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らんあんママ @ 一時でも幸せ気分を味わえるよね そうか、今までアルコールで発散はようせ…
ぐぅーママ @ (゚ー゚)(。_。)ウンウン ストレス食い・・・なんか分かる気がする。 …
らんあんママ @ ありがと~ しかと、伝えるね~♪ 見においで^^
ぐぅーママ@ ♪お(^O^)め(^。^)で(^O^)と(^o^)う(^。^)♪ ほんとにおめでと~~~♪ 杏ちゃん、いい…
らんあんママ @ はじめまして ありがとうございます。 なかなかお返事…

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2007.04.23
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カテゴリ: 独り言
【完】
 私が中学1年生になったある日の夜、突然知らないおじさんが遊びに来た。
また、誰かに世話がって貰ったようだ。
いつでもどこにも、世話焼きじーさんばーさんは居るものだ。
その人と付き合いながら、時々(お正月や連休等)その人の家に行ったり、うちで泊まったりのお付き合いをしていた。

 それと平行して、小学2年生頃に転職した次の職場は、6年ぐらい続いたがあまり業績の良い会社では無かったようで、また辞めてしまう。中2頃だったと思う。
その頃私は怪我をしたが、保険が無いからと病院へ行けず、捻挫を自力で治した事があったからよく覚えている。
(放っておいただけとも言う。)

 そんなこんなで、私が高校へ上がるまでいい所へ就職出来ず転職を繰り返したような気がするが、この人、とにかく頑固で生真面目だから、そこへ引っ越してからは毎日朝早く起きて掃除洗濯もして、バスに乗って市内へ出て会社へ行き、帰りは同じバスに乗って帰ってきた。

まぁおなか空かせて、口あけてる私っていう子供が居たと言うのもあるだろうけど。
私が小学1年かその前か頃に、会社の慰安旅行でどうしても家を空けなくてはいけない時が1度あり、その時だけは同じ市内に居た、まだ若かった従兄弟に泊まってもらって旅行に行った事があった。
あの時確か独身のお兄ちゃんは、彼女と一緒に来て泊まり、
「今だけ○○(私)は、お兄ちゃん達の子供ぞ!^^」
と言った。どうもラブラブ真っ盛りの頃で、お母さんごっこだったのだな。。。ムフッ(^m^)

 夜出歩くのはとても怖いと思う性格で、棚卸で最終のバスに乗らないといけない日など、小学生の私に夜の10時前にバス停へ迎えに来てくれ、と言っていた程だ。
夜外へ出るものじゃない!と言っていたのに、いくら女ざかりの頃とはいえ、子供に外へ出ろというのはいかがなものよ???なーんて後で思ったりしたが、ホイホイ出かけた覚えがある。

 高校へ入学する1週間ほど前のある朝、そのおじさんがうちへ泊まっていて倒れた。
脳梗塞だった。半身に麻痺が残るその症状は、その当時の病院では付き添いさんが必要だった。
そのおじさんの妹と母が病室に居る中で、
「兄さん付き添いどうする?」

「○○さん(私の母)にやってもらえたら」
とそのおじさんは口がもつれながら言った。
私はその言葉を聞いて全身が震えた。病室内にある冷暖房の機械にもたれていなかったら、立っていられなかったほど震えていた。
怒りだったか何だったか、それは解らなかった。
ただ、大人の話だから子供は口を出してはいけないと思い(日頃からそう言い聞かされていた)黙っていた。

「病気になったからと見捨てる人も居るけど、私はそんな事出来ない。仕事を辞めてあのおじさんの面倒をみたい。丁度高校入学だから、下宿してると思ってやって欲しい。中間期末の発表があったら、その期間だけ戻ってくるから。」
と言われた。
私は言葉通りを受けた。
そこから私の一人暮らしが始まった。
 母は病院に泊り込みで付き添いをし、その年の夏頃退院し自宅療養となり、今度はその人の家に泊まりこんだ。
その人の家は、同じ県内だが県境に近い山奥で、夏休み冬休み等は
「長い休みを一人にしておけない」
と、私も泊まりに行かされた。
友達も居ないそこは、私にとっては軟禁状態だったが、食べさせてもらってる身分ゆえ反論は出来なかった。
母にとってその日々は、とても充実した幸せな時間だったのではないだろうか?
色々私には理由を付けていたが、要はその人をとても愛していたのだろう。
あの病室でおじさんが言った時
「籍も入れてちゃんとしよう」
とも言ってくれたそうだ。
 しかし母は、
「私が高校を卒業するまでは嫌だ。」
と突っぱねたらしい。
そこの息子が、高校を出てなかったのが理由だったそうだ。
色々言いたい人が、どこにもいますから。
でも、母はその世間に負けた・・・いや勝とうとは思わなかった。
どちらにもいい顔をしていたかった結果、どちらも失った。
二兎追うもの一兎も得ずとはこの事か。。。自分でよく例えに使って私に言っていたのに。

 倒れて以来、おじさんがうちへ泊まることは無かった。
付き添い生活から5年位経った頃から、母は家に居ることが多くなった。
7~8年目のある日、叔父さんは段ボールの箱を持ってきた。
中身は、母が向うの家で使っていた母の衣類他だった。
どうも、家に居る事が多くなった頃から二人の間に隙間風邪が吹いていたようだ。
「どうして仕事を辞めたのか?」
と言われた事もあったそうだ。
母にすれば、貴方の為に辞めたのよ!!!だっただろうが、そう言えない母の性格だ。
逆に
「[わや]にされてなるものか!」(方言ですか?)
「アンタの為にアタシは仕事までやめて、尽くしてきたのよ。絶対最後(死ぬ?)まで面倒見てもらう」
と、愛情は執念に変わってしまった。
生活全てを投げ打っての事だったから責める事は出来ないが、あの時籍を入れなかった母にも責任はあるのだけどね。
人間心変わりはあるもの。。

 だが、そのおじさんにも解りきった事だったから、そのまま切れることなく続いたのだろう。
向うに行かなくても、小額でも生活費は貰っていたようだった。
そして、一緒に鮎やアメゴや夜通しのイカ釣りに出かけていた。

 話が前後するが、母の糖尿病が解ったのが43~4歳の頃だった。
あれから30年ほど経つが、医者からそのつど止められる食材は、どれも母の好きなものばかりだ。そんなものかもしれないけど。
さいしょのうちは、お菓子。病院へ行った直後は規則正しく守っている。
しかし続かない。「ええい面倒だ。食べてしまえ!」と全部食べたりする。
どんな時でもそうだ。つもりつもって、30年後の今は緑内障で視力はやられている。
腎臓の値もよくない。食事制限(生野菜・生果物・乾燥果物・漬物等)これまた好きなものばかり止められている。
しかし、野菜は守っても、果物・漬物は守れない。お菓子の時同様「こればぁは・・ちっと・・」と、自分の都合で守る。食事制限の全てを自分の都合で守っている。
これはこの人の大雑把な性格も災いしているだろうけど、ダイエットし切れない自分も見てみるに、責める事も出来ない気もする。
が、病気を酷くした一因ではあるよねぇ。

そのおじさんと切れたのは、私が原因だ。
ずっと我慢していたが、33歳で我慢の糸がプツリと切れた私は、中古の家を買って自立した。
その時母は泣き崩れ、
「布団を敷けるスペースでいいから小屋を建ててそこへ住まわせてくれ」
と私に懇願したが、もはや私には母への愛情は欠片も残っていなかったから、拒否し出て行った。
「(私にとって)知らないおじさんが出入りする家に居たいと思う?私はもう嫌だ。」
とも言い放った。

出て1週間か1ヶ月か経った頃、近所のおばちゃんから
「めまいがするとフラフラして倒れて救急車で運ばれたからね」
と、会社へ電話があった。
「多分ストレスからくる突発性難聴からのめまい」と、少し血管が詰まりかけているという診断だった。
1~2ヶ月入院したが、先生から
「正直困ってます。もうすぐ退院できますよと言うと、途端に具合が悪くなるのですが、特に悪いところはないのです。」
「一番お辛いのはご家族の方だとは承知していますが、病院としても。。。」
と言われた。
思ったとおりだった。子供の登校拒否の症状のようなものだ。
そうあのお腹痛いって、休むとケロッと治るヤツ。

そこから3年間、週1ペースで私がおかずやらを持っていっても食べては無く、料理もせずひたすら落ち込み、糖尿病だから低血糖の発作を度々起こし救急車で運ばれた。
当然体も弱くなり、最後の方では、遂に町内会長まで出てきて私に連絡をしてきてくださったりし、ただの親子喧嘩では済まされなくなった。
もう本当に弱ったようにも見え、一人暮らしを断念し丁度住んでる近所に売り土地が出たので一緒に住みたければ買えば?と言い、私達はそこに居を構えた。

それが今の家だ。

 一緒に住みだして、私が一人暮らしをしている間に家族になったヨーキーの蘭丸に加え、ダックスの杏を迎える事にした。
最初母は酷く反対した。
「そんなん可愛くない!!」まで断言した。
にも関わらず、杏が3日間失踪した時は必死に探して、人前では「むごいむごい」と泣きそうなフリをしていた。
いや、本気でそう思っているのだろうが、私にはその変化が
      【必殺掌返し】
で、腹立たしいのだ。
なんでも、どんな時でも、昔からこの人はそういう人だ。
そして、自分の分が悪くなるとか自分が悪者になりそうだということに気付くと、瞬時に態度を変えあげくの果てには、
「そんな事言ってない!いよいよアンタ(私の事)は嘘を言う」
と、人を悪者にする。
この人はそういう人だ。だからこそ嫌になったのだ。いつでも自分は良い人で悪いのは全て私なのだ。
 今一緒に暮らしていて、いたって元気だ。元気になった。
そして私には許さなかった我がままを、言い続ける。
分が悪いと「目見えん」「フラフラする」だ。
もう、向うの団地は引き払っているから、自分を追い出す事はないと踏んでいるこの人は強気だ。
「もう嫌だ。一緒によう住まない」
と私が言い出し、自分が通りそうに無くなってくると、
「(土地を買ったときの)お金を、耳をそろえて出してきたら出て行く」
と言う。私は本気でそうしようかと考える程だ。絶対出来ないだろうと踏んでいるわけだ。
それから
「アンタ(私)が嫌だと言うから(おじさんとは)もう会ってないのに」
とも言う。私が30歳も越して、今更別れてくれて、誰が嬉しいのだろうか?迷惑な話だ。
しかも分かれたのはアタシのせいの様ではないか。それまでにダメになっていたでしょう?どうして人のせいにするかなぁ?

 ますます、私は嫌で仕様が無い。

 嫌で仕様が無いが捨てる事が出来ない。
親子にも離婚届が欲しいと思っている。
実際そう思って、それを突きつけて1度家を出たのだが、こうやって一緒に住みだすとすっかり忘れられている。
せめてそのことを根底に置いてくれれば、もう少し親子関係も円満にいくのかもしれないが、この母は嫌な事は全て無かった事としている。
そしてワガママをぶつけてくる。それがよけい腹立たしい。

 しかし幸薄い人生だと思う。しかも人に振り回されて自ら幸せを手放してしまっているような気がする。
何故こう生きて、そして、この私もこの人に振り回されなくてはいけないのだろう?
前世で一体何があったのか?知りたいところだ。

                                    【完】






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Last updated  2007.05.08 14:27:28
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