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母が我が家に来ることになった経緯は夫の強い勧めがありました。正直 私には自信がありませんでした。母と一緒に暮らすことには 消極的でした。理由は‥自分の生活を乱されたくない! に尽きます。実家に通って 通院の同行や家事援助をすることでもそれが定期的にキチンとしないといけない!ということで私には負荷になっていましたでも 私がやるっきょない!状況で続けてきたわけですが‥一緒に生活するとなると それなりにかなりの覚悟がいるわけで‥でも 今の状況を考えると夫のやさしさに 甘えるしかなくて‥私が しなければならないこと!私しか できないこと!それなら そうするしかないか‥母は とても喜んで 安心したようです周囲の関係者?も みな 喜んで安心したようですつまり‥この形が 一番妥当だということなのでしょう2ヶ月ぶっ続けのショートステイに、辟易し始めていた母はあれほど 母の希望を取り入れ 至れり尽くせりしていただいたショートステイの不満を口にする時‥我が家での生活も きっとこうやって愚痴るんだろうなぁ~と母のマイペースに ウンザリしています(母の生活は また少しずつ書いていきますネ^^)まぁ こうなることは想定内ですけどね‥母は 高齢で しかも認知症‥できるだけ ポジティブに考えていきたいでも‥実際には 自信はありません高校卒業と同時に 実家を出てそのまま結婚した私‥昔とはすっかり変わってしまった母と一緒にどんな生活が 積み重なっていくのか‥せめて 楽しんで 過ごしていけたらと思っています愚痴ばっかりになるかも知れませんが‥母との日々の暮らしを 書いていきたいと思っています★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/29
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父が亡くなって12日が過ぎましたたくさんの方がコメントくださってありがとうございました。なかなかお返事が書けません ごめんなさいねコメントに目を通させていただくと どうしても胸がつまってしまって‥お通夜の日も お葬式の日も焼き場でも お骨を拾うときもどんな場面でも 私は泣くことがありませんでしたが‥父が湯灌(ゆかん)をしてもらえないとわかった時だけどうしても涙が止まりませんでしたでもほんとうに その時だけ泣いて「仕方ない‥」 と夫に慰められてからはもう泣くこともなく 淡々としていたせいかしら‥皆さんが寄せてくださったコメントにはなぜか素直に 悲しみが湧き上がってくるのですいろんな言葉を掛けられましたいろんな言葉を 耳にしましたいちいち気に留めていたら錯乱してしまいそうな状況でしたみんな 好きなことを言ってくれますみんな 何を知っていてそんなこと言うんだろう?ふわふわと ぼんやりと そんなことを思いながらどんな思いも 言葉にすることなくやり過ごしていましたそれでも‥みんな 父のために お葬式をあげてくれました友人や職場の仲間が 遠いところを来てくれました母や私に 暖かい言葉をかけてくれましたみんなみんな ほんとうに ありがとう夫が しっかり支えてくれました長女が 心配し気遣ってくれました次女は ぽろぽろ涙が止まらなくて可哀想でした私の気持ちは 家族がしっかりと受け止めていてくれましたそれで充分‥こんなに嬉しいことはありませんでしたご心配くださったみなさん ほんとうにありがとうございました私は大丈夫です!現在は 次々とやることがいっぱいの中お昼前と夕方になると「病院に行かなくっちゃ‥」 と気忙しい感覚になって「あっ そうっかぁ‥ お父さんはもういないんや‥」と 思い出してはホッとしたり‥母との新しい生活のリズムについていくのに まだまだ慣れない日々を過ごしていますこのブログへ来て‥父が亡くなったというこということを改めて 感じていますここでは 封じ込めた感情を解き放てます母が寝た後おトイレに起き出してこない合間だけ私だけの 父への思いを反すうしつつ時間が癒してくれるのを静かに待ちたい‥そう思えて 気持ちがスーッと落ち着きます母は 今日もマイペース爆裂で 元気に過ごしてくれました父は どんな思いで眺めているんだろう‥安心してくれていると いいんですけどね‥またぼちぼちと‥日々を綴っていけたらいいなと思っています★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/22
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東日本の地震 大変なことになっていてただただ ニュースの画面に驚嘆しておりますとんでもない被害の状況に現実なのか?と 何度も思ってしまいます亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます(合掌)どうかどうか少しでも早く 平穏な状態に戻りますように‥祈らずには居られません実は 10日の朝8時過ぎ‥父が亡くなりました9日に急変し 連絡が通じて駆けつけたときには2回目の心停止状態でした長兄が来るまでは心臓マッサージを続けてもらい長兄が到着した時には 蘇生して一旦安定しました長女や 父の親戚の人が来た時にはまだ生きている状態で会えました母もショートステイの責任者に連れてきていただき会わせることができましたそして 「もう思い残すことはない‥」と言う母をまた ショートステイへ 私が送っていきましたそして父は 翌日の早朝まで頑張りましたが徐々に心拍数が減っていきとうとう 心臓は止まってしまいましたもう 延命処置は断っておりましたので私だけがそばに付き添い私ひとりで 父の手を取りながら最期を看取りました父は 安らかに 寝息を立てながら静かに逝きました‥心電図のモニターが線を引いた時‥私はひとりで 父に謝りました●んでも 泣かないかも知れない‥なんてひどい ひどい ひど過ぎる娘でしたこんなことになるんだったら‥もっともっと やさしい言葉をかけるんだったこんなに急に死ぬなんて 思ってもいなかったから‥お通夜の日に 今回の地震があって慌しくしている最中 ニュースが飛び込んできましたみんながテレビに釘付けになりました父が亡くなったことも夢のようなら地震があったことも 夢の出来事のようで‥ふわふわと‥用事に忙殺されておりました母が 我が家にやってきましたこれからは 私たち家族と一緒に新たな生活が始まるようです‥★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/15
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父の所へ面会に来てくれる人の顔ぶれは実妹と 母の姉妹と従兄弟たち!だいたい そう定着してきました従兄弟達は 運転手って感じですけどね^^みんな忙しいところ 貴重な時間を使ってきてくださいます実妹にはとても嬉しそうな対応をする父‥いつも以上に甘えて‥ 気持ちが悪いくらい元気♪母の姉妹や従兄弟には‥「しんどそうやったわぁ~」 とか 「だいぶ具合が悪いねんな!」なんて感想を抱かせる‥ つまりは 愛想もクソもないってこと!やね‥自分の身内を 身贔屓するのが露骨やねん!昔っから そんな父ですそれはそうと‥うち孫(長兄の子どもら)は 一度もやってきませんなぁ~なんか 家庭がヒッチャカメッチャカしてんの?まぁ それは致し方ないことだとしても‥両親がお小遣いをくれなくなった頃から(あげるのを忘れちゃうの‥)用事があるからと 実家へもそれぞれ来なくなってた世知辛いねぇ~って思ってたけどやっぱ お見舞いとかって 親が連れてくるもんだと思うのよねぇ‥まぁ 父方の祖父母への気配りとかって母親の考え方次第だって思うのよ‥ 小姑根性?長兄は 完全に逃げてるし‥ 汗”丸投げ‥ もいいとこです兄嫁と両親は 表向きは至って良好な関係みたいだけど離れて暮らしてきたから 揉めることがなかっただけでお盆と年末 GWくらいの帰省だったし‥長い間 疎遠に近いような関係できたからそんなもんなんだろうかね‥「じいちゃん 甥ごや姪ごはあぁやって来てくれるのに‥ うち孫は 来んね‥」なんて毒かましてやりましたww顔を歪めて チッ!と 舌打ちしてた‥俺はみんなから慕われて当然なんや!そんだけのこと してきてやったんや!借りのあるもんは 見舞いに来るべきや!どいつもこいつも 性根の腐った恩知らずや!そんな持論を ベッドの上で打っていたところで‥見舞ってくれる人もなく‥気にかけてくれる人もなく‥この人はいったい 何を考えているんだろう‥この期に及んでも‥まだ 人の真心が感じ取れないようです「俺の葬式の段取りをしてやがる!」と また怒ってはりましたあれからずっと下がったまんま‥私へぶつける 不機嫌も継続中‥尚いっそう 激しくなっております病院へ行くのが 苦痛です★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/08
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昨日の早朝 母から電話がありましたショートステイ先のスタッフさんに頼んで掛けてもらったようでした用件は‥「お父ちゃんの具合が心配でね‥ お父ちゃんの病院へ連れて行ってほしいねん‥」ということでした「先週と変わりないよ!」 と伝えました「リハビリ やるようになったけ?」 と 聞くので‥「頑張ってるよ!」 と言うと‥「もう 退院できるくらいに治ったん?」 と言う「まだ1週間しか経ってないから まだ無理やで!」「ふ~ん そやなぁ~」 と 返してきた分かっているようで 分かっていないのか?って感じですしばらく沈黙のあと‥改まって 小声で話しだしました「いろいろ用事があるから 連れて帰ってほしいねん‥」と 言い出した「どんな 用事?」 と聞くと‥「お彼岸の用事が いっぱいあるやろ?」 とのこと「今年は できなくても仕方ないよ‥ ご先祖さんも 分かってくれはるよ?」しばらく沈黙‥「もしもし? どうしたん?」「あのなぁ お母ちゃんなぁ もうこんな所に居りたいないねん‥」「なんか あったん?」「家に帰って お父ちゃんの介護しながら 暮らしたいねん‥」「でも 今のお父ちゃんやったら 家では暮らされへんからなぁ‥」「無理やろかぁ‥」「うん‥ お母さんは どう思う?」「 ・・・・・ 」「皆さんに良くしてもらっているんと違うのん?」「うん‥ みんな優しくしてくれるけど‥」「お父ちゃんも頑張ってるから お母さんも頑張ってな!」こんな会話を グルグルと10分くらい繰り返し‥スタッフさんが 少々怒り口調で電話を切るように促されたのち‥そのまま ツー ツー と 切れた母の我慢も 限度があるからね‥可愛そうな電話でした話をしていて感じたことは母も 顔が見たい!と父を気にしているとは言いながら‥自分のことで パンパンな感じなのでした自宅で 誰からも干渉されずに 自由な時間を過ごしたい‥それが 本音のようでした今の母なら‥ひとりで自宅で暮らすことは可能な気がします食事 排泄 入浴 ‥どれも 不安材料はあるけれど父が居ない!という環境は まだ未知数‥もしかしたら 案外いけるかも? とは思うものの「また みんなで話し合って決めていこな!」 と 返事するにとどめました怒鳴られても 殴られても 蹴り飛ばされても‥父を 最後まで看取りたい!これは 先週の行き帰りに車の中で母が言うて言葉です私にまで暴言吐きまくりの父やで!歩けないから 全部介助しないといけないんやで!オムツ交換も お母さんがしないといけないんやで!「できる! やってみせる!」なんて 握りこぶしを作って 言い切ってた母‥自分はもう大丈夫!と 必死に訴えていましたでも 今回の電話の本当の用件は‥とにかく 迎えにきてほしい!車に乗せて あちこち用事に連れて行ってほしい!美味しいもんも 食べたい買い物にも 行きたい毎日 こんな所には居たくない!そして 毎年欠かさず 何十年も続けてきた彼岸の用事も気になって 気になって 仕方ないので‥やることをやらないと 気が治まらない!決めたことは 決まったことは ちゃんとやりたいんや!考え出したら 居ても立っても居られない‥ってそんな頑固丸出しの 母なのでした最後に‥「お父ちゃんのことは 心配せんでもいいよ!」と言うと‥「お父ちゃんのことなんか どうでもええ‥」って‥はあっそうですか‥いったい 何の電話だったんだか‥ドイツもこいつも フランス人‥自分のことばっかりです‥そこには もう娘を気遣うなんてことは 皆無‥ここにきて‥私は随分と 甘やかされて生きてきたんだと今更ながら 思い知ります‥★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/06
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父が 滑稽なほどのええ格好しぃで内意地が悪く 外面の良い人柄であることをつらつらと書きました兄も私も そんな父の背中を見て母の苦労を見て 育ってきたのですが‥いい年をした私が‥孫もできる!という こんなオバちゃんになって‥まだ そんな親のことを 堪らない!なんて愚痴っているのはほんとうに 見苦しいことですよねでも どうしても父が 受け入れられませんこれは 母が認知症になって本来の母とは 似ても似つかない人格になってしまうことと同じなようで 同じでない気がしています母は とってもユニークで自慢の母でしたがまん強く 努力家で お手本としてきました母がそこに生きていてくれるだけで私は 自由に 生きていけるような感覚‥母の笑顔は 私にとって 太陽のようなもの‥そんなあたたかな温もりが恋しくて母が 壊れていくことが恐怖で‥生きていてくれるのに 死んでしまったような感覚‥目の前に居ても それは母じゃないような 痛み‥認知症とは 残酷なもの‥そんな言葉が浮かんできました父は 決して尊敬のできる人間ではなかった母がいて はじめて父という人が存在したでも 父とは とても大きな存在であって‥それは どんな父親であっても きっとそうで‥いざ!という時には 母が頼りなんだけど父とは‥そこに居なくても 何をしていても 父 なのであって‥ でもそれは 母が描いた絵のようなもの‥?であるってことは心の奥深くで しっかり感じとってきたんですよね‥見栄と 世間体と 自尊心‥そこには愛情はなく 子どもや孫までが 自慢のネタに過ぎない‥ この人は 私たちを守ってはくれないと 深い部分で 私は知っていた父という人は‥男の人にしては珍しいくらい 人の悪口を言う人のことを悪く言うている分‥人から悪く思われることを 気にし過ぎるくらい気にする何度も 口が酸っぱくなるほど言うていたのに杖をついて歩くのを受け入れなかった父「はん!あんな格好悪いもん 使うか!」 と 言ってのけていた‥歩かないと脚が弱るよ! と何度アドバイスしても毎日歩きに行く母を 鼻で笑っていた「また行きまんのか? えらいご熱心なことでんな!」そんな 人を馬鹿にしたような言葉を浴びせかけ「病気のせいで頭がおかしいのんや!」と 言ってのけた‥母は とても傷ついていた寝たきりになって介護されている人を「あんな姿になってまで よう生きてるわ!」と 顔を歪めて吐き捨てるように言きった母が近所の独居の方を気にかけていた時も「乞食みたいな者や‥放っておけ!」と 平気な顔で言い放ち母は 父の人間性を嫌悪していたベラベラと口ばっかりで 行動しない父‥そんな父に 私も嫌悪感がありました認知症で頓珍漢な母に 容赦なく暴言を吐いてきた殴って 蹴り飛ばして 痛めつけてきたそんな父を 許せない気持ちが消せませんどうしても受け入れられないという どこかに‥自業自得やん‥自分で蒔いた種やん‥自分でなんとか刈り取りなはれ!そんな思いが どうしても消せないのです入院してすぐの 脳天気だった姿‥段々と深刻な状況を実感し 暗い顔をして落ち込む姿‥オムツをして 大きな口をあいて爆睡してる姿‥それでもまだ ええ格好しぃをする 滑稽な姿‥もう ウンザリしてしまってる‥そしてまた どこかで‥そんな父に寄り添えない自分を 責めてしまい自己嫌悪してしまう‥それが 苦しくて仕方ありませんほんとうなら優しい言葉をかけてやりたい泣きそうな心を 包んでやりたい‥そして 人間としての 暖かさを感じたい‥たくさんの方々が 親の介護をしながら感謝の気持ちを大事にされているのが 羨ましい‥恩返しをするかのように 頑張っておられる優しい言葉を掛け‥弱っていく親を 静かに受け入れておられる‥ 私も 少しでいいから真似ができたら‥そしたら 少しは気持ちが和らぐんだろうかなぁ‥そう 思えて仕方がないのです父を受け入れる‥未だに そんな入り口で ウロウロしています★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/05
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父が言いました‥「昨日は なんでここへオカチャンを連れてこんだんや!」って‥「先週 連れてきたったやん‥ なんで?」「長いこと顔 見てないからや‥」「だから 先週 来たやん!」「‥ 」「忘れたん?」「あほか! いっぺん顔が見たいって言うとるだけやがな‥」否定してはいけないのは わかっているんだけど‥説明してしまう 私‥修行が足りませんね‥母が お父ちゃんの顔を見たいと五月蝿く言うたこと先週 母の薬をもらいに来たついでに 母をここへ連れてきたことあっさりと 帰って行ったこと昼ごはんを食べて‥洋服と下着を買わないときかなくて 買いに行ったこと‥先週の母の様子を 説明しました「知っとるがな‥ わかっとるがな‥」と 顔を歪めながら‥自分は間違っていない!と 必死な父‥「じゃぁ そんなヘンテコなこと 言いな!」と 怒ってしまいました「毎週でも 毎日でも 顔が見たいの?」と聞くと‥「そうや‥」 と言う父‥ショートステイ施設の手違いか?確かに 一週間 ズレてしまっている受診日ですが母が父の病院へ寄らなかったことで 不機嫌なのか?と 思ったら 違いました。私が 母の所へ母を迎えに行く!それは 自宅へ寄ってくる! ということと 繋げる父‥「家に行って来たんやろが!」「あんだけ頼んであるのに なんで取って来んのや!」「みんな 見たがっているんやぞ!」とうとう 本音が出ました‥先日から 父に頼まれていることがあってね‥実家の玄関の靴箱に上に 作品が並べてある父は 手先が器用なので いろんな工作をした作品新聞に挟まっているチラシを細く丸めて花瓶や 菓子盆を作っていてニスで仕上げた 見事な作品がたくさんあるのね‥その作品を 2つ3つ‥「ここへ持ってきてくれ!」 と言うてるんですわ‥ふふ~ん‥ 自慢したいのねぇ‥ そう直感したわww自慢話しでできているよな 父‥口から出るのは 過去の武勇伝と大昔の職場のエピソード聞いてるだけで 気分が悪くなるような 話しばっか!誇大化して 誰が聞いてもわかるよな真っ赤なウソばなし‥でもね‥病院の関係者は 聴いてくれるのよ‥患者とのコミュニケーションの ひとつとしてね‥手先が器用で 作品がいっぱいある!ってことも調子を合わせてくれたんだと思うねん‥それがわかんない 父‥真に受けて 見せてやるんだ!と 張り切っちゃってるそれを 自宅から持ってきてくれ! ってことなんだけどそんな馬鹿馬鹿しいこと‥なんでわざわざ行かんならんのよ‥それでなくても 床頭台の上が物でいっぱいや!って私に怒鳴っているくせに‥タオルやパジャマの枚数が多いってグチグチ言うくせに‥なんやねん‥ あほか‥ほんまに ええ格好しぃの自慢タレ‥ 呆れますわww他人さんが聞いたら‥「持ってきてあげたらいいのに‥」 って思いますでしょうね?でもね‥母の顔が見たい‥ なんて よくも言えたもんです私は そこんとこが 堪らないんですそんな 外しか向いていない父がどうしても受け入れられないんですその無駄なええ格好しぃの根性があるんだったらオムツを取る方が 先なんじゃないのか?って思ってしまう現状が受け入れがたいのは 父の方思うように進まないリハビリ‥歩けていない現実‥こんな自分じゃなかったんだよ‥以前は もっと すごい!人間だったんだよ!そう 言いたい思いは わかるんだけど‥娘の私には キツイ‥虚し過ぎるんだよ‥滑稽なんだよ‥ 父よ‥ やめてくれ~!★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/05
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私にとって 父は?とても自分勝手な存在でした!3日に一度 自宅に戻る仕事でしたから父の帰ってこない日は とても平和で‥反対に帰宅する日は 嫌なもんでした家の前に自動車の音がすると‥兄ふたりは 蜘蛛の子を散らすように二階へ逃げます楽しみにしてるテレビを見ていても‥ご飯を食べていても‥急いで その場を去りましたそこへ 目の吊り上った 父が現れるからです兄達の顔を見るだけで 怒リ出す父でした「片付けろ! 片付けろ! 」 とそこら辺の物を 足で蹴りながら上がってくるのでした疲れているのか 機嫌が悪いのか知りませんが最低の大人‥ それが私の父でしたいつもお風呂上りに キリンビールを飲んで私たちより一品多い ご飯とおかず‥時々 私のご飯の上にお造りをチョン!とのせてくれた^^父の気に入るようにする母‥しばらくして落ち着くと 普通の父になるのでしたチキンラーメンひとつを3人で分けて食べるよな貧しい食卓父は42歳の時に胃の摘出手術をしたのでそれでも 母は とても気遣っていたストレスを掛けないように 子どもを叱った母でした学校の体操服は 兄も 私も いつもツンツルテン‥破れても繕って 買ってもらうことはなかった兄の学生服も 3年間同じで 黒く光っていたw私服も 2パターンの繰り返しそんな子どもたちの運動会や参観日なんて父は 一度も来ませんでした私だけ 一度 参観日に来てくれた父‥現れたのは ●●組?のようなヤクザの格好でしたww昔は 貧しい家庭は他にもあったし自分だけが特別不幸だとは思ってこなかったけど子どもなりに不思議だったことがありましたうちの玄関の土間には‥ズラーっと父の革靴が並んでいたそれぞれTPOやコーディネイトにあわせて色や素材が違っていた黒 茶色 白‥メッシュ つや消し エナメル‥それぞれには カツカツと音のする金属が貼ってあったいろんな道具が揃っていて‥いつも玄関に座って靴の手入れをしている父はいつも 格好よくスーツを着ていた縞模様の派手な柄でも 素敵に着こなしていたカッターシャツには 自分でアイロンをかけ洋服ダンスは 大きな自分専用のがあってコートやネクタイも 掛けられないくらいいっぱいあったライターも いろんなのを持っていたなぁ自家用車も よく買い換えていた3年も乗れば いいところ‥私が結婚した夫は 父と同じサラリーマンアレだけのおしゃれは 夫にはさせられていないいや‥ させられません!いかに 父が自分のためにお金を使っていたか‥?今なら それがよく分かるのですw母は 60歳になって身体を壊すまで(すでに壊れていましたが‥)木材を担ぐような肉体労働をしていました真っ黒に日焼けして 手ぬぐいでほっかぶりして‥アクで汚れたエプロンが 母のトレードマーク!その間に父がお楽しみ♪だったことは娘の私の耳にも入れる人がいるくらい‥何度となく帰ってこなくて 父に手紙を書いたこともありますまぁ いろいろと 自由にやっちゃってた父なのですが‥母は離婚もせずに 私たちの母であってくれ‥父も それなりに頑張って仕事をしてくれ‥私も兄も グレルことなくちゃんと育ったわけでして‥でもね‥やっぱり 残っているんです父の 怒った 恐い顔‥母を殴る 理不尽さ‥自分勝手な 父の言動‥兄達が 父に近づかないのは 私以上ですだって‥そんなふうに 育ったから‥母がフォローして 父親として存在していたけど私や兄は 母の苦労を見ていましたええ格好しいの 父‥ 大嫌いでした‥母を苦しめる 父‥ ●ね!と思っていました‥パチンコ依存で大きな借金をした父‥なんとか問題を解決させて 兄に言いました 「今後パチンコは一切やらないようにちゃんと言うてきかして!」と‥兄は言いました「放っておけ‥ これが最後や!もうすぐ●ぬから‥」そう吐き捨てるように言った兄‥あれから10年が経ちましたこんなに長生きするとは思わなかった‥これが 私たち子どもの本音です親がどんなに自分勝手に生きてこようと‥それが介護を断る理由にはならないと思います親は親! どんなにひどい目に遭っても親子であることからは逃げられないそれは義両親で体験済み!でも‥そこには ずっと抱えてきた思いがあるのですよねそして 時にはそれが‥苦しくって 辛くなるのです流してしまえない 親への思い流してしまえない 親への怒り流してしまえない これまでの道のりそりゃそうですよね‥だって 父も私たちも ずっと続きを 生きてきているんですもん‥父の本質は 何も変わっていないんですもん‥今日もベッドの上で‥チッ! っと 舌打ちをしているでしょう‥歪んだ顔が 浮かんできます‥★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/05
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あっという間に もう3月に入ってしまいましたね‥今日は 父の精神科の薬をもらってきました先生に 看護師さんに聞いた抑うつ状態の報告をし薬が変わりました! 本当の主治医はこの先生か?というくらい いろいろと聞いてくださいましたありがたいことです‥さて 当のご本人! 父はといいますと‥火曜日 水曜日は とても調子よくて介護士さんも笑っちゃうくらい 自発的に動いていた模様リハビリの先生2名と一緒に話ができた!というのは 大きかったのかも知れません実はあれから‥リハビリ担当の先生に ぶっちゃけて話をしましたこのままでは寝たきりになってしまうという不安と焦り‥本人も どうしていいのかが分からなくなっている‥それが 気分も滅入らせている‥「せめて オムツを取ってもらいたい! 少しずつでも その方向でガッツリと働きかけてもらいたい!」 父も 「頑張るしかないと思っています!」なんて応えてたし‥ベッド上でできる自主トレのメニューも考えてくださったりなるべく座って過ごすように!ってリハビリの時間以外の過ごし方についても改めて説明を受けることができましたなんとか‥転院先が決まるまで ここに置いていただくしかないからね‥どんどん弱っていくのは もう 見たくないもんね‥本来 OTさん PTさん STさんは主治医の指示のもとに動きますでも 特に主治医からはお話はないのだそうで‥はい‥ それは存じておりますリハビリの先生方は 「仕方ない‥」という部分と少しずつではあるが 改善している部分もあって本人のやる気のムラ‥ それが なかなか進まない原因であること!と ハッキリ父に言うていただきました人間ですからね‥いろんな気分の時はあると思うけど‥リハビリを拒否することが多くなっていたので「一緒に頑張りましょう!」 「協力しますから!」と 言っていただき父は とっても嬉しかったらしく 再度 やる気になったのでした! がしかし‥タイトル通り‥案の定 昨日と今日は 元の木阿弥‥食事すら 談話室へ行くのを拒否っていました入浴も拒否して 日をずらして今日にしてもらったりすっかり やる気もどこかへ飛んでいってしまったようで‥何じゃそりゃ‥? ですが‥「今日は 調子が悪いねん 血のタンが出たんや‥」と しきりに訴えててね‥看護師さんに確認すると食事の時のお醤油が 口の中に残るんだそうで‥錆色のタンであっても 問題なし!それを 血だ! と 譲らない父でしたレントゲンも撮っていただき 異常はなく血液検査でも 低栄養の他には問題はないとのこと‥先生からのお墨付き!ただ ただ 動かないからしんどいだけ‥身をよじって抵抗するほどのことではないお前らは気楽すぎる!いい加減にしろ! って介護士さんにも看護師さんにも 目を三角にして 恐い顔で食って掛かり‥こんな恐い顔をされて 怒鳴られたら‥誰だって 引いてしまうわな‥抑うつ状態の怒り‥ だから 無理強いはしません!と ベッドでの食事になりました自分から 重病人になりたいみたいです重病人の<扱い>を してほしいのです‥そして 手厚い看護をしてもらいたいのです常にそばに付き添って 優しくしてほしいのです甲斐甲斐しく お世話をしてほしいのです‥頑張れ! 自分が頑張らないと誰も代わってはくれないよ! なんて言ってほしくないのです‥もう充分に頑張っている‥だから もっと優しくしてくれてもいいじゃないか!そんな 気持ちなのがヒシヒシと伝わってきますしんどい‥誰にも このしんどさをわかってくれないもう いい加減にしてほしいのですよね‥もう言われたくないのですよね‥「許してくれ‥」 って 誰に?自分に 負けてしまっている‥?こんだけベラベラしゃべれて‥トイレ誘導を頼まないのは どうして?こんなにすんなりと 紙オムツを受け入れるのはなぜ?オムツをしていると 楽ですか?おトイレに行かなくていいから しんどくないもんね‥一旦 紙オムツに慣れてしまうと‥こんなに 変わってしまうんでしょうか‥ほんとに どうしようもないんでしょうか‥ 父の負けてしまう 甘えた態度となりふり構わない 険悪な態度に凹んでしまう恐くって 情けなくって 悔しくって‥母の言う‥あの人はそんな人間や‥ って言葉がとっても重く感じます父がこんなに 弱い人だったなんて‥いや‥高齢になって 骨折して 歩けなくなって‥弱くなるのは 当然なのよね人間なんて こんなもんなんですよね‥一番苦しいのは 父だっていうことはわかっていますどんなに情けない父でもその父を支えるのが 私の役割です‥父の調子に比例するかのような 私の調子‥振り子のように 揺れて 揺れます‥★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/04
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気になっていた病院へ行ってきました先に結果をいいますと‥転院できない! となりました気になる病院というのは‥リハビリテーション病院のことでしたそれには 回復期と 慢性期の違いがあって患者の様態 入院目的 などで分けられているので今の父には 回復期としてしっかりリハビリをしてくれる病院!寝たきりにさせないのを目的とした 介護があるところ!そんなところにするのが 一番必要なのではないか?ってことで‥ダメ元!なんていいながらも かなり期待して行ってみたんですけどね‥残念でした今回 転院ができないという理由は‥父の場合ならば 1月11日に手術をしたので‥その日から2ヶ月以内に転院すること!つまり‥タイムリミットで ダメ! ということでした 必要な書類(診断書+看護サマリー)の準備だけでも一週間それを持って 移りたい病院での診察後 審査の会議があってどれだけ急いでも時間が足りない‥ 無理!ってことで‥はい‥ 諦めがつきましたこれは 国が定めた規定なので病院としてはどうしようもない!ダメなもんはダメ‥ って‥今更教えてもらってもネ‥それと!とても正直な相談員さんでしてね‥実際に 父が移りたいと思った2件の病院とも‥現実 回復期リハビリテーション病院の目的では運営できていないと言うのですリハビリも 週に3回だけ‥1回のリハビリ時間も 10分程度‥それも 担当制ではない!ってことで‥それなら今の病院の方がまだマシやん?今の病院はリハビリ病院としての位置づけもないけどそっちの方がマシって どういうことやねん!って突っ込みたくなりますわwwどちらの病院も はじめは回復期リハを看板にしていたし現在も その看板は上げてるしHPでの紹介もそうなっていはいるんだけど‥実際は 内科と併設されていて重篤でない患者さんだけの 長期入院を受け入れている!ってのが 現状なんだそうです簡単に院内を見学させていただいたんだけどほとんどの方が ベッドに仰臥されていました自宅では身体介護できない方々の 長期入院‥やはり これが現実なんですね‥ 先日は 療養病棟での限界‥ と記事に書いていたんだけどそんなことは言うてられなくなってしまいました今の病院で なんとか預かってもらっている間に老健施設を探すっきゃない!はい! そうすることにします‥ってか‥ はじめから相談員さんにはそう言われてたんですけどね‥こんな寝たきりにされてなってしまうなんて思ってなかったし看護(介護)計画書にも ADLの向上って書いてたし整形外科の主治医もリハビリの担当も 同じ人のままやしたとえ元の6割であっても きっと回復する! とばかり思っていたからね‥療養病棟での3ヶ月間で その回復具合を見ながら‥それから次のことを考えよう!って逃げてた‥ (なんとなくだけど‥)だから 老健を探す気持ちになかなかなれなかったんです順調に回復してさえくれれば‥いろんなサービスを利用しながらなんとか 父と母が自宅へ戻って暮らしていける方向へ!そんな 一縷の希望を 捨て切れていなかったんですそして私の中に 少々老健に対する偏見もありましてね‥今まで何度となく見聞きしてきた老健施設って身体介護の必要な方が自宅での介護が受けられなくて 短期に預かってもらうところ?3ヶ月置きに あちこち転々と回っているケースしか知らなくてね‥それこそ 前向きなリハビリとは程遠い?なんて 考えでありましたでも父も どうしようもなくなったらそうなるしかない‥だれも介護できないんだから入れてくれるというのなら 行ってもらうしかない‥本当は自宅へ帰って 母と暮らしたいだろうけど自分でおトイレにも行けないんだから 仕方ない‥今の母には オムツ交換は無理だもん‥入れるところがあれば どこでもいいやぁ‥ ってそんな思いになっておりました。だから‥相談している事業所の事務の方のお母様が 回復期のリハビリ病院で ガンガン!リハビリを受けて寝かせておいてなんかくれないのよ!ってみるみる回復してきて 喜んでいる!って教えてくださってね‥そこそこ!そんなところへ行かせたいのよ!って 少し明るい希望の光が差したんですわ他のスタッフさんも 父の紙オムツにはビックリなさってて少しでも早く 転院させるべき!そんなことしてたら 本当に寝たきりになってしまう!と アドバイスしていただいたわけでしたでも 遅かった‥私がグズグズしていたせいですな‥父がどんどん弱っていって私とのコミュニケーションにも問題が出てきて自業自得や!って 投げ出してた‥頑張らない父への不満ばっかりで父が求めている介護の質を 見極められないでいた甘かったわ‥もっと早くに気が付いて弱気になんてなれないほどのリハビリをしてもらっていたら‥オムツなんてしません!って方向で介護してくださるそんな病院を すぐに探し出していれば‥何をすればいいのか? ってタイミング‥逃がしてしまったようですあとでなら なんとでも言えますな‥でも!こうなったら できることをやっていくしかない!まだ 荷物は降ろすわけにはいきませんのんじゃ‥つづく‥★ 読んでくださってありがとうございます にほんブログ村に参加しています。ポチポチしていただけると嬉しいです ★
2011/03/02
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