rainywoods2001

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2010.04.15
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「知覚されなければ存在しない」
というバークリィ風命題と
「知覚されなくても存在する」
という客観実在論の命題は
対立しているように見えます。

しかし 具体的な状況を想定してみると
そうでもないようです。

「冷蔵庫をあけたらリンゴが入っていたけど

という状況の推移を想像しながら
つぎの命題を順にみてください。 

1 知覚されなければ存在しない
2 知覚されるから存在する
3 存在するから知覚される
4 知覚されなくても存在する

場面ごとに 妥当する命題があるわけです。
リンゴを思いがけず発見したときには 1,2 が妥当な命題で
いったん このリンゴの存在が成立すれば 3、4が妥当。
1 が妥当なリンゴ未発見の場面で 4は 不適当。

しまわれたリンゴについて 1を主張するのは 不適当でしょう。


バークリィ風 「知覚されなければ存在しない」
は 存在が確定するまでは 妥当な命題。

は 存在確定後は 妥当な命題 であったのです。

さらに 存在確定後は 
リンゴが最初に発見されたなら 発見される前から
冷蔵庫に存在していたのは当然ですから
「知覚されなくても存在していた」わけです。

さて 話をおおきくして
宇宙は 人間が知覚しなくても存在するか?
という疑問。 とりわけ人類誕生以前の宇宙についても
それは 人間抜きに存在するか?
もちろん
「知覚されなくても存在していた」と思います。

しかし 宇宙は まずは最初に「知覚されなくては存在しなかった」
のも事実です。もう 用済みになって 忘れてもいい命題
かもしれませんけどね。

バークリィ命題が なんかお笑い種ではあるけれど
なにか無視できない。どんな哲学史でも ちょこっとだけ
紹介されているわけは そんなところにあったのでしょう。









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Last updated  2010.04.15 21:52:11
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