YOFUKASHI RANHYMEL

YOFUKASHI RANHYMEL

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2003.06.17
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今日は父の命日。

亡くなって3年。

ファミコン(ファミリーコンプレックス)と呼ばれるほど、両親が大好きな私は3年経った今でも頻度は少し減ったけど、父を思い出して号泣してしまう時がある。

父の亡くなった年の今日は梅雨時じゃなかった。
終わっていたのかどうだか・・
私も、父の母である祖母も強力な晴れ女だから、亡くなった父のための儀式の日は全て晴れだった。

もう3年も経つのか、と思う。
でも、もっと長いような、短いような。

父が亡くなってからいろんな事が分かるようになった気がする。

そんな感情が分かるようになった気がする。いや、分かるようになった。

こういう経験は他にもある。

子供のうちは親の感動の表現をどうしても全部は理解できなかった。
もちろん、言葉は分かるのだけど、同じ様に感じたりできなかった。

でも、両親はそろって「感動屋」な上に、その気持ちを沢山表現する。

子供の私は必死で追いかけて、分かろうとして、でも分からなくて、子供ながらに「私ってダメなのかな」と思ったりした。

でも、いつか分かるようになるものなのだなぁ・・と今は思う。

父が天から後押ししてくれているに違いないだろうけれど・・


***

私が結婚式でも読んだ「詩」を載せます。
前も載せたかな・・?



父が十数年前のある日、私のドアに貼り付けてくれた新聞の切抜きです。(ある出版会社のコピーだそうです)

でも、父の気持ちがそっくりそのまま込められているようで、今でも大事にしています。

全ての「父」と言われる人の「娘」そして「息子」に対する想いなのだと信じます。

***

春が生まれた日に、おまえは生まれた。

父の人生に小さな花が咲いた。
初めておまえのいのちを受け止めた時、あまりにせつなく、
あまりに無垢な重みに、父は一瞬たじろいだ。
その時、おまえの時間と父の時間はまっすぐにつながった。
おまえの喜びのために、父は働いた。
おまえが泣けば、おまえを抱いた。
おまえと同じものを見つめ、おまえと同じ速さで生きた。
しかし、いつか。
おまえは父の力の遠くおよばぬ人生を選ばねばならない。
ただ独りで、歩いてゆかなければならない。
いつか訪れる日々のために、父はこうつぶやくのだ。

飯を食え。
空を見ろ。
本を読め。

少々のことにはへこたれない体とおおらかな心。
そして、読書の習慣。想像力の遊び場を持つことで、生きるいたみは軽くなる。
本には悲しみの出口がある。
読書の喜びを知る者のいのちは磨かれる。
言葉との格闘は、人の生を深くする。
どうか、人生の途中で父のつぶやき思い出して欲しいのだ。

飯を食え。
空を見ろ。
本を読め。

その時、確かにもう一度、おまえの時間と父の時間はつながるのだ。
おまえのいのちと父のいのちはつながるのだ。







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最終更新日  2003.06.17 23:43:20
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