rainywoods2001

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2010.04.12
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「月は 見ている時だけ そこにある と
君は本当に思うのか?」
そう 問いかけたのは アインシュタイン。
そのとおりと 答えたのは
量子論、コペンハーゲン解釈の主唱者である ボーア。

会話で比喩的に示された月は粒子としての電子のことだろう。
(比喩じゃなかったりして?)
観測する前は 電子は粒子としては存在しない
観測するから 電子の波は粒子になる。そんな馬鹿な。

科学哲学史 いや 哲学史でも 一番面白い場面だったのではないか。
まるで あのバークリィの命題が復活したようなものだ。 

「見ていないときだって 月は予想される位置に あるはず。」
というのは 疑えない想像であり 確信だ。 
なぜ このような確信が生じるのか。
「見ている時でも 見る行為が 月にはなんの影響もあたえていない」
という 経験があるからであろう。
見ていても 見なくても 月の位置にはかわりはないのだ。
月の存在や位置や運動は 観測からは独立自存したものごとだ。 
しかし もし 観測が 対象の位置や運動のみならず 存在にも影響を
あたえるとなると たいへんなことである。


大学で量子力学の講義をとっても こういう哲学的解釈問題は
スルーしているらしい。。科学技術として使えるところだけ
勉強してくださいね、ということになっているらしい。
なんとも寂しい話だ。科学者が哲学者でもなければという分野は
生物学や脳科学のジャンルに移っているのかもしれない。

知覚しなければ存在しない というバークリーの命題は
マクロな月にはあてはまりそうもない。 と 思っていたが
月をはじめて見る子供にとっては そのとおりで
知覚して初めて 月は存在を始める のではないだろうか。
客観実在とはいえ もとは 主観と客観の間にある知覚的存在だったのだ。
いったん存在すれば 見ていなくても存在する(はずの)月になる。
日常的に 知覚から独立した客観的実在という考えが成立する。

しかし 観測していない時には 波に戻ってしまうらしい量子って
いったいなんなのさ。その波をあらわす波動方程式はたんなる数式なのか?
それとも 未知の様相をもった実在なのか?
だからさ 見れないもんを あれこれ解釈しても仕方がないという
科学技術者は けっこうバークリィに近い立場なのかもしれない。

ーーーー オススメ本 ----

「哲学的な何か、あと科学とか」 飲茶
 いいかげんなタイトルににあわず しっかりした本。
 量子論を解説したところが 簡明かつスリリングな手際。
 入門解説としては 最高かも。
 著者の同じタイトルのHPでも読めます。

「量子力学が語る世界像 」(ブルーバックス) 和田 純夫
「シュレディンガーの猫がいっぱい」 和田純夫
 なかなか 日本の科学者で 量子論で自分の考えをおしだす
 人はすくないようです。
 コペンハーゲン解釈を否定する 多世界解釈派。
 実在論、決定論でいきたい人は 一見とんでもない多世界解釈を
 うけいれるほかないかも。

「部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 」ハイゼンベルク
量子力学の黎明期。キラ星のごときスター科学者たち。
ボーア、アインシュタイン、ゾンマーフェルト、パウリ、ディラック、
プランク、シュレーディンガー。彼らとの哲学談義 って なんと贅沢な。
プラトン対話編の再現みたい。いい時代ですなー。

「存在と知覚―バークリ復権と量子力学の実在論 」瀬戸 明
やっぱり 量子力学でバークリを思い出した人っているんですね。
実在は知覚相関的、かつ知覚独立的である、という
バークリと唯物論を止揚しようとする試み。明快な文章。





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Last updated  2010.04.12 18:46:22
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