紫.blog

紫.blog

PR

×

Comments

コメントに書き込みはありません。
2022/08/30
XML
カテゴリ: 病気の事
「4年制の大学には行かせられない」

私は、大手チェーン居酒屋でバイトをすることに夢中でした。
入った頃は 830円 ぐらいの時給が、いろんな店舗にヘッドハンティングされ、2年後には時給は 2,000円 を軽くオーバーしていました。
仕事が出来るか出来ないかと言われれば、 「仕事が超出来る人間」 です。
新人指導を任されたり、新店舗の立ち上げに一から関わったり、いろんな経験をさせてもらいました。
接遇に関しては、このバイトで学んだと言っていいほどです。


希望は、
「転勤の無い営業職」
だったので、2年生の夏頃、 大手証券会社 にあっさり内定を頂きました。
バイトは、短大を卒業するまで続けました。
ちょうど、 バブル最盛期の頃で、就職は「青田買い」 だったんです。
それが、入社の直前に、 湾岸戦争 が始まり、 一気にバブルは崩壊しました。
希望通り営業部に配属され、入社したばかりの新入社員がする仕事と言えば 「電話番」 です。
お客様からの大量のクレームに、ただただ電話越しに 「申し訳ございません!」

新入社員がしないといけないもう1つの仕事は、 二種証券外務員 の資格を取ることです。
この資格が無いと、株式は扱えません。
業務時間中に会議室に集められ、1つ上の先輩が分厚い教科書のいろんな部分を指して 「ここ線引いて覚えて」 の繰り返しの日々でした。

後から同僚に「線引くとこ教えて!」と頼み込んでいました。
先輩からすれば「なんて態度の悪い奴!」
そう思われていたでしょう。
試験が近くなり、模擬試験をすることになりました。
この時点で 合格ラインを超えていたのは私だけ でした。
「寝てばっかりいた子がなんで?」
これには先輩もビックリしていました。
実際の試験は、同僚も一緒に全員合格でした。

これから、先輩とマンツーマンで営業カウンターに座ることとなりました。
覚える事はいっぱいあるのですが、特にややこしかったのが 「伝票処理」 です。
私は家で独自にノートを作っていました。
このノートは同僚にあてにされまくりました(笑)
私の仕事ぶりに、先輩方も一目置くようになりました。

せっかく取った二種証券外務員ですが、私達は上司から、半年後の 一種証券外務員 の試験を受けるように言われました。
一種証券外務員は、営業するにあたっては、絶対に必要な資格ではありません。
男性営業マンは必要でしょうが。
信用・先物・オプション取引等に必要な資格 です。
二種の時と違うのは 「仕事をフルにしながらの勉強」 です。
仕事に精一杯で、勉強どころではありませんでした。
教科書を全部読むのは無理です。
なので、問題集をやって当然間違えるから、間違えたところを教科書に線を引く。
そんなやり方しか出来ませんでした。
それも全部は無理でした。
試験会場は関西大学だったのですが、私の数多くある短所の1つの 「方向音痴」 が出てしまい、 約30分の遅刻 で試験を受ける羽目になりました。
結果は、
男性営業マンは全員合格。
女性は私1人だけが合格 でした。
なので先輩から、信用・先物・オプション取引等をやっていたお客様を引き継ぐことになりました。
大きいお金が動くので、私の営業成績は女性同期の中ではいつもトップでした。
この当時の株式市場は最悪でしたが、それなりに楽しく仕事をしていました。

私は上述の通り、バイトの時代からお金持ちだったので、少々お金遣いは荒い方でした。
入社してからは、子会社のカード会社のノルマのために、ゴールドカードのクレジットカードを持っていました。
私なりにはちゃんと計画的に使っていたのですが、この子会社から会社へタレコミされました。
「金使いの荒い営業社員がいる」 と。
現在ならば、完全な 違法行為 です。
このせいで、私は営業事務に飛ばされることとなりました…。
一瞬 「辞めようか」 とも考えましたが、逆に 営業マン達に「お前がいないと営業事務が回らないよ」とまで言わせてやる! と思い、営業事務の仕事をすることになりました。
この直前に、両親が離婚して、私が母を支えていたからです。
そう簡単には辞められません!
事務の担当は 「債券・投資信託・転換社債・公開買付等」 です。
時々 「国外・国内株式」 のお手伝いもしていました。

もう時効だから言いますが、両親が離婚した後、私の給料だけではやっていけないので、 夜、北新地で、クラブのホステスのバイト をしていました。
5~6年続けたと思います。
時給は 約5,000円 です。
口座を作るとお給料がかなり変動してしまうので(ツケを払ってくれないとホステスが立て替えないといけないから)、仕事内容は ヘルプ限定 でした。
昼の仕事が終わった後、 月・火・木・金の週4日終電ギリギリ まで働いていました。
お客様がタクシー代をくれた時は、夜中の1時2時まで働いていました。
朝は6時起きです。
通勤ラッシュの電車で、立って寝ていました(笑)

でも、悪い事ばかりでもありませんでした。
昼の仕事では、お客様と何気ない会話でなごませたり、
夜の仕事では、お客様の政治・経済等の会話に着いて行けました。
売れてるホステスさんは、こういった会話にも強いんです。
お金には不自由しませんでしたが、身体が限界に来ていました…。
それでも一生懸命両立させていました。
そんなある日、昼の仕事の方で事件が起きました。

先に言いますが、私の直属の上司は 超無能な人間 でした。
誰にも信頼なんかされていませんでした。
この上司から 「俺の仕事をやってくれ」 と、度々言われるようになりました。
相手は上司、私はただの平社員。
平社員の私が、上司の仕事をするなんて出来る訳がありません!
自分が出来ないから、私に押し付けて来たのです。
この上司とは、それから何度も喧嘩をするようになりました。
喧嘩を繰り返しているうちに、身体がなんかおかしいことに気付きました。
喧嘩中、ブラウスがびしょ濡れになるほど脇汗をかくようになりました。
気分の落ち込みがひどくなりました。
身体も、いつもなんかしんどい気がしました。
横にゴロンとなってないと、本当にしんどいんです。
出来るはずの仕事が、出来なくなっていきました。
自暴自棄になり 「何故私はこんなにも出来ないのか!」 と、コンクリートに 血が出るまで頭を叩きつける ようになりました。

段々、休む事が増えてきました。
通勤ラッシュの電車に乗ることが困難になってきました。
内科にも行ってはみましたが 「どこも悪くない」 としか、どの病院に行っても言われませんでした。
まだ、うつ病という病気がそんなに世間では認知されてはいなかったので、本当に辛かったです…。
うつ病は、数値ではわかりません。
高血圧なら、血圧の数値でわかるし、
心臓病なら、CT等でわかるし、
喘息なら、酸素飽和度でわかるし、
糖尿病なら、血液検査でわかります。
この当時 「目に見える病気の患者」 が、羨ましくて仕方が無かったです。
この当時は、母にもわかってもらえませんでした。
仕事をサボっているようにしか見えなかったんだと思います。

そんな時でした。
ある夜、終電でバイトから帰っていた途中、人気の無い所で男に襲われかけました。
「声を出したら殺すぞ!」 と。
怖かったです…。
でも、冷静な自分もいました。
「この男、ナイフ等の武器を持っていない!」
思いっきり男の指に噛み付きました!
男は慌てて逃げて行きました。
私も急いで家に帰り、母に事情を話しました。
が、全然聞いてはもらえませんでした…。

警察には、翌日行くことになりました。
警察には怒られました。
「何故、すぐに言わなかったのか!」 って。
「指なんか、嚙み千切ってやったらよかったのに」 って。
その時の状況を何度も何度も説明させられました。
その度に、あの夜の光景が思い出され、怖くて眠れなくなりました。
バイトはその後、少しの間だけ続けました。
しかし、辞めざるを得なくなっていました。
母が、終電の時間の駅まで迎えに来てくれました。
でも、駄目でした…。

スカートが履けなくなりました。
髪の毛が伸ばせなくなりました。
女の服装が出来なくなりました。
人混みや電車やエレベーターが怖くなりました。
何か、見られているような気がしてなりませんでした。
夜は必ずフラッシュバックが起きました。
PTSD(心的外傷後ストレス障害) です。
これも母には理解できなかったようです。

昼の仕事にも支障をきたしていたので、喧嘩していた上司の更に上の上司が会社の勤務医と相談して、大阪市北区にある 住友病院 ​を紹介してくれました。
ダメ元で行ってみました。
理解してくれる医師なんていやしないと思っていました。
私の話をすべて聞いた後、医師はこう言いました。

「本当に辛かったね。入院だよ」

涙があふれて止まりませんでした!​
「わかってくれる人がいた!」
この医師の話で、母も 「私がサボっているんじゃない」 という事を、やっと理解してくれました。
うつ病(今は気分障害)という、れっきとした病気なんだと理解してくれました。
会社は一旦休職することになりました。
大企業だったので、休職中の給料は全額支払われました。
これで、生活にも困りませんでした。
休職を取りながら、私は合計3回入院を繰り返しました。
入院といっても、食事して、薬飲んで、寝る。
ただ、これだけでした。
この当時はまだ、喫煙室というものがあって、ヘビースモーカーの私は、そこに入り浸っていました。
みんなで集まっていろいろ話をするのが楽しかったです。
私の場合は不眠がひどかったので、大量の眠剤が処方されていました。
例えば、ハルシオン10錠にベンザリン6錠とか。
(今ではこんな処方出来ませんが)

会社の方では、ある違法行為が行われていました。
私の休職中に私の許可無く、 営業部から総務部へ配置転換 させられていたんです!
休職や産休・育休中の本人の望まない配置転換はしてはいけません。
会社に戻って、知らない人ばかりで慣れない所で仕事は出来ません。

私は生理不順がひどかったので、ここの産婦人科で診てもらっていました。
来ない時は、半年来ません。
夏には来ません。
これではいけないので、3か月に1回薬で生理を起こすようにしていました。
産婦人科の医師もとても優しい男の先生でした。

生理不順だから、赤ちゃん出来にくいやろうなあ~。
それ以前に、このうつ病とPTSDのせいで、結婚は無理やろうなあ~。

失望し、完全に諦めていました…。

3回目の入院の時です。
いつものように喫煙室に入り浸っていると…、

ある人に出逢ってしまいました!!


​ うつ病(2)治ったはずなのに ​に続きます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022/09/07 03:35:55 AM
コメントを書く
[病気の事] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Profile

紫.

紫.

Category

Archives

・2026/10
・2026/09
・2026/08
・2026/07
・2026/06

Keyword Search

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: