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「ほう、ようやく話す気になったか。してそれは誰じゃ?」
「・・・はい。旅の者にございまする・・・」
「此奴! この期に及んで何を抜かすか!」
傍らの役人が三郎左衛門の抱いている膝の石を揺り動かそうとした。
「まあ待て」
政重はそれを制すると三郎左衛門の前にかがんで聞いた。
「して、その旅の者の名はなんと申す? ん?」
「名を聞いてはおりませぬが、北の方に行く途中だと申しておりました」
次に何を言い出すのかと思ったのであろう、三郎左衛門の前に立ち上がった政重の顔を、その役人が見詰めていた。
「北の方と申せば仙台であろう? その方が住む三春よりは大分遠いの? ん?」
政重は優しげに鎌を掛けた。しかし三郎左衛門は返事をしなかった。
政重は、江戸や関東の切支丹たちがその信仰や生命を奪われるのを恐れ、遠い奥羽に逃れつつあるとの噂を耳にしていた。しかし仙台と名指したのには、理由があった。それは仙台領の北辺、一ノ関の東が製鉄の産地であり、日に一千貫もの鉄をつくり出す作業所の人夫として多くの隠れ切支丹が群がっていたということである。
──その逃亡先が神君家康公以来深い関係にあった仙台。大き過ぎる上、鉄は幕府にとっても重要な物資、その上幕府、仙台ともにこれを見逃している節がある。ここに手を入れるのは不味かろう。とは言っても隠れ切支丹の全部がここに留まる訳もない。さすればせめて、弘前や秋田に幕府目付の役人をやって探索させねばなるまい。
そう考えながらも政重は、あくまでも物静かに訊いた。
「で三春藩には他に切支丹は何名ほどおる?」
「あの周辺では昔から仏様が深く信仰されておりますので、切支丹への折伏など出来たものではございませぬ。それに御禁教ということでございまするから、うっかり折伏などして漏れるのが恐ろしく、話もできず、私め一人で信仰して参りました」
それを聞いて政重はニヤッと嗤った。旦那寺や五人組制度がうまい具合に機能をはじめていると思ったのである。
──しかし三郎左衛門が本当のことを言っているとすれば権兵衛が嘘を言っていることになる。やはり長綱様を庇ってのことと考えればその辻褄は合う。元三春藩主とその一統に累を及ぼさせぬためには、元家老を切支丹として断罪せざるを得まい。
間もなく襤褸のようになった三郎左衛門は、二人の牢番に引きずられるようにして運び込まれて来た。その姿は見るも無惨な有様であった。権兵衛は三郎左衛門の痛む身体を庇ってそっと横にした。
「わしはその方に『隠れろ』と言っておきながら結局引きずり出すことになってしもうた。それにこんなに痛めつけられて・・・、相済まぬと思うておる」
「いいえ御家老様。私は自分と同じ切支丹の殿にではなく、われら下々の切支丹を支えてくだされた御家老様に命をお預けしたのでございますから、どうぞそれにつきましてはお気遣いをなさいませぬように」
黙っている権兵衛に三郎左衛門は静かに話しかけた。
「それにしても御家老様は、何故御公儀に『切支丹である』と嘘を申されましたか? 以前に『わしも対応の策を考えてみよう』と仰せられましたは、このことであったのでございますか?」
権兵衛は苦笑いをした。しかし返事はしなかった。
「ただ御家老様、実は切支丹奉行様に『御家老殿は本物の切支丹か』と問われました」
権兵衛は慌てて聞き返した。
「それで奉行になんと?」
「はい、『御家老様は切支丹ではございませぬ』と・・・」
権兵衛には、返事が出来なかった。しかし頭の中では、三郎左衛門も要らぬことをと思いながらも、一瞬、命が助かるのでは・・・、と思ったのも事実であった。
「結局御家老様は、命を捨てることが分かっておられながら百姓共を救われました。このような場で申し訳ございませぬが、御礼の言葉もございませぬ・・・」
「礼をのう・・・、ただ三郎左衛門。わしとて今回の殿の御公儀への告げ口には、腑の煮えくりかえる思いがしておる。それを思えば、州傳寺のご先代の墓碑に悪さを働いた者の気持も分からぬではない気がする」
「・・・」
「すでにお互いが死罪を待つ身。さすればその方にも隠し立ては無用、実は殿は乱心などではなかった、正気であった」
「それはまた、どういうことでございましょう。殿は御乱心とのことで高知お預けになられたと聞き及んでおりましたが・・・。それが嘘だと?」
「左様、嘘じゃ。あれはわしが仕組んだ真っ赤な嘘じゃ。乱心ということにして殿が切支丹であることを隠そうとしたのじゃ」
「なんと御家老様はそれまでにもして・・・」
「うむ、だからもし殿が『三春藩家臣二名、邪宗を信奉す』などと余計なことを言い出されなければ、切支丹の問題がその方に及ぶこともなかった筈。それに何故二人などと具体的に言われたか、それも不思議な話・・・」
「御家老様! それでは殿の身代わりとしての嘘の、偽の切支丹ではございませぬか!」
そう強く言った三郎左衛門は、心と身体の痛みに思わず呻いた。
「これ、三郎左衛門・・・。そう大きな声でものを申すな。身体に響くであろう」
「・・・されど嘘をつかれてまで切支丹となられるのでは、以前に『殿や藩のために捨てる命に悔いはない』と申されていたこととは違うのではございませぬか」
「左様、あのときの考えは、耶蘇宗の教えから殿をお救いするための一心からであった。本当に殿をお救いできるものならば、この年寄りの皺腹一つをかき切っても悔いはないと心底そう思っておった。しかるにわしも殿や藩のための切腹こそは覚悟しておったが、このような形で死に様を迎えるとはのう・・・。思いも至らなかった」
権兵衛は三郎左衛門の腫れあがった目を優しく見ながら続けた。
「殿はご自身が切支丹であることを隠すためだけの理由で、藩もわれらも見捨てられた。殿は高知に行かれたが、お命は全うされよう。返上でお命を失われるということは、あり得ぬからのう。さすれば殿は、今後三春藩がどうなろうと、もはや関係がないとお考えになられるのかも知れぬ。しかしわしは藩を、三春松下藩を永久に存続させたかった。じゃが頼りにしていた藩が無くなってしまった今になると・・・」
権兵衛は大きな溜息をついた。
「わしは御公儀に『松下岩見守重綱が嫡子左助長綱幼稚たれば』とご報告申し上げて殿からの咎めを受けた身。それにわが意に反してここまで進展してしまった事態を、いまさら白紙に戻せる訳もない」
「いや、しかし御家老様。白紙には戻せなくとも、神に救いを願うことは出来まする。人間には等しく、全能の神により、身体は滅してもハライソに生きる命が与えられているのでございます。多くの切支丹の信者が踏み絵も踏まずに捕らえられ、転ぶようにと命じられて酷い拷問にかけられ、あげくに十字架に掛けられ火炙りにされても棄教せぬのは、唯一神の御大切(神の愛)とハライソを信じているからに外なりませぬ」
「ハライソ・・・?」
「はい、仏教に極楽がありますように切支丹にはハライソという天国がございまする」
「なんじゃ。それでは仏教も耶蘇宗も変わりがないではないか?」
「いいえ、それが同じではございませぬ。われら切支丹は、全能の神との間で交わされた信仰のお約束を一番大事に考える極めて一途なものでございます。全てを知るわれらの神は、『他の神を神とするな』と申されました。それ故にこそ信仰を捨てるということは、自己の命を含む一切を否定することになりまする」
「しかし真に神が全てを知られるなら・・・、人が信仰するか否かということなどは、関係がないのではないのか? そこから見れば、わが神仏などは寛容なもの・・・」
そう独り言のように問う権兵衛に、三郎左衛門はかすかに微笑んだように見えた。
あとがき 2008.02.17
それがし、切支丹にて候 3 2008.02.16
それがし、切支丹にて候 1 2008.02.14