、心の奥深くに入れるようになるものです。

 また、いったん、浮上したと思っても、

 何度でも繰り返して行って良いものです。

 繰り返すたびに、気づきも深くなることでしょう。





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Last updated  2005.09.30 23:58:37
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hemimau編ですー♪  
hemimau  さん
Tatsuさん、こんにちは(^-^)お母様編、早速読ませていただきました。

実はおかげさまで最近母のことで自分がつらいと感じることはあまり起きなくなっているのですが、Tatsuさんのこのお話を読んで、私は両親について今どう受け止めてるのかということ、聞いていただけますか。

それは、小さい頃、父も母もやり方は間違っていた、というか私にストレートに通じるものではなかったのだけれど、父と母なりに私を愛してくれてたのだろう、という感じです。少なくとも両親とも、働き続けてくれていたこと、(特に母はそのことについて恩を感じて欲しいという気持ちがあまりに強く子供だった私には母の子供に愛されたい気持ちが理解し難かったのですが)、それは主に子供達のためを思っていたのは間違いないことを有難く思っています。

それから・・親業をできる自分になろうと色々な方の話を聞いていると、親にしてみれば小さなことが子供の傷となるのだということ、その傷に気が付けなかったことについて理解する余地があると思える場合も少なからずあるのだなという実感が、自分のわだかまりを癒してくれています。

新しく思い出したことはありませんが、「たしか日光へ旅行に行ったことがある」ということだけを覚えているのですがきっと何か買ってもらったのだろう、おいしいものを食べさせてもらったのだろうなどと、”多分”つきですがそれでも気持ち的には感謝できるものですね。

Tatsuさんのお母様のように思い出すことのできる心境になれればきっとより良いのだと思いますが、、まだ何かブロックがあるのか、今後気付くかもしれませんが、今の私自身も、それなりに気持ちは穏やかになれています。

Tatsuさんにこれを読んでいただけると思うと嬉しいんです。ありがとうございます(^-^)



(2005.10.01 08:59:45)

hemimauさんへ  その1  
Tatsu1965  さん
はい^^実は、母編、もう少し続きますよ^^
そこにも、参考になることがあるかもしれません。

>実はおかげさまで最近母のことで自分がつらいと感じることはあまり起きなくなっているのですが、

それは、すごい進歩ですね^^
よかった、よかった^^ (2005.10.01 18:35:01)

hemimauさんへ その2  
Tatsu1965  さん
ところで、ちらちらと、
hemimauさんの恋愛編を拝見させていただいています。
僕も、実は、20代に、背中の痛みや腰痛に悩まされました。
背中の痛みは、バックペインとか言うそうですが、それが、心の中の怒りが原因だというのは、
僕も、そのような気がします。
そして、僕の場合、その原因は、もう忘れ去っていた(つもり)の、過去の恋愛の相手への執着であったんですが...^^;

その当たりも、ブログに書きたいのですけど、
なかなか筆がすすみません。
hemimauさんと、同じ原因や症状であるかは、定かではありませんが、関連性は極めて高いと思います。

さて、そのとき僕はね、
その女の娘に、別れて3年ぐらいたっていましたけど、
長い長い手紙を書きました^^

その間、自分が学んだこと、成長したこと...
小包になるくらい文章があふれてきて、書き綴って、
そして、住所を調べ出して、その手紙を送りました...

そのあと...続きは、また、ブログで^^

とにかく、その娘と和解したわけです。

そしたらね...やっぱり、バックペインって治るんですね^^

それは、22歳頃のことかな。
そのときは、自分の依存心には、気づいていませんでした。
後に、その女の娘に執着する気持ちの奥に、
子供のころの満たされない思いがあったことを知るわけですが...

恋愛の葛藤と、幼い頃の記憶とは、
本当にリンクしていますよね。

hemimauさん自身が、
気づいているかどうかはわかりませんけど、
思い出せない子供の頃の記憶と、
今書いている恋愛の切ない感情は、
おそらく関連性があると、
僕は、そう思います。

そうした、未解決の感情を整理しつつ、
hemimauさんが、良いお母さんになる日の実現を、
祈りたいと思います^^ (2005.10.01 18:35:24)

Re:hemimauさんへ (09/05)  
hemimau  さん
Tatsuさん、いつも、ありがとうございます。

Tatsuさんが、彼女と実際に連絡を取り和解したと聞き、そのことが心に及ぼす影響ってすごく大きかったのだろうと思いました。

実際にはしないと思いますが自分が彼へ手紙を送ることを想像したらまず「彼に相手にされない」のではないかという不安がよぎることがわかりました。全然自信ないんですね。(-_-ゞ

手紙を書いてみる、いいですね。私もそれ、やってみます(^-^)

お母様編の続き、読んでいてなんだかTatsuさんのお母様に対して衝動的に「嫉妬」(?)のような感情が浮かんでくるのを感じました。こうなるのはいつも、何か大切なことにぶつかった時のように思います。そのうち、何か気付きのようなものが浮かんでくると思うので、それを待っています。

しかしTatsuさんにもバックペインがあったとは驚きました。最近、「やっぱり肉体的な問題かな」と諦めつつあったのですが、他の方にもちょっと効き目ありそうと聞いて思い直し始めているところでした。胃潰瘍など精神的→肉体的な痛みというのはありますけど、筋肉だか筋だかの痛みみたいのが心から来ることが本当にあるのですね。不思議ですね~。
(2005.10.03 17:10:30)

Re:hemimauさんへ 良い気づきがありますように  
Tatsu1965  さん
>お母様編の続き、読んでいてなんだかTatsuさんのお母様に対して衝動的に「嫉妬」(?)のような感情が浮かんでくるのを感じました。

ライブドアブログで書いたように、

「嫉妬の対象=あなたの理想像」

の公式は、普遍的なものです。

hemimauさんは、どこに、嫉妬心を感じたのでしょうね?

母親との葛藤を乗り越えた姿にでしょうか?

それとも、

イエス様にいだかれた、母の記憶の中の三歳の女の子にでしょうか?

とにもかくにも、

そこに、自己成長の努力の方針があるってことですね^^

良い気づきが得られることをお祈りしています^^ (2005.10.03 21:19:59)

Re:hemimauさんへ 和解の方法   
Tatsu1965  さん
>手紙を書いてみる、いいですね。私もそれ、やってみます(^-^)

ええ^^実際に渡さなくてもいいと思いますが、

手紙を書くというのは、いい方法だと思います。

僕は、20代に、大きな葛藤があった女性が2人いて、

その両者とも、その葛藤の後にうつになりましたが、

その両者とも、手紙を書きましたね^^;

22歳のときの葛藤の内容が、先のコメントの話ですが、

27歳のときの女性とは、あまりに互いに傷付け合いすぎたため、

理想的な和解はできないままでした。

ただ、イメージの中で和解するという、

「対人関係調和の瞑想」

というものを繰り返し行い、

そして、お詫びの手紙を書いて、

一方的に、彼女が目にするであろう場所において、

その場を立ち去りました。

その手紙が読まれたかどうかもわかりません...

もちろん、それで、

すぐさま吹っ切れたわけではありませんでしたが、

それから、仕事等に打ち込んだりして、

その人のことを忘れる努力そのものが、

僕の依存心克服の道でもありました。


「手紙を書く」

とか、

「イメージの中で、相手と和解した姿を描く」

などの方法が、

対人関係において、

潜在意識の記憶を描きなおす方法ですね^^

「手紙を書く」ほうが、

具体的で、安全なやり方でしょう。

「対人関係調和の瞑想」のほうは、

もうすこし、過去の出来事が客観的に見えるようになってから、

行ったほうがいいかもしれませんね。
(2005.10.04 07:08:09)

正直な気持ちです  
hemimau  さん
Tatsuさんがおっしゃってくださった「何に嫉妬したのか・・?」

実はなかなか、わかりませんでした。それに、正直に書いていいものかどうかも、迷いがありました。Tatsuさんにわかってもらえないのではないかという恐れだったかも知れません。
でも、思い切って正直に書いてみます。

私はどうやら「Tatsuさんのお母様の『お母さん』は私の母よりもいい人だ」と・・思ったんです。それが「嫉妬」の中身です。
離乳食を作ってくれる母、おむつを変えてくれる母などを想像してみるのです、そのこと自体に感謝の心は浮かびます、ですがどうしても私には母が「やりたいから」ではなく「やらなくてはいけないから」と無意識的に感じながら、何かに追われるように、義務感から何かにやらされている気持ちでいるのだとしか思えないのです。
それは多分・・近くで見ていて、私には母が今でも「自分」を見失っていることがよくわかるからです。これは私自身の体験から思うことですが、「自分」を見失っている人が本当に人を愛するということがありますか。ないような気がするのです。
それでも感謝の心はもてます。だけど極めて冷静に考えてみて、心から愛されたとは言えないというのが今のところの結論です。ちょっと母に対しては厳しい見方だとは思いますが、正直そのようにしか感じられないのがそのまんまの気持ちです。

(つづきます)
(2005.10.14 08:25:23)

Re:正直な気持ちです(09/05)  
hemimau  さん

hemimauさんへ 正直な気持ちを書いてくれて、ありがとう^^  
Tatsu1965  さん
>Tatsuさんにわかってもらえないのではないか

っていうことはありませんよ^^

hemimauさんのブログを今まで読んでいますから、

その大変さは十分わかっているつもりです。


先日母と話したときには、

更に心境が進んでいまして、

「お母さんは、自分の残り少ない命を知っていて、

わざと厳しくしつけたんだなぁとわかった!」

と喜んでいました。

僕は、それはどうかなぁ...

いくらなんでも川に顔を沈めはしないだろう^^;

と思いながら、

うなずいて聞いていましたけど、

本人がそう思えれば良いわけで、

まぁ、愛の気持ちで厳しくしていたことは、

まちがいないだろうと思います。


ただ、その「嫉妬」の感情とは、

しっかり、向き合った方が良い...

そう、僕は思います。

なぜなら、

「嫉妬」の感情が出たときに、

その相手を祝福することが、

浮上の原理だからです。

これは、

ライブドアのブログに書いたとおりです。


「自分は愛されていないのに、

愛されていることを発見できたという人を、

祝福できるか?」


これが「鍵」でしょう。

これは、非常に崇高な宗教的な境地ですが、

それだけに、超ウルトラ級の難問だろうと思いますけど、

無理してでも祝福していると、

だんだん心が落ち着いてくるものです。

それは、その自分の理想像を、

自分の潜在意識に刷り込んでいく作業だからです。


といっても、無理にやらないでね^^;

いつか、体も軽くなったころに、

取り組んでくださいね^^

いつかね^^


>ただ思うことは、たとえ”母に”愛された実感がなくても私は人、

>そして自分を愛することができる・・という思いです。


ええ^^きっとできる!

そして、hemimauさんの体験が、

同じような方を照らす光となることを、

僕は信じています^^ (2005.10.15 04:21:59)

Re:hemimauさんへ 正直な気持ちを書いてくれて、ありがとう^^(09/05)  
hemimau  さん
Tatsuさん

>「自分は愛されていないのに、
>愛されていることを発見できたという人を、
>祝福できるか?」

ふおー、なるほどー。
そこから考えてみればよいのですねえ。ライブドアのブログも何度か読ませてはいただいているんですが、そのように考えればいいと浮かばなかったですねえ。まだTatsuさんが書かれてることで自分のものになってない部分が色々とあるってことだと思います。

相談させていただいてホントよかったです。
ここのところ元気が出てきていて、どうも、どこか地道でない性格が出てきまして(笑)反省の時間が以前より少なくなっています。ちょっと前まではとにかく自分について考えてみることばかりしていたのですが。。元気なのはいいですがせっかくの反省という習慣なので今後は意識してできたらいいかなあと思っています。

ゆっくりやってみます!ありがとうございます(^^)
(2005.10.15 19:00:10)

hemimauさんへ 「四無量心(しむりょうしん)」について   
Tatsu1965  さん
ええ^^実はこういう境地が、
宗教的な「愛」や「慈悲」の境涯であるわけで、
僕たちが、目指すべき境地なわけです。

これを、

「四無量心(しむりょうしん)」

といいますね^^

「四つの限りなくあふれ出る心(思い)」

とでも訳しましょうか^^

それは、

「慈(じ)」「悲(ひ)」「喜(き)」「捨(しゃ)」

の四つの心です。


「慈(じ)無量心」とは、

限りない慈しみの心です。


「悲(ひ)無量心」とは、

同悲同苦、他の人の悲しみや苦しみを、
我がものとする、ということです。

深い悲しみを味わった人こそ、
同じような境涯の人の心に同感し、
そして、癒すことができるのだ、
ということです。


「喜(き)無量心」とは、

他の人の幸福を自分のことのように、
よろこべる心です。

これが、実は、祝福の心のことです。

自分が愛されていなくても、
自分のことのように、
愛されている人のことを心から喜べる心境になったとき、

そこにおだやかな心が訪れます。

僕が、今回お伝えしたかったのは、
この部分です。


そして、

「捨(しゃ)無量心」とは、

あらゆる執着、こだわり、とらわれの心を、
捨て去ることです。


以上が、四無量心、
おだやかで、やさしい、
愛する心、
慈悲の心、です。

この心を身につけるために、
僕たちは、みんな、
幾転生しながら、
修行の日々を送っているわけです^^
(2005.10.15 20:33:13)

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