心おだやかにいきるために in rakuten

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Tatsu1965

Tatsu1965

2005.09.09
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カテゴリ: ラグピッカーより


幼い時の苦い記憶の中に入り、

イエズス様を呼び求め、

自分の辛かった状況をイエズス様に語りました。

イエズス様は、

小さい三才の私を、

両腕にしっかりと抱きしめ、

「辛かったね」とやさしく慰めて下さいました。

私の苦しみを分かって頂き、

私はたくさん泣きました。

その心の傷の記憶は消えませんが、

本当に記憶に残る“痛み・苦しみ”は、

涙と共に癒されたようです。


それからの、私のイエズス様は、

やわらかい光につつまれた優しい慈愛に満ちた眼差しと、

私の父、母にも似た、暖かい懐です。

その内で行なう私の祈りとは、聞いてもらうことです。

「こんなことがあったんですよ。」と。

一日の反省は、いつもイエズス様と一緒です。

小さい子供になって、暖かい懐の中でお話します。(イメージ)

「ああ、よかったね。」

「ああ、嬉しかったんだね。」

「ああ、辛かったんだね。」

「ああ、それはどんな意味があるのか、一緒に考えようか。」

何でも受け止めて下さることで、

私の心はすっかり癒され、心は平和になります。


イエズス様はおっしゃっています。

私に来る者を決して拒みはしない。(ヨハネ6.37)

母に求めた愛でもあります。

私自身も、こんな人になりたいとの願望でもあります。


実は、この反省的瞑想に、大きく影響していたことがあります。

それは、カトリック教会の聖体拝礼です。

そこで、静かな時間を取ることの大切さを知りました。

その中で、いろいろな気付きがあったので、

それもここに記したいと思います。






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Last updated  2005.10.01 18:46:00
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