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玉置山山頂から見た雲海 玉置山で私が2枚だけ撮った写真の内の1枚です。 ちなみに、もう1枚は社務所の襖絵の鶴です。 前回の満月の日の翌朝、眠りから覚める直前に突然上記写真の風景が目の前に浮かんできて、同時に「豊雲野」という言葉が瞬時に出てきました。 ??? その日は、大山登山を予定していたので、起きてすぐ登山準備をして出かけました。 伊勢原駅の観光案内所で大山の登山地図をもらい、バスの中で地図を眺めていたらある神社が目に飛び込んできました。 妙に気になったので詳細を見てみると、なんとご祭神が豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)と出ていました。 豊斟渟尊は、日本神話の天地開闢の段に登場する神代七代のうちの一柱であり、『古事記』では豊雲野神、『日本書紀』では豊斟渟尊と表記されています。 ちなみに、『古事記』では神代七代の一番目が国常立命で、二番目が豊雲野大神となっており、豊雲野大神は国常立命の妻神とも言われています。 そして、神社の説明に更に重要なことが書かれていました。 「社伝記」(天保5年・1834年)によりますと、御鎮座は初代神武天皇6年(紀元前655年)、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選び神を祀る社を建立し、相模国の霊峰大山を神体山として豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことにはじまると言われています。 大山山頂にある大山阿夫利神社のご祭神は、大山祗大神、高龗神、大雷神となっていますが、こちらは第10代崇神天皇の御代に創立されたと言われています。 大雷神は饒速日命の異名同神になるので、謎多き高龗神が豊雲野大神(豊斟渟尊)にあたるのではないかという考えが浮かんできます。 奈良の天香久山の山頂には国常立神社があり、山頂には小さな祠が二つ並列しています。左が国常立命、右が高龗神をお祭りしています。 この謎多き高龗神が私の今生の課題でもある「九頭竜」にもつながってくることに・・・
2013.11.27
紀伊半島の祈りの旅から帰ってから、いろいろなことが加速しています。 不思議なことには慣れっこですが、久々にとっても怖い思いをしました。 満月・新月の日は次元の膜が薄くなるのか、不思議なことを体験することが多いのですが、今回の満月の日の夜、寝ていたらいきなり部屋の中に別の時空が出現し(表現が難しいです)、雷の稲光のようなものが部屋の中でピカピカ光っているのですよ かなり必死に「神様助けて下さい」とずっと心の中で叫んでいました。 冗談抜きで死ぬほど怖い思いをしました・・・ 昨晩は稲光していた場所にまたカラス天狗さんが浮遊していました・・・ 家に常駐しているのでしょうか・・・ 玉置神社のご神木の写真を見ていたら、玉置のお山が恋しくなり「玉置のお山に帰りたい・・・」と呟いていました。 帰りたいって・・・ あなたは誰ですか? 一体私の周りに何が起こっているのだ?
2013.11.25
最終日の8日目は、朝一で上賀茂神社に行きました。 ちょうど神職の方や巫女さんが本殿に入り朝のご挨拶をされていました。 本殿の参拝を申し込んだところ、何か特別期間ということでいつもとは違う内容になっていました。本殿のエネルギーが大好きなのでとても楽しみしていたら、なんと工事中!物凄いショックでした。工事中で本殿が良く見えないのにいつもより金額が高めになっていたので、「神様、これじゃ詐欺だーーーーー」と心の中で叫んでいました。 神社側もこれでは申し訳ないと思われているようで、なんと新しく造営中の新社殿の屋根を見学できるように設定されていて、めちゃくちゃ間近で見学できる上に直接触ることもできるのです(驚) 来来世は宮大工を目指している私としては、もう感謝感激です。私が神社で一番美しいと感じるのはやはり屋根で、あの計算しつくされた形状と微妙な曲線のラインは神業だと思います。もう嬉しくて嬉しくて屋根を触りまくりました。先ほど「詐欺だーー」と思った自分の心の狭さを恥じ入りました。 大満足した後、鞍馬のお山を目指しました。 鞍馬には何度も訪れていますが、今まで一度も足を踏み入れたことのない場所が今回の目的の場所でした。場所も今一つ不明で、お寺の人に尋ねて教えてもらおうと思っていたのですが、なんと道が崩れていて今は入れなくなっているとのことでした(ガーン) でも私の中では、どうしても行く必要があると強く感じたので、天の存在達に「どうしても行く必要がある場合はサポートをお願いします」と口に出して言ったところ、その後すぐに鞍馬の古い地図が目に入ってきました。もしかしたら、この地図に目的の場所が出ているかもしれないと見たら、なんと出ていました!これで位置関係と入口がどこかわかりました。後はサポートを信じてひたすら山道を歩くのみ。 分かれ道でも勘を信じて歩いていたら、無事目的の場所に辿り着きました。 ここも玉置神社と同じように縁のない人は来れない場所等と言われているようなので、無事辿り着けてとりあえず一安心です(ホッ) なんでもサナト・クラマが金星から降り立った場所だとか隕石が落ちた場所等と言われていますが、この場所は本殿の北方に位置し本殿の守護を祈る場所になるようです。 今回の旅では、玉置神社の次に重要な目的地でした。 今回の紀伊半島祈り旅で訪れた聖地で頂いてきた全エネルギーをこの地にお渡しし、光の柱を立ててきました。 無事お祈りも終わり急いで下山していたら、お寺の関係者らしき人が登ってきました。立ち入り禁止区域になっていたので怒られるかなと思っていたら「ようこそお参り下さいました」と逆に労われたので驚きました。 ご神事関係で耳にする言葉は神様からのメッセージだと言われますが、この言葉を聞いてほっとしました。 鞍馬のお山を一通りお参りし、貴船神社の奥ノ院に向かいました。 ご祭神は、高龗神、暗龗神・・・ ずっと謎の神様でしたが、今回の紀伊半島祈りの旅でようやく謎が解けました。 空海さんが石上神社が重要であると教えてくれた意味も今回ようやくわかりました。 とてもとても大切な神様が復活されようとしているようです。
2013.11.23
7日目は、高野山奥の院目指して出発しました。 が、分岐点で「英霊殿」という標識が目に飛び込んできたので、まずはそちらからお参りさせて頂くことにしました。 なんと英霊殿は昨晩宿泊した宿の後ろでした。 沢山の慰霊碑があり、目に入ったものはすべてお参りさせて頂きました。 今年の靖国神社の秋季例大祭にも参列しましたが、参列者のほとんどが英霊の子供と思われる世代の方々(70代)や中には兄弟や配偶者と思われる方々(80代、90代?)でした。この方々がいなくなった後の世代でも今までのように例大祭を続けることができるのだろうかと思ってしまいました。 昇殿参拝に向かう長い廊下を歩く際も、皆さん手すりにつかまりながら階段をやっと登られるような方々でした。若い神職の方が老人の手を引いて歩いている姿は微笑ましくもあり、また切ないものがありました。 英霊の近親者がいなくなっても、日本国民の総意の下、国家と国民で靖国神社や英霊に尊崇の念を捧げられる国になっていてほしいと思います。 英霊殿の後、空海さんのいる奥ノ院に向かいました。 いつ来ても高野山の奥ノ院は凄い霊気が漂っていますね。 奥ノ院の前の椅子に座っていると、いろいろな疑問や自分の迷いが次から次へと出てきました。長々と心の迷いを告白していましたが、最後に自分は結局どうしたいのだということに気づき、空海さんの前で決意表明をしてその場を去りました。 その後いくつかのお堂を周り、沢山の愛と感謝と光を捧げてきました。 その後、大峯奥掛道の吉野側にある金峰山寺、吉水神社に向かいました。 吉水神社は、役行者の創立で、南朝の元宮でもあった場所であり、後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉と縁の深い場所です。源義経と静御前の最後の別れの場所となった部屋が残っており、二人の遺品を見るとなんとも切なくなってしまいました。 モンゴルに渡ってチンギスハンとなった後でも、密かに静御前に対する思いを成𠮷思汗という名前に込めた源義経の思いを知ると、ただただ二人の御霊には幸せになってほしいと願うばかりです。いつかどこかで二人の魂が再び巡り合い二人が幸せに暮らせますように(祈念) この神社の北闕門では、天皇が九字切りをしていたそうです。私も五芒星の上に乗って、日本から邪が払われるよう願いを込めて九字を切ってきました。 詳細はこちらが参考になります。 その後、金峰神社、水分神社を巡り京都に向かいました。金峰神社にも源義経が身を隠していたお堂がありました。寒い寒い雪の中、どのような思いで身を隠していたのだろう・・・ いろいろな思いが過ります。 この後、京都まで一気に移動する予定でしたが、橿原神宮の側を通ったので、立ち寄ることにしました。明治天皇創建とのことですが、京都御所や皇居と同じでエネルギーが集まってくる造りになっていて驚きました。橿原神宮は凄い神社だとたびたび聞いたことはありましたが、なるほど納得です。 原チャリでの移動はこの日が最後だったので、原チャリを返すためにお店まで走っている間、原チャリの性能以上の走りを最後に見せてくれました。出かける前に、高次元の存在と原チャリにスケジュールを伝え、また無事に京都まで戻ってこれるよう宜しくお願いしますとサポートを依頼していたのですが、私の依頼を全力で全うしようとしている原チャリの思いが伝わってきて最後は泣きながら走っていました。 いろいろなことに気づかされた紀伊半島祈りの旅になりました。
2013.11.23
祈りの旅 ~紀伊半島編~ 六日目は高野山に向け長時間の移動になるため、この日はどこにも寄る予定はなかったのですが、前日田辺でもらった観光地図に南方熊楠と植芝盛平のお墓があると出ていました。二人は田辺出身のようです。せっかくだから寄りたいけど時間もないし、また次の機会にしようと今回は諦めました。 が、翌朝移動していたらなぜか道を間違えてしまい二人のお墓があるお寺の前に来ていました・・・ まあ、これも何かの縁と思い、お二人のお墓にお参りさせて頂きました。 昨年、埼玉に越してから合気道を始めようと思い、近くに道場まで探したのにまだ始めていなかったことを思い出しました。そう言えば、フェイスブックを見ていても、外国人の友人達が植芝盛平に関する情報をUPしていたのも、早く始めなさいというメッセージだったのかもしれないですね(反省) その後、龍神スカイラインを通って高野山に向かったのですが、龍神温泉で友人にこれから高野山に行きます!とメールしたところ、友人から別の友人が最近私と同じように伊勢神宮、那智の滝、高野山に行って昨日お土産に高野山の石をもらったところとメールが来て驚きました!民族大移動のようですね・・・ 龍神温泉では、皆瀬神社(ご祭神:天児屋根命)とその横にある英霊を慰霊するための忠魂碑にお参りさせて頂きました。 高野山へは11月4日に向かったのですが、龍神スカイラインの紅葉が本当に息を飲むほど素晴らしかったです。 「生きていてよかったー」という言葉が自然に出てきます。あまりにも素晴らしい景色で、早く通り過ぎるのはもったいなかったので、時速30kmでトコトコ走りました。 今回、中型や大型のライダー達が、私もライダー仲間だと思ってくれ、通り過ぎる時に手をあげて挨拶して行ってくれる人がたくさんいてなんだかとっても嬉しかったです。 原チャリライダー仲間が富山にもう一人いて、二人で一緒に九頭竜湖にも行っています。その時に、チーム名を「チーム九頭竜」と命名しました(笑) 当初原チャリチームだった「チーム九頭竜」が、友人も知らない間にいつの間にか九頭竜の謎解きチームになっていました。今回の祈りの旅後に新たに発見したレイライン上に友人の引っ越し先の新居があって本当に驚きました。 高野山では、高野山奥の院の側の宿に泊まったのですが、翌朝起きて奥ノ院目指してびっくりしました。なんと奥ノ院の側に英霊の供養塔がある英霊殿という場所があるのですが、宿はすぐその裏にあったのでした。
2013.11.23
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祈りの旅 ~紀伊半島編~ その5でとっても大切な場所を書き忘れていたので追加します。 串本から田辺に移動する間に、「本州最南端」という標識を見かけたので、どんなところなのか見に行ったらなんともの凄い岩があるではないですか! ~Wikipedia 潮岬より写真を拝借~ 一応下まで降りていける道があり、偶然したから上がってきた釣り人にどのくらい時間がかかるのか尋ねたらすぐとのことだったので岩場まで行くことにしました。 間近で見る岩場は凄いです。ロッククライミングのように両手、両足を使って登っていきます。かなり先の方まで進んで、お祈りをさせて頂きました。幸い人もいなかったので、大きな声で大祓詞を唱えさせて頂きました。すると上空にトンビがやってきて私の上空をくるくる旋回していました。インドやバリ島でもそうだったのですが、マントラや祝詞を唱えると鳥たちが旋回を始めるが不思議です。 偶然立ち寄った場所ですが、凄い岩場で凄いエネルギーの場所でした。 ここで見かけた釣り人達は、大きなクーラーボックスを肩にかけ、片手に釣竿を持って、ひょいひょい岩場を移動していました。釣り人って凄いですね。釣りの面白さって今まで全然わかりませんでしたが、このような大自然の中で一日過ごし、自然から直接恵みを頂き、それを感謝と喜びを持って食すことは、とても大切なことを思い出させてくれるように思います。 畿内の大五芒星の図でも五芒星の頂点の延長線上がちょうどこの辺りになるようです。 陰陽師って本当に凄い人たちですね(しみじみ)
2013.11.23
玉置神社の参拝を無事に終え、熊野本宮大社と大斎原に今一度無事に参拝が出来たお礼に伺いました。 その後、紀伊半島最南端にゆっくり向かう予定だったのですが、翌日の天気予報が雨マークだったため、翌日周る予定だった熊野速玉大社、熊野那智大社、那智の滝も大急ぎで周りました。 熊野三山を周って感じたのは、いずれも観光地化されていて霊場としての厳かさやご神気が感じられなくなっていたのが残念でした。その中でも、那智の滝だけは、素晴らしいご神気が漂っていました。 翌日、串本の出雲地区にある朝貴神社から祈りをスタートしました。 無人で、多分お祭りの時位しか人が来ないような小さなお宮さんなのですが、しっかりご神気を感じました。人知れずその土地や人々を守ってくれている神々の存在に涙が止まらなくなりました。こんなに頑張ってくれている神々に対し、さらにお願い事をすることは畏れ多くて申し訳なくてできなくなります・・・ 串本から田辺に向かう道路沿いにある小さな小さなお社の恵比寿様もまた同じ感じで泣けました。 次にその日の目的の闘鶏神社に向かいました。 ご祭神は伊弉冉命で、摂社に玉置神社、そして弁慶や熊野水軍で有名な別当湛増の像がありました。 伊弉冉命という神様の存在に強い疑問を持ちはじめたのは、今年の4月に福井県の平泉寺白山神社を訪れた時からでした。それまでも、伊弉諾命、伊弉冉命という二柱の神様の存在が今一つわからなかったのでした。 平泉寺白山神社の本殿に参拝した時、他ではあまり感じることがないものすごい次元の高い神様がそこにいらっしゃると感じました。ご祭神はどなたなのかと側の立札を見た時に、白山妙理権現、伊弉冉命と書かれていました。白山妙理権現とは霊峰白山の神仏習合の神のことで、伊弉冉命の化身になるようです。 白山のご祭神は白山菊理姫と言われているけど、え?伊弉冉命? エネルギーがとてつもないエネルギーです。 白山には毎年登っていますが、今年初白山の友人と一緒に登ったら友人が白山のことをいろいろ調べてくれて、白山には御前峰、別山、大汝山があり、この三山を制覇しないと白山に登ったことにはならないと言われているそうです。 御前峰 ご祭神 伊弉冉命 別山 ご祭神 大山祇神 大汝山 ご祭神 大巳貴命 このご祭神の名前を見た瞬間に、伊弉冉命は瀬織津姫ではないかと考えが浮かびました。そして、今回の紀伊半島の旅を通し、瀬織津姫という神様がどれだけ貴い神で、それ故なのか徹底的に封印されてきた神であることがわかりました。
2013.11.20

祈りの旅の日記がまだ途中で止まった状態です。 帰ってきてから、あまりにもいろいろな情報が怒涛のように押し寄せてきて、オーバーフロー気味です(苦笑) 今までずっと解けなかった謎がドミノ倒しのように連鎖反応して解けてきました。 熊野地方は、自分にとっては、ある時期が来るまで行けない場所(行ってはいけない場所)だと思っていましたが、やはりトリガーだったようです。 玉置神社で頂いた悪魔退散のお札のエネルギーがあまりにも可愛くて、日に何度も(10回以上)玄関まで見に行き、家に来てくれてありがとうございますと言っています。 このお札が原因なのか、昨晩寝ようとしていたら、部屋の中央に黒い天狗のような人が動き回っているビジョンが見えました・・・ なんとなく直感でカラス天狗?と思ったのですが、今日カラス天狗を調べてみたら、同じでした・・・ なんだか凄いお札です・・・ 失礼がないようにしなければと、身も心も引き締まります。
2013.11.15

早朝6時に玉置神社に向け出発しました。 今回の祈りの旅のメインの場所です。 朝靄の中、川沿いのくねくねまがった道をひたすら走り続けました。 くねくね道を走って思ったのは、直線道路を走れるというのはなんと便利で有難いことなのだろうと思うと同時に、人間の便利さを追求するがために自然をどんどん破壊していく人間の傲慢さ・・・ 何年か前の台風の影響で、未だに河川沿いが崩落したままの光景を何度も目にし、心が痛みました。 玉置神社駐車場には7時10分ごろ到着しました。 既に何台かの車が止まっていましたが、参拝者ではなく登山者のようでした。またテントを張っている方もいて、こちらは大峯奥駆道の修行者さんぽい感じでした。 駐車場から神社までの道のりがとても幻想的な世界でした。鳥のさえずりしかしない深い深い森の中を歩いていると、一瞬無音の宇宙空間にいるような錯覚を起こしました。本当に一瞬ですが、無の境地のようなものを感じました。 二つ目の鳥居をくぐったあたりから霊気が変わり、大きな杉の上から眷属神さんが鋭い視線で見張っているのが伝わってきました。まるで矢を射られているような感じです。人によってはここを凄く怖いと感じるようです。 とにかく礼儀が大切だと思い、視線を感じる方向に向かって「失礼します」「お邪魔します」と言いながら通ってきました。 本殿にたどり着いた時には、やっとたどり着いたと思いました。 縁がないと来れないとか、いろいろ聞いていたので感無量です。 本殿、摂社、夫婦杉、ご神木等を一通りお参りをしてから、次なる目的地、玉石社に向かいました。 なんでも大峯奥駆道の修験者達は、玉置神社に到着すると真っ先に玉置神社のご神体である玉石社の玉石にお参りをするのだそうです。この玉石社のご祭神は大己貴命にとなっており、神武天皇がこちらに立ち寄られた際に十種の神宝の内の玉を納められたのがこの玉石になると言い伝えられているようです。 玉置神社で一番ご神気を感じたのが、やはりこの玉石社でした。そしてお参りを終え立ち去ろうとしたら、またとっても良い香がしてきました。 伊勢神宮外宮の多賀宮と同じ香です。ここでもお線香かなと思い辺りを見回しましたが、やはり何もありませんでした。 伊勢神宮外宮の多賀宮と玉置神社の玉石社で同じ香がするというのはどういうことなのでしょう・・・ 伊勢神宮外宮の多賀宮には失われたアークが埋められていると言っている人もいるため、失われたアークというのは十種の神宝の一部なのだろうかとなんとなく思ってしまいましした。 玉置神社を参拝された方のブログを読んでいると、玉石社を参拝された直後からジャスミンの香がするようになったと言っている人がいて同じだと思ってしまいました。 国常立命をご祭神とする神社のご神体が十種の神宝の玉・・・その玉のご祭神が大巳貴命・・・ 国常立命=大巳貴命=饒速日命なのでしょうか・・・ 玉置山山頂にも行きましたが、なんと山頂に電波塔が立っていて本当に驚きました。 このような重要な聖地に電波塔とは(絶句) ずっと以前から玉置神社を知っている方々は、今の玉置神社の様変わりに驚いているようですが、電波塔がなかった頃の玉置神社とはどれほど凄い場所だったのか・・・ ずっとずっとこの重要な聖地を命がけで守って来てくれた数多の修験道や神社の先人達に深い深い感謝の思いが湧いてきました。 人それぞれの役目がありますが、本当にたくさんのお蔭で生かされていることに自然と涙があふれてきました。 この地でたくさんのたくさんの感謝と愛と光を捧げてきました。 玉置山の地が大勢の先人達が守ってきてくれた素晴らしい聖地であり続けますように・・・ 帰り際、社務所で悪魔退散と普通のお札を頂きました。 その日の晩、枕元にお札を置いて眠ったのですが、玉置神社のお札は本当に凄いです!!! お札のパワーが私の潜在意識に働きかけているようで、闇が近づいてくると瞬時に察知して何の感情も持たず事務的に闇退治をしている夢を立て続けに二つも見ました。 なんと言う威力・・・ 恐るべし玉置神社です。 来年は神恩感謝のご祈祷を是非是非受けに行きたいと思います。 ちなみに、こちらの神社では畏れ多くて写真を撮ることが出来ず、山頂から見た大峯の山々と社務所の襖絵の鶴だけが記念に残っています。 YouTubeに玉置神社の素晴らしい動画があったので興味のある方はどうぞ!
2013.11.08
第三日目は、早朝6時頃に出かけ、伊勢神宮外宮、内宮をお参りし、お札を購入しました。 早朝の神社参拝は本当に気持ち良いですね。 この日は、一路熊野本宮大社近くまで移動する予定だったので、9時前には伊勢を出発しました。 途中山道に迷い込んでしまいましたが、迷い込んだ先に不動明王の滝と書かれた標識が目に入りました。お不動さんに引っ張られているような気もしましたが、今日は山道を走るので日暮れ前には宿に到着するよう、参拝はせずにひたすら走り続けました。 伊勢から熊野は国道42号線をひたすら走り続けるのですが、なんと前回の台風の影響で途中土砂崩れの為通行止めになっており、迂回せねばならなくなっていました。 車であれば、迂回路として有料道路の無料区間を走れるのですが、原チャリのため山道を走ることに・・・ ですが、この原チャリでの迂回が凄い場所にたどり着くことに・・・ 今回ものすごい聖地を沢山回ったのですが、その中でも今回の旅で一番驚いた場所が、偶然迂回した先の「魚飛渓」でした。 ここの渓流とにかく凄いです!!!大きな岩がごろごろしていて、エネルギーが半端ないのです。あまりの霊気に思わず停車したら、右の崖にお不動様のお堂が見えました。一体この場所はなんなんだと思っていたら、進行方向から一台の車がやってきて停車し、右手に長い数珠をぐるぐる巻きにした男性と、腕にパワーストーンを二つつけた女性が歩いてきました。この地域出身でたまたま帰省されたようですが、この方のおばあさんが生前こちのお不動様のお世話を毎日されていたということです。やはり凄い場所というのは、自然とお世話をする人がいるようになっているのですね。 もう立っているだけで、全身鳥肌状態です。ここまでのエネルギーを感じたのは、鹿児島の霧島神宮旧宮跡地の時以来でしょうか・・・ 車だったらここには来れなかったので、原チャリライダーで本当に良かったと思った瞬間でした。 ここは、また絶対に来たいと思いました。 その後も交通規制等にぶつかりかなり時間のロスをした為、熊野本宮大社に到着したのは夕方5時近かったのでお参りをどうしようか迷ったのですが、翌日は日の出と共に玉置神社に向かう予定だったので、玉置神社に向かうお許しを頂こうと神社に参拝しご挨拶させて頂きました。 熊野本宮大社から徒歩5分位のところに大斎原(熊野本宮大社元宮跡地)があり、そちらも参拝しましたが、霧島神宮の旧宮跡地と同じく、元宮の方に凄いエネルギーを感じました。 地元のおばあさんが二人お参りをされていて、ご祭神のことを尋ねたら、いろいろ話をして下さり、最後にはまあ遠いところからようこそ来てくれましたと労ってもらいました(笑) この日は川湯温泉に泊まったのですが、宿のおかみさんがとっても温かみのある方で、部屋もなんだかとってもゴージャスな部屋を使わせて下さり、今回の一番の目的地である玉置神社参拝に備え準備万端で眠りにつくことができました。
2013.11.08
二日目は伊勢神宮外宮からスタートです。 早朝5時から参拝可能なので、気合いを入れて早朝5時に外宮に行きましたが、真っ暗闇です・・・ 真夏ならまだしも、この時期の5時はさすがにまだ夜中でした。 真っ暗闇の中、既に神職の方、警備の方が仕事に就かれていました。毎朝、早起きをされ準備されているのかと思ったら深い感謝の思いが湧いてきました。 外宮の正宮をお参りし、次に多賀宮に行きました。お参りを終え立ち去ろうと向きを変えた瞬間に、照明灯が消え真っ暗闇になりました。私と入れ違いに参拝者が立ち入ったのに照明が消えるということは、夜間帯の照明が自動的に時間になったら切れる仕組みになっているのだと思いますが、それにしてもなんというタイミング・・・ 多賀宮を立ち去る時に、とっても良い香が漂ってきたので、誰かがお香を焚いたのかと辺りを見回しましたが何もありませんでした。多賀宮の神様の香だったのでしょうか・・・ 外宮内の最後に下御井神社に行きました。ここは小さなお社なんですが、目を閉じると巨大な光の御柱が立っているのが見えました。なんとも凄い場所です。 月読宮の後、原チャリで内宮に向かったのですが、なぜか内宮への曲道を見逃し伊雑宮に先に向かうことに。お参りする順番も決められているのでしょうか・・・ 伊雑宮から内宮への帰り道に天岩戸神社に立ち寄りました。今日も登山する予定ではなかったのに風穴への道が登山道になっていました(汗) 今度こそ内宮へと思ったのですが、なぜか先に猿田彦神社に立ち寄ることに。普段お守りとか買わないのですが、今回猿田彦神社でお守りをゲットすることに。石上神宮で反応した猿田彦神社といい、今回は猿田彦さんと縁があるようです。 やっと伊勢神宮内宮に辿りつきました。今まで伊勢神宮では外宮に反応していて、内宮ではあまりご神気のようなものは感じなかったのですが、今回、内宮の正殿が凄いことになっていました。式年遷宮のパワーってやっぱり凄いんですね。ご神気という意味では、内宮正殿が一番強力だったように思います。 今回伊勢神宮を参拝して感じたのが、参拝者のマナーがとても素晴らしく、見ていてとても気持ち良くなったことです。鳥居の前で一礼するのが当たり前になっていて、お参りの際のお辞儀もとても綺麗なお辞儀をする人が多く、本当に嬉しくなりました。 一日の最後に二見輿玉神社に参拝し、この日の祈りは終了しました。
2013.11.08
今回の祈りの旅のスタートは大好きな石上神宮からスタートしました。 大好きな摂社出雲建雄神社に行ったところ、今回はその横の猿田彦神社に妙に反応してしまいました。ご祭神は猿田彦神、底筒男神、中筒男神、上筒男神、 息長帯比売命、高靇神となっていました。ふむふむです。 次に桃尾の滝に向かいました。 ここは本当に何度来ても気持ちの良い場所です。 平日だったこともあり、誰もいなかったので大きな声で祝詞を奏上させて頂きました。 ここの滝に向かって右横にある大きな石碑が磐座になっていて、前回満月の日に来た時に、この石碑に高次元の存在が物凄い波動を伴って降臨され、「全ては完璧である」という強力なメッセージを伝えられました。 ご神体山に行くと磐座が大切に祭られている意味がその時初めてわかりました。 その日は伊勢まで移動する予定だったので、早々に桃尾の滝を後にする予定でしたが、なぜか滝の上の方にある大親寺というお寺が気になりだしました。時間がないのになぜか上に登っていってしまいます・・・ お寺の庭は苔が生えていてとても気持ちの良い空間になっていました。以前桃尾の滝で住職さんとお話した時に、裏庭に饒速日さんが良く遊びに来ますよと言っていましたが、なるほどです。 お寺にいると上から登山者が下山してきたので、なぜか磐座がある大国見山まで遠いですかと聞いていました。30分位と言われたので、往復1時間。今から登っていたら伊勢までの山道を暗闇の中走ることに・・・ 時間がないのに何故かまた山を登り始めていました。 何かに引っ張られている感じがしたので諦めて大国見山山頂を目指しました。 山頂には小さなお社と神様の名前が刻まれた磐座が鎮座していました。 ただ、神様の名前がとても見え辛く、知らない人はきっとこの石に腰かけたり、お弁当を食べたりするんじゃなかと思ってしまいました。 お社の前で祝詞を唱えていたら、背後から何かが覆いかぶさる感じがしました(大汗) 怯んだら負けだと思い、強力な光を発するイメージを浮かべながら祝詞を続けました。 一応一通りのお祈りを捧げ無事下山することができ、その後伊勢に向かいました。
2013.11.08
先月末から紀伊半島を中心に祈りの旅に出ておりました。 9月に立山、白山を登った直後から、なぜか急に熊野が気になりだしました。 メンターの陰陽師さん曰く、神社も周る順番があるらしく、私にとっては立山登山をしたことが、熊野行きに繋がったように思います。 熊野詣での計画を立て始めてから、熊野三山の奥ノ院「玉置神社」の情報がどんどん入ってきました。眷属神の見張りが半端ないようで、それに合わせたように自身の浄化が始まりました。 石上神宮の奥宮の側にある桃尾の滝に通っていた頃、そこに集まってくる霊能者や修行者の人から玉置神社に行った方が良いと言われていたのですが、その時は場所を聞いて「かなり遠い・・・」と思いそのまま終わってしまいました。 確かに奈良の山奥にあるのですが、今回は地図を見ても全然遠いとは思わず、絶対にここに行きたいと思い旅の計画にとりかかりました。 今回、伊勢神宮、高野山、吉野にも行きたかったのでどういうコースで周ろうか悩みましたが、天気予報と地図と予算を考慮したら、スケジュールが勝手にどんどん決まって行きました。 DAY1: 石上神宮、桃尾の滝、大国見山 DAY2: 伊勢神宮外宮、月読宮、伊雑宮、猿田彦神社、伊勢神宮内宮、二見興玉神社 DAY3: 伊勢神宮外宮、伊勢神宮内宮 → 魚飛渓 → 大斎原、熊野本宮大社 DAY4: 玉置神社 → 熊野本宮大社、大斎原 → 熊野速玉大社 → 熊野那智大社、那智の滝 DAY5: 朝貴神社 → 本州最南端 → 闘鶏神社 DAY6: 南方熊楠&植芝盛平墓参 → 皆瀬神社(龍神温泉) → 高野山 DAY7: 高野山(英霊殿、奥ノ院、壇場伽藍) → 吉野(吉水神社、金峯山寺、金峯神社、 水分神社) → 橿原神宮 DAY8: 上賀茂神社 → 鞍馬寺 詳しい日記は別途書いていきますが、私が高野山に向かう途中、龍神温泉から友達にメールをしたら、友達の知人も私と同じ日に伊勢神宮に参拝し、その後那智の滝、高野山を周って帰ってきたと教えてくれました。 なんというシンクロ! その日の晩、玉置神社のHPを見たら、なんと玉置神社の神職の方と崇敬会員の方も同じ頃伊勢神宮参拝に出かけていたことがわかりました。 メンターの陰陽師さん曰く、神様や高次元の存在が動くときには、どうしても人間のエネルギーが必要になるので、それを察知した人々が動くことになるとか・・・ 民族大移動のように、面白い位同じ時期に同じように動く人がいるのでなんとも感慨深いです。 今回もまたいろいろな気づきがあり、全てに感謝の思いが湧いてきた旅になりました。 無事に家に戻れるよう守護してくれた全ての存在に、そして全ての巡りあわせに深く感謝します。
2013.11.08
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