全251件 (251件中 1-50件目)
この日記を書くのも久しぶりである。自分でも、こんなに書いていなかったのか、と思うくらい。もともとサイト運営のコツをつかむために始めたブログであったが、独自ドメインを取ったサイトの方に熱心になっていたので全くと言っていいほどかえりみなかった。私生活でもいろいろとあった。昨年の10月に異動があり、職場が変わったのだ。東京から九州へ生活の拠点を移した。長女「堅実」や「忍耐」「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)の進学を考えて単身赴任である。生活を二つに分けるのは何かと金がかかる。赴任にあたって、家財道具や生活必需品などは家内がすべて準備してくれた。おかげでボクは、梱包をあければすぐに食べられ生活できる状態にあったのだ。家内の配慮には正直、頭が下がる思いだった。家族が一緒でない生活は考えられないと思っていたが、単身赴任を始めてみれば自分でも意外とすんなり受け入れられてしまった。何だかんだと東京へ出張があるので泊まりに帰ることができたからかもしれない。便利になったもので、vodafoneの家族定額通話に入ったので電話は月315円でかけ放題である。去年の暮れから「忍耐」にも携帯を持たせたので、末っ子の「奔放」以外は基本的に家族に常時連絡がつくようになった。そんなこともあり、家族が思ったより身近に「繋がっている」ような精神的な安寧が良いのだろう。このブログも閉鎖しようか、ずっと考えていたまま放置状態であった。以前、親しくさせて頂いていた管理人の皆さんも閉鎖された方が多い。どうも捨てられぬ性分で、こんな日記を書いている今日この頃。
2006/03/19
コメント(73)

年端のゆかぬ女の子が、股間に当てたりお尻から……である。羞恥心と言うものは、ないのであろうか。ウチの子供たちも好奇心旺盛である。長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)などは、お尻でのっかっているのだ。つまんだり、転がしたり、もう散々である。ピンク色のタマが子供たちに弄ばれるのは滑稽である。何でも、末っ子の「奔放」がこれに夢中で、家内にねだったのだ。買ったのは、近所にある「S友」というスーパーである。(因みにM友というのはない)これって、バランスをとるのが難しいんだな。ボクなんか、のっかれて10秒程度。イボイボがお好きな方には、こんなのがあるそうです。ああ、今日も猥談路線でやってもうた。(笑)携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/25
コメント(0)
家内と子供二人は、実家である。別に逃げられたワケではない。(笑)で、当然二人っきりである。反抗期でお天気屋の娘だが一緒にいて、いづらいと思うことはない。互いに自然体である。あまり良い例えではないが、この「自然体」とは剣の熟練者が一通り覚えた型を捨て去ることと似ている。無の境地になることで、体が自然に反応するのだ。もしかすると、ボクはある意味、娘とつきあうのはうまいのかも知れぬ。娘が自分の部屋にこもって勉強をするときは、英検や期末考査の時くらいである。普段は、テーブルでMDを聞きながら勉強するのだ。そのせいか家で全く顔を合わせない、ということはない。だいたい、そばにいるのだ。家内と真ん中の「忍耐」末っ子の「奔放」は家内の実家へ泊まりである。今朝はパラついていたので、駅まで送った。ボクは仕事のための勉強をちょっとしたあと、昼ごはんに「ざるうどん」を作って娘と食べた。我が家のパソコンは、リビングの壁にくっつけるように2台置かれている。そのうちの1台、家内用のパソコンを娘が独占状態である。もう一台はボクの仕事用のパソコンである。どちらのパソコンもボクが買ったものだが、ボク専用のマシンは基本的に家族は使わない。使用厳禁ではないが、ソフトのインストールもさせないし、サイトの閲覧もある程度制限している。要はボクが使うときに、不具合が起こらないよう注意を払っているのだ。今日は、我が家はボクと娘の二人きりである。ほとんど一日、娘とくっつくように隣合わせでパソコンを使っているのだ。基本的に良識を重んじるよう、互いにマナーを守る努力をしているので他の家族がボクのパソコンを覗いたり、逆にボクが隣のモニターを覗くことはしない。疑うとキリがないので割り切っているのかもしれないが、並んでパソコンをやっていても互いが何を閲覧しているか関心は持たないし、ケンカになることもないのだ。考えてみれば、ちょっとビックリである。娘は、ボクがそばにいるのは快く思わないのだが、パソコンやテーブルに並んで何かをするときは、クレームもつかない。似たもの同士なのか。すぐに集中モードに入るせいなのだろうか。互いに干渉しないときが、一番幸せなのかもしれない。夕方まで作業をやったあと、娘と買い物に出かけた。昨日、子供たちが借りたビデオを返すためと、夕飯の支度である。ビデオは劇場版ワンピース「オマツリ男爵と秘密の島」を返すためだが、これがなかなかなのである。新作で1泊2日しか借りられず、自分たちは翌日から泊まりに行くのに、知っててか知らないでか分からないが、こんなビデオを奴らは借りてしまうのだ。それで、返すのはボクの役目である。もったいないので、ボクも観てから返すことにした。東映の子供向けの作品は、侮れない。ポケモンもそうだが、油断していると結構、感動モノで泣いてしまうのだ。ボクなどは、もともと涙腺が弱い上に、子供たちを連れて行っては泣いてしまうことも多々あったのだ。劇場版ワンピースも、けっこう「くる」(笑)最後に男爵と戦い決着がついたときは、苦しいほどに嗚咽してしまった。もう涙ジョージョーものなのだ。ビデオが予想外に長かったものだから、娘に文句を言われながら遅い時間の買い物となったのだ。ビデオを返し、娘が買いたいという本をボクはヨソで立ち読みしながら待った。娘についていこうモノなら、キッと睨まれるのである。夕飯は、スーパーで惣菜を買った。娘は焼き鳥が食べたいと言うし、ボクは揚げ物が好きなので、互いに好きなものを買うのである。育ち盛りの娘はよく食べる。昼に作った、どこぞの有名どころのうどんもそうであった。冷やしで食べたのだが、ちょっと少なかったようだ。もっといっぱい作れば良かった。作れば食べないし、少ないと食べるのだ。量の加減が難しい。空いた皿が妙に寂しい。オンナ心はよー分からん。って女に限ったことではないか。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/24
コメント(0)

今週、ボクは夏休みである。サッカーの合宿から帰ってきた「忍耐」や「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)もしばし骨休めである。6時前から庭の雑草でも抜こうと思ったが、睡魔に勝てず2度寝してしまった。9時頃、のそのそ起きると子供たちは夏休みの宿題をしていた。長女の「堅実」は生徒会だとか何だか言って出かけたらしい。フランクリン・プランナーを開いて今日の予定を立てようとしたら、レンタルビデオ店で借りたCDを返す予定になってた。真ん中の「忍耐」が「お父さんビデオ借りてっ」とすかさず突っ込んできた。両手を合わせてのおねだりである。ボクは「忍耐」のおねだり仕草に弱い。子供たちには、特に甘やかしているワケではない。むしろ、ひっぱたく時には容赦なくひっぱたいているので、「忍耐」はボクが怖いのである。普段は、土日祭日もないほどサッカー漬けなので、たまには息抜きも必要なのだ。どうせCDも返しに行かねばならない。「なら行くか」と3人で出かけた。子供たちにビデオを選ばせておいて、ボクは次に借りるDVDを物色した。「次に借りる」と言うのは、既に「ジェシカ・アルバ」が主演のダンス・レボリューションが家にあるからだ。この映画はとてもよくできていて、ボクはかなり気に入っているのだがレンタルビデオ店でもレンタル中が多く、やっと借りることができたのだ。で、毎週土、日どちらかはストレス解消のために「楽しい」映画を観ることにしているのだ。子供たちもようやく借りるものが決まったらしくカウンターへ行って、CDを返しつつビデオを借りた。料金を聞いたら、ちょい高い。「あれ?」と思ったら新作であった。ボクはケチな方だが、本やビデオ(DVD)への投資は良しと思っている。問題はレンタル期間である。帰りの道すがら「お前ら、新作って1泊2日なんだけど、どうやって返す?」と訊ねた。新作は当日返却か1泊2日である。ボクは、忙(せわ)しいのがキライである。当然1泊2日である。だが、子供たちは明日から家内の実家へ泊まりに行くのである。二人は顔を見合わせた。「後で……」と言いかけて「父ちゃん」と来たもんだ。怒られるかと、上目遣いにちらっと見たが様子を伺っている。「けっ」とボクは毒づいた。察したのか、子供たちは大喜びである。本来は、こんなのはナシなのだが、ボクは無精者で用がなければ家から出ない。体にも良くないし、脳への刺激も少なくなるので仕事もはかどらない。だから、なるべく用を作るようにしているのだ。ビデオの返却も「作った用」である。家に帰ってビデオを確かめた。借りてきたのは「ONE PIECE」と「クレヨンしんちゃん」である。新作の方は「ONE PIECE」である。テレビ放送も見ているので「何も新作を借りなくても」とケチな考えがよぎったが、借りたのは劇場版ワンピース「オマツリ男爵と秘密の島」であった。まあ「これならいっか」である。この中に出てくるキャラクターで「ニコ・ロビン」という女がいる。彼女の声がセクシーで、なかなか良いのだ。どこかで聞いた声だと思っていたら「世紀エヴァンゲリオン」で「赤木リツコ」役をやっていた山口由里子さんであった。「堅実」曰く「でもニコ・ロビンは年だよ」「いくつだ?」「27才、おばさんだよ」「27才でおばさんか……」そんなことは、どうでもいっか。↓URLのトップに「h」をつけて参照して下さい。「麦わら海賊団」→「ニコ・ロビン」でキャラ紹介あります。「ttp://www.toei-anim.co.jp/tv/onep/character/chara.html」もしくは、こちら。↓「ttp://www.fujitv.co.jp/b_hp/onepiece/chara_onepiece.html」携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/23
コメント(2)

「電話するから、迎えに来てね」と言われたのに、すっぽかしてしまったのはボクである。正確には、すっぽかしではなく遅刻だったのだが。普段、ボクのケータイは全く鳴らない。鳴らないモノなので、あまり注意も払わないのである。だが、さすがに今日はマナーモードを解除して、待機状態だったのだ。仕事は休みだが、プライベートな「仕事」はある。ケータイの着信を気遣いながら、パソコンに向かっていたのだ。ケータイ画面も小まめにチェックした。だが……。着信に気づかなかったのだ。途中でヘッドホンステレオを聞き始めたのがいけなかったらしい。ワケがあった。レンタルビデオ店で借りたCDをパソコン経由でコピーしたまでは良かったが、ウチのCD再生機では、長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)のマシンでしか再生できない。音楽用CD-Rと言うのは、再生もなかなかやっかいなのだ。で、仕方なくパソコンをやりながら、パソコンのCDを使って再生していたのである。音が悪いのでヘッドホンである。ケータイがなかなか鳴らないので、油断していたのだ。これは、目覚ましが鳴って止めたあとの2度寝に似ていなくもない。気づいたら、遅刻……である。(笑)ケータイではなくて、自宅の電話がなってからようやく気づいた。「さっきから、待っているんですけど……」ヤバ……である。家内は相当怒っているっぽい。急いで迎えに行った。土曜から子供たちと家内はサッカーチームの合宿であった。今日は最終日でお迎えだったのだが遅刻である。集合場所にはたくさんのメンバーが残っていたが、何しろ子供たちも疲れている。家内も疲れている。機嫌が悪いのだ。珍しく、謝りに謝っての帰路である。家族全員そろうのは、何だか久しぶりである。とは言え、土曜日以来なのだが……。家内の実家へ行っていた長女の「堅実」も帰ってきた。リビングで合宿のビデオを観ながらワイワイである。土日はひっそりしていたが、家族が帰ってくると活気を帯びる。「堅実」はこの間のリベンジなのか(8月16日「小悪魔、ガンを構える」)「人物ポーズ徹底大百科」と言う本を買ってきて、イラストを描いている。「お父さん、この本は銃の構え方も描いてあるのよ」だそうである。そう、こんな本であった。やはり、5人そろってこそ、ウチの家族である。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/22
コメント(0)

家族が不在だと禁断の実も味わいたくなるものである。普段はジャージとTシャツだが、お出かけとなると話は別である。いそいそと、身づくろいをして出かけた。足を延ばしたのは、気になっていたフードパークである。そこにはいくつか気の利いたラーメン店が集まっているのだ。普段は、ひとりではなかなか出かけられない。土日祭日、子供たちはサッカーである。自分だけおいしいものはなかなか食べられない。今日は、合宿で家に誰もいないのだ。おいしいものを一人で食べるのは気がひけるが、食事は必要だ。今日は許してもらえるだろう。食べたのは、熊本ラーメンである。黒ラーメンと言うらしい。マー油と言うのか分からないが、にんにくを低音でじっくりと揚げた「焦がしにんにく油」が入っているのである。ボクはラーメン通ではない。だが、ひと口飲んで「おいしい」と感じたスープは、最後の一滴を飲む頃にはしょっぱくて、飽きが来ることが多い。この黒ラーメンに関して言えば、最初のスープの一口は物足りなかった。実は、この物足りなさが、最後まで飲ませてくれるスープなのだ。どんぶりの上に写っているのは、にんにくである。にんにくを潰す道具を使って、さらににんにくを足した。味つき玉子は、半熟である。チャーシューは、とろけるほどではないが、いい味を出している。ストレートの細めんに黒いスープが絡み合うのは絶品である。麺の茹で方も固めである。「ああ~うま、である。この食感がたまらん」うん、なかなかイイんでないの。個人的にモヤシは好きなのだが、この黒ラーメンに限って言えば、モヤシの水分がスープの中に広がって、ちょっとあっさりしているかな。だが、満足である。母ちゃん、子供たちよごめんなさい、である。また、今度うまいもん食いに行こうナ。何だか、今日もいやらしい書き方になって“しもた”「景樹」である。と書いても通じんか。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/21
コメント(0)
早朝に家内と真ん中の「忍耐」、末っ子の「奔放」を送り届けると、一人きりになってしまった。長女の「堅実」は家内の実家へ行っているし、他はサッカーの合宿である。ボクが休みのときに家族全員どこかへ行ってしまうのも何だが、子供たちが自立するにつれ、こういったことも増えていくのだろう。ボクはと言えば、土日はおろか翌週も一週間の休暇をもらったので、しばらくのんびりなのだ。先週からやり残しの案件を片付け始めた。一息ついたら外出である。開店直後のレンタルビデオ店へ行って、先週レンタル中で悔しい思いをしたビデオを借り、ついでにCDとCD-Rを買った。で、お気楽に借りた映画などを観られるかと言えば、そうではない。1ヶ月に1度のお約束。美人女医がいる歯医者へ行かねばならないのだ。間隔が空いているとはいえ、この歯医者とも付き合いは長い。昨年からである。ここの「美人女医」が親切丁寧で優しいので、怖い歯医者もイメージ一新である。(笑)虫歯をやっつけて、歯周病のケがある歯茎もケアしてやった。メインは、歯ぎしり防止用のマウスピースの調整にあるのだ。大抵は、アシスタント先生の歯石取りから始まって、「美人女医」の登場~噛み合わせの調整となるのだ。ボクは「美人女医」との会話が楽しみで歯医者へ通っていると言っていい。一通りの調整が終わると「美人女医」が「これで治療は、一段落にしましょう」と言った。もう治療も調整もないのだ。「噛み合わせも良いようですし、あまり長期間治療を続けるのは保険的にもよくないんです」といつものように丁寧な説明があった。「保険的にも」と言うのは、悪徳医療機関のことを指すのだろう。内科や外科、耳鼻科、歯科など病気の治療には初期診療から完治までの平均的な期間があるのだ。治療期間が著しく長ければ「不正診療」を疑われても仕方あるまい。何となくというか、激しく残念である。定期健診に行くとしても、1年くらいは必要なさそうである。何だか長いお別れになりそうだ。「美人女医」は若い。次に来るときは、もういないかも知れない。そう思うと、なんだか淋しいものである。長いお別れと言えば、関係ないがレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を思い出してしまった。それにしても、この歯医者ネタ、よー書いたモンである。7月16日「魅惑の胸線美」4月16日「女医の胸に抱かれて」2月26日「美人女医は、しばらくお預け」2月12日「美人女医と二人きりで、やさしく付けてもらう」2月5日「美人女医に口元を拭いてもらう」1月29日「美人女医、顔が曇る」1月15日「美人女医にやさしく入れてもらう」1月8日「隣の女医は誰とする」12月4日「歯科医には美人先生シカイない」12月18日「美人女医の慈悲、ヌケ作の矜持」11月27日「美人女医と宴ジョイ」もう書けないかと思うと、とっても残念であった。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/20
コメント(0)
帰ってきたら長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)はいなかった。そう言えば朝、出勤間際に「今日はいないからね」などと家内が言っていたのを思い出した。家内の実家に「お泊り」らしい。で明日から真ん中の「忍耐」と末っ子の「奔放」は、地元のサッカークラブの合宿なのだ。3日間いない。では、家内と濃密な夜をゆっくり過ごせるかと言えば、そうではない。家内は役員として付き添いである。ボクひとりである。(笑)笑えん……。これが何を意味するかと言えば。「好きなことやり放題……」である。風呂から上がれば、素っ裸。パンツを履かなくても怒られない。好きなラーメンを専門店で毎日食べ放題。やらしいビデオも観放題。パソコンを2台並べてSE気分……とこれはあまり意味がなかったか。明日は子供たちを集合場所へ送り届けたあとは……。ちょい虚しい休日か。まあ、それでもいっか。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/19
コメント(0)
![]()
仕事帰りにたまに寄るのが、この店である。ボクはケチである。したがって、金もみみっちくしか使わない。いや、もとい……。食い盛り、伸び盛り、反発盛りの子供が3人もいるので、小遣いが回ってこないのだ。おまけに、先月不覚にも滅多にやらないケータイアプリをダウンロードしてしまったので(8月1日「サルに剥かれる」)、金がないのである。ケチにもなろうと言うものである。(笑)「ビッ○・カメラ」は油断ならない量販店である。ボクがひょいと足を運んだときに限って、お目当てのモノが安くなっていたりするのでタマにチェックしておかなければならないのである。とは言え、寄ったのにはワケがある。「ダーク・エンジェル」で凛々しくもカワイイ「ジェシカ・アルバ」が主演しているダンス・レボリューションが気になっていたのだ。レンタルビデオ屋へ行っても借りられていることが多く、そうなるとどうしても観たいのが人情と言うものである。ネットで調べてみると、評判もソコソコである。最近は映画のDVDも安い。少し前であれば4,000円はしたであろうソフトが2,000円程度である。それが、である。最近は、ヘタすると大作と言えどもキャンペーンで1,000円でおつりが来るのである。ボクはそのクチで「ダイハード」シリーズ、「エイリアン2特別版」「ロード・トウ・パーディション」「マイノリティ・リポート」「デイ・アフター・トゥモロー」を衝動買い(4月27日「家内にワゴンセールの掘り出し物を贈る?」)してしまったのだ。で、安くなっているかなと思ったのである。結論から言えば、在庫はなかったのだ。気を取り直して物色していると、おりからお盆の週で客も少ない。そのせいか、ワゴンセールもやっている。ワゴンセールではないが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などは、1~3まで各1,400円ほどである。もう、喉から手である。(笑)「ターンレフト・ターンライト」も安い。目移りしてしまいそうである。で、結局、買ってしまったのが【ARMORED CORE NineBreaker[アーマードコアナインブレイカー]】PS2と「マトリックス特別版」である。ダンス・レボリューションは、いったいどうなったのであろうか。…だから、在庫はなかったのだ。(笑)アーマードコアは子供たちも大好きなゲームである。あいや、ボクの方が好きなのか。それが、1,980円である。このゲームは必ずベスト版になるが、それでも2,500円程度はするのだ。このワゴン価格であれば、安い。どーせいつかは買うのだから、底値で買うべきである。「マトリックス」は順番が逆だが、既に マトリックス リローデッド 特別版 (2枚組)を持っていたのに、1を持っていなかったのだ。この際、と言うことで買ってしまった。家に帰ると、子供たちは「メタルギア・ソリッド2」で遊んでいた。中2の娘と小6の長男、小4の末っ子がリビングで仲良く遊ぶ姿を見るのは好きである。あ、このゲームも「ビックリカメラ」の新品価格1,500円で買ったものである。買ったときは、すでにブームも去っていたが、どっこい売れたゲームは旬でなくとも面白いのである。それにしても……。ネット価格よりも安い価格で買って自慢ゲに話して、アフィリのタグを貼り付けて、いったい誰が買うのだろうか。(笑)どうやらボクは商売に向いていないようである。(笑)↓気になる映画↓本日の戦利品携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/17
コメント(2)
まったく危ないオンナである。オンナと言うのは、長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)のことである。幼い頃から本の虫であり、オタク。今は、生徒会の役員であり、ブラスではスネアドラム担当。英検と漢検はともに準2級。エラそうで、自己中心的である。昔からボクの本、しかも「絶対読まないだろう」と踏んでいた本を出して、読み漁っては挟んでいたヘソくりをバラされたものである。今夜はボクが夕食をとっているそばで、イラスト描きである。そばにあった雑誌を見てギョっとした。別冊GUN「世界のハンドガン」であった。中学の娘がよむ雑誌ではない。(笑)昔、ボクは小説を書いていたことがあって(最近も少し書き始めたが)、資料として必要なものを取ってあったのだ。もちろん日本は銃の規制をしている国である。拳銃などは、おいそれと手に入る国ではないので、資料として持っていても日本を舞台にした小説ならば、なかなか銃は描写できない。で、日本でもライセンスがあれば持てる「スポーツガン」(猟銃やクレート射撃用の散弾銃)の雑誌も持っている。が、それさえも「堅実」はしまってあるところを知っているらしい。「親の雑誌を、しかもこんなモンを……」文句を言ったが手遅れである。傍らでは「やっぱりベレッタM92Fかなあ」などとほざいている。「9ミリのベレッタは弾数も多いゾ」「ホントだ15発だ……」何と言う親子。家内は呆れて口もきかない。(笑)ボクが夕飯を食べている間に、イラストは完成していた。「クレヨンしんちゃん」のビデオを借りて、兄弟そろって観ている「忍耐」と「奔放」がヤケにカワイイと思う、今日この頃。今日ラッキーだったこと。朝から土砂降りの雨だったが、家内が駅まで送ってくれたこと。もちろん、車である。(笑)(↑誰が、酔狂に駅まで歩きで見送るオンナがおるねんっ)携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/16
コメント(0)
自分自身の将来像を描けるのは、せいぜい5年程度と言う。例えば、自分の明日の姿をイメージするとき、今日の自分とそう劇的に変わったりするわけでないことは容易に想像できる。では、1年後ならどうか。好きな人がいるのであれば、結婚して幸せな家庭を営んでいる自分を想像できるかもしれない。結婚したばかりの人ならば、子供が生まれて喜んでいる自分を想像できるかもしれない。子供が幼稚園の年長さんであれば、机やランドセルをいつ買うか考えるだろう。明日や1年先は、明確にイメージできるものである。では、5年後ならどうか。これは、ちょっとぼやけてくるかもしれない。だが、考えようである。5年前の自分は、今の自分をどう描いていたであろうか。大抵の人は漠然と思っていた通りの、平凡な未来が訪れたのではないだろうか。「こんなハズでは」と明確に思える人は、幸せである。不幸な事故に遭遇した人は別としても、未来を明確にイメージできていて、そのイメージと現在の自分にギャップを見出しなら救いはある。「なぜギャップを埋められなかったのか」「なぜ計画通りに行かなかったのか」を突き詰めていけば、必ず問題点は分かるからだ。問題点を発見したなら、8割方その問題は解決できるハズである。他方「まあ、こんな生活だろうな」とヨミ通りだった人は、ちょっと問題である。自分が立てた目標をクリアしていれば良い。だが、そうでないならば、予想通り怠惰な自分の未来を目の当たりにしていることだろう。つまり、だ。今から5年後の自分が「まあ、今と変わらないだろう」と思っている人は、そのまんまの未来が間違いなく訪れると言うことである。横ばいならば、めっけものである。世の中、そんなに甘くはないのである。下降線、ドン底と言うことだってあるのだ。別の言い方をすれば5年後、自分が幸福であるために人生設計を立て、たった今からその実現に向けて取り組める人は、将来は約束されると言っていい。5年後にどんな幸福を手に入れるのか。良き伴侶と巡り合うために、魅力的な人間になるのか。家族と一緒に住むための家を建てるのか。起業して社長になるのか。大きな夢を掴もうとすれば、明日は今日の自分とは違う成長した人間になる必要があるのだ。将来は、今日の積み重ねである。ボクは1年前、変わろうと決意した。だが、イメージと目標管理に甘さがあった。1年たっても去年と変わっていない。ブログを振り返れば、毎日同じようなことが書かれているのが分かる。成功をイメージしようとする人間が、明日、少しも成長していないのはおかしい。そのことに365日間気づかなかった今の自分がここにいるのだ。「今に見ていろ」と思い続けて365日である。このままでは、明日も、1年後も10年後も同じことを考え続けながら、何も変わらない自分がいるに違いない。この見通しは、細木数子の占いよりも当たるだろう。(笑)これは、かなり怖い。だが考えようによっては「ついている」。阿呆なボクが気づくことができたのだから。さあて、明日はどれだけ自分を伸ばすことができるか。目標「1」に対して「2」まで行ったなら、褒めてやろう。そして明後日も「1」以上、目標を達したら貯金の「1」だけ、夢に近づくのが早くなると言うことだ。「家族一緒に起業」がボクの夢これを実現するためには、ざっと考えただけでも1,000以上解決しなければならない課題があるのだ。解決したそばから、新しい課題が発生してくるであろう。1日にひとつ課題を解決したとしても、夢を掴むのは2年9ヶ月後である。何もしなけりゃ、一生叶わぬ。気づいてラッキーな一日であった。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/15
コメント(0)
細木さん……と言ったら失礼になるのだろうか。ボクは細木数子先生をあまり好きではない。自信に満ちた力強い言葉は見ている者に勇気を与えるかもしれない。希望を見出した人もいるだろう。だが、どうもエラソ気で気に食わないのであった。今夜TBSでオンエアされた「ズバリ言うわよ!SP」を見るまでは。たまたまついていたテレビを見ていたのだが、なかなか良かった。この人、細木先生はマトモだった。言い方はキツイのだが、ごく当たり前のことを言っていたように思う。もっともボクが見たのは「ハードゲイ」でおなじみの「レイザーラモンHG」のあたりからで、100人の女子高生相手に真面目に諭すあたりは好感すら持てた。父親のことを嫌いとのたまう阿呆な女子高生が細木先生の言葉に感銘を受けて?(かどうかは分からないが)泣くあたりは、ボクももらい泣きをしてしまい、また家族から哀れな目で見られるのであった。ボクは、自分の家族でありながら、このあたりがよく分からない。あれほど、先生が親を大切にしなさい、みたいなことを仰っているのに、父親を白い目で見るとは何ごとだろうか。(笑)「お前もちゃんと見ろや」と家内にも言わなければならないのだ。人が良い気分に浸っているのに「でも、この人旦那と離婚しちゃったのよ」と家内が言う。「え?」ボクは慌てて聞き返した。今しがたまで、家族を大切にしろとか父親を大切にしろと言っていたのに……。「何で離婚したの」「知らないわよ」まあ、そんなに分かれたかったのなら、離婚くらいしたって良いではないか。ところで……。今日、このテレビを一番見せたかった長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)はいない。ボクが帰りの電車の中でウトウトしていると、ケータイがブルブル。「おばあちゃんの家でもう1泊してきます」ぬわんぢゃとーっ。呆れた小娘である。まあ、ええか。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/09
コメント(2)
彼女は、帰ってこなかった。「おいしいもの食べてんだろうね」夕飯のときに「奔放」がボソっと言った。彼女とは長女の「堅実」のことである。コンクールを控えての連日の練習と夏の暑さでバテているのだろう。ナーバスな状態が続いて機嫌が悪かったのかもしれない。親の自分が言うのも何だが、成績は良い。生徒会の役員でもある。外面が良く、先生のウケがいいかわりにその反動が家で出るようなのだ。一昨日もボクと、バトルをやってふてくされていたのだ。そして、昨日は帰ってきて弁当箱を出さずに、今朝「弁当を作って」と家内に言い、家内は家内で呆れ半分、怒り半分でボクにこぼすのだ。結局、「堅実」ブラスのコンクールにボクは行かなかった。家内の母親がこっそりと出かけて様子を見てきたと言う。「堅実」にとって祖母にあたる家内の母は、孫を溺愛している。「溺愛」と言うと、甘やかしているように聞こえるが、教育熱心で勉強のコツを教えたのも、この祖母である。ボクらが出かけないイベントにも祖母は顔を出し、応援してくれているのだ。「あなたも、コッソリ出かければ良かったのよ」そんなことを言われても……である。何で父親がコソコソせなあかんのや、である。結果的にボクが強情だったため、「堅実」の晴れ姿は見られなかった。コンクールは「銅賞」だったそうである。帰りは片付けなどで遅くなる。そこで今日は、祖母の家に泊まりと言うことになったのだ。ボクが仕事から帰ってくると「忍耐」と「奔放」は宿題を終えて、ゲームの最中であった。食卓には、トンカツと餃子、味噌汁がのっている。ボクは十分なおかずだと思うが、末っ子の「奔放」は姉の食事が気になるらしい。家内が「ぶどうとグレープフルーツがあるよ」と言った。「両方食べていいの」と「奔放」が聞き返す。「いいよ」と家内。「やりっ」他愛のないものである。「えっ? この餃子もいらないの」と「忍耐」が口を挟んだ。真ん中の「忍耐」は「堅実」のために餃子を残していたのだ。「イイらしいぞ」ボクは言った。そう言いながら「忍耐」は箸をつけない。テーブルには餃子が二つ残っている。「早く帰ってこねえかな」ボクは餃子をボンヤリと見ながら言ってしまうのだ。「あなただって中学の時はそうだったでしょ」と家内が言う。「オレは鬱陶しかったよ」「でしょう。そうやって子供は親から離れるの」と家内。「仕方ねえ、お前らあとで遊んでやるぞ」とボクは二人に言った。「お父さん、おじいちゃんと滑り台でも一緒にやってあげれば」そう言って「忍耐」は笑った。「何やそれ?」「おじいちゃん、喜ぶよ」「阿呆か、この年になって親父と滑り台やるやつがいるか」「でも子供と遊びたいんでしょ」真ん中の「忍耐」は、ボクが苦手で怖がっていたハズである。それがいつの間にか、おちょくっていやがるのだ。ボクはご飯が終わった男二人を連れて、布団を敷いてある寝室へ連れて行った。そのまま転がして笑い悶えるまでくすぐってやった。やっぱり我が家は5人が良いと思った。そうなのだ「フィンガー5」や「ゴレンジャー」だって「コンバトラーV」も5人なのだ。指だって5本である。お父さん指、お母さん指、お兄さん指、お姉さん指、小指……あれ、弟指はなかったか?
2005/08/08
コメント(0)
そもそも彼女とのケンカの原因はくだらないことである。「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)が所属しているブラスバンドのコンクールを見に行くことで揉めたのである。「父さん、コンクール見に来る?」と聞いてきたので「もちろん」と答えたのだ。ボクは、中学時代ブラスでトランペットを担当していたのだ。「堅実」はスネアドラム(小太鼓)である。前から興味があって一度、演奏の様子を見たいと思っていたのだ。だが、娘は来るなと言う。「お前が来るかって聞いたからだろ」「まさか来ると思っていなかったのよ」あれよあれよと言う間にヒートである。大バトルである。家内が間に入っていなかったら、絶縁ものであったろう。もっとも絶縁宣言されたのはボクの方だったろうが。今日は、朝から「堅実」ブラスの練習である。真ん中の「忍耐」も朝からサッカー練習である。末っ子の「奔放」は午後からである。ボクは昼前にゴソゴソと起き出して、家内を探した。子供部屋のベッドで寝転んでいるのを発見した。声を掛けようとして、ためらった。寝転んでいたのは「堅実」だったからだ。「練習と聞いていたが」とブツブツ言いながら、ゲームをやっている「奔放」に訊ねた。「母ちゃん知らんか」「あっちにいない?」「いねえ」「奔放」は子供部屋の方に向かった。しばらくして戻ってくると「いるじゃんよ」と返された。子供部屋に戻ってみると、ベッドにいたのは家内であった。「なあんだ」と思ったが、娘と後姿がそっくりな家内を見て動揺したのは、何故だったか。夕方、子供達が帰ってきてからはいつもの我が家である。夕飯を片付けたテーブルでは、3人の子供達が宿題をやったり音楽を聴いたり好きなことをやるのだ。ボクと家内はサッカーの韓国戦である。真ん中の「忍耐」と末っ子の「奔放」が宿題の絵を描いているところで、場所取りからケンカが始まった。うるさいのでボクは注意するが、二人とも耳を貸さない。そばで見ていた「堅実」も口を挟みだす。いつもの夕食後の光景である。ああ、やっぱり我が家はこうでなきゃ。
2005/08/07
コメント(1)
「女は分からん」と言うのは逃げ口上か……。父親として、あるいは夫としてのいたらなさを認めないエゴなのだろうか。今夜、娘の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)とケンカした。くだらないことが原因だが、ボクも「堅実」も悪いと家内は言う。だが、ボクは強情である。自分の非を認めない。もともと反抗期の娘に対して、ボクも引き下がらなかったのがマズかったのだろう。昔、と言ってもほんの3年くらい前までは、ボクと家内がケンカすると、娘は必死になって間に入った。今にもケンカ別れしそうな両親の間を取り持つように接してくれた。あの頃が妙に懐かしい。娘と仲良くしたい、と思う気持ちと反比例するように、心はすれ違う。驕りだったのか、と思う。「ウチだけはよその家とは違う」と。今夜は、家内がいてくれて本当に助かった。失礼な例えかも知れないが、娘とつきあうのは他のどの女性と接するより難しい。日記の正しいタイトルは「大バトル」でした。なんて平気なふりして書いている自分が虚しい。なら、書かなきゃいいのに……と自虐的に思う、今のボク。
2005/08/06
コメント(2)
会社で仕事をしていたら、同僚が聞いてきた。「『!』これ、なんて読むの」聞けば、電報を打つのだという。依頼文の中に、このマークが使われていたのだ。ボクは普段、ダジャレばかり言っているがココぞと言うときには頼りになる存在だと信じている。だから、みんなボクをあてにしてくるのだ。などと、ひとり悦に入りながらも、はて?「知らない」などと言えぬ。「びっくりどんき」とボソってみた。「え?」と聞き返された。普段、上司に睨まれながらも「コミュニケーション」とうそぶきながら、つまらない(と言われる)ダジャレを連発するボクであるが、真面目な顔で聞き返されると、二度同じことは言えない。「あ、いや。ビックリマーク……だろ?」と返してみた。ボクはそんな読み方しか思い浮かばない。席を隔てた別の同僚が「あ、ホントだ変換されますね」と言っている。「びっくり」とキー入力して変換すると「!」が出るらしい。訊ねてきた同僚は納得して席に戻ったが、ボクは釈然としなかった。でgooの国語辞書で「!」と入力してみた。------------------------------国語辞典 [ ! ]の前方一致での検索結果 1件エクスクラメーションマーク 【exclamation mark】 感嘆符。!。------------------------------だそうである。お詫びと称して、関係者にメールを送った。で、今度は「エクスクラメーションマークとは」で、ぐぐってみた。ヒットしたのは「2004-09-28(Tue) 恐るべし、Excite翻訳」という記事である。N-blogさんのサイトだが、これが面白かった。仕事中だったので、記事の内容を家に帰ってから試してみた。「Excite翻訳」のプログラム修正があったのかもしれないが、残念ながら現時点ではびっくりするような翻訳は出てこなかった。ただ、このサイト、個人的にはストライクゾーンにバッチリというか興味深い記事が多く、楽しく読ませてもらった。ボク自身の経験則から言えば、システム系の人が書く文章は整理されていて分かりやすい。「バカ女」の記事は必読。毒舌なわりに嫌味を感じさせないのはさすがである。そう言えば、ウチの会社の冷蔵庫にも「飲みかけ」「食べかけ」が多いなあ。と言う前に……ウチの家は、ジュースのリッター紙パック「開けっぱ、出しっぱ」であった。これでは、バカ家族(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)である。(笑)ああ、タイトルは「びっくりドンキー」と書いたつもりでしたが、間違えました。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/05
コメント(0)
暑い中を帰ってくると、長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)がキッチンに立っている。「忍耐」と「奔放」はテレビである。「どうした」と声をかけた。「堅実」がキッチンに立つのは珍しくない。とりたてて料理が上手と言うわけではないが、クッキーをやいたり自分で「葛きり」を茹でて食べたりしている。凝り性なので、やりたいことに夢中になりやすいのだ。だが、20:00前である。娘がキッチンにいて家内の姿が見えないのは、普通ではない。聞けば、家内は調子が悪いのだと言う。これが何を意味するか……。「食い物がないーっ」と言うことなのだ。で、「堅実」がキッチンに立っているのだ。シャワーを浴びて家内の様子をうかがうと、体がだるいと言う。「堅実」と言えば、キッチンで甲斐甲斐しく料理である。夕食は生姜焼きらしい。ボクの好物である。「なにっ、できるのかっ」「できるよ」とそっけない。「父ちゃんの分もあるのか」「イヤなら食べなくてもイイヨ」扶養家族のクセにこの言葉である。家内のかわりに夕飯の支度をしてくれるのであれば、ラッキーである。(笑)「いえ、頂きます」ボクは、強いものに弱く、弱いものに対して強い。(笑)家内は夕飯はいらないと言う。「堅実」が作ってくれた夕飯を家族4人で食べた。いつもボクに抱かれて眠っていた娘が食事の支度ができるようになったのである。ちょっと、うれしい1日。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/04
コメント(2)
代休が貯まっているので、休みを取った。子供たちは夏休みである。普段の土日はサッカーの練習があり、家族で出かけることも難しい。で、ダラダラしながら子供たちや家内(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)と過ごそうと考えたかが、そうは行かなかった。ボクが寝ている間に、子供たちは出かけてしまい、家内も友達と約束があると言う。結局、ボクは煙たがられるように一人になってしまった。(笑)それなら、と普段なかなかできないことをやることにした。少し前に別サイトで平野レミさんの記事を書いた。(Q.明るく生きるにはどうしたら良いですか。)雑誌「ダカーポ」に書いてあった平野レミさんのインタビュー記事に関するものである。レミさんの「明るさ」がどこから来るものかを書いた記事だった。結論から言ってしまえば、レミさんはずっと好きなことをやって生きてきたと言う。だから毎日が楽しく、明るいものだったのだ。人間、好きなことをやっているときは、夢中で覚えも早く元気ならしい。みんな好きを仕事にすることを難しく考えすぎるあまり、好きでないことをやってしまい、楽しくなくなっている、そんなことが書かれていた。ボクはこの記事をかなり興味深く読んだ。そこで別サイトでは、ボクなりの視点で「好き」と言うことを書いてみたのだ。「好きなこと」を仕事にしている人は、かなり少ないだろう。一番の問題は「好きなこと」をしながら生活することが難しいことにある。これができれば、文句ないのだが。ならば、休みの日くらい「好き」にしてみようと思ったのだ。ボクは趣味で少し小説を書く。大したものは書けないのだが、ネタや情報収集のための本も読む。いいものを書こうと思うと、面白い小説や映画を普段から読んだり観たりして、感性を磨かなくてはならない。最近は、分かりやすく単純なストーリーを描くために児童書をよく読むようにしている。子供向けに書かれたものは、子供の心を掴むために導入部を工夫したものが多い。映画も、なるべく単純なものを選ぶようにしている。で、今日は少し前に買って、そのままにしていたDVDをようやく観たのだ。一段落ついたら、少しゲームをやって、畳でゴロゴロし帰ってきた子供達に「そうめん」を作って一緒に食べた。レミさんが言うところの「好き」とは、ちょっと違うダラダラだが、普段あまりできない贅沢な余暇を過ごした。夕飯を終えたあとに子供達とアイスを買いに出かけた。アイスを食べながらサッカーを見て、女子の惜敗に悔しがった。「やっぱ、好きなことをやって暮らす一日は楽しいね」などとほざいたら、家内が「あ、そうだ私もコンサートに行かなきゃ」と返された。そうだ、また余計なことを言ってしまった。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/03
コメント(0)
こことは違う別サイトのことである。今年のアタマにドメインを取って運営を始めたが、まったくと言っていいほど来訪者がなかった。良くて、1日ひとりくらいである。(笑)こちらは、その半年くらい前から練習がてらに始めていたが、1日平均60人ほどの来訪者である。この数とて大したことではないが、あっちと比べると雲泥の差である。こちらは「楽天」と言う大きな村にいるので、それなりに更新していれば、他の住人の目にも触れる。だが、どこの集落にも属さない個人サイトは、陸の孤島状態である。ある程度、覚悟していたが、あまりの閑古鳥に笑うこともしばしばだったのだ。いろいろ考えた末に、サーバーを変えることにした。単にサーバーを変えただけではない。独自ドメインを使えるブログ形式に移行したのだ。ブログの記事は検索エンジンにひっかかりやすいし、どこかの「村」の一員になっていた方が何かと目につきやすいと考えたのだ。この方法は、まあ当たっていた。流行っていると言うほどではないが、平均30人~40人の目には触れるようになったのだ。で、あっちのサイトでちょっと変わったことが起こっている。半年以上前に書いた「永井大(ながいまさる)」さんの記事がエライ勢いでヒットしているのだ。と言っても、何百人も訪問者があるワケではない。永井さんの記事にヒットして訪れる方は、1日5人程度である。が、半年以上前に書いた記事に今頃アクセスがあることが不思議なのだ。大した記事を書いたワケではない。永井さんなりの夢の叶え方に感銘を受けたので、それを紹介したのである。家内に言わせれば「舞台かドラマでもあるのでは」とのことである。アイドルタレントの個人サイトは、注目されないようにひっそりと運営する管理者も珍しくないと言う。SEOを真面目にやっている人には信じられないだろうが、タレントのフルネームを使ってバリバリに対策をしたサイトは当然、検索エンジンにひっかかりやすい。コアなファンは、時に意見も辛らつである。注目を浴びることによって、荒らしやバッシングを受けることを避けているのだ。そんなサイトでは、ファンであるタレントを隠語で呼ぶことも多い。ボクの記事のように目だってくれ、と言わんばかりの書き方では検索ロボットにもひっかかりやすくなるのだろう。検索エンジン経由でボクのサイトを訪れるファンは、期待ハズレの記事を見せられて「瞬」で帰っていくのである。(笑)一生懸命書いている方としては、ショックも大きい。だが、本当に必要とされる記事を提供しようとするのであれば、それなりのSEO対策もしなくてはならない。今回の件で言えば「永井大」と言う名前ではなく、記事のポイント、つまり「夢の叶え方」を連想するような語彙を対策をしなければならないと言うことだ。必要としている人に対して最適な情報を提供するのが検索エンジンである。そうでなければ、サイトの管理者も来訪者もエライ「迷惑」になりかねない。まあ、記事を書いたときは、そんなことになるとは意識もしなかったのだが……。ほんの少し勉強になった、そう思う今日この頃。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/02
コメント(0)
サルが欲しいと言う。動物のサルではない。アンガールズが宣伝しているPS2ソフトの「サルゲッチュ3」である。欲しいと言ったのは「忍耐」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)である。「忍耐」は小6である。1年生の頃から地元のサッカークラブに入った。飲み込みが悪いうえに、おとなしい。そして、父親のことが大の苦手であった。サッカーも上達が遅かった。そこで親子の朝練を始めた。ゲーム機やソフトをエサにして、目標を持たせた。コツをつかめば、上達は早い。ほとんどのハードはウチにあるのだ。低学年のうちは「リフティング100回できたらゲームソフト」などとやって、その気にさせてきたが、小学校も高学年となれば適当な目標がなくなってくる。1試合につき1シュート1,000円というのであれば、まあ、ポジションにもよるが、ハッパをかけても良い。だが、ゲームソフトとなれば、5,000円はなくなる。難易度の低い目標を与えて甘やかすわけにも行かなくなるのだ。で、しばらく「報酬」はなかったのだ。だが「忍耐」は、どうしても「サルゲッチュ」をやりたいらしい。自分の小遣いで買えなくもないが、小学生の小遣いでは、チョイ痛い。そこで、ボクに甘えてきたのである。ボクもゲーマーではないが、ヒマを見つけて子供たちと遊ぶ。「サルゲッチュ」シリーズは、ずっと買ってきたのである。だが「ベスト版」と呼ばれる、流行が一巡してからの廉価版である。ボクはケチである。これは、家内のお墨付きなので間違いない。(笑)安くなると分かっていて、買うことはしないのだ。だから「サルゲッチュ」もそのうち買うことはあっても、新作で買ったりはしないのだ。だが「忍耐」は欲しいと言う。友達の家でやったら、面白かったと言うのだ。まあゲームも旬のモノである。流行りが落ち着く頃は、友達も別のゲームをやっている。普段、滅多にねだらない「忍耐」である。ボクはどうも「忍耐」に少し甘いところがあるのだ。仕方ないので、ボクが3,000円を出すことにした。真ん中の「忍耐」と末っ子の「奔放」がそれぞれ1,500円ずつ出してゲームを買った。子供たちは土日は一日サッカーだし、夏休みと言っても異常なほどに宿題は多い。ゲームなどやるヒマはないはずだが、忙しいときほど時間をやりくりして寸暇を惜しんでゲームをやるサマは見事である。今日も暑い中を仕事から帰ってくると家は賑やかである。インターフォンに元気な「奔放」の声が響くと、ドアが開いた。家内は夕飯の支度に忙しい。今日はチャーハンである。スーツを脱いで、寝室へ行くとテレビの前に、先ほど迎えに出た「奔放」とゲームに夢中の「忍耐」が居た。我が家では、誰かが外出先から帰ってきたら迎えに出るルールになっている。だが、野郎の「忍耐」はゲームに夢中なのだ。こういう時のボクは容赦しないのだ。勉強をしていて気づかなかったのなら、許すがゲームでは酌量の余地はない。さっそく怒鳴った。「忍耐」は素直に謝ったが、笑っている。ボクも、どうも凄みがなくなったのか、扱いを心得ているのか最近の「忍耐」は余裕である。3,000円も出してやったのに……である。ブツブツ言いながら居間に戻ると、携帯の料金明細が届いていた。ボクのケータイは掛けないし、受けない。(笑)家族割引50%で、お安いのだ。家内がこぼした。「あなた、言ってやって下さいよ。メール代……」家内が言うのは、長女の「堅実」のメール代である。4,000円弱である。つい、2週間ほど前に他社へのメールも定額になるプランに変更したが、今回の料金はそれ以前のものらしい。「ふん」と頷いて、ボクの明細を見た。目を疑った。ボクの方もWeb代が高いのだ。「あなたもよ」家内がじろりと睨んだ。ボクは、記憶を手繰ってみた。そうだ。そうだったのだ。珍しく携帯にゲームアプリをダウンロードしたのだった。「サルゲッチュ・アカデミーア」と「サルゲッチュGP」であった。「ちゃんと払ってね。娘へのしめしがつかないんだから」25日に給料が出たと思ったら、飲み会が続いて金欠である。おまけに、Web代も払わなくてはならず、もう小遣いがない。がっくりである。「サルに身ぐるみ剥がサル」である。なんてダじゃれている場合ではない。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/08/01
コメント(0)
酒グセは良い方ではない。考えてみれば、妙な書き方である。ハッキリと「悪い」と書くの方が分かりやすいのに、もって回った言い方である。潔くないのである。(笑)別に暴力を奮う訳ではない。多少、女の子に甘えたりするが、つきまとったりすることもないのだ。滅多にないが、記憶が断片的に飛ぶことはある。で、それをやってしまったのだ。異動があり、転居する同僚がいたので内輪で送別会をすることになった。ボクは、あまり人と飲みに行くことはしない。基本的に一人で飲むのが好きなのだ。人付き合いが嫌なのではない。程よく、適度に飲んで眠くなったらゴロリとするのが好きなのだ。結果的に、慢性的な付き合いは断ることにしているのだ。だが、異動となればそうもいかない。同僚の女性に気を使ってお酌をしてもらい、気分よくなってしまったのだ。翌日にも仕事があるのに皆、良く飲んだ。終電など、とっくになくなりタクシーで帰ることになった。当然、何人かで同乗して帰るのだが、ボクは皆と微妙に帰宅方向が違うのだ。皆を見送って、つかまらないタクシーをようやく拾い帰路に着いたのだ。寝覚めは最悪であった。頭に「遅刻!」の緊張が走る寝覚めほど悪いものはない。時計を見ると7時前である。フレックス出社なので、本来何時起きでも良いのだ。だが、ボクは飲んだ次の朝は、誰よりも早く出社することにしているのだ。酒のせいで重役出勤することはない。下らないことだが、それはそれで良い。だが、ふと記憶が飛んでいることに気づいた。重い頭を抱えて起き上がると、全裸であった。「やって、もうた」悔いたが、遅い。口をすすいで、定期や財布などの持ち物をざっと調べて寝床へ戻った。よく考えると、記憶のほとんどがなかった。これは、怖い。家内は呆れていた。帰ってきたのは3時だったと言う。風呂にザバザバやかましく入って、そのあとひっくり返って寝たらしい。帰宅時間にも呆れたなら、全裸で寝たのも呆れたらしい。もっとも、これは初めてではない。(笑)一番呆れたのは、テーブルに投げ出してあった買い物だと言う。袋に入っていたので酔っ払いの万引きではないらしい。ペットボトルのお茶、サンドイッチ、カレーヌードル、ポテトチップ……。それと、心霊スポットを集めた「関東怨念地図」という書籍である。と言うことは何かに取り憑かれたか。なわけないか。やはり相当、酒グセは悪いようである。(笑)携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/29
コメント(0)
決して寝起きが悪い方ではない。これでも真ん中の「忍耐」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)が小学校に上がり3年生になるまで、丸3年間、朝5:30に起床しサッカーの親子朝練習をしていたものである。4年生になる頃は、ボクの仕事が忙しくなり出張が多くなった。体の疲労が溜まり、自然と朝練はなくなってしまったのだ。今、「忍耐」は6年生である。末っ子の4年生の「奔放」を連れて、毎朝練習に励んでいる。ボクはと言えば、仕事もおちつき子供も手を離れたせいか、目標を失ってダレてしまった。朝が弱くなったのは、そんな状態が始まったここ数ヶ月である。今日も、一つ目のケータイの目覚ましを止めてしまい、二度寝に入ってしまったのだ。「娘がでかけるわよ」そんな家内の声を夢うつつに聞いていたものである。「どこに出かけるの」ボクはまだ半ば寝ぼけていた。「さあ、どこへ出かけるのでしょうね」家内は呆れている。夏季学園。そんなことを言っていた。もうずっと前から何回も聞いていたのに、その日が来るまでずっと忘れていたのである。ボクは飛び起きた。長女の「堅実」は本人の希望で、公立の中学だが越境させている。1時間半ほどかけて、電車通学しているのだ。(7月6日「恐るべしっスメムーっ。(娘)」)2泊するので荷物も多い。駅までけっこうあるので、家内が車で送ることにしたのだ。それなのにボクは、6時過ぎごろゴソゴソと起きだしたのである。「あの子、新しいスニーカーにまだヒモを通していないのよ。お父さんからも言ってやってね」そんな風に言われたのである。ボクはうがいをして、玄関に出てみた。なるほど、ヒモはおろか、まだプラスティックワイヤーに通された値札がついている状態である。家内は車を出しに行った。「堅実」はトイレである。仕方ないので、値札をハサミで切って、ヒモをほどき始めた。「堅実」はトイレから出てくると、黙ってヒモを通し始めた。ボクは寝ぼけて、話すのも億劫だったので、もう片方のスニーカーをポンポンと叩いた。「堅実」は、ボクが意図することに気づいて、まだヒモを通していないスニーカーに足を入れた。ボクは、娘の足が入ったスニーカーにヒモを通し始めた。自分でも呆れるほどの親ばかである。娘が片方を終えると、ボクが途中まで通したスニーカーに移った。「ありがとう」ボソっと言った。生徒会の役員をやっている、この娘でも普段は言葉は悪い。スニーカーのヒモが結べていないことを、早く起こさなかった親のせいにしかねないのだ。そんな娘が「ありがとう」と言うと、ビビる。事故でも遭わぬかと心配になるのだ。ボクは「堅実」を送り出したあと、会社へ行く支度をした。ほどなく家内が帰ってきた。ボクは「無事に帰ってくれるといいなあ」と言った。家内は「わたしは、多少成績が悪くても身の回りがキチンとできる子の方が良かったわ」と言った。会話としては全く噛み合っていない。だが、ボクらはそれで基本的には通じ合っているのだ。「無事云々」と言うのは家内にとっては、当たり前。論ずるに足りないのである。家内が頭を痛めているのは、学校の勉強は心配いらないのだが女の子のたしなみを心配しているらしい。ボクは「お前も、その片棒を担いでいるんだろうが」とほざいた。娘の躾がなっていないのは、親の不徳である。「あいつ、ありがとうなんて、ガラになく素直だったぞ」家内は黙っている。「早く帰ってこねえかな」つい、言葉が漏れた。家内は少し笑って、いつものように淹れたてのコーヒーに氷を入れてボクに渡した。ボクはいつもより遅くに起きたことを思い出して、あわてて家を出た。そうなのだ。ウチでは、一家の大黒柱のボクが駅まで走って、娘は車つきなのだ。(笑)まったく、揃いも揃って親ばかである。この日記は、7月22日のスペースに、7月31日に書き込みました。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/22
コメント(0)
家族割引が50%になるので、ウチではケータイはVODA(フォン)である。今でこそ、50%と言うのは当たり前だがJ(フォン)時代、他社に先駆けていた記憶がある。そんなVだが、ボクのオリジナルアドレスは迷惑メールがたくさん来る。不思議と家内や「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)には、このテのメールは来ないのだ。家内は「なんかやってんじゃないの(アダルトサイトを見るなど)」と言うが、ボクはまったく興味がないのでそっちはやらない。(笑)ただ、パソ用のフリーメールの転送にケータイのアドレスを登録しているので、このサーバー経由から漏れているのではないかと考えていた。迷惑メールは鬱陶しいが、基本的にVは受信メールは無料である。金がかかるワケではないので、特に神経過敏になることはないのだ。会社の同僚に聞いてみると、ボクと同じであった。夫婦で使っているのだが、迷惑メールが来るのは旦那の方だと言う。これは……登録したアドレスと性別情報が漏れているのではないのか、と言うことだ。そう考えないと、どうにも納得できない。3連休が終わって、週の仕事初めは外出である。朝いつもの出勤時刻より遅い時間になっても布団の中でゴロゴロしていると、ブルブルとケータイが鳴った。ボクのケータイは人気がない。(笑)電話が鳴ることは滅多にないのだ。で「迷惑メール」か、と思いながら寝ぼけ眼でケータイをいじると、「今日は休みですか」会社の女の子であった。てやんでぃ。こちとら、外出届には直行と書いてきたのだ。休みではない。先週も、今日の外出にあたり業務に支障がないか他の同僚に確認しまくったのである。仕方ないので、また寝ぼけながら会社に電話を入れた。ボクはいつも出社時間は早い。同僚にしてみれば、いつもいる人間がいないので、心配していたそうである。「届けは出したんだがなあ」とぼやいた。「でもセミナーの開始時間は13:00って書いてありますよ」そうなのだ。午後開始のセミナーだが、寄りたいところがあったので直行直帰にしたのだ。鬼のような所業だが、あらかじめ了解は取ってある……。とは言え、こんな怠惰な外出業務はないか。(笑)「魅惑のメール」ではなく「迷惑メール」だったか。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/19
コメント(0)
![]()
家内が子供たちと一緒に夏休み用の本を図書館に借りに行くと言う。ボクもつきあうことにした。駅前にある図書館は、ボクもちょくちょく利用している。しかも最近は、もっぱら児童書のコーナーである。普段、土日祭日は子供たちはサッカーである。子供たちヌキで児童書コーナーをうろつくのは勇気がいる。(笑)だが、自分で言うのも何だがボクは怪しげ系の顔ではないので、うろついたところで「若いお父さんが館内にいる子供のために……」くらいにしか写らないハズである。図書館のお姉さんも微笑んでくれるほどなのだ。別サイトになるが、携帯向けの小説を発表した。完成度はまだまだだが、参考にしたのは児童書である。ケータイ電話は画面が小さい。純文学のように一文が長いモノは、ケータイ画面では「漢字ビッシリ」状態で表示される。これは、見た瞬間げんなりする。句点、読点の使い方や漢字、ひらがなの使い方。導入部の表現方法、物語の展開方法など児童書に学ぶ点は多い。しかも相手は子供向けである。難解な表現は皆無である。ストーリーもいたって単純。全編にわたって、平易で分かりやすいのだ。ケータイ電話向けのストーリーは短い方が良い。長いものはストレスがかかるのだ。出先でちょっと空いた時間のヒマつぶしを考えても、ケータイ向けの単純で短いストーリーは調度良いのだ。で児童書を参考にしているのだ。今回ボクが図書館で借りたのはPHP研究所から出ている齋藤孝さんの「最終指令ミッション!パッション!ハイテンション!!」である。まだ読んでいないが、パラパラと見た限りでは「元気に生きるためのコツ」が書かれているように思う。何せ子供相手に訴える本である。飽きがスグに来るような本では、子供にウケない。概念ばかりのチンプンカンプンでは、子供はついてこない。子供は純粋である。胡散臭いモノには、決して近寄ってこないのだ。字も大きくて分かりやすい。つまり、この本は忙しいビジネスマンや主婦がちょっとした合間に読むのに調度良い本なのである。内容も、モロ実践向きである。子供のための「元気に生きるためのコツ」ならば、大人でも簡単にできるハズだ。ストレス漬けのビジネスマンや、刺激が少なく育児に疲れた主婦でも自分を変えるきっかけになるだろう。2005年7月1日初版である。できたてホヤホヤである。著作権の問題があるので、ここでは詳らかにしないが表紙の折り返しにある表現と目次の一部をご紹介しよう。-----表紙の折り返し-----手に入れられる3つのパワー(力)●【ミッション】→「限界」を突き抜ける力●【パッション】→悲しみ・苦しみをエネルギーに変える力●【ハイテンション】→周りを明るく照らす力-----目次の一部-----1 元気に生きるとっておきのじゅもん、公開! たった一言で力が湧いてくる! 楽しくなくなったときに元気が出るじゅもん 三つの“ション”をカラダにしみ込ませよう!どうですか?こんな素晴らしい力やじゅもんを知りたいと思いませんか。最終指令ミッション!パッション!ハイテンション!!齋藤孝の「ガツンと一発」シリーズ著者: 斎藤孝 出版社:PHP研究所ISBN:4569643965サイズ:単行本 / 118p 発行年月: 2005年 07月 本体価格:952円 (税込:1000円)携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/18
コメント(0)

家内が貼りかたが分からないので、貼って欲しいと言う。何を言っていやがんだ、と思ったがテープが特殊で分からないらしい。聞けば、友達も同じようなことを言っていたという。阿呆か、とも思ったがボクも男である。ならば、と一肌脱ぐことにした。どれどれ、と説明を読んでみた。単純な絵が書いてあるが、分からないと言うことはない。これである。この説明によれば、まずステッカーを半分ほど剥がし「すべり台」のように山折りにする。次に、台紙(7の字が印字してある紙)に合わせるように谷折りにする。台紙に半分ほどステッカーを貼る。残り半分を貼るために、山折り部に貼られたステッカーを剥がす。ステッカーを台紙から剥がして、フロントウインドウの内側から貼り付ける。ああ、これは前に貼るのであって「前貼り」ではなかったか……。車検が終わったと思ったら、こんな面倒な作業があったとは。紛らわしいこと言わせやがって。携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/17
コメント(0)

五感のうち視覚はもっとも多くの情報を取り入れていると言う。この視覚を制限されると聴覚は鋭敏になるらしい。実際、目を閉じて意識を集中すると、今まで気付かなかった音まで聞こえるようになる。独断だが、聴覚は想像力も刺激すると言って良い。高校生の頃、修学旅行の宿泊先で隣の女子の部屋の音を聞こうと悪友達と壁に耳をくっつけたことある。(笑)もちろん、大したことを気けたワケではない。新婚の頃、隣室から聞こえた怒鳴り声に、家内と耳を澄ましたこともあったっけ。推理小説で、アームチェア・ディティクティブをやるのは、大抵、視覚障害を持った女性である。……とこれは、決めつけすぎか。「聞き耳を立てる」と言うし、「盗聴」なんて言葉もある。アブノーマルでHなプレイは「目隠し(アイマスク)」は必須アイテムだ。(笑)聴覚はまさに、ワクワクドキドキの「淫靡なささやき」を聞くためにあるものだ。……っとかなり前置きが長くなったが、今日は久しぶりの歯医者だったのである。これまで「美人女医」ネタは日記で何回も書くほど通ったが、治療も一段落つき今は月1回のペースである。歯ぎしり防止用のマウスピースの点検と調整なのだ。月1で歯医者通いも何だが、おかげで歯周病は完治している。歯は放っておくと、取り返しがつかないし金もかかる。歯の病気が体全身に影響が及ぶこともあるのだ。自分ではそう思っているが、客観的に考えるとどうか。ボクが通う歯医者は院長以外のスタッフは全員若い女性なのだ。そして、ボクのお気に入りが「美人女医」なのだ。(笑)大抵の場合、ボクの相手をしてくれるのは歯科衛生士の女性スタッフ(4月16日「女医の胸に抱かれて」)である。このスタッフがなかなか、きわどい攻めをしてくるのである。もちろん、この「センセー」はいやらしいモーションをしてくるワケではない。仕事に忠実なだけである。だが、いかんせん普段の生活では女の人と相対距離15センチまで近づくことはない。歯石取りをしてもらっているときに、何かの拍子に目を開けると、キレイな首筋が見えたりしてドキっとするのである。これはイカンと思い、あわてて目を伏せると、それに気付いたかのように、歯茎と歯の際をピンポイントで責められ、ボクは「ふがっ」とか情けない声を出すのである。で、前にも書いたが治療中に何やらボクの頭やおでこに当たるのである。目を閉じて、旺盛になるのは聴覚と想像力である。(笑)当たると言うのは、もちろん胸である。ああ、なんとイヤらしい中年の想像力であろうか。(笑)「あっ、痛かったですか」などと言われ、また「ひえ、ひっとも」などと、これまた慌てて返事をするのである。今日も、ちょくちょく当たるので、いい加減このイヤらしい想像力とも決別しなければならぬと思い、うっすらと目を開けてみた。この時の緊張感というか、決断はきっと「鶴の恩返し」に出てくる「おじいさん」と「おばあさん」に匹敵するであろう。で……心の葛藤の末に目を開くと、そこにあったのは……。白衣の襟であった……。と笑い話にもならないのである。(笑)リラックスムードで治療してもらった歯石取りと歯周病の検査は、12分ほどで終わってしまった。ホッとしてヨソ見をしていると「こんにちは」と甘いささやき。振り向くと、おお久しぶりの「女医」である。ぼーっとしているボクはつられながらも、「こんにちは」と応じた。先生に言われるままマウスピースを差し出した。通常、この歯科医院では全員、ゴム手袋をしての治療に当たる。が、今日の「美人女医」は素手である。口に入れるものを素手で触られても気色悪くはないが、別の意味で恥ずかしいと言うか気になってしまうものである。マウスピースはボクの上の歯のカタに合わせて、シリコンで成型しているのだ。このシリコンがクッションとなって音と歯の減りを和らげるのだ。毎日使っていると減るし、黄ばんでくる。で「美人女医」がアドバイスしてくれたので、入れ歯の用の洗浄剤を買った。入れ歯の用に常時つけているワケではないし、食べ物を噛むわけでもないので週1回程度の洗浄をしている。今日は洗浄しておいて良かったと思った。「美人女医」は、そんなボクの気持ちにおかまいなく点検してくれる。「だいぶ減ってきましたね、少し足しおきましょう」などと言って、マウスピースの修正をしてくれるのだ。そうして、改めてマウスピースをはめて、噛み合わせを確かめてはシリコンを削り高さを調整してくれるのだ。マウスピースは、カタを取っているだけあって歯に密着する。付けたマウスピースを自分で取るのはたやすいが、他人が外すのはなかなか難しい。相手は患者であり客である。「美人女医」も「よいしょ」っとカワイイ声を漏らしながら、外すのだ。こちらもこちらで、マウスピースを外されるときに糸を引かないかと、ひやひやである。(笑)始めて見た「美人女医」の爪はキレイに切られていて、指の形もキレイである。何だか、そんな手をアゴに添えられてマウスピースの着け外しをされるだけでも緊張モノなのだ。土曜日の昼前の時間帯である。通院客も一段落して、落ち着いた一時。ボクは診察イスに座りながら、窓の外の風景をボンヤリ眺める。隣では「美人女医」がマウスピースの調整である。ときおり、一心不乱に調整に取り組んでいる女医に「今日、洗浄してきたんですよ」と余計なことをボクは言う。「このあいだ買ったんですが、たくさん入っているんですよ」「一年くらいもっちゃいますね。買うのがちょっと恥ずかしかったり」などと二人で笑うのだ。歯石取りに10分、マウスピースの調整に15分。何という贅沢な診察時間っ。そして「お大事に」などと女性スタッフ4~5人に言われて診察室を出るのだ。ああ、何という幸せ。(爆)水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/16
コメント(0)

玄関でインターフォンを鳴らしても、一向に出てくる気配がない。仕方なく鍵を開けると中は真っ暗である。既に20時を回っている。いつもなら、この時間は夕食後の団らんでTVを前に、家族が思い思いの格好で好きなことをやっているのだ。静まりかえった「リビング」はくつろぎの場として似つかわしくない。スーツを脱いでシャワーを浴びながら、どうしたものかと考えた。家内とひどい口ゲンカをしたときは、帰ってくるのもドキドキものである。ボクは臆病なくせに気性は激しい。臆病な自分を悟られないために、攻撃的になるのだ。ケンカをすれば「出て行け」くらいのことは平気で言う。いけないと思いつつも、家内の「忍耐」に甘えてしまうのだ。だから、そうしたケンカのあとの帰宅は一番緊張する。どんな顔をして会って良いか分からないし、万一、家の中がキレイさっぱり片付いていて家族がいなくなっていたら、どうしようと考えてしまうのだ。だが、ボクが臆病なのは家内が一番よく知っている。そうして、全てを知りながらいつものようにボクを迎え入れてくれるのだ。ボクはバツが悪くて、少しふて腐れながら「うん」とか「ああ」とか言いながら、その後に「ただいま」と続けるのだ。今朝、何があったかを考えたが、とくに思い浮かばなかった。リビングに戻って、思案していると「家族ノート」(8月3日「見える絆 見えない絆」)を思い出した。開いてみて安堵した。「子供たちと『夕涼み会』へ行ってきます」なあんだ。そうか。そう言えば、朝そんな事を言っていたっけ。家族のことは関心をもっているつもりだが、予定はついつい忘れがちである。ホっとしていると、玄関ドアがガチャガチャと音を立て、子供たちが帰ってきた。「あ、またパンツいっちょだ」「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)が叫んだ。子供たちは両手に買い物袋を提げている。近所のスーパーに寄ってきたのだろう。「お父さん、弁当でいい?」と後から入ってきた家内が声をかけた。ボクはいいよ、と答えた。「ロースかつ」弁当であった。「堅実」はケータイで誰かにめーるを送り、「忍耐」はヘッドホンステレオを耳につけながらマンガを読んでいる。「奔放」はゲームである。家内は「いただきます」と言ってビールを飲んだ。ああ、ウチはこうでなきゃ。そう思いながら満足するのであった。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/15
コメント(0)

最近の早帰りの日のパターンは末っ子の「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)とゲームである。と言っても2プレイでするワケではない。「奔放」は寝室に敷いた布団に寝転びながら「NINTENDO DS」を、ボクはあぐらをかきながら「プレステ2」である。家内は腰が痛むと言って「奔放」のベッドに潜りこむので、仕方なく夫婦の寝室に「奔放」が転がり込んでくるのだ。で二人でゲームなのだ。ボクも息子もそんなにゲーム通ではない。ボクは少し前まで、休日出勤など当たり前だった。「奔放」は幼稚園の頃からクラブチームでサッカーをやっている。土日、祭日はサッカー漬けである。試合や合宿もある。学校は6時間だし、遊ぶ時間も少ない。最近は仕事が少しラクになったので、ボクは友達から勧められた「ロボゲー」(ロボットゲーム)をやっているのだ。真ん中の「忍耐」も末っ子の「奔放」もサッカーバカである。外ではボール、家では「ウイニングイレブン」とほとんどサッカーである。ところが、ボクが「ロボゲー」などをやりだすものだから、好奇心旺盛な「奔放」は「オレもやりたい」となったのだ。家内曰く「ウチは子供が4人」と言うことで、ボクもわがままである。「父ちゃんが仕事のときにやってなー」などと言いながら、プレステを譲らないのだ。(笑)「そう言えば……」と思い出したことがあった。昨年、まだプロジェクトが進行していたころ、知り合いのコンサルタントからもらったゲームボーイアドバンス用の「スーパーロボット大戦」があったことを思い出した。何でコンサルの先生が子供用のゲームを持っているのかと聞けば、退屈な新幹線ではリラックスできる遊びがいいそうな。「もう飽きたから」と言うのでゲームをもらったのだ。それを「奔放」に言って、ゲームを引き出しから探して渡すと大喜びで始めた。もう2~3年前のゲームだと思うが、子供は大喜びである。もらったときからマニュアルもなく、操作説明も分かりにくいハズだが何となく触っているうちに分かるのだろう。ボクと一緒に寝室でやりはじめるようになったのだ。娘はもちろんだが、真ん中の「忍耐」も末っ子の「奔放」も反抗期である。ちょいと寄って行って構うと、ふて腐れる。だが、である。ゲームとなると話は別である。「父ちゃん、このAって何だろう」「アタックのAじゃないか」少しはやったことがあるとは言え、ボクもゲーム音痴である。(笑)実は分からないのだ。しばらくすると「あ、本当だ援護射撃だ」ってなもんである。意外とテキトーでも通用するのだ。週末はサッカーを一緒にやって、ちょいと父親らしいところも見せてやるとするか。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/14
コメント(0)

夕飯を食べながら何気なくパソコンの方を見ると、長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)が何かを打っている。ぱっと見た目、WORDである。「お前、何やっとんや」と尋ねてみた。「学校のレポートだよ」「WORDでか?」「そうだよ」ボクはギョっとした。ついでに聞いてみた。「EXCELは?」「1年のときにやったよ。POWER POINTも」ボクは目を剥いた。「堅実」は中2である。私立ではない。公立である。ボクらは仕事で「WORD」や「EXCEL」たまに「ACCESS」も使うが、プレゼンなどはほとんどやらないので「POWER POINT」のお世話になることは少ない。大学になると当たり前なのだろう、だから中学から習うというのは分からないではない。だが……である。ちょっと前まで、おむつを替えてやっていた子供が父親が仕事で使うツールを自然に使っているのを目の当たりにすると、子供が成長していることを痛感する。一方でボクとくれば、最近、子供の成長を前に親の沽券を保つので精一杯である。自分の価値観と生活設計ができていれば、そんな小さなことは気にする必要はないのであるが……。この先も、しばらくは呆けていられぬか。って、誰が世界征服を企むのやら。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/13
コメント(0)

寝坊である。昨日の夜更かしが祟ったようである。酒を飲みながら1時過ぎまで貯まったビデオを観ていたのが原因である。職場はフレックスなので、遅刻と言う概念はないのだが自分で立てた予定は狂ってしまう。最近、大きな仕事が終わったばかりでホっとしたためか、朝が起きられないのだ。強烈な克己心を持たないと、ダラダラしてしまう。久しぶりに買ったマガジンハウスの「ダカーポ」が面白い特集を組んでいた。「明るい、明るくなる話題がいーっぱい大集合!」である。誌面は小ぶりだし、130ページほどしかないが広告が非常に少ない。特集の企画がボクの興味をそそるので、ちょくちょく買っているのだ。ただ、特集記事は残念なことに「浅く広く」である。基本的に一つの切り口で見開き2ページである。資料の価値として期待してはいけないが、本当に興味あるものは、これらの記事をとっかかりにして自分で調べることにしている。ボクのここ1年ほどのテーマは「元気」「明るさ」「好き」である。「ダカーポ」の価値は「さわり」をてっとり早く掴めることにあるのだ。ざっと斜め読みするだけで、何となく分かってしまうのだ。この少量の記事から自分に響いてくるものを、自分で整理して掘り下げれば資料としての価値も出てくる。今回、目を引いたのは二つの記事1)平野レミさんのインタビュー2)明るい会社にするデザイン平野さんの明るさの秘訣は、ありのまま生きること。好きなことをやって生きること。好きを仕事にすることは、決して難しくはない。会社を明るくする方法は、アートを取り入れること。・見た人が違うものを連想するような絵・生きている感じがするもの平野さんの話は、興味深い。当たり前のことだが、実は自分が「本当に好きなこと」を探すのが一番難しい。ただ「好き」とか「自分らしさ」というはトレンドのようなもので、自分発見のためのツールやヒントになる書籍が結構売られている。職場にアートを取り入れるのは「心の癒し」誘い、元気になると言う。「これは一体何なんだ」と思うような絵は、コミュニケーションも活発になるだろう。目に入ってくるものが、普段の日常と異なるだけで心の持ちようも変わるというものである。寝坊して出社した上に、昼休みに会社の休憩室で昼寝をしていたら足に痒みが……。ちっ、ダニにやられたか。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/12
コメント(0)

サッカーのクラブチームに入っている真ん中の「忍耐」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)と付き添いで家内が合宿へ行くので朝の6:00過ぎに集合場所まで送った。少し前まで、サッカーの付き添いはボクの役目となっていたが、仕事が忙しくなったのをきっかけに家内にバトンタッチしたのだ。で、ボクは送り迎えの役目になったのだ。休みの日は、ついつい寝坊がちになってしまうものである。せっかく早起きしたので、日常の仕事の忙しさにかまけてできなかったモロモロを片付けることにしたのだ。長女の「堅実」と末っ子の「奔放」の昼食は家内が作った。「奔放」のサッカーの練習場所は学区内の小学校である。二人とも手がかからないので、ボクはいくつか仕事を片付けたあと、外出することにした。ラーメンのフードパークができたと言うので、そこへ出かけることにしたのだ。家内と真ん中が合宿、末っ子もサッカーの練習なのにボクだけおいしいものを食べるのは気が引ける。で、一応「堅実」と「奔放」に「ラーメンを食べに行くか」と尋ねると、二人とも「食べたくない」と言う。それなら、と心置きなく出かけることにしたのだ。立川まで足を伸ばして「ラーメンスクエア」に入った。ここには6店ほどのラーメン店が入っている。14:00少し前についた。昼時を外したのだが、行列とまではいかないほどに人が並んでいた。「河合我聞の店は外すべし」と聞いていたので、そうすることに。案内板があるところで、ターゲットを絞った。やはり九州ラーメンのこってりが食べたい。で、入ったのは鹿児島ラーメンの「我流風(がるふ)」と言う店である。メニューはいろいろあるが、まずはスタンダードなラーメンを食べないと店の味が分からない。この店を選んだのはラーメンの他にサイドメニューとして「豚とろめし」があったからである。前から食べたかったので、この店に入ることにした。まず、運ばれてきたのが「豚とろめし」である。豚肉をとろけるまで煮込んだチャーシューをほぐして、ご飯にかけてある。タレと脂とご飯が絡み合うと、濃厚な味わいである。250円だが、これだけでも良いような気がする。もう、いきなり混ぜご飯にして、がっついた。待つほどもなく、本命のラーメン登場。まずスープを頂いてみる。ボクはラーメン通ではないが、これまでの経験ではスープを一口のんで「おいしい」と感じたものは、食べ終わる頃には飽きているか、味が濃くて飲めない場合が多い。結果から言えば、このスープは濃厚でハッキリしているのに、最後まで飲ませるスープであった。レンゲですくうとサラっとしているのに、味は奥深い。「豚とろめし」とダブルで食べると、かなり腹にたまる。店に置いてあるお茶も、少し変わっていた。紅茶やウーロン茶などは、専門店で茶葉を買うほど好きであるが、ここのお茶の味はちょっと違う。見た目は麦茶だが、味はウーロン茶でも番茶でもない。詳細は不明だが、店の壁に「びわ茶」販売の紙が貼ってあった。もしかすると、これはその「びわ茶」かもしれない。このお茶が、胃に溜まったこってり系の脂を中和するようなさわやかさがあるのだ。うーん、今度は家族で来たいぞっと。ああ、そう言えばタイトルの「凝脂(ぎょうし)」とはイイ女の肌を例える表現であった。(笑)国語辞典によると「なめらかで、白く艶(つや)のある肌」そうである。また、タイトルのつけかたを間違ってしまったい。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/09
コメント(0)

一週間の事業所めぐり出張が終わって帰ってきたと思ったら、また外出である。忙しいビジネスマンを気取っているワケではないが、タマの出張、タマの外出は気分を変えるにはちょうど良い。もっとも、デスクに溜まっているであろうメモやメールを片付けることを気にしなければ、である。大したポジションについているワケでもないので、ケータイが鳴ることも滅多にないのだ。で「鳴らない」を前提にしているようなところがあるので、タマにケータイがブルブルしても、これまた気付かないのだ。今日の外出も然りである。休憩時間に思い出したようにケータイを開くと、「妹」からであった。「妹」と言うのは、少し前に「楽天日記」を綴っていた人である。「妹」と言っても、もちろん血は繋がっていない。一年ほど前に彼女のサイトを素通りしてしまい「ゴるぁっ」と呼び止められた。(笑)「ゴるぁっ」と言うのはウソだが、「何か書いてくれると嬉しいゾ」とやんわり言われ、それに返したレスが「楽天日記」での付き合いになった。多分、ボクより一回り年下である。会ったこともなければ、住んでいるところを知っているワケではない。一児の母親であり、一円でも安いスーパーを探して走り回る主婦の「鑑」でもある。親への仕送りもキチンとするし、旦那も立てる。が……自分の気持ちに正直すぎるあまり、ハートに火がつくと良い意味でも悪い意味でも「悩んデルタール人」と化してしまう奔放娘でもあったのだ。「衝動」と「抑制」が常に葛藤しているようで、見ている方が気が気でならなかったものである。だが女性は強い。この「楽天日記」でも彼女には随分世話になったし、「いじって」もらったものである。(笑)ボクも「お兄ちゃん」などと呼ばれ、脳天気に喜んでいたが自分自身の気持ちに整理をつけるとサイトを閉鎖して卒業してしまったのだ。ボクはと言えば、ひとつ成長した彼女を喜ばしく思いながらも、正直、ガッカリしたものである。で、この「妹」今でも思い出したようにボクにメールを抛ってくるのである。「元気かい? 夏バテしてないかい?」と来たモンである。今どきは、家内や娘からもメールなどは、飛んで来ない。その意味では嬉しいが、仕事中や出張中にメールを見ると「ギョっ」とすることもしばしばである。(笑)まったく、神出鬼没である。(笑)この「妹」にいつか会うことがあったら、言ってやりたいと思っていることがある。「おまえ、タバコやめんか」と。メールやネットの付き合いは、真面目な意見は時として伝えにくいものである。こちらの真意が相手にキチンと伝わるか不安が残るからである。ヘタをすれば「余計なお世話」と言われ、シマイだからである。まあ、元気で家族むつまじく生活していたら、それで良いのだが。って、この日記も読んでいるのかどうか。(笑)この日記は、7月5日のスペースに、7月10日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/07/05
コメント(2)

昔と違って子供たちに手がかからなくなった。長女の「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)は中2、真ん中の「忍耐」は小6、末っ子の「奔放」は小4である。「手が離れた」と言うには早いが、一通りのことは自分でできるようになった。「忍耐」が小学校に上がり地元のサッカークラブに入った頃は、毎朝6時前から親子で朝練をしたものである。練習のメニューは土日のサッカーの練習を見ながら組んだ。今は「忍耐」が自分でメニューを考え「奔放」と一緒に朝練である。子供の成長を喜び、同時に時が過ぎる早さに戸惑うと言ったところか。ボクは妹がいるが、小さい頃に何か一緒に稽古事をやった記憶がない。家内は妹と弟がいるが、年が離れている。ボクも家内も齢が近い兄弟が一緒に何かをすることを羨ましく思っているのだ。梅雨時である。今日は雨で、子供たちの朝練も中止である。ボクも仕事は代休を取っていて、朝はのんびりである。子供たちを送り出した後、二度寝である。10時頃のそのそと起きて、ケータイ向けに書いた小説を構成しながら数ページ分サーバーにアップした。小説を書くのは10年振りである。昔のように何かに取り憑かれたように一心不乱に書きまくる情熱はない。頭は書きたがっているのに体はそうではないのか、はたまた逆なのか分からないが脱稿までに時間がかかった。書き上げていざ、アップの段階になるとケータイからも読めるように配慮すると、これが結構細かな作業である。ファイルサイズ、レイアウト、目次の作成、キャラクターの紹介方法、広告の選択と位置決め……。気にしだしたらキリがない。頭で考え出すと、面倒で億劫になりパソコンに触る気がなくなるのだ。なまじ、書きあがっているだけに公開しないのは何とももったい気がして、さりとて面倒な作業がイヤで、アップがままならないという悪循環である。今日も代休をダラダラしていると、家内が「どっかへ行こうか」と言う。ボクは家内が好きである。子供と「家族一緒」も好きだが、二人でいるのも良い。特に会話をするワケでもないのだが、飲みたい時にコーヒーが出てきたり、こちらが考えることを家内が考えていることもあって、そのタイミングがちょうど良いのだ。愛情たっぷりなワケではない。長年、同じようなサイクルで生活しているので行動パターンが似てくるのである。こういった波長が自然に合っていると、リラックスできるのだ。「どっか行こうか」と言うのは「食べに行こうか」と言う意味である。「じゃあ、せっかくだから二人でムフフでもするか」と返したら「ばか」と一蹴された。(笑)仲間内で評判になっている「手打ちそば」や「石焼ビビンバ」「ラーメン」などいろいろ上がったが、「長崎チャンポン」に決まった。二人とも麺類が好きである。雨なので車で出かけることにした。家内はギョウザが付いている「ちゃんぽんセット」、ボクは味噌風味の「みそちゃんぽん」とギョウザを頼んだ。隣では、営業のサラリーマンとおぼしき上司と部下が食事中である。ボクは代休を取って家内と食事。ボクは事務屋だが、日頃から自分の実績(手柄というよりも何かをアウトプットすること)を出すことを考え続けている。休みの日も然りである。家に仕事は持ち込まないが、自分がなりたい自分になるためにしなければならないことを考え、模索しながら実行続けてきた。タマにはダラダラも休息であろう。多分、帰ったら家内と昼寝かな、と思っていたらやっぱり昼寝になった。あ、もちろん別々の布団です。(笑)この日記は、6月22日のスペースに、7月10日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/06/22
コメント(0)

日記を書かなくなって久しい。あっちの更新に忙しかったのかと言うとそうでもない。まあ、書きたくなくなってしまったのだ。登校拒否のようなものかも知れない。そう言えば、小学生の頃はつまらないことで学校へ行きたくなくなり、担任の先生に迎えに来てもらったこともあったっけ。カッコつけるワケではないが、この日記では悪口やグチ、嘘は極力書いてこなかったつもりである。日記と言えオープンである。更新すれば、多少なりとも人様の目にも触れるのだ。読んでもらった方に不快な思いはさせたくない。誰でもそうだろうが「書きたくない病」は、何か他に関心事が行っている場合が多いのである。気が進まないので、書く気にならないのである。こんな気持ちに、訪問者は敏感なハズである。つまらない気持ちで書いたものが、面白いわけがない。半ば適当な言い訳を自分にしながら、書きたくなるまで放っておいたら1ヶ月などあっと言う間であった。少し前まで、楽天日記を更新しない人が不思議で仕方なかったが、いざ自分がそうなってみると、更新しない毎日がごく自然である。(笑)今月、6月は特別な月である。ボクが楽天デビューしたのが、ちょうど1年前なのだ。「いつか家族と起業を」と考え、足跡を残すつもりで書き始めた日記は、いつしか起業と言うよりは家族との日常の触れ合いを残す記述となりつつある。それだけに、今月だけは気合を入れたかったが、この体たらくである。しばらく、リハビリのつもりで楽天日記を続けよう。そうそう。あっちで、ケータイ向けの小説を発表した。すべてネットにアップした訳ではないが、脱稿したので校正しながら徐々に公開していくつもり。400字詰めの原稿用紙に換算して100枚弱。中篇小説といったところ。しばらく、こっちを放っていたかと思えば、そんなことしていたのだ。嫌がる娘に無理やり読ませ「いまいち」のお墨付きをもらい、これまた無理やりキャラクターイメージを画像作成させてしまった。ケータイからの閲覧を意識した構成だがパソコンからも閲覧可能である。結局……起業とかカッコイイことを言いながらも、小説を書くことになってしまった。まあ、いっか。この日記は、6月20日のスペースに、7月10日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら携帯電話向け小説「アクティブ・ジャンプ」を発表しました。パソコンからも読めます。
2005/06/20
コメント(0)

GWも終盤である。と言っても、世間一般的には今日は平日である。家内はパートに出かけ、子供たちも学校である。ボクはと言えば、相変わらずフラフラしているのだ。仕事もせずに遊んでいるワケではない。溜まっている代休を、ここぞとばかりに使っているのだ。9連休である。パート先では、ぐうたらな自分達の亭主へ愚痴も手厳しい。揃いも揃って(と言っても小さい会社なので人数は少ないのだが)、亭主たちは9連休なのだと言う。「何で自分達が働いて、亭主は休みなの」と言うことらしい。2日に会社を休んだときも、家内はエラく驚いた。こっちにしてみたら「どうして休んじゃいけないの?」てなものだが、家内にしてみたら「予定が(遊びにいく)ないのに何で休むの」という感覚なのだ。で、パート先に足を運べば他の同僚たちの亭主も、皆休みと言うことなのだ。「金曜日も休みにしてるんだって。奥さんたち、文句言っていたわよ」「オレも休みだよ」(←何言ってんだくらいのノリ)「え!?」もう、濁点がついてしまうような驚き方なのだ。連休中は、子供たちもサッカークラブの大きな大会で埋まっている。恒例の行事なので、子供たちもそれが普通と考えていて、この10年ほどどこかに家族旅行したことはない。サッカーの付き添い(観戦)もするが、休みの中日はこちらもヒマである。勤務日は平均12,000歩/日という運動量(単に足が短いだけ?)だが、家にいると動かない。で、腹も出る。休みが明けて「ヒマだったので肥満になりました」などと駄洒落てもウケなさそうである。体調管理もできないと、阿呆と後ろ指をさされかねない。「ならば歩くか」と別ブログの記事ネタを探すためにフラフラと目的もなく歩いた。要領が悪いと言うか、トロイと言うか。こんな時に降ってくるのが雨である。(笑)傘は持っていたが、さすのが面倒なので帰りはバスに乗って帰ってきた。生協によって「冷凍餃子」と「冷凍讃岐うどん」を買った。300円ちょっと也。ああ、健康的な生活……。15:00を過ぎると子供たちも帰ってくる。長男の「忍耐」:「ただいま……。お父さん仕事いかなかったの」末っ子の「奔放」:「ただいまぁ~。お父さん仕事は? 休み?」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)4人で夕食を摂っていると長女の「堅実」が20:00くらいに帰ってくる。娘は、ヘタをすると普段、ボクが仕事をしているときよりも帰りが遅い。娘もボクに似て阿呆である。玄関に入るやいなや「ただいまー。お父さん、仕事は?」などとのたまう。ウチでは最後に帰る人が玄関のカギ上にあるレバーをかけることにしているので、ボクはもう帰っているのか?と聞いているのだが、玄関で大きな声を出せばマンション中に響く。「お父さん、今日も休みって言っているでしょう」と家内もやり返す。「今日も」って言うのが、ひっかかるのだが。人を遊び人のように言いやがって。ボクはボソリとこぼすのであった。この日記は、5月6日のスペースに、5月8日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/05/06
コメント(2)

今朝はいつもと少し違う空気がリビングに流れていた。文科系のぐうたらな大学生のような生活をしている中1の娘は普段通り、遅寝遅起きである。(笑)真ん中の「忍耐」と末っ子の「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)はサッカーの支度である。末っ子の「奔放」は市が主催するサッカー大会の決勝戦に出場するのだ。空気が凛としたものになっているのは、このためである。「忍耐」や「奔放」が所属するサッカークラブは、老舗である。部員も小1~小6まで100名を越す。2年生、4年生、5年生が決勝まで進んだのだ。「奔放」は4年生のキャプテンである。実は、昨年、別の大会(11月28日「涙……のち晴れ」)でも涙を飲んでる。相手は別のチームだが、乾坤一擲という心境だ。イヤ、捲土重来と言ったところか。他の学年の目もある。少々大げさだが、ここで負けるとメンツも潰れようと言うものである。「奔放」は末っ子で、文字通り細事に拘らない。のびのびとしているのだ。だが、ボクと家内は俄然、気合が入っているのだ。ボクらがハッパをかけないと、キャプテンである「奔放」のモチベーションも上がらない。決勝へ進んだことで、お祭り気分になっていては先はない。ここは、キャプテンが締めていかなければならないのだ。だが……。結果から言えば、今年も「奔放」は涙を飲むことになった。準優勝である。専制点を取ったが、後半で同点になり延長戦で逆転されたのだ。細かいことを言ってはキリがないが、試合内容はあまり良くなかった。昨年は「奔放」も足を捻挫し、転げ、満身創痍の状態になるまで善戦した。優秀選手に選ばれたが、足の怪我を理由にふてくされ表彰式にさえ出なかった。悔しかったのだろうと思う。ただ、それだけの獅子奮迅(←少し大げさ)の働きをしたように思う。だが、今年の動きはよくなかった。声を出しているが、自分は動いていなかったのだ。スペースを有効に使っていないので、攻めるにしても守るにしても他の選手と被り気味になってしまう。結果的に、ボールをもらっても抜くに抜けず、相手に取られてしまうのだ。「奔放」にしても言いたいことはあるようだが、終わった後では仕方ない。満足に働きもせず、ふて腐れていれたらひっぱたくつもりであった。「おまえ表彰式でスネたら、ひっぱたくぞ」と凄んだ。悔しさを忘れてはならないが、過ぎたことを振り返って腐るのは潔くない。腐って凹むくらいであれば、表彰台に立って「また来るからな」くらい、うそぶいて欲しいものである。家に帰って「父ちゃん、何もナシ?」と「奔放」が聞いてきた。優勝したら「キーパーグローブを買ってくれ」と言われていたのだ。「奔放」はキーパーではない。だが、友達と遊ぶときに使いたいと言うのだ。ボクは「サッカーバカ」が好きである。サッカーに限らなくとも良い。何かひたむきに打ち込めるものを持っていて欲しいのだ。遊び用としては贅沢だが、優勝したらラテックスを使った1万程度のキーパーグローブを買おうと考えていた。だが、準優勝で試合内容もそんなに褒められない。家内に言わせれば「論外」であろう。だが、モノは考えようである。そんなにサッカーが好きならば、好きなだけやらせてやれば良い。友達と一緒になって夢中になれば、うまくなろうと言うものである。「なら、安いヤツな」「奔放」は大喜びで、近くの量販店のスポーツコーナーにあったキーパーグローブを買ってきた。家内は呆れ顔である。夜は祝勝会に家内は出かけた。ボクはやることがあるので留守番である。「負けたんだから『縮小』せいや」と言ったら、また呆れられた。(笑)ダジャレくらい言わないと、おさまりがつかないと言うものである。夫の心、妻知らずである。この日記は、5月5日のスペースに、5月8日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/05/05
コメント(0)

朝起きたら、子供たちはすでに遊びに行ったあとだった。朝の8:30である。(笑)ゴールデンウイーク気分だが、世間的には平日である。長女の「堅実」は学校だが、真ん中の「忍耐」と末っ子の「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)は29日の授業参観(4月29日「音楽で、ふてくされ」)の振替休日なのだ。家内はパートに出るための支度をしているところだった。ボクも今日は思うところがあり、外出の予定だった。ひとつは、銀行口座を作るため。もうひとつは、システム手帳を改造するための材料を揃えるためであった。アフィリエイトプログラムを始めようと、別にサイトを作ったがそちらの方はまったく稼ぎになっていない。(笑)かなり地味なサイトである。もっとショップらしくして商品画像やバナー広告を貼りまくれば、多少はそれっぽく見えるかもしれないが、元来の不器用である。しかも、ほとんど自分自身にも役立つようなテーマ選んでいるので、記事をひとつ書くにもじっくり調べて腰をすえてかかっている。不器用な上に遅筆なので、更新がままならないのだ。ただ、最近、他のサイトを見学しているうちに刺激されるテーマを思いつき、チョコチョコと書き始めていたのだ。アフィリエイトプログラムをやっている人は分かると思うが、報酬の振込銀行を限定される場合が、ままある。金の出納はキレイで分かりやすい方が良い。給料の口座や、外出交通費の精算口座、つきあいで開設した口座以外に持とうとすると、コレと言った銀行を探すのも一苦労である。昨年開設したのが「新生銀行」で、今のところ振込手数料もタダだし、使い勝手も良い。が、アフィリエイトプログラムによっては、この「新生銀行」が不可の場合もあるのだ。そこで選んだのが「東京三菱銀行」である。「新生銀行」の口座を開設したときは、ワクワクしたものである。主要な都市銀や郵便局のATMを使っても引き出し手数料が24時間365日無料だし、振込についても月に5件まではタダである。アフィリエイトにはもってこいだと思ったものだ。今でも使い勝手はイイと思うが、アフィリエイトサービスの方で銀行に対応していなければ、致し方ない。一方の東京三菱銀行は、言っては何だがサービスはあまり魅力的ではない。「三井住友銀行」「UFJ」は既に開設しているので、残った銀行から選ぶとココしかなかったのである。「東京三菱」から住宅ローンでも借りていれば、それなりのメリットはあったのだがインターネットの決済専用となると口座維持手数料は無料の方が良い。となると普通預金の口座しか選択肢はない。もともと何のサービスもついていないような口座を好きで選んでいるので、本来文句を言えた立場ではないのである。ダラダラと着替えて、ちょっとは身だしなみを整えて近くの「東京三菱銀行」へ足を運んだ。実は口座を作るにあたって関心したことが、二つあった。1)手続きが早い2)ブログサービスを持っているである。「新生銀行」の口座を作ったときは、ボクの仕事がかなり立て込んでいたので、とてもお店に行く時間はなかったし、行く気もなかった。ネットと封書でやりとりをしたのだが、キャッシュカードを手にするまで2週間かかっている。口座番号を確認するのも1週間はかかっていたハズである。今回の口座開設は、急に入用になったので近くの店舗まで足を運ぶことにしたのだ。キャッシュカードは時間がかかるにしても、通帳は当日に受け取れる。問題は、待ち時間である。銀行の窓口は時間がかかる、というのがボクの印象である。連休前や25日などは、えらい繁盛である。9時30分に店に入って用紙を記入して、カウンターに座ったのが9時35分である。お姉さんが、てきぱきと手続きをしてくれ、通帳を受け取ったのが9時50分だった。愛用のフランクリンプランナーを開いて、予定を確認したり「ネタ」を仕込んでいるウチに手続き完了である。時間帯を選べば、ネットよりも窓口の方がサクサクいけてしまうのに、ちょっと拍子抜けしてしまった。もいっちょ、気になるのが「BizSTATIONブログ」という「東京三菱銀行」が運営するブログである。読み物としても面白くできているし、もちろんコメント・トラックバックも可能である。実際、辛口の意見も多い。IT事業部の原田さんがおっしゃるには「お寄せいただいたコメント、トラックバック等については、次回の更新から、本文中で、できるだけお答えしていきたいと思います。」とのこと。ブログは双方向のコミュニケーションツールである。とは言え、超大手の都市銀行が一消費者の意見など真面目に回答するのは困難だろう。だが、ブログを開設するという姿勢は好感が持てる。フリーダイヤルの相談窓口や広報に文句を言っても始まらないが、ブログを通して他の人の意見を読んだりコメントできるのは興味深い。さっそく「お気に入り」に入れてこの日記もトラバってしまおう。あ、システム手帳改造のことを書くのを忘れた。まあいっか。ああ、もひとつ……タイトル間違えました。「銀行でブログ」でした。この日記は、5月2日のスペースに、5月8日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/05/02
コメント(0)

このところ天気が良い。初夏の陽気である。家内は自転車を押して、ボクはその横に並んでテクテク歩きである。今日は「忍耐」と「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)の授業参観なのだ。従って、サッカーも休みである。帰りに買い物をすると言う家内は自転車なのだが、我が家には大人用の自転車は1台しかない。子供が3人いると、人数分の自転車は必要である。5台揃えるのも何だし、スペースもないので大人用は家内とボクで兼用なのだ。後からボクに追いついた家内は、ゆっくりこいでいるが歩いている方は、何となく急かされているようだ。何だか、下校時の中学生のカップルみたいなので「降りて押せ」とぼやいた。家内は少し不満そうだが、並んで歩き始めた。小学校の参観は朝から昼までのどの時間帯でもOKである。で、ボクらは午前中最後の授業とクラブ活動を観ることにしたのだ。末っ子の「奔放」のクラスへ行ってみると、生徒はいなかった。授業参観はどの時間帯でも良い代わりに、時間割を把握していないとこういった時に困るのだ。男親のボクはだらしないので、機転が利かない。家内のあとをトボトボついていくと音楽室に「奔放」はいた。音楽室は、正面から入るようになっている。大抵の教室は南側に窓があるとすると、教壇(黒板側)は西側にあると言う。生徒がランドセルや道具を置く棚は東側に位置し、出入り口、つまり廊下は北側にあるらしい。つまり、授業参観で教室に入るときは右側が先生で左側に生徒が互いに向き合った光景を目にすることになるのだ。これは、ほとんどの生徒が右利きなので、太陽光が体の左側から当たることを意識して設計されているそうである。教師と生徒の位置が逆だと、体の右側から光が差し込む。すると字を書くときに自分の右手がノートに影を落とし、目が疲労しやすくなるからだ。ボクらが音楽室につくと「奔放」は正面に座っていた。普段は授業参観と言えば、後姿しか見ないので違和感を覚えた。ボクらは、入り口で様子を見ることにした。もう一目見て分かってしまうのだが「奔放」はふてくされているのだ。ヤル気がないのである。先生の顔は見ようともしない。歌は口パクである。家内は音楽会やコンサートへは幼少から足を運んでいたし、ピアノも弾いていた。ボクもピアノは少々、トランペットはまあまあ、程度である。学校の成績は悲惨だったが、体育と音楽の評価は良かったのだ。子供たちも音楽は苦手ではない。問題は音楽の教師なのだ。保護者の間でも悪い評判しか聞かない。で「奔放」は昨年、先生がいやでサボリかけたことがあったほどなのだ。(10月19日「似たもの親子で学校サボリ?」)授業参観で聞いている限りでは、いくらか教条的な物言いが気になったがそれほどのことはない。が、家内に言わせればボロクソである。授業参観で感じる程なのだから、普段の授業はもっと悲惨だと言うのだ。まあ、そう言われればそうなのかも……と、ボクはまったく鈍感なのだ。もともと教師は多いのだ。一方で児童は少子化の影響を受けて、少ない。採用する教員が少ないので、年寄りばかりがヤケに目立つのだ。ヘタをすると自分のおじいちゃん、おばあちゃん位の開きがある先生に授業を習うことになるのだ。年の開きはさして問題ではない。ベテラン先生でなくては解決できないことも多いのだ。だが、中には教師に向かないような先生もいるのだ。それでも若いうちは、体力と気力で何とかカバーできることもあろう。だが、体力や気力が落ちると、もともと生徒たちから信頼に足りない教師は更に相手にされなくなる。それでは授業が成り立たないので、老害一歩手前のような教師が半ば力づくで自分を振り向かせようとする。そうして、その行為がますます子供たちを離れさせて行くのである。言ってみれば、子供の心を掴んで指導(必ずしも勉強だけではなくて)できる先生と、そうでない先生の差がハッキリと分かるようになってきているのだ。「奔放」もヤル気はないが、全く授業に参加していないワケでもなかった。心配になったので家内が「忍耐」の授業へ回ったあともしばらく見ていた。笑ってしまったのは、ふてくされながらも人の話は聞いていることである。授業中は、ボクの顔をみると変な顔をしてサインを送ってくるのだが、先生が質問をすると皆と一緒に手を挙げる。聞いていないくせにイイ加減だな、と思っているとどっこい違っていた。ちゃんと質問に答えて、合っていた。もっとも、ソッポを向いて答えていたが。ボクが同じくらいの頃は、みんなにつられて手を挙げて運悪く指されて質問に答えられなかったほどなのだ。ボクは内容のデキ不出来に関わらず、態度や姿勢には厳しい。その意味で「奔放」の授業態度は、我が家では厳禁である。家内から音楽の先生の話を聞いていなければ、ひっぱたいていたところである。その場の一面を見てすべてを判断して子供にあたってはイケナイと言うことらしい。因みに、真ん中の「忍耐」の授業はまったく問題なしで安心である。先生も長女の「堅実」が2年間世話になっており「忍耐」も今年で2年目である。つまり、長女が卒業してスイッチするように「忍耐」の担任になっているので、我が家でも4年目の付き合いなのだ。長女は卒業して2年になるが、いまだに年度変わりには友達と一緒に先生の教室の引越しの手伝いに行っているほどである。授業は歴史で古墳の話であった。小学校周辺の地図を縮小コピーしたものが配られ、大阪の「大仙古墳」がどのくらいの大きさか赤ペンでなぞらせるのだ。ボクとて、想像はつかない。子供の反応も様々で面白い。地図一杯に「前方後円墳」を書く児童や、はみ出して書く子もいるのだ。それに対して、先生は「大仙古墳」を同程度の縮尺にしたコピーを生徒に配り、切り取って比較させる。『ほほう、ウチあたりは学校の位置に古墳があるとすっぽり隠れてしまうではないか』とボクの方が関心して、フランクリンプランナーにメモったりしてしまうのであった。あー面白かった。追記:ボクと同じように授業参観へ行かれた方はいないかと探していたらAdvanceさんのblogを発見。(2005年04月29日 授業参観日とets)ウチと家族構成が似ていることもあり、親近感を持ちました。どこの親も同じだなあと、しみじみ。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/29
コメント(4)

連休を目前に控えていると、何となく気分もだらける。「集中力がなくなった」とうそぶいて、会社を早々にひけた。最近は、会社の同僚や友人と飲むのも億劫になって、ボクの通勤の動線は単純である。本屋のハシゴか電気の量販店でブラつくくらいである。家内との買い物は苦手なのだが(飽きて疲れてしまうので)、自分の気の趣くままにブラリとするのは時間を忘れてしまう。子沢山でローン持ちのサラリーマンに許される小遣いは、なかなか厳しい。この日記の他にサイトを持つようになってからは、Webの知識も多少必要になるのでそれなりに書籍代もかさむ。加えて、その月々に必要になった本も買わなくてはならない。抑えるつもりでいても、本屋に入るといつのまにか買ってしまうのでたちが悪いのだ。で、なるべく本屋には近寄らないようにしている。(笑)一方の電気店の方は足しげく通っているつもりはないのだが、何となく足を運んでしまう。大して見るべきもないのだが、吸い寄せられるように入った時に限って探し物が見つかるようなので、その感覚だけは大切にしているのだ。家内に言わせれば、ボクはケチである。ボクは、そう思っていないのだが、事あるごとに言われ、娘に対してもケチ(ボクに似て)と言うので、いつしかボクも「ああ、おれってケチなんだ」などと思ってしまうようになった。何だか犯罪を犯していないのに、誘導尋問にひっかかって洗脳されてしまう冤罪者のようである。(笑)ボクは、時間単位、週単位の目標管理をするのは苦手なのだが、決めたことについては我慢強く近づいて行く方である。金もソコソコ貯めて行く方なのだ。で、達成したときにパーッと使ってしまう。自分では、金に固執しているつもりはないのだが、家内にかかっては途端に「ケチ」になってしまう。考えてみれば、家内とつきあっていた頃は、バイト代や給料の大半をデートやプレゼントで貢いでいたのでケチと呼ばれる筋合いはないはずなのだ。自分だって、それなりにモノを贈られて喜んでいたハズではないか。本当のケチは、釣った魚にエサはやらないハズである。(笑)で、ケチなボクは量販店でワゴンセールの中に探し物を見つけては、小さな幸せに浸っている気の毒なサラリーマンなのである。少し前までは、発売されて時間がたって安くなったゲームソフトなどを買っていたが、最近のゲームは時間ばかり食うので阿呆らしくなって途中でやめてしまう。そこで、最近は映画のDVDソフトで安くなったものを買っているのだ。(4月8日「エイリアンよりも小悪魔の方が御し難し」)にも書いたが、20世紀フォックスでDVDソフトのキャンペーンをやっていたのだ。「BEST HITS50が今だけ¥999(税込)」と言う企画だったが、通常2,000円のソフトが897円だったので調子に乗って買ってしまったのだ。4月8日に「マイノリティ・リポート」と「ロード・トゥ・パーディション特別編」を買い、翌日に「エイリアン2完全版」と「デイ・アフター・トゥモロー」を。そして、次の日には「ダイ・ハード1~3」まで買って帰り、家族に呆れられたのである。(笑)先週は、どうせなら「エイリアン」も買っておかなきゃ、と思い店に行ったらキャンペーンは終わっていた。初回生産分だけ、とのことだったが、余りに早くキャンペーンが終わってしまったので少し驚いた。店の棚には「BEST HITS50」シリーズが幅を利かせているが、1,800円近い値札を付けられていると、それこそ半額の値段を知っているので阿呆らしくて買えないのだ。こうやって映画のDVDを買い始めてみると、ちょっと話題になった映画は買っても損はないことが分かった。とは言っても値段次第なのだが、気に入ってる映画は割りと何回も観るほうなのだ。回数を重ねてみると、ストーリーの細かい部分で気づいていなかった部分が理解できたり、展開も分かっているので映像の隅々までゆっくり観ることができるのだ。実は、この日は月曜日から3回連続で店に来ていた。気になるソフトが何本かあって、少ない小遣いでどれを買おうか迷っているうちに「迷うくらいならやめておけ」と家に帰っていたのだ。家内はジャニーズファンである。いわゆる売出し中のジャニーズのタレントよりも、バックで踊っている方に目が行ってしまうようである。ボクは「ビックリカメラ」(注:本当はビックカメラ)で見つけたワゴンセールの中に古い「SMAP」のDVDである。「森且行」がいて6人メンバーの頃である。かなり古いが新品である。4,800円の定価だが780円である。「心の鏡」と「はじめての夏」というタイトルだった。挿入歌は入っているが、舞台なのかドラマなのかがよく分からない。帰ってから家内に欲しいかどうか聞くと、欲しいと言う。「SMAP」が好きなのではなくて、共演者のJrに興味があるらしい。と言うことで、今日は「買い」にきたのだ。(笑)買ったのは「ファイナル・デスティネーション-特別版-」と「ゆりかごを揺らす手」である。ブエナ ビスタ ホーム エンターティメントが発売元となっているDVDである。2,362円だが、1枚買うと対象商品の中から好きな1枚を選べる仕組みになっているのだ。ボクはDVD映画にハマッているが映画に詳しいワケではない。テレビで見ていて面白かったものは、何となく頭に入っているのだ。どちらの映画も大作と呼べるものではないかもしれないが、妙に気に入っている。「ファイナル・デスティネーション-特別版-」は本編が98分と比較的短いが、特典映像に「もうひとつのエンディング」が用意されている。2000年に公開されたこの映画は、試写テストをやった結果、エンディングに難ありと言うことで10分程度のラストシーンを6日間、200万ドルかけて撮り直したものなのだ。この「もうひとつのエンディング」につられて買ってしまったと言える。「ゆりかごを揺らす手」は1991年公開の映画である。女性を主人公にしたサスペンスである。偏執狂的復讐劇が怖いのだ。ゴールデンウイークにでも観るとするか。って、どこにも出かけないところが妙に悲しいが、まあいっか。追記:やっぱりボクだけじゃなかった。「キネマ・アイランド」‘てくのすけ’さんのblogを発見。(2005年04月19日 DVD1本898円也。)コミカルなタッチで読みやすいブログです。モノを大切にされるところなんかは(4年使った携帯を買い換えたのだとか)好感がもてます。気になるDVDは、皆さん同じなんだなあと思いながらも、最終的に買うブツは好みが分かれるのは仕方ないところ。にしても、10本くらい買っちゃうのってボクだけなんだなあ。(笑)この日記は、4月27日のスペースに、5月1日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/27
コメント(3)

自動販売機で電車のキップを買ったとき、あなたは、キップとお釣り、どちらを先にとりますか?こんな書き出しがあるのは頭がいい人の習慣術 この行動・思考パターンを知れば、あなたは変わる!( 著者: 小泉十三 | 出...である。コンビニで立ち読みした本だが、ついつい気になってパラパラとめくってしまった。頭は悪いよりは良いほうがイイに決まっている。この本では、仕事ができる人とできない人の違いについて「頭の良さ」と「習慣」と冒頭から、はっきりと言い切っている。ちょっとしたコツを知っているか否かで、仕事は大きくはかどるものなのだ。コツを知って実践することで身につくことを分かりやすく説明している。売れる営業マンのハウツー本などは多く出回っているが、ビジネス進める上で勘所となるような本はなかなか少ない。この本に書いてあることを実践しても、知能が高くなるわけではないが時間を有効に使う鍛錬になる。この日頃の積み重ねがいずれモノを言うようになるのだ。仕事の段取りとはそんなものである。センスのあるなしは如何ともしがたいが、最後にモノを言うのは努力なのだ。ただ、努力の方向が間違っていればトンチンカンな結果になることは言うまでもない。ところで、冒頭の設問に対するボクの答えは「お釣り」であった。この答えについて「誤り」と言う表現はない。ただ、興味深い表現はある。1)たいていの場合、自動販売機で買ったモノは、お釣りよりも値段が高い。2)だから、値段の高いモノのほうを先に確保しておくべきだ。些細なことである。一見、どちらの答えでも良さそうである。だが、モノ先派にこうした考えがあれば説得力があると説明している。著者は、些細なことの論議をしているのではない。どんなことにも優先順位をつける習慣が、段取り上手につながり時間を効果的に使えることになると言っているのだ。「師は一流の師につけ」と言う。一流の技を日頃から身に着けれる環境にあれば、上達は早い。仕事の段取りもコツである。段取り上手のちょっとしたコツを真似ることが、上達の早道と言える。そういったエキスをこの本はあちこちに散りばめられている。日頃、自分の行動を振り返る日記やメモをつけている人で、段取り上手との「差」がどこにあるのか分からなかった人は、目からウロコモノである。タイトルはおふざけであるが、実はこの本に書かれていることが普段からできている人は、日常生活もスマートなハズである。仕事ができる人と言うのは、基本的にモテるのだ。……と信じている。で、ボクはこの本に書いてあることを明日から実践しようと考えているのである。(笑)水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/17
コメント(2)

虫歯の治療が終わって2ヶ月になる。昨年、奥歯が欠けたのが分かって歯医者へ行った。欠けた原因は、虫歯であった。歯の隙間にできた虫歯が気づかないうちに進行し、あるとき粒ガムを噛んだ瞬間に逝ったのである。虫歯防止用のガムだったが、遅かった。(笑)この時にお世話になったのが、家の近くにある歯医者さんであった。この歯医者さん、院長以外は全員女性スタッフでなかなか粒が揃っているのだ。ボクは基本的に口にモノを突っ込まれたり、いじられたりするのが苦手である。初診の時のレントゲンから手をやかせてしまった。こんなボクを親身に診てくれたのが、お気に入りの「美人女医」である。楽しい一時であったが、治療は終わってしまった。ただ、ボクは「歯ぎしり」という持病を持っているのだ。そこで「美人女医」の手によるマウスピースを作ってもらったのである。現在は、月に1度、歯とマウスピースの点検のための診療である。ボクはプレッシャーとストレスと痛みと女性には滅法、弱い。それはもう、だらしないほどなのだ。(笑)そのことは、歯医者さんのスタッフ全員が知っている。カッコ悪いところを知られている、というのはある意味強い。飾る必要がないので、ラクである。もっとも歯医者さんで、自分を飾る必要はないのだが。今日は、月に1回の歯医者さんの日なのである。ボクの診察は基本的に土曜日である。午前最後ごろの診察あたりに予約を入れられることが多い。昼前なので、患者もほとんどいない。考えようによっては、スタッフ総出で迎えてもらっているようなモノである。今日は「美人女医」ではなく、助手の「センセー」(12月11日「サディスティックに責められて」)が担当である。歯石とりや歯周病のチェックだと思っていたら違った。知らないうちに院長がいて「こんにちは」と挨拶され、こっちがビビってしまった。歯のチェックをしていて、虫歯があったらしい。「今日は、磨り減っている奥歯を治療しましょう」とフツーに言われてしまった。予定外である。単なる検診程度の軽い気持ちが、いきなりデフコン「5」くらいに跳ね上がり心臓はバクバクものである。「ちょっと痛いけれどがまんしましょう」などと、この院長はさっさとガリガリとやってしまうのだ。で、ボクは「はがっ」とか「ひたい」とか言いながら、またもやカッコ悪いところをさらけ出してしまうのであった。ものの数分である。ホッとしていると、傍にひかえていた「センセー」が後のフォローとしてツメものなどをしてくれるのである。この「センセー」かわいいくせにやることが大胆である。一度、脂汗がでるほどに責められたことがあるが、最近はとても優しいのだ。左の奥歯の治療だが、歯の側面である。治療しにくい部位なのか、ほとんど真横に顔を向かせられた。痛いのは怖いので、基本的に目はギュっ状態である。だが、ふっとした拍子に怖いもの見たさのように目をあけると、目の前は「センセー」の胸なのだ。見てはいけないと思い、またギュっと閉じるのである。目を閉じていると、おでこに何かが当たるのだ。「ん?」と思いうっすらと目をあけると、目の前に「センセー」の胸があったりする。オッサンでも心は少年である。こういうシーンでは、ドキドキしてしまうのだ。(笑)歯の治療である。どう考えても胸がおでこに当たるとは思えない。多分、治療する際に「センセー」の肘がボクのおでこに触れるのだろう。そうは思うのだが、屈んで治療部位を見ようとする拍子に胸が寄ってきて、ボクは不覚にも妙な想像をしてしまうのである。「あかん」と思いつつも、心と下半身が♂であることが恥ずかしい。(笑)診察が終わり受付で会計をすませた。受付のお姉さんは、受付兼助手である。このお姉さんは、ルックスもなかなか良いが、字がキレイなのが好感が持てる。小さな診察カードは小ぎれいな字で埋まっているのだ。「次から2週間に1度にしましょうね」『ん? 1ヶ月に1度だったハズ』と思いつつも「お願いします」と言ってしまう♂の習性であった。(笑)まあ夜のお店で「またね」と淫靡に囁かれるよりは、よっぽど健康的であるか。妙な納得のさせ方だが、家内は納得がいかないらしい。「また虫歯?」とは言いつつも、歯はボクの方が丈夫である。家内と「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)もこの歯医者さんにはお世話になっているのだ。しかし、これは院長の策略にまんまと嵌ったか。そ他の「歯医者」ネタは↓こちら。しかし、ようこんだけ阿呆を書いたものである。2月26日「美人女医は、しばらくお預け」2月12日「美人女医と二人きりで、やさしく付けてもらう」2月5日「美人女医に口元を拭いてもらう」1月29日「美人女医、顔が曇る」1月15日「美人女医にやさしく入れてもらう」1月8日「隣の女医は誰とする」12月4日「歯科医には美人先生シカイない」12月18日「美人女医の慈悲、ヌケ作の矜持」11月27日「美人女医と宴ジョイ」水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/16
コメント(0)

楽天日記で今でも思い出深いのは、この日記の掲示板への初カキコである。書いてくれたのは、沖縄のミュージシャンであった。女性である。しかも……若い。(笑)誰でもそうだったと思うが、初めて触るブログシステムは勝手が分からず戸惑うことが多かった。そんな中で、初めての書き込みである。ニックネームがローマ字だったこともあり、楽天スタッフによる歓迎の書き込みかと思ったものである。独自でWebサイトを作ったことがある人なら分かると思うが、「アクセスを得る」と言うことは容易なことではない。大海の孤島状態なのだ。無名で始めるサイトである。当たり前のことだが、どんなに質がよく面白いサイトであっても「そこにある」ということを知られなければ訪問者はない。サイトを立ち上げたら、自然に訪問者がやってくると言うことはないのだ。楽天やライブドアなどの大手が手がけるサービスは、サイト管理者の横方向へのコミュニケーションも作りこまれている。日記を書けば、新着として扱われ「楽天村」の管理人達に周知される。誰かが何かを書けば目に触れ、面白そうであればアクセスしてみることが可能なのだ。テーマ別の投稿やジャンル別によるランキングなどで露出度が高くなれば、読まれる機会も多くなろうと言うものである。考え抜かれた環境で始める楽天では、日に100アクセスを稼ぐのは容易であっても、独自で始めたサイトでは1アクセスを得るのもかなり困難なことが多いのだ。当時のボクはそんなことも知らなかった。ボクがこの日記を開設したのは昨年の6月29日である。翌日に彼女から書き込みがあったのだが、阿呆で呑気なボクは書き込みを書き込みとも思わず「サービスが行き届いているなあ」などと思っていたのであった。(笑)いろいろといじくっているウチに彼女のサイトへジャンプすることになって、かなり驚いたものである。「えっ? 書き込み? フツーの一般人からの」と正に目を疑うような感じであった。向こうは、ミュージシャンである。芸能人である。いきなり背筋がピンとなり、鼻の下は伸びるような不甲斐なさである。本人が日記を書いているとは限らない。事務所やマネージャー、誰かが書いていることもあろう。だが、訪問者のメッセージ、しかも初カキコは記念すべき日と言えたのだ。その頃は、というか今でもそうなのだが掲示板へのカキコに対する返事を、自分の掲示板にするべきなのか、先方の掲示板にするべきなのか非常に迷った。迷っていても仕方ないので、こっちとあっちの両方書いた。メッセージをコピーするだけのマルチポストは、少し抵抗がある。で、表現や内容を少し変えて両方のサイトに書き込むことにした。このやり方は、自分の信条に基づくものだが、友達が増えると結構大変である。もっとも、この仮想空間でも現世でもボクは友達が少ないので、いまだかつて大変な思いはしたことがないのだが。(笑)一方で、この楽天にも困ったことがあった。掲示板や日記への書き込み制限である。初めて飛び込んだ仮想空間の世界である。日記に書き込まれた時の嬉しさは、他の人でもやはり同じであろう。そう信じていた。素直だったボクは、気になった日記には書きこみするように心がけた。ある時、すごく読ませる日記に巡り合って「いっちょ、感想でも……」と考えた。掲示板を見ると、書き込みがない。「良いサイトなのになぜ、誰も書いていかないのかなあ」などと、これまた呑気に考え、推敲に推敲をかさねて「書き込み」ボタンを押すとエラーのメッセージが……。もう絶句である。「こう言うオチかあ」落ち込んでひどく、納得である。そら、誰も書いていないワケである。ボクは自己中である。純粋な気持ちを裏切られたようで、無性に腹立たしかった。書き込み拒否を設定してあるサイトなら、掲示板を表示させないようにするなり、メッセージが自動表示されるようにするのがシステムの配慮と言うものである。それがなっていない。もうプンプンである。腹立たしかったが、腹いせをぶちまける友達がいないと言うのは情けない。(笑)で、もうスレるしかないのである。釣りをする人は知っていると思うが、エサに見向きもしない魚の状態を「スレている」と言う。ボクはまさに、楽天ではそんな人種になってしまったのだ。サイトの訪問をしても滅多に書き込まないのである。ヤレヤレである。だが、まだまだである。楽天の世界は奥が深いのだ。書き込み拒否のシステムがなっていないと言って、油断していてはならないのだ。安易に他所さまのサイトに訪問すると今度は「ご訪問ありがとうございました」メッセージが届くのである。(笑)これは、他のブログを使ってみると分かるが、このカルチャーは楽天日記独特のものである。良くも悪くも、他のブログサービスは楽天ほど、横方向のつながりが作りこまれていないのだ。そのため、アクセス解析が装備されていても、ゲスト・メンバー問わず訪問者が誰なのかは分からないのである。別に「ありがとうございました」メッセージ自体は歓迎である。基本的に書き込みは嬉しいのである。で、折り返し訪問してみると、ボク以外にも「訪問お礼に対するお礼」メッセージが書き込まれている。つまり、訪問者がある都度、まったく同じメッセージを誰彼問わず、コピーペーストしているのである。これにも正直、驚いた。気持ちとか心と言うものがあれば、多少、表現は変わるのではないかとボクは思うのだ。ボクは、ますますスレてしまった。だが……である。まだまだ、なのである。この楽天には未知のツワモノが、もっといるのである。その名も「ペコリン」ちゃんである。因みに小倉優子は「ユコリン」であるが、これは本筋とは関係がない。「ペコリン」ちゃんとは、ランダムで飛んでは着地先のサイトで、ご丁寧にも同じスタンプ(コピペのメッセ)を押して行く管理者である。「ランダムで飛んできました~」程度ならカワイイ。むしろ、ランダム機能と言うのは、そう言うものであり、この楽天のカルチャーを考慮すれば、当然あってしかるべきコミュニケーションである。だが、巧妙な人もいるのである。挨拶や自己紹介がうまく、比較的メッセージの量もあるので「熱心な人だなあ。ボクも見習わなきゃ」とお礼に行くと、そこの掲示板でも同じような他サイトの管理者からのお礼のメッセージが残されている。「あれれ?」と思い、そのサイトから先のリンクへ飛ぶと、ボクのサイトに残されたメッセージとまるっきり同じメッセージがっ。「あーれー」と絹を裂くような女性の悲鳴でも上げてしまいそうになるのであった。ボクは、ますますスレてしまった。まったく「あーあ」ってなもんである。掲示板の話題だけに「スレが立つ」なんてダジャレを言うのも疲れてしまう。(笑)関係ないが、ボクがあっちで運営するサイトに始めての書き込みがあった。書き込みのメッセージを知らせるサインが携帯にあり、飛び上がるほど嬉しかった。この楽天で、彼女から初めて書き込みがあったときの事を彷彿とさせた。その相手とは……。「人気ブログランキング」様うーん……。興味あるんだけれどねー。まだ、参戦する気にはなれません……。基本的にブログを続けられるかも分からないのに、ジツリキがあるのかどうか。しっかし……。思う人にはまったく思われず、思われもしない人から思われるようなものである。ちなみに、こっちは「ボク」の一人称で「である」調。あっちは「私」の一人称で「ですます」調……。こっちを読んでから、あっちを読むとちょいとキモいことが分かった今日この頃。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/10
コメント(4)

仕事を早めに終えて向かったのはビックリ○カメラである。2週間ほど足を向けていなかったのだが、昨日今日と連続である。お目当てはDVDソフトのフロアである。同じフロアには、TVゲームのソフトも置いてある。ボクは決してゲーマーではない。仕事が忙しかったこともあり、しばらくゲームともご無沙汰だったのである。新作もしばらくたつとBEST版で再販売されるので、気になったゲームは安くなってから子供たちとやるのである。今日はDVDソフトの購入が目的だった。昨日、ぶらりと店に入って目にとまったのが、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」であった。前から見たいと思っていた映画だった。レンタルビデオで借りても良いのだが、話題になった映画は「持っていても良いかな」などと思ってしまう。で、見たことなくても安ければ買ってしまうのだ。このDVD、897円なのだ。そりゃ、買うでしょ。と言うのも、20世紀フォックスでBEST HITS50が今だけ¥999(税込)と言うキャンペーンをやっているのだ。通常、2,079円と言うソフトである。ビックリ○メラの店頭価格は897円となれば、ついつい買っちゃうのだ。一緒に買ったのは「ロード・トゥ・パーディション特別編」である。これも前から気になっていたものである。ちなみにこれも897円であった。何せ、ベストヒット50である。いろんなタイトルがあるのだ。とりあえず買っておいて、損はない。喜びながら家に帰ったら、家族は呆れ顔である。「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)は愛娘であるが、日増しに無愛想になりボクになど眼中にないようである。「『エイリアン2完全版』も捨て難いんだよなあ」と言うと「あ、前に見たことある。それならもう一度みたいな」と来たもんだ。だが、中学生の娘が「エイリアン2」と言う。もうちょっと、マシな映画をリクエストしても良さそうなものだが。ボクは親バカである。ならば、とよせばいいのに今日は「エイリアン2」を買いに来たのである。何だか897円のソフト1本買うのもビンボー臭い。お店の人に「あ、こいつまた2日連続で買っていきやがった」などと舐められてはたまらない。ついでに「デイ・アフター・トゥモロー」も買うことにした。これはビックリ○カメラの1番人気(ベストヒットシリーズの)のソフトである。家に帰ったら、また呆れられた。「堅実」に「おい、エイリアン2でも見るか」と言ったら「ひとりで見たい」とそっけなくも可愛くないセリフである。こんな時に可愛いのが末っ子の「奔放」である。タイトルを聞いて「見る見る」と積極的である。結局、始まって5分で寝てしまったのは「奔放」である。(笑)ボクはリビングであぐらをかきながら、ビデオを見て、「堅実」はダイニングでケータイメールをやりながら、ボクと一緒に見たのである。「エイリアン2完全版」は以前にもテレビで見たことがあった。テレビの放送はノーカットだったハズだが、DVDにはまったく見たことがなかったシーンがあり新鮮な感じがした。知っている人も多いと思うが「エイリアン2」は、エイリアンを退治に行くストーリーである。主人公である女性航海士のリプリーが、前作では救命ポッドで脱出したところで終わるのだが「2」では、そのポッドを回収するシーンから始まる。その後、リプリーはエイリアンが発見された惑星で連絡が途絶えた惑星に再び向かい、エイリアンと死闘を繰り広げるのだ。DVDの完全版には、エイリアンに襲われて連絡を絶った居住者達の生活が描かれていて、リプリーと行動を共にすることになる唯一の生存者であるニュートの伏線も見ることができた。これはテレビではカットされたシーンである。(だったハズ)まあ殺伐とした映画で、終わった後も爽快感はないが、もうこう言うむちゃくちゃなアクション映画が大好きなのである。家内は子供たちの教育によろしくない、と眉をひそめるが「堅実」には効果がなかったようである。ついでに言えば、家内は見たこともない映画をDVDで買ってしまう行動が理解できないらしい。安いんだから、いいぢゃんと思うのだが。もっとついでに言えば「ダイ・ハード」シリーズ(1~3)も897円なので、明日にでもまた買いに行きたいと思うのだが、今度こそ呆れられてしまいそうである。まあ、いっか。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/08
コメント(2)

昔、「女衒」と言われたことがある。女衒とは、その昔、女を遊女屋へ売る稼業をしていた者のことである。もちろん冗談で言われたのだが、「ゼゲン」と言われてその意味が分かってしまうのが哀しかったものである。言ったのは、人事の役員であった。フツーの人ならば、縮み上がってしまうかもしれない。だが、ボクは全然こたえなかった。肝が据わっているのではない。ボクはむしろ、ちっちゃい方である。(笑)と言うのも、ボクは昔人事系の職場にいたことがあり、そのときの上司だったからだ。冗談を言われたのも酒の席である。この役員が言ったことも、実はそんなに外れていなかったのである。同僚の女性と席がいっしょになったので、いろいろ話していた。話題が誕生日のことになり、たまたまボクが彼女の誕生日を覚えていたのでちょっと触れただけなのだ。彼女でもない女性の誕生日を覚えていることに(本当にタマタマだったのだが)、この役員上司は驚いたのである。また、運が悪かったというか何というか、他の女性の誕生日も正確に……ではないが、ほぼうろ覚えで掠めたので「何で、女の人のことなら覚えているんだ?」と笑われたのだ。件の「女衒」という揶揄は、その時に言われたものである。「女の人のこと『なら』」と言うのもひっかかるが、普通は女衒などと表現はしない。もちろんボクは人身売買などしないし、女の子を騙したこともない。せいぜいウソをつくくらいである。騙すこととウソの違いは自分でもよく分からないが、まあ卑劣なことはしてこなかったつもりである。実は、この時の言われたことがきっかけで、自分を振り返るクセがついた。ボクは確かに女の人のこととなると、どうも違うようなのだ。不思議なことだが、一度見た女の人の顔はまず、忘れない。さすがにすれ違っただけとかはムリだが、通勤電車で一緒になる人であれば、まず覚えている。いつも同じドアの前に立っているとか、同じ席に座っている、なら当たり前だが、そうでなくとも何回か顔を会わせていれば覚えてしまうのだ。で、休みの日に買い物へ行ってスーパーなどで見かけると「誰だっけ……」と記憶をさぐり始め、家に帰り風呂に入っている頃に思い出すという具合である。と書くと「一度見た顔は忘れない」と言うのは少し大げさか。(笑)ボクは祖父の顔はよく覚えてないのだが、両親が言うには、どちらの(父方も母方も)父も女性にはよく持てたと言う。本当に持てたのか、持てたつもりで一人で滑っていたのかは、定かではない。母は三人姉妹だが、母を含め叔母たちは自分たちの父親のことをあまり良く言わない。悪口も言わないが、女性関係に関してはあまり話さないのだ。祖父は自信過剰で「あの女はオレに気がある」くらいの事をよく自慢げに言っていたらしい。ここらへんが、娘たちの反感を買ったのかはよく分からない。で、ボクや従兄弟などは「お前たちも気をつけるんだよ」と、何を気をつけるのかよく分からない注意を受けたものである。まるで「女難」の卦があると言わんばかりではないか。(笑)今のところ、我が家では小悪魔に手を焼いてはいるものの平穏である。実は、このサイトにたまに来てくれる人で気になっている人がいる。アクセスログに足跡を見たときは、ボクも行くようにしているのだが、どうも引っかかるのだ。どこかで見たことがある気がするのだが、それを思い出せなくて気になっているのである。この楽天日記は他のブログサービスと違って、横方向のコミュニケーションがとりやすくなっている。その中でも特徴的なのが、アクセスログに表示されるニックネームである。このニックネームから、訪問者の管理サイトへジャンプできるのは、サイトの管理人であれば誰でもしっているだろう。だが、他のブログでは、こういったサービスお目にかかれない。「よく来てくれるなー」と思って、その人のサイトへ飛ぶと、自分がよく行くサイトの管理人と懇意だったりする。で、実はそこのサイト経由から、こっちへ来てくれていた、みたいなことが分かったりすることもあると思う。「見たことがある気がする」と言うのは、もちろん現実のことではない。どこかでニックネームを見た気がして仕方ないのだ。この楽天ならば、それは十分ありえるのだが、もっとずっと前にどこかで見ていた気がするのに、それが思い出せずもどかしいのだ。やっぱり顔を見ていなければ、女衒の威力は発揮できないか。(笑)漢検準2級を持っている「堅実」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)に聞いてみた。「おまえ『ぜげん』って知っているか」「知らない」知らなくてホッとしたような、残念だったような。(笑)まあ、いっか。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/07
コメント(6)

家内とのデートは久しぶりである。久しぶりと言えば、京王線に乗ったのもそうである。明治座へ、黒木メイサ主演の舞台「あずみ」を観に行ったのだ。家内はジャニーズの「生田斗真」ファンである。この舞台のために「あずみ」の原作マンガを古本屋で1巻~5巻まで買ってきた。何気なく読んでハマったのがボクである。このマンガの舞台なら見てみたいと思った。家内とは4年ほど前だったか、宝塚の舞台を観に行ったことがあった。が……不覚にも上演中に寝てしまったのだ。楽しみにしていたのだが、川上音二郎の「オッペケペー」と分かったとたん、何だかテンションが下がってしまったのだ。それ以来、家内から「お誘い」はない。だから、今日は同じ轍は踏んではならないのだ。子供たちは今日から学校である。ボクは代休で連休だったが、今日は普段と同じように起きた。仕事へ行かないとなると、気も緩む。眠くなる。「アカン」と思い、朝食を済ませたあと、また寝ることにした。ここで寝ておけば、家内も安心するのだ。劇場では眠らないだろう、と。贅沢な休日である。(笑)明治座に入る前に「今半」でステーキ丼を食べた。子供たちには悪いと思ったが、何せ久しぶりのデートである。奮発である。明治座の舞台は感激だった。ボクらの席は前から2列目でボクの横は花道である。「生田斗真」が「黒木メイサ」が熱演である。「長谷川純」もいた。舞台は、役者の気魄が押し寄せる。重厚なのは、空気の振動である。音は空気を振動させて鼓膜に伝わるが、ボクが感じた振動はそれとは違う。役者が腹から出す声(一応マイクはあるみたいだが)は劇場の空気を震わせ、魂に反響するようだ。足音の響きや殺陣から発するオーラが観客にも伝わり、観客もその臨場感に共鳴してみんなが一緒になって息を呑んだ。内容は舞台用にアレンジしているので、原作とはだいぶ趣が異なる。原作の良さを失わない程度に、現代風のセリフに変えているところもある。もともと原作の「あずみ」は殺伐としているが、舞台では幾分コミカルに仕立てて、華やかな雰囲気を出しているのだ。観客を利用した「サービス」も好感が持てた。生田や黒木など主役級の衣装は、刀を持っているとは言え忍者装束ではない。着物でもない。服にブーツである。黒木メイサはグレーのTシャツの上に袖をとったジーンズのジャケット、同じくジーンズの短パンであった。「服」とは言っても、なかなか巧妙に作られていて自然な感じである。黒木メイサは、正直この役に合っているのかどうか疑問だったが、今日の体当たりの演技には好感が持てた。休憩時間にロビーで「ベッキー」に遭遇。というか、すれ違っただけだが。たまには、こんな休日も良い。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/06
コメント(0)

痺れるような快感を受ければ、咆哮モノである。とまあ、のっけから何であるが。(笑)朝、何気なく起きてテレビを見ていたら、北海道日本ハムファイターズの新庄剛志選手がテレビに出ていた。誰が見ていたのだか、テレビにはヘッドフォンがつけられていて無声映画のようである。大方、家内がDVDを見ていて、席を立ったままそれっきりになったのであろう。ボクは寝ぼけた頭を覚ますために、キッチンにあったコーヒーを注いだ。画面では、新庄選手の活躍が映し出され、そのテロップだけを見ていても尋常(←「しんじょう」じゃないヨ)でない活躍が見て取れた。ボクはあっちに別のブログ形式のサイトを運営しているが、テーマは「元気」である。起業家やスポーツ選手、有名人の多くは成功者と言える人たちである。彼らに共通しているのは、みな「元気」であるということだ。ショボンとした成功者を見たことがない。強運の持ち主は、そのバイタリティで運をも引き寄せる。みんなが元気になれれば幸せである。みんなが幸せになれれば、世の中も幸せになる。幸せの一歩は、一粒の元気が生み出すと言っていい。まだ、とっかかりだがあっちでは、その元気の研究を行っているのだ。ボクは手帳魔である。基本的には、風呂トイレ以外は、つねに手帳は手元にある。バイブルサイズのシステム手帳だが、バッグに入れないで直接手に持ってすぐにメモできるような体勢でいつもいるのだ。そのために自作のワイヤーストラップをシステム手帳につけたくらいである。(3月28日「レッドゾーンまで燃えさせて」)テレビで目が覚めてしまい、コーヒーもそっちのけでヘッドフォンを抜き取った。即メモである。(笑)新庄選手と言えば、平成12年に阪神タイガースが提示した12億円の契約金を蹴って、大リーグ行きを決めたナイスガイである。最低保証の2,400万円を出したニューヨークメッツを選択することは、誰にでもできる行為ではない。この人のトークは軽妙である。見ているだけで元気になるのだ。「とにかく人を楽しませたい」言うだけのことはあるのだ。プレーで、トークで被り物(カエルやゴレンジャー)で楽しませてくれる。この「元気」こそ、ボクが求めているものなのだ。自分が元気でいられて、人にも元気を与えられるようになる秘訣をずっと探していたのだ。今もって、まだこの秘訣は分かっていないがあっちで実践していることは、生涯のライフワークとして考えたいのである。これまでに、著名な人の「元気のみなもと」をあっちで紹介してきたが、成功者に共通しているキーワードがいくつかある。1)好きなことをやっている。2)常に新しいことに挑戦している。3)過去(栄光など)を振り返らない。4)いつまでに何をするかハッキリ決めている。5)へこまない。実は、元気の秘密はこのあたりにありそうな気がする。まだ確信したわけではないが、特に4)と5)はポイントだと思う。夢を持って、何かに取り組んでいる人は夢を実現するために目標を持っている人が多い。すなわち「いつまでに何を」の世界である。言ってみれば「人生ゲーム」のようなスゴロクをやっていると考えれば良いのだ。ゲームにはゴールがある。そのゴール、つまり「いつか○○になりたい」というゴールであれば、人生の道のりの中にいくつもの課題を設定しているのだ。課題は100個かもしれないし1,000個かもしれない。けれども、その課題をひとつひとつクリアして、確実に自分がゴールに向かって進んでいることが分かれば、達成感も得られるだろう。成功者の多くは、その達成感を楽しんでいるのだ。これは、いろんな成功者がそう言っている。三木谷さんや、堀江さんも言っている。例えが適切でないかもしれないが、30万円の大型スクーターが欲しいとする。手元に資金はない。では、バイトをしようとなる。1日で1万円の日雇いをすることになった。初日はキツかったが、何とか仕事を終えて1万円手にした。あと29万円である。1週間で合計7万円稼いだ。あと23万円である。この場合、1日1日の労働が「1万円を稼ぐ」という課題である。それを毎日クリアして1週間経過したワケである。まだ「何のバイトをしようか」とか「バイクが欲しいなあ」と考えているうちは、バイクは所詮夢でしかない。だが「バイクを買う」という目標を立てて「そのためにはどうすれば良いか」という課題を設定し実行に移せば、夢を叶えるのは現実味を帯びてくる。そうして1週間……。ここまでくれば、実績がモノを言う。この調子で働けば、23日後には30万円貯まると言う、見通しが立つのである。そして、めでたく1ヶ月後にはバイクを買うことができる、と言うことなのだ。今の例は、分かりやすい例えにしたつもりだが、成功者の多くはこの夢や目標をいつも自分で明確にしていて、常に見通しを立てているのである。夢をゴールとして、今の自分のポジションがどこにいるかが明確に分かっているので、いつも充実しているのだ。バイクの例で言えば、1週間で7万円貯まったという実績は自分がバイクを手にするために、今目標のどこらへんにいるのかが分かるのだ。自分の位置が分かれば自信を生むし、「あと23万円」という見通しもハッキリしてくる。「あと23万円でバイクが買える」と思えれば人間はやる気が出るものである。「今日、熱があるなあ」と体調が悪くなっても寝ているヒマがないのだ。むしろ、寝ていたくないので気力が沸いてくると言うものである。仕事では、人間関係や体力など悩みはいろいろあるだろうが、ゴールすれば終わりである。とりあえず欲しかったバイクを手にすることができるのだ。こういう目に見える目標は嬉しさそのものである。成功者たちは、自然に自分たちの夢を具体化する術を実行しているのだ。だから、元気なのである。この楽天の三木谷社長も言っている。「落ち込むことはありますよ」と。けれども、それが尾を引かないのだ。なぜなら、やりたいことや夢があるのに、落ち込んでいるヒマがないから。バイクの例ならば「欲しけりゃ、夢中になって稼ぐ」ということであろう。あっちに書いていない内容で、新庄選手の面白いエピソードを……。大リーグ時代に通訳を頼んでいた人に言ったらしい。「MIAMI」をマイアミと読むのは、どうにも納得がいかなかったらしい。新庄選手曰く、「あれはミアミだろう」と。通訳の人は小島さんと言う人だったらしいが、相当困ったらしい。それは、そうだろう。そんな事を言うヤツはいない。(笑)まだ続く。「仮に100歩譲って、『MIA』をマイアと読むのなら残りを含めてマイアマイだろう」と。つまり「MI」=マイ、「A」=アだから、「MI」=マイ……で「MIAMI」は「マイアマイ」なのだそうである。(笑)この人、相当のツワモノである。ああそうそう。タイトル、冒頭の表現は新庄選手がホームランを打つときの様子をイメージして書いたものです。「太い逸物」とはバットのことであり、「抜けばすなわち」と言うのはバットを振り抜けばということを表現したのだが……もう、いっか。卑猥な表現でごめんなさい。※この日記は、4月3日のスペースに、4月5日に書き込みました。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/04/03
コメント(1)

風呂に入って、心地よくなっている時に異変は起きた。風呂の入り方は半身浴が良いと聞いたので、少な目の湯につかりながら腕をだらんと伸ばしていた矢先であった。ドンドンとフローリングの床を走る音と怒鳴り声。「やってるなあ」などと、のんびり聞いていたのだ。続いて家内が叱る声が聞こえてきた。「堅実」は、このテのケンカはしない。だとすれば、あとは「忍耐」と「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)である。ボクの家系は気性の激しい性格が揃っている。父は温厚であるが、母方は気性が激しいのが揃っている。見た目は、母も温厚だがキレると怖いのだ。まあ、キレたら誰でもそうだが、祖母は浄瑠璃の女義太夫をやりながら「飲む打つ」をやっていた祖父に代わり生計を立てていた。芸能の世界に身を置き、娘3人を育てれば気性も激しくなろう。あ、いやこれは血のなせる業か。この気性の激しさはボクも受け継いでいるが、父の温厚さも半分入っている。家内の家系も穏やかである。となれば、子供たちは多少、気質が激しいきらいはあるが、いたってノーマル。キレやすい子供ではない。普段は「忍耐」も「奔放」も仲良く布団に入りながらゲームをやっているのだ。「忍耐」は、我慢の子である。クラスメイトからの信頼も厚い。滅多にキレない。となれば、おちおち半身浴をしている場合でもなさそうだった。いつもは、洗面所でさっと体をふき、何も着ないでフラフラと出て家族に嫌がられるボクである。(笑)男は堂々と闊歩である。だが、子供を叱る場面に出くわす可能性があるときは別である。スッポンポンでは、沽券が下がる。みっともない。下半身にも力が入らないのである。(笑)だが、いつものクセで替えのパンツを持ってきていないことに気づいた。最初が肝心である。パンツなしでは、恰好がつかない。しかたないので、不本意ではあったが脱いだパンツを再びはいた。他人のパンツではない。どうと言うことはないのだ。(笑)出てみると、真ん中の「忍耐」をかばう様に家内が立ち、末っ子の「奔放」が泣きはらした顔をしていた。家内が「奔放」の前に立つのなら分かるが、これでは逆である。冷静な「堅実」が事情を話し始めた。つまらないことである。末っ子の「奔放」はゲームの攻略法が分からず、兄の「忍耐」に尋ねたが「忍耐」も手がふさがっていたのかキチンと教えなかったらしい。無視されたと思った「奔放」はリビングを飛び出した。その背に向かって「忍耐」もフォローの言葉を投げたのだが、すでにキレかかっていた「奔放」にはまったく聞こえなかったのだ。リビングを飛び出したものの、腹立ちはおさまらず取って返して兄に罵声を浴びせたのだ。執拗な口撃に、ついに兄も弟に手を挙げたのだと言う。手を出したのは「忍耐」の過ちであるが、堪忍袋の緒が切れたのだろう。家内には「忍耐」の気持ちが分かった。これ以上、弟に手を挙げさせないために、かばっていたのだ。ボクがいる前で「忍耐」が「奔放」に手を出せば、ボクも黙ってはいない。だが、そうであっても「忍耐」にとって我慢ならないことであれば、父親に殴られるのを承知で弟に立ち向かわねばならないのだ。それを家内は知っている。だから、手を出させないのだ。今更ながらだが、子供の教育は難しい。ボクは口はソコソコ立つが、実行力は乏しい。口だけなのだ。(笑)子供が小さいので、何とか威厳らしいものを保てているだけである。大きくなって自立できるようになったとき、どれだけ子供たちの心に影響を与えるような言葉を投げられるのかは分からない。家内が何とか、家庭の輪をつないでくれているので助かっているのだ。家内が「忍耐」をいつまでもかばっていても、埒が明かない。「奔放」の頭のてっぺんを平手で思いっきり叩いた。家内は頭を叩くのは嫌がるが、ゲンコツではない。適切ではなかったかもしれないが、これで兄の「忍耐」が溜飲を下げなければ、それはそれでやっかいなのだ。実は、叩く方の手の方がよっぽど痛い。「お前ら、次に下らんことをやったら家をだすぞ」そう凄むしかなかった。「奔放」は泣きながら頷くし「忍耐」は、まだ怒りで震えているようだった。まあ、こんなケンカは珍しいのだが、相手の痛みを分からない人間では、キレたときにさえ自制が利かなくなるものである。血のめぐりがレッドゾーンになる手前で、クールダウンする術は覚えておく必要がある。小さいうちに、小さいケンカで痛みを知っておくにこしたことはないのだ。あとの課題は、父親の威厳である。とりあえず……。明日から風呂に入るときは、パンツだけは持っていこう。ヤレヤレである。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/03/29
コメント(0)

愛用のシステム手帳のリフィルをフランクリン・プランナーのデイリーシートに変えてから、急速に分厚くなりつつある。手帳はボクが尊敬するGMO社長の熊谷正寿さんの本を読んで影響受け、即実践に移したのだ。この日記でも過去(1月28日「元気の源はどこにある」)に何回か取り上げている。熊谷さんは、ご自身のノウハウが詰まったオリジナルリフィルを日本能率協会を通じて販売しているが、リフィルに関してはやはりフランクリン・プランナーが良いと思う。「自分の人生の価値観とは何か」を掘り下げることを、上手にナビゲートしていて、手帳に書くことで目標や夢を実現する支援をしてくれるのだ。手帳は一日に何回も読み直す。歩きながらでも気づいたことは書き留めるので常に手にしている。従って、バッグには入れず持ち歩く。分厚いし重いので、時々手から離れて落としそうになることもある。夢が詰まっている大切な手帳なので、落とすのは縁起が悪い。以前から、ハンドストラップをつけたいと思っているのだが、もともとそんな穴は用意されていない。ボクは質実剛健派である。丈夫であれば、それで十分なのだ。なぜ、システム手帳の止め具に登山用のザイルをも通せるような穴がないのか不思議である。基本的にぶら下げたり、持ち歩きを想定していないのだろう。だが、いろんなモノが売られていても良いと思う。まあ、そんな愚痴を言っていても仕方ないので、東急ハンズをうろついてみた。ワッカと言えば、システム手帳にはリフィルを刺すためのリングがあるが、ここはストラップ用に使いたくない。リングは金属製だし丈夫だが、システム手帳の命である。万一、予想外の力が加われば変形する。6,000円程度の国産であるが、モノは大切に使いたい。ヘタな部分に穴も開けたくない。東急ハンズで、直径1.2ミリ、長さ90センチののステンレスワイヤーとシリコンチューブを買った。いい感じで即席のシステム手帳用のハンドストラップを作ったが、あいにくこの楽天内は画像の倉庫が一杯である。画像付でご説明したいのだが残念である。システム手帳ネタは、いずれあっちで書こうと思う。実は、今日は社外セミナーがあったのだが予定より早く終わったので、家に直帰した。家に入ってみると、モノスゲー散らかっている。トイレの電気はつけっぱなし、テーブルの上は食べ終わった食事もそのまんま。絨毯の上には、ステレオヘッドフォンのパッケージが転がっている。子供たちが春休みになったのは良いが、家内が外出していると躾も行き届かず散らかり放題である。大方、遊びに行くのに夢中で、ほったらかしだったのだろう。ヤレヤレである。帰ってきたら、怒らねばなるまい。(笑)フランクリン・プランナーに書いた今日の予定では、未消化の予定がいくつか残っていた。1)アメリカに住む妹へメール2)システム手帳ストラップ製作3)末っ子の「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)と「金色のガッシュベル」のカードバトル。(20:00~21:00)4)「元気まぐ」引越し準備5)楽天日記ネタ6)「あいのり」を長女の「堅実」と見る。(←主に見るのはボク)という具合である。価値観に基づいた優先順位でいくと、残りは3)と4)であるが、時間的には余裕がある。1)は今日でなくても良いので、2)を片付けた。これは、先ほど日記にも書いた。3)と4)を消化して、5)を半ばまで書いたところで6)を消化。ところが、「あいのり」を見ながら飲んでいた焼酎がなんだか回ってきた。うまく書けなくなりつつあるので、「レッドゾーンファイト」は明日にしよう。ここまで、読んでくれた皆さん、ごめんなさい。前後編モノは初めてやっちゃいました。(笑)熊谷さんの手帳に関するネタはこちらでも書いています。↓http://genki-mag.com/yume-koudou-shukan.html水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/03/28
コメント(1)

引越しもラクではない。家の引越しではない。あっちの方である。前の日記にも書いたが(3月20日「あっちで浮気、こっちで本気」)サーバーの引越しである。もともと、コンテンツというほどのものはない。ちょこちょこと書き溜めたモノに、これまたチョコチョコとアクセスがある程度だ。繁盛しているサイトであれば、引越しも気を使うが閑古鳥が鳴いている。エイヤっとできないことはない。ただ、この機会にいろいろと整理したいこともあったので、その作業をコツコツとやっていたのだ。トップページに置いていた「GoogleAdsense」を何気なく眺めていて面白いことに気づいた。知っている人も多いと思うが「GoogleAdsense」は、検索エンジンの「Google」が開発した広告である。申し込みをすると、設置するサイトのテーマ(キーワード)に関連した広告を表示してくれる。楽天のようなインターネット上の「集落」と言えるような場所は特殊である。通常、サイトは単独の「家」とか「島」のような存在である。ランダムで訪問者があるわけではない。検索エンジンやリンク経由で、明確な目的(探し物)をもって辿りつくのである。検索エンジンを使うということは、何らかのキーワードを使っているわけだ。であれば、そのキーワードに使って訪れた訪問者に、そのキーワードと関連した広告を見せてやれば(実際には、サイトに関連した広告を出しているのだが)、クリックされる可能性が高いと言うわけである。そして訪問者のクリックによって、広告料が支払われるのだ。しかも「ドル」で。(笑)この「GoogleAdsense」だが2月から始めてまだ3$ほどしか稼いでいないが、よく見るとみょうちくりんな広告が表示されていたのだ。ボクがあっちで扱うテーマは「元気」や「健康」に関係したものである。ボク自身、精神的にタフでないので、元気な人や起業家に見られるバイタリティを研究していけば、強くなれると思ったのである。従って、コンテンツのテーマにもよるが、基本的には健康食品などの広告が配信される場合が多い。例えば「FAN**のビタミン購入」や「ビタミン販売」などのような感じである。ところが、昨日見た広告は「声優を目指すなら***」「CG学ぶなら」「一期生募集」「アニメ**TV通販」などが表示されていた。全然、関係ないぢゃん。(笑)「GoogleAdsense」さん、大丈夫ですかあ?てなもんである。もっとも心あたりが、ないわけではない。ページの一部で「戸田恵子」さんを取り上げたことがあるのだ。戸田さんは、女優であり舞台でも「なにわバタフライ」などで活躍されているが、昔はガンダムの声優さんをやっていたこともあるのだ。そんな関係で広告が表示されるのかもしれないが、トップページに戸田さんに関連したキーワードはない。今もって不思議な現象である。(笑)ボクも娘もオタクであるが、声優養成の広告を出されてもねえ。まあ、日記ネタにはちょうど良いのだけれど。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/03/26
コメント(0)

子供たちが春休みに入った。ということは、また通信簿を見るときが来たのだ。子供の成長は楽しみだが、どうも通信簿というのはイイ気がしない。最近、親ばかネタばかりで恐縮だが、子供たちはなかなか優秀である。ボクは子供の頃からパッとしたところがなく、ある意味悪いところばかり目立ってしまう性質であった。小学校の頃も中学の頃も、先生には随分親身になってもらったものである。ヘンなところでプライドが高く朝、学校へ行く前に親に叱られ、泣いてはその泣き腫らした顔をクラスメイトに悟られるのがいやで、登校拒否もよくやったものである。妙に頑固だったためか、プイとそっぽを向いてしまうと、親の言うことなど一切聞かない、持て余す子供だった。通信簿には「依怙地」と書かれたこともあるほどなのだ。(笑)走るのは滅法早かったが、スポーツができると傲慢に思うと、体を動かすのが阿呆らしくなり、まったく運動しなくなった。中学を文化系のクラブで過ごすと、見事なスポーツ音痴が育ってしまった。こんなモノが子供に遺伝されたら困るのだ。で、ボクはかなり子供には厳しく育ててきた。長女の「堅実」は、別としても「忍耐」と「奔放」(ほっと一息、水無月家の阿呆な家族たち)はかなり鍛えてきた。サッカーは常に一緒に行動して、親子朝練は毎朝6:00から特訓したほどなのだ。親子練習が良かったのか、子供二人のサッカーはかなり上達した。スポーツができるようになると集中力が養われる。小学校の勉強程度であれば、少しの集中で効果が上がる。二人とも成績は良かった。長女の「堅実」は、少しボクに似ているのか運動音痴である。が、持ち前の集中力がモノを言うのか、成績は常に良い。家内も勉強はできる方ではない。だから、自分たちの子供がソコソコ勉強できると言うのは、不思議なのだ。こんな時、母親は強い。何せ、自分の腹を痛めて生んでいることだけはあるのだ。「母親はわたし」と言い切れるのである。その点、男親は不幸である。(笑)DNA鑑定というテはあるものの、基本的には自分の子供かどうかは分からないのだ。カッコウは託卵鳥と言う。自分より体が小さい、オオヨシキリなどの巣に自分の卵を産みつけ、他人に自分の子供を育てさせるのである。もちろん、産みつけるときは巣にあったオオヨシキリの卵は、蹴落とすのだ。自分が、オオヨシキリではないという保証はないのだ。そんな阿呆なことを言っていると、家内は呆れる。コピーしたようにソックリな「堅実」を相手に何を言っているのか、と。ケチなところまで、ウリふたつではないか、と。ああ、そうなのだ。「ケチ」「いじわる」たいていの悪いところは、ボクの遺伝なのだ。(笑)だが、笑いごとではない。最近は、悪いところがボク譲りということを子供たちは、懸命に否定するのだ。親思いなのではない。「あたし(オレ)はお父さんに似てないもん」とまるで、ボクに似ることが不名誉と言わんばかりに否定するのだ。(笑)「堅実」は体育が4で、あとはオール5である。「忍耐」と「奔放」もすべて「できました」評価である。「がんばりましょう」評価がないのだ。世の中、円周率を3で計算するような学習である。学校の勉強の難易度は落ちている、とウソぶいてきたが中学や小学校でも高学年になると、そうも言えなくなって来る。少なくとも、ボクが小学校の頃は下から数えたほうが早かったのだから。通信簿をもらってくる日は、必ずボクの子供の頃のことも話題になる。「お父さんは、小さいころは勉強ができなかったんでしょ」と来るのだ。もちろん、言われっぱなしではない。「お父さんは、できなかったんじゃなくてやらなかっただけだ。だから、ちゃんと仕事だってしているじゃないか」と。家内はボソっと言う。「やらないのなら、もっと悪いじゃない」まったくである。高校の頃もひどかったものである。ボクは父親の転勤の都合で、高校も編入試験を受けているので一応、苦労人なのだ。(笑)だが、あまりの成績の悪さに、滅多に注意しない父が呆れて説教したことがある。「せめて、クラスで真ん中くらいの成績になりなさい」ひどい言いようである。他に言いようがあるだろうに、こんな説教など聞いたことがない。父は、よほどがっかりしていたのであろう。その父とて、今はボクのカワイイ子供に通信簿を見せられて、目を細めているのだ。フン、やっぱり、このボクが一番エラいんじゃないか。ああ、そうそう。家族には「せめて真ん中くらいの成績……云々」を暴露してしまったので、来年はまたそんなことを言われるだろう。(笑)ああ、もうひとつ。タイトルも間違いであった。3発抜かれは、子供たちのことであるが「股間」ではなく「沽券」が下がるだった。水無月悠里の「元気まぐ」はこちら
2005/03/25
コメント(2)
全251件 (251件中 1-50件目)
![]()

