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今日はつづきからアップします。 うまくプライバシーの問題に抵触せずに ノンフィクションに近づけるよう努力してみます。武さんの父方の実家は旧家の教育意識の高い家庭だと思いました。
岩崎家の週末の夕食は、当主聡一郎の定めた週一日だけ一緒に食べる慣わしがあった。帰された「訳有り」の誠に対しても、その習慣は、特別扱い無く親から要求された。
男の多い家族ではあったが、誰もが兵役を退いた誠に思いの外優しく、聡一郎も誠の兄弟達も、今はそっとしてあげようと、出来るだけ自然に振る舞っていた。
誠は何時もの冗談を言う口の悪い男兄弟と違うだけに、気遣われているのが反って辛かった。
ただ、妙に母ツネだけが、家に帰って来た誠を手放しで喜ぶので、腹を立てるの も申し訳ない事だが、身の置き所がないほど恥ずかしかった。
食事の時は仕方が無いとしても、出来れば人前で、母と顔を合わせるのを避けていたかった。ツネの前では黙っているのが一番だと悟った。
「好しいじゃありませんか。ここには仕事も有りますし、もう兵隊に取られる事も無いでしょう。誠は小さい時から、他の兄弟より熱を出す事が多かったですから」
誠はこんな風に自分が未だに母親に守られ、弁解して貰っているようで、情けなかった。
誠としては、戦前の不穏な時期に、国のお役にも立てずに九州男児として身体不調などの理由で海軍を出る等とは、近所をはばからず歩けない程、みっともない事だった。 兄弟にも分家の従兄にも、合わす顔が無かった。
それを男兄弟はそれとなく察してくれて、からかいもせず又気休めを言わないだけでも、有り難く思った。
女親だけは誠のそんな思いなど知る由もない。何時までも、よく熱を出して寝込む、子供の時と同じ誠であった。
誠は食べ終わるとさっさと自分の部屋に引き返した。誠がテーブルを立つとそれを合図のように他の兄弟もそれぞれ自分の部屋にと出て行った。
二言三言、言葉を交わすだけだが、それでも兄弟が示す愛情の表現を、誠は十分嬉しく思っていた。
ツネと聡一郎は、最後までテーブルに残ってお茶を啜っていた。頭の中に は、部屋から出て行った口数少ない誠の後ろ姿が残っていた。
「あれは、教授や教師になるより、海軍一筋だったからなあ、切り替えるのも時間が必要かも知れない」
「…… 本当に 誠は 体が悪いのでしょうか?」
「軍医の手紙には、風邪かも知れないと思うが、微熱の続くのが気になると書いてあった。軍に残す事も出来たが、万が一を考えてとある。...まああいつはあれで気を使って、私の事を考えて、安全策を取った積りなのだろう。後は...私たち親の仕事だからなあ」
「解っています。軍医のその方の ...私共を思いやって下さいました御判断には感謝しております」
「まず、静養だな。ここは空気もいい」
「そうですね。船の中は空気が悪いと聞きますわ。小さいころからあの子、扁桃腺炎ですぐ熱を出していましたから、機械室とか金属の飛沫が飛ぶ部屋で毎日働くのでは咽にも肺にも最悪ですわ」
「だから言っただろう。誠は本ばかり読んでいるので最悪条件に弱い。もっと体を鍛えて、他の兄弟たちのように武道でもさせろと言ったのだ」
聡一郎は、思わず今更言っても仕方のない愚痴を並べた。
ツネから見て心配なのは、下船した誠が、嘗ての誠とは異なって見えた事だった。無気力で、抜け殻のようになって見える息子が、再びやる気が戻るものだろうか...そう出来るならば、母として、どのような事でもしてやりたいと思っていた。
聡一郎も仕事から帰ると、 ツネに最初に聞く言葉は誠の様子だった。
「誠は今日も、部屋に閉じこもったままだったのか?」
「はい、 ほら、誠が高校時代に、貴方が買ってあげたあの大きな模型の船を、今日も一日中眺めているんです」
「船か ...もういい加減その事から立ち直ってもいい頃じゃあ...ないか」
「そうおっしゃっても貴方。誠は今や、あの子の部屋に置かれたあの大きな船の模型と一緒で、落として壊れて沈没しかけている船みたい、ですのよ」
「あの、落として壊した模型船が 誠...だと?」
「はい、このままでは、きっと ゆっくり沈んでいきますわ」
ツネは、入隊以来誠の部屋に入るたびに、部屋に飾られた精巧な軍艦船の模型を見ては輝いている息子を思っていたが、有る日、聡一郎がうっかり服に引っかけて模型を落とし、壊してしまったその船が、今やどこか「ゆっくり沈没!」して行きそうな誠のように見えた。
「でも...お願いしておきました誠の仕事先は、如何でしたか......ここに居ても辛そうですからね」
ツネは落ち込んでいる息子の様子を見て、これから先の誠を案じていた。
まさかその辛さの傷口の上に、ツネがパラパラ塩を振るっているなどと、夢にも気が付かなかった。
「それは大丈夫だ。国鉄で働けるように頼んでおいた。体を動かす単純な仕事だが、反って誠の体を鍛えていい。」
「それはようございます。誠は小さい時から乗り物が好きでしたから、きっと立ち直りも早いでしょう」
「多分、お前がそう言うと思った。実は...給料の良い別の仕事も有ったのだが、遠くにやればお前はまた心配するだろうからな」
「あなた、鉄道だって筑豊の、この地域のお役に立てるのですから、好いでは有りませんか」
聡一郎とツネの奔走で、仕事の少ない時代に、誠の新しい仕事は見付けられた。
その勤め先とは、筑豊電鉄の引き込み線と社宅の有る某駅であった