rainywoods2001

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2010.02.05
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西條 剛央さんの構造構成主義についてのインタビュー
たいへんわかりやすい。
人間科学における正しさを巡る信念対立を克服すべく構想された
思想なのであるから わかりにくかったら話にならないけど。

ずいぶん あたりまえのことしか言っていないようにも見えるが
学者というもの ありまえの人種じゃないんだろうね。
自分でつくった話に夢中になって周りがみえなくなる、
しまいに 自分でつくった話である その結果の世界像である

そういう話が唯一の世界のほうに内臓されていると信じだす。
科学というより科学教になってしまう。

池田清彦のいつもしている話は この科学教批判である。
一方で自身も科学者なのだが あくまで
世界像のつくり方について自覚的であり 
一応自分がしあげた 構造主義生物論もひとつの世界の見方であるとする。
科学もいろいろでよいという多元主義科学を提唱する。
しからば 科学らしい客観性・普遍性はどこにあるのかというと
もはや唯一の世界自体が客観真理を持っているのではなくて、
その世界像のつくり方について 誰にでも納得いくように説明できる
共有できるということにのみ 科学の客観性・普遍性はあるのだとする。

竹田青嗣は文系のほうの人だが 別個に同じようなことを
より徹底して考えてきていた。
世界像が各自ばらばらでよいが それだけでは相対主義になってしまう。
世界像の共有ではなくて 各自の世界像のつくられかたの原理なら
なんとか共有できるのではないかという。

共有といっても 固定的なものではなく 相互検証の場にだせる
という意味だけど。

竹田青嗣の考えるその原理は それぞれの世界像は関心や欲望によってあらわれる
ということだろう これを関心相関性と呼んでいる。

各自が 関心や欲望によって 言葉をとおして 世界像をつくり
それがまた 欲望の変化となって 循環していく。
というのがおおざっぱな 世界像のつくられかたなのだろう。
そのつくられかた を 自分でも社会関係でも 意識化して
共有していくこと。

あたりまえじゃん。というなかれ。
あたりまえだったら とっくに世の中平和になっとります。

こういう 一神教的ではなく多神教的な思想がでてくるのは
ずいぶん 日本的なのかも。
宗教で言うと 宗教学で 世界の宗教を比較検討するなんて
あたりまえの学問ができる日本のような国は少ないそうだ。
そういう美徳は自覚的にのばしたい。
いいかげん あいまい てきとー にも確固たる根拠があるのだ。 

日本の無意識的に 対立を嫌う傾向はいいかもだけどど 
同時に 理屈も嫌ってきたのが悪い。
自覚的に多元主義を世界にも通じる普遍的思想として たちあげ
理屈でも鍛えていこうようとする
試みとして 構造構成主義は 注目。
松岡正剛の編集工学なんかにもつうじていると思います。





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Last updated  2010.02.05 19:00:55 コメント(2) | コメントを書く


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