全42件 (42件中 1-42件目)
1
ババが入院した。自分で荷物をまとめ、大きな袋3つ。今日は、タクシーで行くのだそうだ。 あえて、私は何も言わない。一度優しい言葉をかければ、後ずっと頼ってくる。それが怖いのだ。1回その時くらい、送って行っても良さそうだと思う気持ちはある。これが月末でなければだけれど。事務員の月末は忙しい。 他のことに煩わされたくない。今までやってはきたけれど、そっから毎日のように来て欲しいオーラを放っている。無理なんだ。これが自分の子供なら、何が何でも行かなくてはいけないと思う。いや、母もやってはくれた。でも、子供の私が、それをそっくりそのまま返さなくてはいけないのだろうか?それを求められてるようで、嫌なのだ。。。。。 今回の入院は、持病の糖尿病から併発した腎臓の方。数値が良く無いんだそうだ。そりゃそうだろう。私が作るおかずの数々(今、見栄を張りました^^;)をことごとく、 「こんなにいらん」 「こりゃ嫌」 「ありゃ嫌」 「辛い」 「酸っぱい」 「硬い」 「ゴジゴジしてる」極めつけは 「お腹空いてない」そんな言葉で、せっかく作った物も手を付けず、結局私が食べるので、私が太る。いやね、冷凍すればとかは思うのだわ。だけど、うちの冷蔵庫の冷凍の容量はあまり無い。おまけになんだか色々入ってる。他の物は入らないのよね。。。 腎臓の値を言われてからは、全ての野菜は調理前に湯通しする。それを作ってからの先の言葉だ。もう、かれこれ3年ほど、しっかと頑張ってみた。お蔭様で数値も安定してた。ところがどっこい、 「自分が考えて食べているから」だ、そうだ。別にねぎらって欲しいわけではない。だが、文句しか言わないこの人。私はこの人の性格に長年の我慢の末、嫌で家を出て、可愛そうオーラを出しまくり、近所を巻き込み町内会を巻き込み、何度も救急車で運ばれ(食べないから低血糖)死にそうになって、生きる希望もないような素振りでいたから、長くはないかな?と、最後を一緒に暮らすべきかと今の生活になった私には、耐え難いわけだ。そんなこんなで、我慢の限界が来て切れた。もう作らない!!!!! 自分で買い物もして食べなはれ。そう言って、食費はもらってない。佃煮だのちくわだのてんぷらだの、買ってきて食べてた。漬物は塩分が多いからいけませんよ!と言われてるから買わない食べない。なのに佃煮か・・・・・と思っていた。「甘いからかまんと思ってた」のだと。病歴30年のこの母の言葉だよ。。。。。人の作ったものは気に入らず、そんなものばかり食べてるんだもの、数値も悪くなるだろうよ。もう知らないよ。面倒見切れネーよ!!! 犬の散歩にもいかず、残業も出来ずに必死で帰って作ってるのに。犬も太ったじゃないか!!!!!自分の生活全て後回しにしてのことなのに・・・・・ もう知らない(怒)勝手に入院してくれぃぃぃぃそのほうが安心じゃわい。
2007.07.30
コメント(0)
仕事が終わるなり …飛んで帰る先負けの午後…善き日に、 ひなちゃん が、旅立ちました。 新しく行く家の3人姉妹下2人が、学校から真っすぐ帰って一緒に迎えに来てくれました。とっても大事そうに、腕に抱いて帰りましたよ(*^_^*) ひなちゃんと同じ日に、 くうちゃん も、旅立ちました。 ママが、お仕事お休みだったお姉ちゃんと一緒に、迎えに来てくれました。お兄ちゃんも、今日は寄り道せず、お仕事から真っすぐ帰って来る!って言ってくれてたんですって。(o^o^o) 1度しか逢えなかったお姉ちゃん。くうちゃん見るなり、「いやぁ(^O^)大きくなったねー可愛い」これまた大事そうに、膝に乗せて帰りましたよ(*^_^*) みんな本当に良かった(*^_^*)ばぁちゃんは、ホッとしたよ。 写真は約1ヶ月前のだけど。。。2ワンが一緒のって、あるようでないのよね。
2007.07.13
コメント(0)
今日の善き日友引に、 いちごちゃん が、旅立ちました。 とても待ち遠しい様子だったので、こんなに望まれていけるいっちゃんは、幸せ(*^_^*)ですね。 よく知っているお宅なので、淋しくなったら会いに行こうっと←毎日物陰から見てたりして怪しいって
2007.07.12
コメント(0)
兄弟で遊べるのも、後数日になりました。。。 大事にされるのは、間違いないから心配してないけど、あとの3はワン家族では一人っ子になるから、こんな風には遊べなくなるもんね。 なるべく、ノビノビ遊ばせてやりたいけど、次に行った時にはお留守番もあるし、あまりギャップがあってもねー…(もう十分あるみたいなんだわ)…。 ひばぁがね、アタシの居ない間に泣くと、抱っこしてあやしているらしいわ(-_-メ)。 先に行ったらいむちゃんで、その事が判明( ̄^ ̄)ったくぅー アップ撮れるの最後かも - いちご の挨拶 アタクチ、長女として産まれました、いっちゃん。(写真左上) 木曜日の夜から、正式に○○家の次女、 いちごとして、立派なレディになりまっす(^O^)/ アップ撮れるの最後かも(T_T) - ひなのご挨拶 アタクチ、次女として産まれました、もっちゃん。(写真右上) 金曜日の夜から、正式に○○家の四女、 ひなとして、立派にみんなを虜にしてみせまっす(^O^)/ アップ撮れるの最後かも(T_T) - くう のご挨拶 僕、長男として産まれました、坊っちゃん。 金曜日の夜から、正式に○○家の次男、(写真左下) くうとして、立派なサーファーになりまっす(^O^)/ アップ撮れるの最後かも(T_T) - らいむのご挨拶 アタクチ、三女として産まれました、さっちゃん。(写真右下) 先週土曜日七夕の夜から、正式にれいん家の五女、 らいむとして、立派にれいんちゃんの血を濃く引継ぎ、大家族を満喫しとりまっす(^O^)/
2007.07.10
コメント(0)
【完】 もしも、最初の会社を辞めていなかったら・・・・・ 今ほどお金に困ってはいないだろう。。。。。 つい昨年まで、ボーナスもあったようだし。 家代は今の3分の1で済むし。 週休二日だし、GW休みや正月休みも長い。 もっと優雅に過ごしては居ないだろうか? でも、今の家は建っていないだろう。 杏にも出会わない。 当然、今産まれてきた子供達も居ない。 母もこの世に居ないかもしれない それだけの事か。。。。。 ただ、毎日あの上司達の事を腹立たしく思いながら、死にたいと思い続けているのだろうか? だが、スリムな体は維持していただろうな。。 否それとも、自殺をしているか、それとも未遂で終わっているだろうか? それだと、どちらにしてもあの会社は辞めてるか。 母とは、暮らさない・・・・だろうか? だろうな。。。 暮らしたくはないし、前の家では無理だろう。 今遊んでいるワン友とは、出逢っているのだろうか? きっかけとなったあの店にはいずれ行っているハズだし、なんらかで、やはり出会っているだろうな。 では、今のこの不幸感は、あの会社を辞めたことにあるのだろうか。。。。。? 私にとって仕事は生活の糧であり、楽しくも苦しくもありそしてやりがいもあり、又会社は、私にとって唯一の居場所であり、信頼できる人たちも居てまた、失望に変わった人も居る場所だった。信頼できる上司達が、辞めたり亡くなったりで去った後に来た上司達を、私は信頼する事が出来なかった。信頼していた上司に失望する事も増えていた。 その前に、次々と入ってくる若い子達のマナーの悪さ(それは今までの子達とは明らかに違う質の悪さ)に、時代の変化も感じていた。その子達を、今までの会社の気質に添わせるよう躾ける役目を負わされていた私には荷が重すぎた。そして、その子達のご機嫌をとるその新しい上司達を、軽蔑さえしていた。またそれは、丁度その親子世代であり今の時代を作っている正にその世代、そしてどちらも今の自分を苦しめている世代にしか感じられなかった。いつしか私は、小姑のように重箱の隅ばかりをつつくようになり、私らしさ(厳しく律しながらも表面は楽しく楽観的に仕事をする)は消え「従来のうちの会社」を懐かしむほどに激変していく中で、会社自体が変わっていくその方向に、ついていけない自分を感じ、経済的なものも含め考えもしたが、 「お金じゃ無い」 「生き方の問題」と思い、退職した。長年と言われる年数になっていた私に 「もったいない」と、声をかけてくれる人はいたが、何が「もったいないか」分からなくなるほど、疲れていた。辞めてからは、毎日午前中には目が覚めなかった。もう、普通の仕事には就けないのではないかと不安になるほどだった。本(小説)も読めなかった。仕事をしている時に、山積みになった色々を全部、同時進行していたからだ。どれも時間を要するものであり、同じぐらいの期限の物に順序が付けられない自分になっていた。 続けるのは、やっぱり無理だっただろうな。。。。。 人生って、やっぱり難しい。。。。。 【完】
2007.06.07
コメント(0)
【完】 26日に、最後に生まれたさっちゃんが一番最初に、28日には全員の目が開きました!!! 体重も産まれた時の三倍になりました。こちらは右上がりこそ、嬉しいすくすくと育っているようです。 最近暑かったり、涼しいをちょっと通り越して肌寒かったりで、仔犬たちの温度調整には気を使います。熱い寒いを言えないだけでなく、まだ動きもぎこちないですもんね。 ちょっと体重が増えなかったら、哺乳瓶を片手に 「おばあちゃんの出番かい」と、ほくそえんでいる私です。が、あんまり出番が回ってこず、ちょっぴり不満杏、母さん業を何時何処でならったの?完璧ジャン♪ それにしても、この寝相。。。。。。よりにもよって、女の子だけが揃ってコレですか。。。。。。。悩ましいわね。。。。うーーーーん セクシィショット? 【完】
2007.05.30
コメント(0)
【完】 うーーーーん(ーー; 8時以降は食べない!を打ち出してから、何故か食事時間が遅くなる。昔から、私がダイエット対策に乗り出し 「お菓子は一切食べない」と決めれば、普段口に出来ない珍しいお菓子が回って来て、私のダイエットに影響を及ぼした。(ここで揺らがなければいいだけの話しだが) 呪われている? 昨日もそうだ。帰りが比較的早かったので、 「今日は、ご飯も少なかったから、ラーメンか焼きそばか食べようっと♪」と、思いながら家路に着いた。 蘭丸達の散歩に行くと、途中で友達から 「遅くなったけど誕生日プレゼントを渡したいから、近くへ出て来て!犬苦手だから。」と、電話があり食事は帰ってからと、犬たちを家に残し出かけた。貰ったら帰る・・・・・つもりだったけど、それも少し悪いし、たまにしか逢わないから少し立ち話をした。待ち合わせたのは大型スーパーだから、ちょっとお店も覘きながら。。。。。店を出たら、あたりは真っ暗だった。 帰ろうと思ったが、先日旅行に行った時の写真も見せてくれると言うので、それに従う。だんだん、シリアスな話にも移行し 「まずい!帰り辛いゾ(冷汗)。ラーメン・・それか焼きソバ・・・食べれるかなぁ?」と、頭の中は楽しみなラーメンか焼きそばで一杯なのだが、そう思いつつもこの友人を捨てるわけにもいかず。。。。。産後の杏のご飯の事もあったから、それを理由に何とか3・4度目の 「じゃあ」で、別れたのがすでに8時(NO!!!!!) 帰って炊飯鍋を覘くと少しご飯が残っている。。。。。鍋にはカレーがあるし、、、、、、今日はこっちにしよう(8時以降は食べないんじゃないんかい???)これだけにしよう。。。許す! ところが、日頃ろくなものを食べて無いせいか、日中すこぶる体調が悪かった私。塩分が足りないのかも、と、会社にあるおかきやら煎餅やら柿の種やらをむさぼり食べていると、少しずつ体調も戻ってきた。 納豆も食べよう。 冷凍チジミも少し。。。。日中のそんな事も手伝って、8時どころか9時になってしまったのに、せめてローカロリーなものなら、と食う喰う。。。。。 やっちまった(><) 案の定、今朝の体重少し下がり気味になったかな?と思った矢先だったのに、戻ってしまった。。。やっぱ、昼間のお菓子、厳禁だな。。。。。(え?今更?そんなん当たり前?(^m^)フフフ) 自分には、どうーしてか、甘くなるわーーーーー(爆)ちなみに昨日食べ損ねた心残りの焼きソバ、今日の朝食にしましたわ。 こりゃやっぱり遠いな。。。。。(遠い目) 【完】
2007.05.25
コメント(0)
【完】 友人が、保険証の話をしていて思い出した。 ええ、また愚痴ですよ。何か?この愚痴を全部知ってもらってからでないと、うちの喧嘩の解決の糸口は見つからないと思うんですよ。。。解決しなくちゃいけないかはよく解りませんが。人んちの恥部は、面白いでしょう?(-m-)ププ 高校を卒業した私は、建設会社へ就職した。そこは全国土木保険組合という、同じ国保でも国民健康保険と分けられた保険だった。どこにも就職して無い母が役所に手続きに行くと、娘のに入れてもらうように言われたと言う。同じ住所で、違うとは言え国保に別々加入は出来ないとの事だったらしい。その頃は何の疑問も持たず、次の日会社で訳を話してお願いし、めでたく母は私の保険の扶養者として入った。 ところが、保険事務と言うのは毎年「扶養家族異動申告書」というものを提出しなくてはならない。毎年私は会社の人に、 「お母さんは働いてない?」と、聞かれる羽目になった。 これはつまり、私が母子家庭なのは皆周知の事だ。 =私の給料だけで生活している? もしくはどうやって生活しているの?という裏の話が見えてくる。 勿論、母が付き合っているおじさんが・・・なんて事、その頃の私は恥ずかしくて出来なかったし、学生時代から近所への居ない母の理由は親戚の家に行っている事になっていたから、私にとってはその想像できる噂(あったかどうかは知らないが)は恥ずかしいかぎりだった。そして、そこへあの 「お母さんを大事にしてやれよ」の言葉が私に覆いかぶさってくるわけだ。 私は小さい頃から母を含め周囲の人に、「母子家庭だから、と言われる事の無いように!」と言い続けられた。しかし小・中学生の頃は母は仕事に行っていたし、母が働いて私を養ってくれているのだから、何も恥じる事は無いと思っていたし、周囲の家庭となんら変わり無いと思っていた。いや、そう思いたかったし、そう思うようにしていた。実際そうだと思う。 そしてうちには父親は居ないが、家で男手が無くて困った経験は無かったから、私には家庭に父親って・・・・・必用?とさえ思っていた。 また「母子家庭だから、と言われる事の無いように!」と言われる事は、私にとってどんな時でも、明るく振舞わなくてはいけない事だった。お蔭様で、暗い子というレッテルは貼られなかった。というか、高校卒業してすぐくらいに、私ってどういう人に映ってる?とその当時の高校の友達に聞くと【100ワット(無駄に明るい)】とまで言われた。それはそれでショックだったが、一生懸命そうしてきた事の結果だった。無理を押してでも、私はそうしなくてはいけないと思っていた。 母子家庭でもそんなの関係ない、と私は虚勢を張っていたのに、この保険の1件は毎年違う側面を私に突きつけた。毎年、保険の為に聞かれる度、私は憂鬱だった。 【完】
2007.05.24
コメント(0)
【完】 私がストレス食いを始めたのは、高校3年のある日曜日だった。 何度も登場するが、【母の人生】と私は二人三脚でありどちらも欠ける事が出来ない。その人生に私はくっついて、巻き込まれ揉まれながら生活してきた。 そのストレス食いは、母が(私が)小6から付き合い始めたおじさんが倒れて入院し、その後退院し自宅療養になった頃に遡る。その頃は日曜日の学校休みの私に合わせ、山奥からおじさん運転の車で出てきて自分達や私のための食材をスーパーで買い、家に放り込んでまた戻るというパターンを繰り返していた頃だ。私が2・3日学校休みの時は、そのまま一緒に山奥へ連れて行かれたりもしていた。 その日は前日に「明日のお昼頃帰るから」という言葉を楽しみにし、気持ちよく迎えてやろうと朝から掃除洗濯をし、お昼に帰るという母達と一緒に炊き立てのご飯を食べようと時間を計算し、炊飯器のスイッチを入れた。ところが、待てど暮らせど帰ってこない。勿論連絡もない。12時はとっくに過ぎ1時が来、2時が過ぎ3時が来た時には、炊き立てのご飯はとっくにただの温かいご飯に変わり、空腹も手伝って私はイライラしていた。やっと到着した母に、マジギレしながら迎え遅い昼ご飯を食べていると、「何でそんなに怒ってるの?そんなに怒らんでもいいやんか」何でも無い事やんかと、ニコニコしながら言われた私。思わずお箸を投げつけた。私の優しい気持ち(自分で言うな?)を踏みにじられた気がした。それなりに、私も母と再会し一緒にご飯を食べる事は楽しみだったのだ。例え他人のおじさんが一緒であろうとも。そんな風に私が切れたのは、生まれて初めてだった。 その日までは、怒ったら喉を通らなかったが、その時は何故か「これで食べなかったら、余計に相手の思う壺のような気がする」と思ってしまい、普段より余計に食べた。その時の、食べる物が喉を通る快感(?)がずっとあり、それは本能の一部を触発したのか?解らないが、とにかくその日以来イライラすると食べてしまう。あの日が無ければ、今のように太る私は居なかったのでは無かったかと悔やまれる。 中学生の頃から、私はダイエットに興味を覚えた。高校生になって一人で生活しだしてからは、自由にダイエットが出来る。食事を抜いたりはザラだったので、常に欠食児童だった。よく5月病と言うが、緊張もほぐれたその頃から毎年イライラしていた。高校を卒業して、友達の家で食事をご馳走になる時、我を忘れて食べる自分がいた。今思っても恥ずかしいが(いや、今でもそうか)、多分、自分の中に飢餓が訪れているのでは無いかと思う。 何かだけ(ご飯だけとかリンゴだけとか)という食事は、私の場合だけかもしれないが、確実に飢餓状態を迎える。肌の調子も悪くなるし、何より色んなものが食べたくなる。これは飢餓の一つだと思う。 ダイエットの為に本当にいいのは、バランスよく3食何でも食べる事だ。そうしていると、別に他のものは食べなくても良くなる。バランスよく食べていると、肌の調子はすこぶる良くなる。精神が安定してくれば、味は薄味でよくなる。そして、内臓もちゃんと機能し、脳の伝達能力は回復しちゃんと満腹を伝えてくれる・・・ハズ。そこまで分かっているのに、なかなか体重は減らないから、ええい食べなければ痩せる!!と食事を抜き、結果返って太るという悪循環を繰り返す。浅はかだな・・・・と思うが、何故かこれも止められない。人間の(動物の)本能は食べる・寝る・子孫を残すの3つだ。最初の2つは、生きるためにどうしても必要な事だ。 痴呆老人(今は認知症ですか?)が「飯はまだかの・・・?」と言うのは、このところに起因するそうだ。人間呆けると本能に帰るのだそうだ。食べないと死んでしまうという事が思い出されるので、とにかく食べないと!!ということにな。これは、家族に認知症が発症したある人が、お医者さんから聞いた話なので、間違いない・・・・というか私はとても納得した。 人は、美味しい物を食べると幸せになる。とても簡単に幸せになれる瞬間だ。また逆に、まずいものを食べた時は、かなり不幸だ。特に平日仕事の日のランチに、普段よりお金をかけて選んだ店・メニューが失敗した日など、午後の仕事に影響するぐらい凹む。だから、結婚してそれまでの馴染みの母の味から、(料理下手の)新妻の食事に変わったご主人はやっぱり不幸なんだろうな。。。とっても、解る気がするよ。 勿論小さな幸せは、生活上のいたるところに散らばっている。とても天気が良い日に、洗った真っ白のシーツを干した時も幸せだな♪と思う。雨上がりに綺麗な虹を見た日など、ウキウキするぐらいだ。庭の花が咲いても、葱が青々と育ってくれても嬉しい。そして勿論、犬たちの嬉しそうな表情は何にも変えがたい幸せを感じる。 どんな状況にあっても、今を満足しなければ環境を変えても同じかと思う。今の暮らしの中で満足に値する材料を見つけ出し並べて、一生懸命今の自分を不幸では無い!とそっちへ傾くように努力をしているのだが、些細な母の言動に私は一瞬にしてイラつく。この母と暮らすことが一番の不幸に感じる。意気揚々と帰っても、一瞬にして落とされるのだ。特に、職場でも家でも時間をやりくりし(犬の散歩は後回しにまでして)用意した食事を、席に着くなり「お腹空いてない。お昼の残ったの食べたきもういらん。」と、手を付けず、こっちが食べている向かいの席で夜の注射と目薬とシップを張る。(とても広い家なので)作っているその部屋に居て、私が何をしているか解らないというのはあり得ないのではないですか?それで「作ってるの知らなかった」で、後に先のが続くその言動だ。手を付けなければまだ許そう。カレーの時など(どうもカレーは嫌になったようだ)食べもしないのに、目の前で必要以上に混ぜ返しテレビを見ながら更に混ぜ、「明日に残しとく。」と止め、先での薬行動に移る。私は一人暮らしなら、自分のためには特に作らないよ。帰ったら、犬の散歩が1番でしょう。 毎食そんな事を繰り返され、その度私はカッとしてストレス食いに走る。 私は理由付けをしているのだろうか?言い訳をしているのだろうか?太ったのを全て、嫌いになったこの母のせいにしてのさばっているように、人には映るだろうか?とにかく、ストレス食いを始めたのはそんなキッカケで、今もある毎日のストレス食いはそんな感じだ。まぁ喧嘩続行中のここ1ヶ月くらいは、作ってないけど。
2007.05.23
コメント(2)
【完】 今日、ある会社が自己破産をしたとニュースで流れた。 私は高校を卒業して以来ずっと、その会社と同じ業界のとある会社に事務職で就職し(その会社も業界で県内20社には入る会社)、18年近く勤めたが辞めてしまい、ここ5年内に2度これまたその業界内で転職をした。(転職してもしても、やっぱりこの業界に居る私。。。。。) 自己破産した会社は、その業界でやはり県内20社には入る会社。私が最初の会社を辞めた理由はいくつかあるが、この業界全国的に実に不景気。だが、働いてる職員は実にノーテンキだったりする。近い将来、つぶれるんじゃないか??の危惧をもったのも一因だった。それでも意外と今までもち、(っていうかその会社は大丈夫らしいとのレッテルまで貼られている始末)地元業界内の危ない噂は数社あるが、私の予想してたような動きはなく、案外最初の会社に居た方が良かったんじゃないか?と思い始めた矢先の出来事だった。 これからどんな風に動いていくのかわからないが、身の危険(生活していけるかって意味)を、改めて感じてしまった(泣)。私のこれから先、大丈夫なんだろうか??? 【完】
2007.05.21
コメント(0)
【完】 前回爆発して以来、お蔭様で続いている。杏の出産で、無視することはしないが、お互い別の生活風だ。だが、うちの生活では変わったことでもない。一緒に住んでいた時からそんなものだった。 私は今の家に引っ越して、またこのおババと生活を始めた時ちょっと期待してしまった。普通の家族として生活したい・・・それが始まる・・・その努力を惜しまずしよう・・・と、思った。 私が前の家を購入して、ババとの生活を打ち切ったのは、私が33歳(女の厄年)だった。 母の人生で書いたように、うちは私が小学校に上がる前に離婚した。父は、私の記憶に殆どない。いや、小さい頃の記憶自体があまり無い私だ。そして、父が出て行った時だと思うが、トラックの荷台にそれまで使っていたタンスや何かの一部が積まれていて、子供心にこのタンスを何処へ持って行くのだろうと思ったように思う。また、そのタンスは何となく好きだった気がする。そのトラックの荷台に自分も乗り込んで、そのタンスの引き出しから靴下を出してたのに・・・みたいな事を思ったような気がする。そのタンスから離れたくなかったようにも思う。そのタンスを私のだと思っていたかもしれない。しばらく乗っていると、父から決して怒られるのではなく 「降りないかん。降りなさい。」と言われた。その日から、父とは逢わなかった。でも、不思議にも思わなかったし、逢いたいとも思わなかった。寂しいとも思わなかったし、そこからずっと今まで父が居なくて寂しいとか思ったことは無い。小中高と通じて、いや社会人になってからも、私には家の中における父親の必要性を感じた事は、残念ながら無かった。 母には小さい頃から、「アンタは母子家庭の子だから、と後ろ指差されることの無いようにしなさいよ。」「何かあったら、1番に私はアンタを疑うで!」と言われていた。 それも今から思うと変な話しだ。何故私が疑われないといけないのだ?悪いのだけど、私は悪ガキではなかった。お嬢様では無いが、外で遊ぶのが大好きだが悪いことする子ではなかったのに。1番に守ってくれるないと言われた私は、小学校低学年にして既に1本自分の中にスジを通した気がしていた。まぁ悪い事もしないけどね。 自分達も引越しをした小学校2年生ぐらいのある日、従兄弟(母は6人兄弟の末っ子で、従兄弟と言っても殆どが学校を済んだ大人だった)が遊びに来て、「お母さんは1人でアンタを育てるんだから、一生懸命勉強してお母さんに親孝行してあげんといかんで。」「たった一人のお母さんなんだから、大事にしてあげよ。」と、言われた。なんでそんな当たり前の事を、とっても大事な事のように(まるで、アンタは知らないかもしれないけど、みたいに)、言われなくてはいけないのだろう?と思ったが、うんうんとただ聞いた。ただ、この言葉は、これからずっと私にまとわり付くことになる。そして、目に見えない重圧となった。 どこへ行っても誰に逢っても、皆一様にこの言葉を発する。この言葉は一見、とても常識ある良識ある誠実な大人の人だけが発せる事が出来る言葉だ。しかし、考えてみていただきたい。誰にも、母親は一人ではないだろうか?そりゃ勿論、最近は医学も発達し、卵子と子宮と育てるのはそれぞれ別の女性という事も出来るようにはなったが。ま、それはここでは棚に上げて鍵でもかけておいて頂ければと思う。産む人育てる人が違う場合はまれにあるが、大体の場合一人では無いか?離婚したのは子供のせいだろうか?連れて出るのを選択したのは、他の誰でもない母だ。そして、兄弟両親揃ったものはどうでも良くて、一人っ子の母一人子一人のものだけが、母を大事にしなくてはいけないのか?違うと思う。屁理屈と取るだろうか?でも、当たり前のことではないか。言葉にして、あえて言わなくてはいけないことでは無いはずなのだ。あの言葉は、ある意味無関係なその子供に足枷をする。そして子供に、あの足枷に繋がった重い鎖で親をくくり付ける。まるで、これで安心。これであの母親の未来を自分達が気にする事は無い・・・というように、私には感じられる。 少なくとも、大人になってひとり立ちをしたいと思った時に、この足枷が私を動けなくした。周囲(社会)の、他人の目と言う壁のある牢屋の中に、私は縛りつけられた気がしてそこから出られなかった。 先の、【母の人生】もそうだが、何故ここでこうやって家の恥をさらけ出そうとしているか。ここは、リアルに私をご存知の人も読むだろう。恥を曝け出しその先を歩けるのか? 多分、ここは今の私の母に対する悪態の言い訳をしたいのだ。きっとリアルに私を知っている方は、私の母に対する態度に密かに眉を顰めていらっしゃると思うのだ。それほどに私の態度はひどいし、自覚もしている。でも、表面だけ繕えないほど、嫌という気持ちを隠せないし、年々よけいに嫌いになってしまっている。一緒に住みだして、10Kgほど太った。転職2社各5Kgずつ、計20Kgの増量だ。言い訳にしていると思われるだろう。少しはそうかもしれない。だが、私のストレス食いは高校の頃に始まった。それも後に書くが、母とのやりとりの中から始まった事だ。 同じ想いをしている子供(大人だけど自分の中に成長して無い子供の部分を持つ人)は何処にもいると思う。 離婚する大人、これから結婚する大人、子供を産もうとする人。そんな大人に、少し知って欲しいと思ったのも、書こうと思ったきっかけなのだ。大人の理屈、事情もあるだろう。生活に密着したそれは避けることが出来ない。大人になったからわかる事もある。まして、端から離婚する為に結婚する人も(まれにしか)居ないだろう。 それでも、犠牲になるのはいつも弱者である(その大人に食べさせてもらわなければ生きていけない)子供だ。子供の事を、考えてはいるだろう。確かにそうだと思う。だけど、本当の子供の本心を解る親は居ないのではないだろうか?しかし、傷ついた子供の言葉はそのつど表には出ない。大人のケアはテレビでも出てくるが、子供の気持ちは出てきてないのが実状ではないのだろうか? 細木数子先生をメディアは叩くこともあるが、子供(大人になれなかった部分)の気持ちを1番解ってくれて直接に救ってくれている気が、私はしている。ラジオ人生相談の幼児教育研究家の大原敬子先生もそうだと思うが、何分相談するのはいつも大人なので、その子供が直接に救われているかはその番組上では解らない。ただ、私はそれを子供の立場で聞きながら、私の中の傷ついた(成長できない)子供の部分は救われている。やっぱりそうか!と頷いたり、涙したりしながら聞いている。他の人(テレビ番組でタレントをコメンティーターに使った人生相談的な番組等)にはあまりそれは感じない。多分、リアルに無いからだろう。両親揃った家で育った人に、離婚して片親の子供になった子の、本当の気持ちは解らないと思う。指を切らなければ、切った時の痛みは解らない。同じだと思う。 そして私に、早くに親を死んで無くした【母の】寂しい気持ちもまた、解って無いと思う。 話しは、随分逸れてしまった。 とにかく、他人の大人達から事あるごとに「たった一人のお母さんなんだから、大事にしてあげよ。」と言われ、就職した会社の上司達にもそう言われ、更に仕事を通じて取引先の社長たちにも可愛がってもらったが、そこでもまた言われた事で、私は自活したい思いを我慢して、33歳まで過ごしてしまった。私の中で、たった一人の母親を置いて自活する事は、将来の結婚にまで陰を指すような気がしたからだ。他人でもこれだけ言うのだ。まして結婚相手のご両親に「どうして、お母さんと離れて暮らしているの?同じ市内なのに」と聞かれたら、答えられないと思った。ひどく悪いことのように思えたのだ。 その我慢の中で、更に、他人にはわからないうちの事情にまた我慢を重ね、表面は何事も無いように過ごした。私は小さい頃から、大人のことに口出しするなと言われていたし、何かあっても心配しないようにと母には言わないようにしていたし、ポーカーフェイスは日常のごく当たり前の事だった。 まだまだ触りでしかないが、順番に書いていきたいと思う。鬱状態から抜け出すのにも、こうやって書くことは効果的なのだそうだ。今の私が鬱かどうかは解らないが、周りを見ていても神経症になる人に子供時代の親子関係(特に母子関係)はとても影響していると私は思っている。 もしかしたら、これを書き終えた時に、自分の中に何かが見つかるのかもしれないと期待している。 【完】
2007.05.19
コメント(0)
【完】・・・・・・右上がり。 ちっ!!初日から上がっちまった、折れ線グラフ。 しかも、昨日は帰りが遅く、更に、おババともめたので尚更食べるのが遅くなり、一口目を頬張り時計を見たら、 【8時】だった。ここで止めたら女前!!!とは毎度思うけど、止めないからこうなる。。。。。それも知ってるけど、 【もったいないオバケ】が出そうで、やっぱり完食。。。。。そしたら、 【右上がり】今日は頑張る!!! お昼、うどん屋のハシゴしたけど。。。。。 【完】
2007.05.18
コメント(0)
【完】 体重表と、グラフなんか作ってみた。こんな表作るの、大好きなんだ私。。。今までに何度作ったことか。。。もう頭の中は、右下がりな折れ線グラフしか思い浮かばない(^^; ただね、前通ってたスポーツジムで、1年間通った体重と体脂肪率の結果を、折れ線グラフで作った事があったんだけど、意気揚々とトレーナーに見せてあげたら、 「○○さん(私ね)、悲しい(TT)。 甲斐が無い(T◇T)」 「トータルで、全然変わってないじゃないですかーーーーー(T0T)」と、言われた経験ありの私。今回は黙々と、一人遊びだしね。。。。。器具もマシンも無いし、ウェイトもないし、何よりやってる時に人の目がない。つまり、サボってもバレない。。。。。 とりあえず、昨夜は8時以降食べなかったし(掃除はしなかったけど)、今朝体重とか量ったわ。明日から、折れ線グラフが書けますのよ。(右下がりの予定のね) 【完】
2007.05.17
コメント(0)
【完】 仕事で外へ出たから、ちょっと家へ寄ってみた。そしたら、こんな寝姿が見えたよ 【完】
2007.05.17
コメント(0)
【完】 表題・・・・・勝手にやれば~・・の話しなんですけどね^^; しかも、今までに何度この宣言出したことか。。。。。でもでも、今度こそ!! だって、今年の健康診断の日が決まったし(滝汗)、ビリーも持ってるし、準備は出来てるジャン♪ 昨年の健康診断の後、毎月マイナス1kgって目標立てたけど・・・・・・・ 大人になると、年月が過ぎるって、早いよね・・・(遠い目) 知り合いのヨーキーママさんが、ダイエット始めたって前言ってたのを思い出して、久しぶりにネット訪問(読み逃げ)してみたら、 なんと!!!!!痩せているじゃありませんか!!。別人ではありませんか?ってぐらい!!!その人がやってたのは、 1. 夜7時以降は食べない 2. 動く妻になる(オーイお茶・リモコン・風呂・寝る、に機敏に反応して動く。)確か、この2点だったと思うんだーーーーー 1の夜7時は、私の生活上ちと無理があるので、私は8時にしようと思うの。 2の妻にはなれない(私は独身)から、まぁこまめに掃除、特に拭き掃除とかしようかな♪と思うの。それから、天気の良い休日は早起きして(日焼けが怖いから)、蘭丸をカゴに乗せて少しサイクリングなど。。。。。これで良い結果が出たらいいのになーーーーーーーーーー ・・・甘い?甘いかな?うん!雨の日はビリーしようっと。朝食前ね。 長渕剛さんも言ってたんだって。腹筋割れるには、朝食前の腹筋300回って(無理です) とりあえず、痩せれる余裕は25キロありますの。 今常に、25キロの重いぬいぐるみを重ね着してる私。。。。。恐怖の健康診断まであと71日。 目標は立てないわ。すぐへこむから。 とりあえず、痩せれるだけ痩せることにしよう。 もう、服買うお金も無いし(TT) 痩せたら着れる服は、山ほどあるのよ。。。。。 【完】
2007.05.16
コメント(0)
【完】 今日も無事朝を迎えました^^ 子供達のアップ!!皆、1日10グラムずつ増えてるようです♪220グラムになりましたよ♪ 【完】
2007.05.16
コメント(0)
【完】 最初の難関、24時間は無事通過しました お陰様で体重も全員200グラムを超え、【さっちゃん】が210グラム以外は、みんな220グラム横並びです。 杏のピーが治らなくって、遂に血が混じる始末レバーも食べたからかな?お尻痛いねー治まらなかったら病院行きだよ(TT)カリカリだけにしてって言われて、そうしてるけど食欲無いんだよね。。。何かそそるものを入れてあげたいけど、グッと我慢(>∧<)母乳をやってるから、尚更痩せてきて可愛そうだよ。今晩はゲポッもしたし、明日は治るといいね。 それにしても、この寝姿はどうよ こんなに早く、これほど動けるんだったら、金曜日の夜の出産で良かったんじゃないの?アナタ達~(ーー;何ジラシてるのよーーーーー(ーー;この!イ・ケ・ズ・・・・・ 【完】
2007.05.15
コメント(0)
【完】 昨日は5時半を待ちかねて帰って、赤ちゃん見て、杏見て、蘭丸見て、ご飯の用意してると思えば杏のご飯、蘭丸のご飯。そこへオババのご飯。。。。。食べようと思えば杏が呼ぶ・・・ゆっくり食べる暇もありません(^^; (何か本当にばあちゃんの気持ちが解るかも。) おまけに、出産の流れで胎盤3つも食べた杏。案の定ピーでして、ちょっと可愛そうなぐらい。2つまでにして!とは言われてたんだけど、赤ちゃんが出た直後、へその緒切るまでにもう食べてたんだもの。。。。。お蔭様で、夜中も何度も起こされます。赤ちゃんの声にも、つい私が反応して起きてしまいます(苦笑)それでなくても、昨夜寝たのは1時頃なのに・・・・ でも、【いっちゃん】【もっちゃん】【ぼっちゃん】【さっちゃん】は、お蔭様で元気です。体重も、今朝は全員増えてました!!! まだ、出産後24時間は迎えてませんので、もう少し緊張してないといけませんが、今日は多分れいんママちゃんも日中何度か見に来てくれると思う(←暗に強制?)ので、後は大丈夫!と願うばかり。 昨日はれいんママ(本犬)も来てくれて、杏に良いママの太鼓判を押していってくれました♪ これは昨夜、【初夜】の様子新米ママなのに、とても落ち着いています。杏ちゃん、見直したヨ!!! 【完】
2007.05.15
コメント(0)
【完】 いやぁ、私何にも出来ず。。。 朝5時半頃、どうも様子がおかしかったので、6:30を待ってお隣のれいんパパママちゃんちへ電話。杏の実家なんですよ♪どちらにしても、時間はかかると思ったので7:30頃に1度様子を見てもらいたいと電話。ママちゃんが来てくれて、程なくいきむ様子。パパちゃんも駆け付けてくれて、2人にお願いしてひとまず会社へ。 会社で電話をしたら、第1子誕生 8:23 200グラムの女の子 ブラックタンのスムース? 一番に産まれたから【いっちゃん】です。。。。。クソッ遅刻して行ったら見えてたのに!!!気になりながら、なかなか出られず。。。。。何度も電話してたら第2子誕生!!! 9:10 190グラムの女の子 茶色 二番目に生まれたモヒカンの【もっちゃん】です。 そこからしばし休憩 その頃やっと口実を見つけて外へ♪♪♪なんとか第3子からには間に合いましたが、すべてパパママにおまかせの私。【分娩室前の熊の動きのお父さん】のような私でしたわ(滝汗) 帰り着くと陣痛も起こっている様子!ところが、逆子。。。足から出ているせいか、なかなか出てきません。足は見えたと思ったらまた引っ込んで、そのまま10分ほど経過。。。。 電話で病院と掛け合いながら、パパちゃんが引っ張り出してくれました。 11:10第3子190グラムの男の子 ブラックロング? 三番目だけど唯一の男の子この子もモヒカンだから・・・黒もっちゃん・・・ いやいや、【坊ちゃん】でいいでしょう。。 やっぱ、男の子はシャイなのかしらね?だから出て来ない?それとも「ママのお腹がいいでしゅっ」て、すでに甘えん坊??? そこからまた休憩?と思いきやパパちゃん、 「あっ、出てる出てる!!」 「おっ?」袋に入った、可愛い肉球が見えてます。・・・ってまた逆子やん!!あれーーーーー?レントゲンでは、1ワンだけ逆子の予定だったのにねー。でも、今度はさっきより時間かからず、引っ張られて出てきました。 11:30 180グラムの女の子 ブラックのロング? 三番目の女の子、最後の子だし【さっちゃん】です。 杏は「キャン」とも言わず、ゆっくり座ってお乳も飲ませ、良いママしてます♪なんたって、杏を出してもらったパパちゃんに、今回も産婆ならぬ産爺してもらって、杏も安心だったよね♪。ママちゃんは先から出産休暇取ってくれてて、合わせてくれてたんだけど、パパちゃんも、急遽産爺休暇取ってくれて、本当にどうもありがとうございました。ああ~今頃涙出てきた。。。。感動だなぁ 【完】
2007.05.14
コメント(2)
【完】 今朝の体温36.8度これって?まだかなぁ?ジラすわね(;¬_¬)チビ達ここへ来て、鼻ジュルジュルの私(・・;)私の体力持つかなぁ(^。^;)薬も飲んで、3時近くなってやっと鼻水が止まったわ。私が、風邪引いてる場合じゃないんだってば!!! 13:09昼の体温36.5度 今となっては、おババのあの発言は信憑性薄い?と喧嘩第2段階に進展しそうですわ皆様、気にしてくれて、ありがとう気長に待ってねー産箱には、自ら入って寝てます出産後に食べたら良いという、鶏のレバーも茹でて準備出来てるよ(^_-)味見もさせて、誘導作戦もやってみてるんだけどなぁ(^^ゞ 20:10今晩8時の検温結果36.5度 みんなみんな電話で・メールで…ありがとう杏は本当に幸せだねー 満ち潮が目安だとすると、明日は午前3時頃と夕方4時頃らしい。お仕事行かなくちゃ~居なくちゃあ・・・の時間 晩御飯も食べません。 杏ちゃ~ん、いっそのこと、来週の土曜日夕方まで待ってくんねーかー? 【完】
2007.05.13
コメント(0)
【完】 いよいよ緊迫してきた・・・ れいんパパママちゃんも来てくれた。こっちでごそごそしてるうちに、抱っこしてくれてたパパちゃんが 「あっ出る」 丸い膨らみが見えたかと思ったら、みるみるうちにシュルッと落ちた。間一髪パパちゃんがキャッチ私の肘から手の先までもある、大きな子でした。…んな事はありません(^^;)夢でした(;-_-)=3 フゥ引き続き、ストーカーの私です。 今朝の杏63日目の朝です。気持ち良さそうに寝てます。 18:48 今まで、体温を計ってなかったので何ですが 本日、 10時半37.7度、 14時半37.3度、 18時半36.5度。晩ご飯は鶏肉しか食べませんでした。 今度こそ、いよいよかなぁ?つまんでみたら、白いお乳が出ます感動ですそして、朝より胸が真っ赤、熱を帯びて張ってるようです。血管も見えてますよ。 【完】
2007.05.12
コメント(0)
【完】 帰り着いたら、杏のママれいんちゃんのパパとお姉ちゃんが駆けつけてくれてました。大急ぎで産箱の用意もしてくれます。が、、、、、、特に変化は見られません。 21:04ただ今私、杏のストーカーです。 この隙にご飯 ちと顔洗おう!!!!と、隙間生活ですわ気になって、ちっとも目を離せません!!! 今日の杏に釘付けサ(-_☆)キラリ ちなみに、お腹の赤ちゃんは昨日と打って変わって、動かなくなったみたい。きっと今晩でしょう 00:30ここへきて、なんの変化も見られませんの。今なんて、お腹空いたのか豚の耳食してます明日かなあ? 【完】
2007.05.11
コメント(0)
今、職場に母から電話があって。。。。。「お尻の辺りがグチュグチュ言ってる」だと!!!!出産が、始まったかも今から帰ります。。。
2007.05.11
コメント(0)
そのままでは、解りにくいかと思い、丸印をつけてみました。○のところが頭です。
2007.05.11
コメント(0)
【完】 午前中スーパーに、入ったときの事。 トイレへ行きたくて、先を急いでいた私。トイレへの角を曲がったところに、いきなり人が立っていた。娘さんが、額縁みたいなの(B5サイズぐらい?)を手に、ずっと覗き込んでいる。気になって、振り返って見たらそれは鏡で、自分の顔を見ているのだった。トイレから出た時には、もう居なかった。 スーパー内で買い物を済ませ、入り口の方へ行くと、又あの娘がベンチに座り、まだあの鏡を覗き込んでいた。。。。。 隣接している銀行へも行き、駐車場の車に戻ってくると、又あの娘が目の前に、あの鏡を覗き込みながら立っていた(汗)。荷物を積んだりしながら、見るともなしに見ていると、手にしていたのは車のキーだと思ったから、 「そうか、この娘は帰るのか。」と思ったが、今度見たら助手席側の後ろのドアを開け放して座り、やっぱりあの鏡を見ていた。。。。。。。。。 そんなに顔を見ても、変わらないと思うんだけど。。。。。それより、笑顔の練習でもしたら?と老婆心ながら思ったわ。。。。。え?可愛かったかって?・・・・・・・・・・・・・・・・・20人並? どんな娘でも、明るい表情が、一番よね♪ 車を運転してて、曲がり角を曲がろうとした時の事。直進車もいたから、待ってたわけ。車が切れたから、 「さっ!♪」とアクセルに足が触った瞬間、左の方で、 「バン!!!」と、音が。 「??」ふと、助手席の前のガラスに目が行くと、男の人の手の平ひろげたくらいの鳥の糞。。。いや、それにしても、でかくない?????すーぐ水で流したけど、鳥の種類は一体何よ?空を見上げても、もういないし。。。。 運がついたと思って勘弁するわ。。。。。 【完】
2007.05.10
コメント(0)
【完】 いきなり、こんな写真で失敬!!どーしても、この立派さを見せたかったのです。出産予定日まで、あと3日。立派なホルスタインです。レントゲンを撮りに行ったら予想を上回る、なーんと4匹でした!!! ひゃあーーーーーーーー何だか、緊張してきた。。。。。私も産んだ事無いんだけど、テレビで見るあの 「ひーひーフーーーーー」を、練習しなくっちゃ!!! 【完】
2007.05.10
コメント(0)
【完】 今日、こなつ姫が帰って行った。ママのお仕事で、3日の夜からうちに泊まっていたのだ。 こなつ姫はヨーキーの女の子で、1.5kgまでの小さなヨーキーだ。私の地元ヨーキー仲間内では唯一の、小さくて可愛い女の子であり、しかもヨーキー男子のアイドル的存在。こなつちゃんに逢った男の子ヨーキーはみんなメロメロなんです♪ このこなつちゃん、何故かうちのおババが大好きで、逢うたび抱っこされるとまったりと落ち着いていたのは知っていたから、今回もおババにある意味任せていた。そしたら、3晩とも連れて寝ておった^^vどちらにしても、1人と1ワンにとって至福の時間だったようだ。 ママが迎えに来て、一緒にお食事をした。ワンコご飯を作り運んでいると、うちの蘭丸杏と一緒にこなつちゃんも、後ろを付いて来る。それを見たこなつママ、「うちではそんなに食べないし、こんなにごはんだからと後追いしたりしないよーーーーー」「信じられない!!」「しかもお座りして、待てをし、更にヨシッで食べるなんて!!!!!」 ニパッ^▽^v 【餌付け作戦成功??】 その上、さぁ帰ろうかという段になったら、こなつちゃんオババの腕の中で眠りについている。。。 「帰るよ!!」と、声をかけても、聴こえてないフリしたり、嫌そうな表情をする。。。いえね、贔屓目かもしれませんけど、私とママと二人で見ててもそう見える表情なの。全く、嬉しいものよね~♪ その夜、先月まで預かっていたワンコのママから電話。「貴女(私)の声が聞こえたみたいで、メルがヒュンヒュン言って飛びついてきてる」と、嬉しい言葉。メルは、お正月から杏が結婚生活を終えるまで預かっていたヨーキー。そこは3ヨーキーを飼ってるの。そのうちの1ワンが出産した関係で、しばし預かる事になったのだ。1度帰そうとした時には私のほうが寂しくて、無理やり連れ帰ったのだけど、逆に嬉しげにしてたメルちゃん。お引越しをするって言うから、その間3ワン預かろうか?と申し出て、本当は先月まで引き続いて一緒に預かるんだったけど、結婚生活を終えた杏と急に喧嘩を勃発しだしたので、急遽メルだけ帰って後の2ワンだけ入れ替えに預かったの。先月帰しに行ったら、2ワンのうちの1ワンは私に付きまとってくれるし、そのメルも喧嘩の原因は、どうやら私の取り合いにあるらしくって。。。。。いやぁ全くぅ~どの子もこの子もそんなに好きになってくれて、 預かり方冥利に尽きるよ~♪ ちょっとした知り合いに、1歳の子(犬)を譲り受けた人が居て、もうすぐ1年がくるけど、何回も泊まりで帰したりしてるものだから、その子は元の飼い主さんを忘れられない様子なの。 最近、丁度その現場に出くわしてしまった(その日は泊まりではなく、別の場所で会っただけだったけど)。元の飼い主さんが帰る時にその子 「キュ~ンキュ~ンキュ~ン」と、酷く悲しそうに泣きながら後を追うから可愛そうで。思わず「これは酷かも」と口に出して、その人に言ってしまった私。。。なのにその人、 「この子は義理堅い子だから、いい子だ!!」 とか 「賢いからだ」と、喜んでさえいるのが腹立たしくて、ギリギリしてしまった。他人(ひと)んちの事だから、口出しする事でないし、いいけど。。。。。(憤慨)でもね、気付いてしまった!!! 私がこうやって、3日とか1ヶ月・3ヶ月とか預かっただけでも、後を追ってくれるし帰るの嫌って顔するし、嬉しがってくれるほど懐いてくれるのに、その人はいつまで経っても、元の飼い主さんを追い越せないって事じゃない?????どんなに大事にしてるか知らないけど、、、、、、いつまで経っても元の飼い主さんに戻りたいそのワンコ。。。 これって。。。。。。。。(^m^) そのワンコは本当に可愛そうには思うけど、その勘違いしてる人にはちょっといい気味って思ってしまった私って。。。。。。(鬼)?(*≧m≦*)プププ 【完】
2007.05.07
コメント(2)
【完】 体重の変化は見られません。。少し食が落ちたのか、それとも1度に食べられなくなったのか、最近残すようになりました。木曜日ぐらいから、私でも胎動が感じられるようになりました。お腹を触っていると、ぐにゅ~っと親指大の丸い硬いものが手に感じます。頭かな?ひゃ~神秘的~ 【完】
2007.05.05
コメント(0)
【完】 ここへ来て、ビックリするぐらい!!もう立派な妊婦さんでしょう? 妊娠期間、9週間で生まれるって事は、人間の10月10日に換算すると、1週間が約1ヶ月ですもんねー♪ じゃあ、これから8ヶ月に入るんだー。そりゃ、しんどいだろうね~。 先日、人間の妊婦さんに逢ったら、しんどいしんどいを連発してました。しゃべれたら、杏ちゃんもしんどいって言ってるんだねー 【完】
2007.04.28
コメント(2)
【完】 私が中学1年生になったある日の夜、突然知らないおじさんが遊びに来た。また、誰かに世話がって貰ったようだ。いつでもどこにも、世話焼きじーさんばーさんは居るものだ。その人と付き合いながら、時々(お正月や連休等)その人の家に行ったり、うちで泊まったりのお付き合いをしていた。 それと平行して、小学2年生頃に転職した次の職場は、6年ぐらい続いたがあまり業績の良い会社では無かったようで、また辞めてしまう。中2頃だったと思う。その頃私は怪我をしたが、保険が無いからと病院へ行けず、捻挫を自力で治した事があったからよく覚えている。(放っておいただけとも言う。) そんなこんなで、私が高校へ上がるまでいい所へ就職出来ず転職を繰り返したような気がするが、この人、とにかく頑固で生真面目だから、そこへ引っ越してからは毎日朝早く起きて掃除洗濯もして、バスに乗って市内へ出て会社へ行き、帰りは同じバスに乗って帰ってきた。離婚した小学校低学年時代から、お茶をして帰ることも飲みに行く事もなく、まっすぐ一目散に帰ってきた。まぁおなか空かせて、口あけてる私っていう子供が居たと言うのもあるだろうけど。私が小学1年かその前か頃に、会社の慰安旅行でどうしても家を空けなくてはいけない時が1度あり、その時だけは同じ市内に居た、まだ若かった従兄弟に泊まってもらって旅行に行った事があった。あの時確か独身のお兄ちゃんは、彼女と一緒に来て泊まり、「今だけ○○(私)は、お兄ちゃん達の子供ぞ!^^」と言った。どうもラブラブ真っ盛りの頃で、お母さんごっこだったのだな。。。ムフッ(^m^) 夜出歩くのはとても怖いと思う性格で、棚卸で最終のバスに乗らないといけない日など、小学生の私に夜の10時前にバス停へ迎えに来てくれ、と言っていた程だ。夜外へ出るものじゃない!と言っていたのに、いくら女ざかりの頃とはいえ、子供に外へ出ろというのはいかがなものよ???なーんて後で思ったりしたが、ホイホイ出かけた覚えがある。 高校へ入学する1週間ほど前のある朝、そのおじさんがうちへ泊まっていて倒れた。脳梗塞だった。半身に麻痺が残るその症状は、その当時の病院では付き添いさんが必要だった。そのおじさんの妹と母が病室に居る中で、「兄さん付き添いどうする?」との話し合いがなされた。「○○さん(私の母)にやってもらえたら」とそのおじさんは口がもつれながら言った。私はその言葉を聞いて全身が震えた。病室内にある冷暖房の機械にもたれていなかったら、立っていられなかったほど震えていた。怒りだったか何だったか、それは解らなかった。ただ、大人の話だから子供は口を出してはいけないと思い(日頃からそう言い聞かされていた)黙っていた。日を変えて母から、「病気になったからと見捨てる人も居るけど、私はそんな事出来ない。仕事を辞めてあのおじさんの面倒をみたい。丁度高校入学だから、下宿してると思ってやって欲しい。中間期末の発表があったら、その期間だけ戻ってくるから。」と言われた。私は言葉通りを受けた。そこから私の一人暮らしが始まった。 母は病院に泊り込みで付き添いをし、その年の夏頃退院し自宅療養となり、今度はその人の家に泊まりこんだ。その人の家は、同じ県内だが県境に近い山奥で、夏休み冬休み等は「長い休みを一人にしておけない」と、私も泊まりに行かされた。友達も居ないそこは、私にとっては軟禁状態だったが、食べさせてもらってる身分ゆえ反論は出来なかった。母にとってその日々は、とても充実した幸せな時間だったのではないだろうか?色々私には理由を付けていたが、要はその人をとても愛していたのだろう。あの病室でおじさんが言った時「籍も入れてちゃんとしよう」とも言ってくれたそうだ。 しかし母は、「私が高校を卒業するまでは嫌だ。」と突っぱねたらしい。そこの息子が、高校を出てなかったのが理由だったそうだ。色々言いたい人が、どこにもいますから。でも、母はその世間に負けた・・・いや勝とうとは思わなかった。どちらにもいい顔をしていたかった結果、どちらも失った。二兎追うもの一兎も得ずとはこの事か。。。自分でよく例えに使って私に言っていたのに。 倒れて以来、おじさんがうちへ泊まることは無かった。付き添い生活から5年位経った頃から、母は家に居ることが多くなった。7~8年目のある日、叔父さんは段ボールの箱を持ってきた。中身は、母が向うの家で使っていた母の衣類他だった。どうも、家に居る事が多くなった頃から二人の間に隙間風邪が吹いていたようだ。「どうして仕事を辞めたのか?」と言われた事もあったそうだ。母にすれば、貴方の為に辞めたのよ!!!だっただろうが、そう言えない母の性格だ。逆に「[わや]にされてなるものか!」(方言ですか?)「アンタの為にアタシは仕事までやめて、尽くしてきたのよ。絶対最後(死ぬ?)まで面倒見てもらう」と、愛情は執念に変わってしまった。生活全てを投げ打っての事だったから責める事は出来ないが、あの時籍を入れなかった母にも責任はあるのだけどね。人間心変わりはあるもの。。 だが、そのおじさんにも解りきった事だったから、そのまま切れることなく続いたのだろう。向うに行かなくても、小額でも生活費は貰っていたようだった。そして、一緒に鮎やアメゴや夜通しのイカ釣りに出かけていた。 話が前後するが、母の糖尿病が解ったのが43~4歳の頃だった。あれから30年ほど経つが、医者からそのつど止められる食材は、どれも母の好きなものばかりだ。そんなものかもしれないけど。さいしょのうちは、お菓子。病院へ行った直後は規則正しく守っている。しかし続かない。「ええい面倒だ。食べてしまえ!」と全部食べたりする。どんな時でもそうだ。つもりつもって、30年後の今は緑内障で視力はやられている。腎臓の値もよくない。食事制限(生野菜・生果物・乾燥果物・漬物等)これまた好きなものばかり止められている。しかし、野菜は守っても、果物・漬物は守れない。お菓子の時同様「こればぁは・・ちっと・・」と、自分の都合で守る。食事制限の全てを自分の都合で守っている。これはこの人の大雑把な性格も災いしているだろうけど、ダイエットし切れない自分も見てみるに、責める事も出来ない気もする。が、病気を酷くした一因ではあるよねぇ。そのおじさんと切れたのは、私が原因だ。ずっと我慢していたが、33歳で我慢の糸がプツリと切れた私は、中古の家を買って自立した。その時母は泣き崩れ、「布団を敷けるスペースでいいから小屋を建ててそこへ住まわせてくれ」と私に懇願したが、もはや私には母への愛情は欠片も残っていなかったから、拒否し出て行った。「(私にとって)知らないおじさんが出入りする家に居たいと思う?私はもう嫌だ。」とも言い放った。出て1週間か1ヶ月か経った頃、近所のおばちゃんから「めまいがするとフラフラして倒れて救急車で運ばれたからね」と、会社へ電話があった。「多分ストレスからくる突発性難聴からのめまい」と、少し血管が詰まりかけているという診断だった。1~2ヶ月入院したが、先生から「正直困ってます。もうすぐ退院できますよと言うと、途端に具合が悪くなるのですが、特に悪いところはないのです。」「一番お辛いのはご家族の方だとは承知していますが、病院としても。。。」と言われた。思ったとおりだった。子供の登校拒否の症状のようなものだ。そうあのお腹痛いって、休むとケロッと治るヤツ。そこから3年間、週1ペースで私がおかずやらを持っていっても食べては無く、料理もせずひたすら落ち込み、糖尿病だから低血糖の発作を度々起こし救急車で運ばれた。当然体も弱くなり、最後の方では、遂に町内会長まで出てきて私に連絡をしてきてくださったりし、ただの親子喧嘩では済まされなくなった。もう本当に弱ったようにも見え、一人暮らしを断念し丁度住んでる近所に売り土地が出たので一緒に住みたければ買えば?と言い、私達はそこに居を構えた。それが今の家だ。 一緒に住みだして、私が一人暮らしをしている間に家族になったヨーキーの蘭丸に加え、ダックスの杏を迎える事にした。最初母は酷く反対した。「そんなん可愛くない!!」まで断言した。にも関わらず、杏が3日間失踪した時は必死に探して、人前では「むごいむごい」と泣きそうなフリをしていた。いや、本気でそう思っているのだろうが、私にはその変化が 【必殺掌返し】で、腹立たしいのだ。なんでも、どんな時でも、昔からこの人はそういう人だ。そして、自分の分が悪くなるとか自分が悪者になりそうだということに気付くと、瞬時に態度を変えあげくの果てには、「そんな事言ってない!いよいよアンタ(私の事)は嘘を言う」と、人を悪者にする。この人はそういう人だ。だからこそ嫌になったのだ。いつでも自分は良い人で悪いのは全て私なのだ。 今一緒に暮らしていて、いたって元気だ。元気になった。そして私には許さなかった我がままを、言い続ける。分が悪いと「目見えん」「フラフラする」だ。もう、向うの団地は引き払っているから、自分を追い出す事はないと踏んでいるこの人は強気だ。「もう嫌だ。一緒によう住まない」と私が言い出し、自分が通りそうに無くなってくると、「(土地を買ったときの)お金を、耳をそろえて出してきたら出て行く」と言う。私は本気でそうしようかと考える程だ。絶対出来ないだろうと踏んでいるわけだ。それから「アンタ(私)が嫌だと言うから(おじさんとは)もう会ってないのに」とも言う。私が30歳も越して、今更別れてくれて、誰が嬉しいのだろうか?迷惑な話だ。しかも分かれたのはアタシのせいの様ではないか。それまでにダメになっていたでしょう?どうして人のせいにするかなぁ? ますます、私は嫌で仕様が無い。 嫌で仕様が無いが捨てる事が出来ない。親子にも離婚届が欲しいと思っている。実際そう思って、それを突きつけて1度家を出たのだが、こうやって一緒に住みだすとすっかり忘れられている。せめてそのことを根底に置いてくれれば、もう少し親子関係も円満にいくのかもしれないが、この母は嫌な事は全て無かった事としている。そしてワガママをぶつけてくる。それがよけい腹立たしい。 しかし幸薄い人生だと思う。しかも人に振り回されて自ら幸せを手放してしまっているような気がする。何故こう生きて、そして、この私もこの人に振り回されなくてはいけないのだろう?前世で一体何があったのか?知りたいところだ。 【完】
2007.04.23
コメント(0)
【完】 私の母は昭和一桁生まれ。 病弱なお母さん(私の祖母)から、男3人女3人・・6人兄弟の末っ子として産まれた。母が3歳の頃、祖母は病気で亡くなったそうだ。その祖母が亡くなったせいで、養子に入っていた祖父は、財産と子供3人をわけて実家に戻って再婚したそうで、母は産まれた時からずっと、明治生まれのおじいちゃんおばあちゃん(私の曾祖父母)に育ったようだ。 一番上の姉は一回り上で、物心付いた時には既に奉公に出ていたそうだ。この姉とは仲が悪い。母の口からも出るが、私の目から見ていても、両方が年も歳なのに…いや、だからか?とにかく態度、言葉共に仲良くない。それでも2人で逢ってる時はそれ程でもないのに、もう一人の姉と一緒になると、母は仲間外れだ。母は町で暮らし、姉達は昔ながらの農家に嫁ぎ、そこに根付いている。まぁ住んでいる環境も違うしねー。お互いにうらやましかったり、ねたましかったりもあるんじゃないかなー?とも思ったりもする。私の勝手な想像だが、最近ではその叔母は、母が産まれたせいで祖母は亡くなったと思ってるのではないかな?それがそもそもの仲の悪い原因ではないのかな?と思ったりするが、定かではない。聞いたこともないしね。聞いてはいけない気もする。 でも、そこそこの御家だったからこそ、その昔養子をもらっていたのではないかな?とは思う。その昔、曽祖父の弟はアメリカへ留学する出発の前夜、虫垂炎から腹膜炎を併発して亡くなったそうだ。母達の伯父さんだかは、北海道?御陵の牧場に遣え、お墓がそこにあるそうだ。そんな事を考えれば、いい御家だったのではないかとは想像する。(各本人達を見ても、いいお家の出…の見る影はないけど)それが、母が産まれて3年程で家庭崩壊になったとすれば、そのせいで奉公に出なくてはいけなかったとすれば???叔母が母を嫌うのも、なんとなく分からないでもないんだけど。それは想像を超えないですがね。。。。。 田畑をしながら中学校(?)を卒業した母は、やがて町で勤め始める。が、その頃大阪に出ていた兄が、交通事故に逢う。何度も手術を繰り返す大変な事故だったようだ。大阪で就職し結婚し子供も出来てすぐの事故、叔父は母に「仕事を辞めて、自分達の世話をにしに来てくれ」と、連絡してきたそうだ。当然、仕事をしなければ生きてゆけない母は、拒否もしたらしい。が、「こんな時に不義理をするのか!お前の面倒は、俺がふんどしを質に入れてでも、責任持って見る!!」とまで言われ、母は行く事にしたそうだ。義理を立てると自分が立たず・・・・・とは、正にこの事だろうな。しかし20数年後、その叔父は癌で亡くなってしまった。先に死んでしまっちゃ、世話にはなれないよ。。。 その後、母は24歳ぐらいで見合い結婚をする。父はバツ1だったらしいが、なーんでしたのかね?本人はあまり乗り気では無かった風に言うが、周囲に押し切られたのかどうか?定かでないが、そんな風にも言う。10年近く、子供は出来なかったそうだ。私のときも、切迫流産をしかけたか?とにかく産まれるまで半信半疑だったそうだ。私は母の厄年に帝王切開で産まれた。 それまでお金に苦労せず大人になった父は、結婚してからも給料前借りして遊んでいたそうだ。 その頃住んでた所はJRの線路がすぐそこで、少し言ったところに小さな踏切があり、年に何回か飛び込み自殺をすることがあった。母も辛い日々が続いていたのだろう。保育園の時だったと思うが、ある日の夕方だかあたりは真っ暗だったと思う。私の手を引いて歩きながら「飛び込んで死のうか?」と言われた事があった。私はこの時、ひどく大人でハッキリとその時の感情も覚えているのだが、「アタシは嫌で!お母さん一人で死にや。」と、冷たく言い放った。母は断念したようで、今も生きてます。。。 私が生まれる事で父が変わるかと期待したらしいが、結果は当然否で、私が小学校に上がる前に生活出来ないと、家庭裁判所を通じて協議離婚した。母の兄弟達には、私を連れて出る事を反対されたそうだが、それを押し切っての私と2人生活が始まった。 それまで勤めていた会社は夫婦で住み込みの形で入社をしていたが、社長たちは離婚してもいつまでも居ていいと言ってくれたにも関わらず、他の従業員に妬みイビられて私が小学2年生ぐらいの時辞め、家も引越し職場も変わった。 私が小学1年生の頃、どこかへ私の知らない人とお食事をしに行きその帰り道、母は私に、「お父さん欲しい?」と聞いた。正直私は欲しくなかったが、母の人生は私と居る事が幸せでは無いと悟っていたので、「どうでもいい。」と答えた。小さいからと、子供を侮ってはいけない!!少なくとも、小さい時の私は、今よりも大人だったかもしれない。 それをキッカケに、その人とはどうも付き合っていたらしい。県外の人であるその人は、その後うちへ泊まりに来るようになり、たまにこっちから行く事もあった。いろいろお土産はもらったが、あまり嬉しいとも思わなかったが、嬉しいフリをしていた覚えがある。その人とは、私が6年生ごろまで続いた後別れた様だった。その頃その間に2度ほど引越しがあり、母も色々忙しかっただろうな。その引越しに、そのおじさんが手伝ったことは1度もなかったし、そんなに頻繁に会っていたようには無かった。。最後の1年間ほどは逢ってなかったんじゃなかったのかしら?うちには電話もなかったので、私にはさっぱり分からなかったけど。 小学校6年の夏休みの引越し後、うちにもやっと電話がつき、初めて私の部屋も出来た。母子家庭で市の公営住宅へ入れてもらったのだ。母子家庭になって母が初めて、行政から受けた援助だった。昔は行政から保護を受ける事で、学校でその子供がむごい仕打ちをうけたりしたのだそうだ。それをリアルに見て知っていた母は、私がそんな思いをしないようにと、一切何も受けなかった。 引っ越したそこは、それまで住んだ中で、1番広くしかも新築で綺麗な部屋だった。その当時憧れの、団地住まいだ。3LDKってやつだ。お風呂もトイレも全部揃っている。私には夢のようだった。その団地は母子家庭だらけで、偶然同じ小学校の子も居た。その子は、新学期から転校したので、中学校へ上がった時はとても助かった。なんせそこは同じ市内でも田舎で、皆、保育園からずっと一緒…のような学校だったからだ。 そこへ引っ越した機会に付けたその電話で、母が別れ話をしていたのを聞いてしまったので、その頃がそのおじさんとはケジメをつけた時だったのだろう。 【完】
2007.04.23
コメント(0)
【完】どうですか?大分、出てきたでしょう?でも、ずっとしんどそうなんです。前のハイパーな杏とは違い、しっとりと落ち着いた感じ。大人の、お・ん・な? 【完】
2007.04.21
コメント(0)
【完】 ババと口を利かなくなって、今日で丸2週間。前回爆発して以来、無視している。勿論、食事もババのためには作らない。別に、私が作ったものを食べたり、買い物した物を食べられるのは構わないのだが、それもしている様子は無い。1度 「魚も食べんやったら、捨てるけど?」と言い捨てたら、 「テーブルまで持ってきてもらわんと解らん」と言い放ったババ。いやいや、アナタの為には何もせん!!と、私は宣言したのだよ。。。。。その私がテーブルに並べるわけ無いじゃん。。。 あれ以来、私も自分用に特に料理はしない。だから、買い物にも行かない。お金も無いし。。。。。(ガックシ)でも、一人暮らしの頃のように、これはこれで快適♪♪ 先週は土曜日が休みだったので、2連休中どうしよう・・・と密かに嫌だなと思っていたが、それなりになんとか無視して過ごせた(ホッ)目が見えない・・とか、フラフラする・・とか言っているが、自分で近所の整体にも行き、スーパーへ買出しにも行ったようだ。 強情と言うか頑固と言うか・・・・・誰が悪いのだろう?と考え込んでしまうほどだ。 そして毎日のように、朝の起床時や夕方の帰宅直後、何事も無かったかのように振舞おうとし、蘭丸達に声をかけながら私の出方を待っている。私が無視すると 「まだ怒ってるのね」的にすごすごと、これまた何事も無かったように淡々と過ごしている。。。。一昨日は、帰宅直後 「鯵を買って来たき、焼いて?」と話しかけ待っているようだったが、無視して蘭丸達に食事をさせ、さっさとシャワーを浴びに行くと、諦めて寝に行ったようだった。 昨日は昼間、出る便があったのでパンを買ったのを家に持ち帰り、菓子パンだけ(食べられたら嫌なので)会社に持って戻った(笑)夜帰って、持ち帰った菓子パンをいつもの籠に入れると、ババは自分が寝に上がる際ちゃーんと、その菓子パンのうちの1個を持って部屋へ上がって行った。 見えんと言う割りに、ちゃーんと見えてるじゃんか。しかも、昼間開けたパンとは別のを選んで・・・・・。(ムカッ) それにしても、そんなに私の作る食事が嫌だったのだろうか?????ここまで謝ろうともせず、無視されてもそのまま居るのはそういう事なのか?とさえ思えてくる。じゃあ、今迄頑張ってた私は一体・・・・・なんだったんだろう?????・・・・・(溜息) 【完】
2007.04.19
コメント(2)

【完】 どうかなぁ?とも思ってたけど、やっぱりどうやら無事ご懐妊の様子。お腹もちょっと張りが出てきたみたい。 今日は、先日行った美術館の庭が気に入ったので、またお散歩へ行きましたよ。昨夜の雨で、綺麗だった桜も大分散ってしまってたけど、緑の中をお散歩出来るのは、やっぱ気持ちいいね~(*^_^*) 写真は、5週目の杏です。この写真だと、お腹もちょっと解りますよね(^▽^) 明日から、6週目に入ります。今、ちょっとしんどそうです(T_T)おなかもドンドン大きくなっているみたいだし、しんどいのも無理ないけど。。。 杏の出産は楽しみなんだけど、何せ初めての事だから、私の不安の方が強いみたいです・゜・(>__< )( >_
2007.04.14
コメント(0)
【完】 1回目の交配したのが、3月11日。あれから1ヶ月、5週目に入りました。最初、ずっと体も熱く、グッタリでもないけど、寝てばかりのようでしたが、2週目過ぎた頃から、お腹も少し出た?お乳も張ってきた?と思えるような体の変化がみられました。 3週目半ばを過ぎた頃、あれ?体温が下がった?と思えるときがあり、一時期お乳の張りもなくなったかのように思えました。でも、交配の間遠く離れてて1週間がとても長く感じられたので、もう出来て無くてもいいやーと思ったりしてました。 が、4週を過ぎた今、またお乳の張りが出てきた様に思えます。どうかな~? 【完】
2007.04.11
コメント(1)
【完】 昨夜は、こう言って爆発した私。事の起こりはこうだ。 まず説明しておかねばならないが、母は70代中盤。40代で糖尿病を患い60台で白内障と緑内障の手術をするも良くならず、現在赤い手帳(障害者手帳)を頂くほど、目は見えない。60代後半に、私に家を出て行かれその時から十度のめまいと左の耳(右だっけか?)は全く聴こえない。多分重度のストレスからくる、突発性難聴だっただろう。まともに食事を取らないから、合併症で腎臓もやられてきたようだ。だから、野菜を使いたいとき、下茹でをする手間が増えた。。 買い物は勿論外出は病院だけ、料理洗濯掃除何もしない、出来ない、、掃除はたまにしてくれているみたい。「そんなに動かんまんまで、お腹が空くわけ無いやんか!!フラフラめまいするなら、這いつくばって拭き掃除したらいいやんか!!」と、時々私が怒鳴るからだ。(私鬼ですか?)掃除機の使い方がわからないとか、洗濯機の使い方がわからないとか言ってやらないのだ。 だが、洗濯物も干していれば取り込んでたたんでくれる。ただし、母親の寝ている部屋から出るベランダに干してあるが、前日の夜などに干すとそのまま何日も干してあったりする。聞くと、「忘れちょった」とか、「干してあるの知らんかった」とか言う。つまり、朝起きてカーテンも開けないし、勿論空気の入れ替えなど全くしない。「寒い」からだそうだ。お蔭様で2階は空気がどんよりしている。(この頃私も、ずっと2階へは足を踏み入れない) 休日に見ていると、朝起きてきて、食卓に座り目薬を差し血糖値を測り、インシュリンの注射をし、コーヒーとパンを食べ、それからずっとそこで昼迄座り、昼ごはんを用意すると注射をし食べたらまた夕方まで座り晩御飯を用意されるとまた同じ事を繰り返し、そして寝る。私はお地蔵さんと呼んでいる(怒)そして、食事のたびに 「こんなにいらん。お腹空いてない。」と半分以上残す。 毎日、そんな生活を続けているようだ。。。。。。。 そんな母親と、一旦別に暮らしたものの、もうどうにも死にそうになってきたから、4年前から一緒に暮らすようにした。どんな生活・感情だったにせよ、母一人子一人で育ててもらったのは事実で、その母親が、ある日死体で見つかるなんていうのは、その人の子供として、育ててもらった一人の人間としてやっぱりあってはいけない事だろう、、、と思ったからだ。3年前から今の家で暮らしている。 だから、生活は余計くるしくなった。家代は、それまでの3倍に膨れ上がったからだ。私の家計は火の車だ。 私に近づくと、怪我するゼ。。。。。(ニヤリ) ところがどうだろう。一緒に暮らしだすうちにみるみる元気になり、毎日、私は我慢に我慢を重ねながら過ごしている。いや、爆発を繰り返しながら暮らしている。 いつも「目が見えない」と言うこの母親。どういうわけか、自分の見たいものは見える芸当、勘、超能力?を持っているらしい。 昨日帰ったら、流しにプラスチック容器が伏せてあった。先日【初めて】買ったぜんざいの容器だった。「あんた、これ食べた?」と聞くと、「低血糖になったき食べた」と答える。初めて買ったそれを、テーブルにずっと乗せてはいたが、どうしてこれがぜんざいとわかるのだろう?私ぜんざいだと言ったかな?なぜ、食べ方がわかるのだろう?素晴らしい芸当、勘、超能力?そして記憶力だ。(怒) 夕食を作っていると、「ご飯はあるきね。お昼の残ってる」という。つまりこの人は、用意した昼ごはんを残し(その為に)低血糖になったから、これ幸いと目の前にある(食べたかった)ぜんざいを食べたのだ(怒怒)。 ここで少し爆発し、まぁいつもの事と食事を用意する。昨夜は刺身とスープだった。食事中に電話が鳴り、受話器を渡してくれる時おわんに引っ掛けて、熱いスープを半分以上こぼしてしまった。当然私に叱られる。その時おわんに残ったスープと、少し(2切れ?)程の刺身で食事は終了させた母。片付け時に覘くと、昼に用意したご飯(お茶碗1杯程度)がまだ半分程残っている。 ここで、怒りは頂点に達した。「そんなに、要らん、食べんと言うなら、もう明日から一切作らない!!!食べるな!食べなくていい!!!!!」「低血糖になったら、(病院が出してくれる)ブドウ糖だけ飲んで過ごしたらいいやんか!!もう知らん!!!」「もう嫌ッ。我慢の限界。アンタみたいな人と一緒に住めない!!」と、怒鳴った。 その言葉どおり、今朝は準備せず会社に来た。 朝2階から降りてきて、いつもどおりのことをし、(いつもならテーブルにコーヒー(薬用の)水、パン、お湯の入ったポットと昼の弁当が準備してあるが)何も無いので(が、その事は口に出さず)自分でコーヒーを淹れ、昨日買った籠に入れているパンの中から蒸しパン(好物)を選び食べていたようだ。 このパンも、賞味期限が迫ったのを色々いくつか、大きな袋に詰めて売っている店を見つけ、時々買いに行くのだが、袋によって中身は違う。大体お値段的に半額ぐらいのお徳袋なのだ。(喜)選ぶ時、自分の好みも勿論重視するが、どんなに怒っていても、母がコレが好きだからと、選ぶ条件の重要ポイントに入っている。先出のぜんざいも、この袋に入っていたものだ。 昨日もそんな事を思いながら、「私ってバカだな。。。。」と、半分悔しがりながら選んで昼間買ってきた、そのパンの一つだ。 さっき、仕事をしながら、何気にラジオを付けると、「知的障害のある19歳の子供に、1ヶ月間食事を与えず(その家に帰らず)餓死させた44歳(だったっけか?)の母親を逮捕した」と、ニュースが聴こえてきた。「借金があり、生活が苦しかった」と言っていたようだ。 今、この母親はどんなことを思っているのだろう?思い出すのは、その子供の小さい時から今迄の、笑顔ばかりじゃないだろうか?当たり前だが、リセットしてもその子供は戻ってこない。後悔の念に捕らわれ、ただ涙するだけじゃないのだろうか?勝手に想像し、そして勝手に決めつけて、私も涙が止まらない。少し、自分とこの母親は、似ているのだろうか。 いつまでこんな生活がつづくのだろう。。。。。そう思う時のこの果てしないやるせなさ・絶望感、悲壮感。これはどちらかが死ぬまで、確実に続く事なのだから。帰りたくなくなる気持ちは、今の私には痛い程よくわかる。私は【鬱】なのだろうか? 昨夜夢に出てきた母親は、楽しそうに嬉しそうに笑っていた。夢の中で私は、 死なせてしまったら、この笑顔には逢えないな。。と思って少し悲しい感情の中にいた。 朝起きた時、こんな夢を見たという事は、、、、、一瞬母は死んだ????と思ったほどだ。(冷汗)生きてたけど。。。。。(溜息) (怒) その次にこのニュースを聞いたから、これは神様が、そんな事してはいけないという警告を発したのかもしれない。(涙) 悔しいが、それもそうだろうと思う。勿論、餓死するはずもなく、パンもご飯もあるけどね。。。。。おかずは作らなかったけど。私も食べてないけど。。。。。 でも、そこはかとなく、今の私は、怒りと悲しみの中にいるのだ。。。。。そしてこれは、母親が生きている限り続くのだろう。。。。。 【完】
2007.04.05
コメント(2)
【完】 先月、3月11日から18日まで、お隣県のペットショップへお泊りしていた【杏の甘えちゃん】を心配していたが、この子はそれなりにやっていたようだ。 そして私も、以外に眠れる(ヒート中は布団を汚されてはかなわないから何度も起きて寝不足なのだ)事に、結構満足すらしていた。 …つもりだった。 だが、杏が居ない前日の夜より、断然安心して寝ていた私(^o^; 何よりもフト思い返してみるに、その1週間ろくに料理もせず、でもお菓子とか手当たり次第に食べ続けてた。一番食べた物と言えば、いよかんのドカ食い。(*_*) なんだ!どうこう言っても、一番依存してるのは私じゃんか(◎-◎;)と気付いた。 【完】
2007.04.01
コメント(0)
【完】 少し、お乳が張ってきたように思います。お腹も出たように思えるのは、 …え? 太った? ヤバイ(◎-◎;) そういえば、蘭丸も丸くなった様な… そして私も… 気を付けねば! (自分に関してだけは無理や(;^_^A) 普段は寝てる事が多いようで、おとなしくもなりました…よ?多分(-Q-) 今も膝の上で寝てますが、息遣いが少し早くて荒いみたい。しんどそうです(;_;) 今日はことごとく、お散歩のタイミングで雨に降られ行けなかったけど、これからはなるべく行きたいなぁ。 来るべく出産の為にもね(^.^)b(後、私の健康診断の為にもね(@_@;)) 【完】
2007.04.01
コメント(0)

【完】 女の子の杏を迎えた時、いつか子供を産む事を頭に置き、血統書と会員登録をする時に、7年間の会費を入金。これでいつでも大丈夫。。なんて思ってました。無知でしたからね、この頃。 かけるのは、お友達の家の子でもいいし、ショップに相談してもいいな♪チャンピオンの子供までは望まないし・・・・・程度にしか思っていませんでした。ところが、日を追って犬仲間も増え、色んな情報が耳に入ってくるようになると。。。。。 ショップなら、血統書付きの犬だけを扱っているし、その犬は売り物だから当然安全。。。。。と思っていたが、ということでもないらしく、 買って1週間経った頃に病気があったことがわかり、その事を言いに行くと「交換しますよ」とか「返してもらっていいですよ、引取ります。」挙句のはてに「うちの犬はみな、その病気は持っています」と言ったショップがあるとか。。。。 雄犬で、2つあるうちの1つの玉がお腹の中に残ってしまい、癌になる確率が高いので将来開腹手術が必要なその症状は、遺伝疾患によるものが多いから、そんな子はかけないのがプロと聞いたのに、私が知っているショップではかけた事実。。。。。 何処を信じればいいのやら。。。。 そのうちに、ヒートの煩わしさというのはやっぱりあるので、産まさない場合は産ます方より婦人科系疾患になる易いし、取ってしまった方が将来病気にならないという予防の利点があるから、という話を聞くと、そんな病気で死なれるより手術して長生きしてもらう方がいいかな?と思い立ち、じゃ、しよう!!と思いながらも、開腹手術であるし、同じ女として使わないから切ってのけてしまえ的発想のそれを、いかがなものよ???もし自分に置き換えたら?などと思い出したら、悩み悩み悩み悩み悩みモンモンモンモンウーーーーーーーーンいろんな人に聞いてみたいと思いました。だから、別に書いてる掲示板にも書き込んでみました。 杏が産まれたところの、ママにも聞いてました。「切って除ければ、長生きしてくれるかもしれない。除けなくても、長生きしてくれるかもしれない。切って除けても、別の病気や事故で死んでしまうかもしれない。よく考えてね。除けてしまってから後悔してもどうしようもないから。」と、言ってくれました。なるほどそうだな!と思いました。逆に、切って痛い思いをさせて長生きさせる事が、人間のエゴではないか?とも思いました。友人にも言われましたが、杏は、私とずっと一緒に居ることを願ってくれてると思います。私もそう願っています。では、体を切り刻んでも、一緒に居たいか?それは解りません。これは、人間にも言えると思います。 話しは逸れますが、私は自分が死んだ後の臓器提供を希望します。親は(多分どこの親でもそうでしょうが)脳死状態の、まだ温かい体の自分の子供(どんな大人であっても)を切り刻まれる事を、拒否するでしょう。先日似た話しで、人口延命措置をするかしないかの選択を医師から告げられた時、親のそれは止めたから天国へ見送ったが、もしそれが自分の子供であったらそれはしなかっただろう、と話す芸能人の話しもありました。でも、その子供の立場であれば、それを自分が望むか・・・・・・きっと答えの出ない、話しなのだと思います。 内容は少し違うかもしれません。でも、杏は私が一緒に暮らすと決めた、命も感情も表情も持った家族です。ずっと一緒にいたいけれど、それを望めないかもしれない命です。だって、犬は確実に人間よりも寿命が短いですから。 他には、自分は自分のところへ来ると決まった時に(相手に)避妊手術をしてもらった(それは正しい、当たり前)犬の命は人のものではありません!!犬の物です。産んだ時の変わるその子の表情が見たいだけで命を粗末に扱ってはいけません的な、一般家庭で子犬を産ます事を全部ひっくるめて悪のように批判してくれる方もいらっしゃいました。それも、犬が後々病気にならないように、不幸になる犬が1匹でも増えないようにという観点では賛成する話しではあるのですが、私の悩んでいる事とは違うように思えました。 今いる子に愛情があるからこそ、次の子も子のこの血の繋がった子なら尚愛しい、そしてその次の子も・・・・と何十匹も飼うのではなく、何十年も長く繋がっていくこの子達の子孫を迎えられたらな・・・・と思うことも子供を産ませることに含まれたので、だからこそそれを絶たれる避妊手術に迷いはあるわけで、、、、、 この避妊手術の件では、皆様に色々相談にも乗ってもらいましたが、結局、自然のままで何もしない、逆に病気になっても科学的人工的な療法は、何もしないこの子達の寿命に任るという結論に達しました。ですが、自然のままという事は、本能の赴くままでもあり、今回のヒートが始まった時点でもう一度考えて見ることに致しました。だって、健康な女子なんですもん。動物の本能は人間も一緒。 食べる寝る(生命維持) 生殖本能 (種の保存)女の子を迎えた時点での、私の気持ち。その時点で準備はしてたわね私。 2度目のヒートはあまりに突然やってきて、私の心の準備も出来てなかったし、また、人にも逢わなかったのが縁の無い時だったって事カナ?でも今回のヒート前にはこんな色々、考えもしてたし。。。。。 3度目のヒートが2月の終わりにきました。ずっと考えてた直後のことでしたから、尚更に素人同士は止めようと思いました。でも地元のショップも意外と危ない・・・・。 でも杏の生涯で1度でも産ますなら、初産は早いほうがいい…(本当は2度目のヒートがベストだそう)と思い、今回のヒートが始まりスグ、自分のまわりで急遽一番プロに近い人、信用できる人…と思いついたのは犬仲間のKさん。 お散歩中にした電話で、相談してみました。Kさんの懇意にしてるお隣県のペットショップさんと掛け合ってくれる事になり、その電話でほぼ決まったような(^o^;・・・でもゆっくり考えるような時間はありませんから。こういう事は急がないと! でも、決めたようでも気持ちグラグラの私。やっぱりやめようか? 先週は私の決心をさせるため(?)お店を訪ねてみたら、まぁ居る子達みんなフレンドリー♪旦那様になる「クロちゃん」も全身で喜びを表現しながらやってきてくれます。 こちらでは、5歳以上の子は交配しないとか、お店の看板犬たちを月に数日毎にはなるけど、交代でお家に入れて生活してるとか。この日はまだ始まって1週間も経ってませんから、まだ体の準備はできてませんから来週でいいよとの事。 少し安心もし、意を決して昨日の初日を向かえ、杏さんお店に着くや否や、ビビリっ放し。 前夜から、体の方は準備OKその気になったようで、蘭丸に向かってお尻フリフリの杏。蘭丸も乗っかってるし、杏もさせてる。。。。。おパンツ履いたもの同士ですけどね。。。。。でも、これが本能なんだろうな。昔ムツゴロウさんの番組で、ムツゴロウさんが「犬は本能で愛情を表現しますが、犬の愛情は2種類、母性の愛情と異性間の様な(種の保存)の愛情しかありません。だから同姓同士でも好き=異性間の様な(種の保存)の愛情になって・・・・・」で、ムツゴロウさん大きな犬に襲われてました^^;だから、蘭丸も杏もお互いを好きって事なんだろうな♪ そんなこんなで体の準備はほぼOK だったみたいですが、初めての場所・初めて会うワン達…‥もうビビルビビル。ビビリションまでする始末。 少し(いや大分、いやかなり、もうやめようと思うぐらい)可愛そうな気はしたけど、本能(子供を産む)の事を思えば、やっぱりここは踏ん張って頂いて、皆様のお力を借りて最初の交配は無事終わりました。少しまだ機が熟して無い感もあって、今週一週間は預かっていただく事に。杏はこの一週間、新婚さん!結婚生活を過ごします。。 杏・・初めてのお泊りでいきなり、結婚生活突入です。昨夜は 「何でここに居るんだろう?」 「どうして私は一人なんだろう?」とボーっと静かに過ごしてたそうです。 写真は、旦那様のクロちゃんです^^ 【完】
2007.03.11
コメント(0)
【完】 蘭丸は、私が初めて選んで決めた家族、一緒に住む家族です。 蘭丸を飼い始めたのは、一人暮らしを始めて2年目今から6~7年前の事だ。 犬を飼うのは小さい頃からの夢・念願だった。でも、ずっと借家生活で動物うを飼うのは許されなかったから、いつか、大人になって自分の家を持てたら絶対犬を飼う!!と願ってた。 人生ってなかなか思うようにはいかないし、結婚もしそうにないと思い始めた30代始めにやっと自立して、家を買い一人暮らしを始めた。その頃、生け花を習っていた私。週一回訪れるそのお師匠さんのお家では、数年前までマルチーズを飼っていて、亡くしたショックが強くてもう飼わない!と思ってるというお話だった。だが、私が飼えばいいのにぃ♪と毎度言っているうちに、またマルチーズを迎え入れた。生後2ヶ月でやってきたこの子は、お人形さんのように可愛くて、お華のお稽古がメインか、はたまたこの子に会うのが目的か?どちらにウェイトを置いてるか分からないぐらい通うのが楽しみな毎週でした。ただ大人になると、マルチーズでも5kgぐらいになります。抱っこしていたいけど、肩こり症な私。腕がもたないのです。だから、5kg未満の子って何だろう?と探したのがヨーキーでした。いつかヨーキーを・・・雄のヨーキーを…名前は…ヨーキーはヨーロッパの犬…フランスかな?(←バカ!ヨークシャー地方とはしってたけど、それがイギリスだというのは蘭丸を飼い始めて1年も過ぎた頃だった)・・・日本で飼うから日本男児のような名前。。フランスの蘭を使って・・・ そうだ![蘭丸]にしよう!!!・・名前は決まった。が、しかし、・・・こんなに会いたいのに、探し始めると出てこないものですよね。 一人暮らしを始めて、蘭丸と出会うのに1年半は過ぎてたな。 ある日そのお華のお師匠さんから、「今日の地方紙の夕刊に出てるよ!」と連絡をもらい、急いでその先に電話をすると、希望してた仔犬はもう全部出てしまったけど、1歳の子がいるよ、と声をかけてもらった。初めて飼うのだし。。。。と見せてもらいに行って、そのまま連れ帰ったのは11月の終わりに近い日だったな。 蘭丸を連れて来たおッさんは、「種犬に残した。顔はかわいいよ。絶対それは保障する。大学生の娘が可愛がって育てていたが、この春でその大学を卒業するから。」と何度も同じ説明をしつつ(だが意味が分からん事ばかり)、その犬をしきりに立たせブラッシングをしていた。 そのまま言い値の2万円とワクチン代を1万円、言われるままに支払連れて帰った。一緒に行ってくれたお華の先生も、「何で、大学卒業するきって、飼えんなるがやろうねー?」としきりに首をかしげてたっけ。顔が可愛いと言われても、ヨーキーをまともに見るのはこの日が初めてだったかもの私。そう言われても、わかんねーよ!!(後に、ヨーキーの集まりに行くようになり、改めて可愛いと思ったけどサ←親バカ丸出し^^;) その日、家に連れて帰り…って、いきなり決まってしまったから、何の準備もしてなかった私。つまり、ゲージもハウスもトイレも、何もかも何にも無かった。とりあえずスーパーに寄ってフードだけ買い、帰り着いたのは夜も更けていた。ひとまず一部屋に新聞を敷き詰め、トイレをささなくちゃと階下へ降り、車の脇へ行っていきなり投げた。・・・・・ベチャ!・・・・・ (・・; 蘭丸(おびえた目で見ながら):[何て所へ来ちゃったんだろうT0T僕の人生(犬生)終わった]そんな顔してた(滝汗)。私、ビックリして ごめーーーーーん(T◇T)!!いえね、別に虐待したわけじゃないですよ。犬も動物じゃないですか。猫のように、華麗に着地すると信じて疑わなかったんです。次の日友達に電話をしたら、「うん。犬はそんなんしちゃダメよ。」と言われ「へーへーへー」でしたわ。 2週間ほどすると、くしゃみをよくするようになった。風邪かな?と心配してあのオッサンに、病院へ連れて行ったほうがいいか聞く為電話をした。そしたら、「病院なんか連れて行ったら、抗生物質打たれて犬が変わってしまうから、連れて行かんでいい」という返事だった。わかりましたと電話を切ったけど、それから10回ほど連れて行くなという電話がかかり、あげくの果てに、「じゃあ犬は今家に一人で居るんですか?そんな所には置いておけない!任せておけないから返してくれ」とまで言われた。はぁあ?絶対嫌!と思ったので、それ以後着信拒否にしてやった。 のちに獣医さんの元へ健康診断に連れて行ったら、歯は真っ黒!年齢はそれより大分いってる、2才にちかい1歳だと思われると言われ愕然。何より、確かに種犬に残したとあのオッサンは言っていたのに、獣医さん【去勢してますか?無いようですね】・・・・・・・ありえんーー; そんなこんななエピソードを持つ蘭丸です。どうぞ宜しく。 【完】
2007.03.06
コメント(1)
【完】 さてさて、忘れないうちに、杏との出会い。。。。。 杏が産まれたのは、私の家のお隣の家・・・まだ引越して間が無いし、順番によって回覧板を回したり回ってきたりの間柄。1月入って間もないその日も、回覧板を持って蘭丸と行った夜でした。それまでにも、ダックスのれいんちゃんとは逢ってたと思うんだけど、その日れいんちゃんを抱っこして迎えて下さり、 「今1ヶ月前に赤ちゃん産んで、お腹とお乳がダルダル」と、言うので 「え?赤ちゃん?見たい~♪」の私の一言で、お子ちゃまみんなを玄関へ連れてきて下さったのでした。初めて見るダックスの赤ちゃん。 「可愛いぃぃぃぃぃ」みんな両手サイズで、モコモコ。5匹産まれてね、コレが1番この子が2番・・・でも、そんな赤ちゃんを見るのは生まれて初めてだったから、触りたいけど遠慮が先立つ・・・。 その中でも、しきりに動くのが目立つ5番目のその子。何でも、前もって撮ったレントゲンで4匹確認。でももう1匹居そうなのにね・・と話しながらお産を迎えたら、4匹で止まったから「やっぱり4匹だったね。」と夜中に一騒動を終わり、お茶で一服しながら仔犬たちの様子を・・・・と目を向けると、れいん母さんから足が出ていたそうな。大慌てで「一体いつから??」「逆子!!」と、パパちゃんママちゃんにとっては2度めのお産とはいえプロでは無い中、大騒動の末に生まれたそうな。5匹目だから「ごっちゃん」という仮名をつけられてた。 動きを止めないその「ごっちゃん」、玄関でタタキに落っこちそうに!!!慌てて受け止めそのまま抱っこ。 「可愛いぃぃぃ・・・うちへ来ぃや♪」抱っこしながら、冗談半分でそう言ったっけ。その日、何故か蘭丸はブルブル震えてた。。。。。(?) 丁度その頃、友達が「子供が犬を欲しいと言ってる」と言ってたから、さっそく連絡して、一週間もしないうちにまた見せてもらいに訪問。その日もまた落ちそうになって、抱っこしたのがその「ごっちゃん」。5匹いるのに、抱っこしたのはそのごっちゃんだけでした。そうこうするうちに2週間経ち、次々と行き先が決まる中、ごっちゃんともう1匹は決まってなかったらしい。ある日ママちゃんから、「明日もう一人見に来てくれるけど、もし決まらなかったら、本当にごっちゃんを迎えてもらえん?思い入れのある子だけに、出来れば近くで見たいという願いもあって。。。」と打診があった。。。。。 その時は漠然と、次はプードル!か柴犬!とか思っていた私。そして、ダックスは私の選択肢には無かった。。。いつかは2匹にと思っていたけど、今とか今年とか来年とか、具体的にはまだ無かった。「うーーーーん。冗談半分では言っていたものの。。。。。」「でも、縁だしなー。」正直な気持ちを話させてもらったた上で、「もし決まらなかったら。。」というお返事をしていた。それからまた2週間ほど経ったが、返事が無かったので、どうなったかなー?と思っていたが、その間に夜中ソファーに座っていて、ふと「もしうちへ来たら、【杏(あんず)】」と名前が降ってきたので、勝手に決めていた。どうなったか聞きに行ったりしながら、その話もしてた。そしたらその「ごっちゃん」、人が見に来たら、何故かその日は普段のハイパーぶりを隠し、静かに過ごしていたそうな。そして、ママちゃんパパちゃんのおうちで、たまに「あんちゃん」と呼ばれていたそうな。気に入ったな?杏。(ニヤリ) そんなこんなで、「ごっちゃん」は【杏】になった。 うちへ来たのが、一昨年2005年の2月3日節分の日でした。11月30日産まれのこの子、かわいい盛りですがとっても寒い日でしてね。3日間はゲージの中で、どんなに泣き叫んでも夜は一人にさせなくちゃ駄目。。。と聞いてはいましたよ。。。。 でもね、すんごい寒い中階下の部屋で一人ぼっちにすると、ずーっと「こりゃ虐待じゃないか?」と間違われる位、泣き叫ぶんです。しかも、先住犬のヨーキー蘭丸と違い、仔犬のクセに声がデカい。。。寝ていられないのも手伝い、遂に布団の中へ。。。。。そしてあっと言う間に、2年が過ぎました。(展開が速すぎ?) ヒート中が大変だし・・・と、女の子を迎えるつもりも無かったのに、飼い始めると女の子の服は楽しいわ~♪ 蘭丸の服も楽しいけど、やっぱそこは女の子。フリルがあったり花柄があったり、レースがあったりリボンがあったり・・・楽しすぎーーーーー♪ そして女の子の方が、男の子より飼い主にベッタリなるような気がします♪甘えちゃんなのかな? 杏が居ない生活も、今では考えられなくなりました。 きっと、初めて会ったあの日、蘭丸は杏がうちへ来る事を解っていたんだろうな。だから、あんなに震えていたんだろうな・・・・と思います。だってワンコは、人には分からない色んなパワーを持ってるものね。 【完】
2007.03.06
コメント(0)
【完】 お友達である【ぐぅーママ】のお蔭で、こちらに出現しました。ヨーキー蘭丸と、Mダックス杏と暮らす『[らんあん]…ママ…』というより、[らんあん]のハニーです(ーー;。とりあえず私、パソコンを持っていません。書いてある日記も、時々元へ戻って修復作業をしたりします。なので、完成した記事は最初と最後に【完】をつけますので、出来上がりかそうで無いかはそこで判断して下さいマセ。 おいおいコッチがメインになることでしょうが、しばらくは、今使わせてもらってる掲示板と二股って感じで進みます。 ひとまずは、始まりのご挨拶から。。。。。 こちらも、どうぞヨロシクです。 【完】
2007.03.06
コメント(0)
全42件 (42件中 1-42件目)
1