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2004年08月15日
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テーマ: 中国&台湾(3345)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 なだらかに続く起伏に富む草原の丘陵地帯がどこまでも続く。遠くにはあまり高くはないが奇麗な三角形のシルエットを浮かび上がらせる山並みが見えた。空には筋状の雲が山の頂上ぎりぎりに覆い被さるように迫り、流れていく。空一面に、薄い灰色のカーテンがかかっているようだ。バスはそんな景色の中を走りぬけた。

 あわただしく出発した僕らは、最初、バスを見つけられないというアクシデントもあったが、何とか道浮行きのバスに乗り込む事に成功する。朝早起きして僕らを見送ってくれたお母さんは、なんども「また康定に来てね。そして来たらホテルなんかに泊らずに家に泊りに来てね」と言ってくれた。本当に暖かい家族だった。この家に2日間滞在できた事は、さっさとラサに出発してしまうよりもよっぽど良かったと、心から思える。ちなみにおとといの晩から引きはじめた風邪は、今朝はほぼ完璧に治っている。喉の奥の方がかすかにこそばゆい感覚があるが、これはすぐに消えるだろう。

 また峠を三つ越えた。二つ目の峠を越えたあたりから、作物が変わった。いままで米作中心だった畑は、麦畑へと姿を変えた。そう言えば昨日のトンファさんとの何気ない会話の中で、チベットの人々は麦を主食にしているのだと聞いた気がする。いよいよ本格的にチベットのエリアに入った一つの象徴なのだろうか。三つ目の峠を越えると、今度は家の造りが変わった。それまでは灰色の石の家が中心だったのだが、今度は白と茶色のカラフルな家が立ち並ぶようになった。その家を良く観察すると一階部分が石を積み上げて作られており、その石をペンキで白く塗装してある。二階部分は丸太を積み上げて作られており、その部分はこげ茶色に塗られている。屋根の部分は白と茶色が交互に塗られており、細い木を格子状に組み合わせた窓は黄色や緑、それに青などのいろいろな色で、この建物にアクセントを加えていた。モンゴルや中旬で見たラマ教の寺院はとてもカラフルだった。やはりチベット人というのは派手な色を好むのだろうか。

 そう言えば街の人の服装も明らかに変わった。民族衣装を着ている人の割合が圧倒的に増えた。民族衣装はどことなくモンゴルの人々の民族衣装を連想させる。やはり同じ騎馬民俗というのは服装まで似てくるものなのだろうか?それともモンゴルが元という王朝を中国につくり、このチベットエリアまで侵略してきた際にこの地の宗教であるラマ教(チベット仏教)を本国に持ち帰ったように、モンゴルの民族衣装も実はこの地の民族衣装を真似たものなのだろうか?

 それにしても、男性にしても女性にしてもアクセサリーをこれでもかと言うほど身につけている。そして髪も満つ編みにしてみたりいろいろな色の毛糸と一緒に編み込んだり、一人で一体何色の色を使えば気が済むのだと突っ込みを入れたくなるほどでいろいろな色をおりまぜた服装をしていた。彼らの肌の色は、強い日差しの中でそうなったような褐色で、ほっぺたはりんごのように赤い。目は二重で大きく、眉毛が濃い。そんな人々を見ていると、ここが中国だと言う事を忘れてしまう。

 こんなことがあった。八美というところで、昼食の休憩を取った後バスは新たな乗客を沢山載せて、まさに出発しようとしていた。その時一人の男が乗り込んできて、いきなり女の子二人組みの荷物をバスから降ろし、さらにその女の子二人組みをもバスから降ろそうとした。けれども彼女たちは泣き叫んでバスから降りようとしない。5分ほど男は彼女を叩いたり、引っ張ったりしながらバスから降ろそうと頑張る。ついに、運転手が仲裁にはいり、結局彼女たちは泣きながらバスを降りた。そして外で待っていた親族らしい人々の胸に飛び込んでいった。トンファさんに事の顛末を教えてもらった。彼女たち二人はラサに巡礼に行きたかったらしい。そしてあの男は彼女たちの兄で、お金が無いのに無謀にもラサに行こうとしている彼女たちを止めに来たのだ。兄のほうもとても辛そうな顔をしていた。そしてそんなことからも、この地の人々がいかにラサに憧れているのか、そしてそれがいかに大変な事なのかが感じられた。そしてそんなラサに、それほど仏教的な意味を感じずに、ただの「観光客」として訪れようとしている自分に対して、少し複雑な気持ちがした。

 ところで、トンファさんはやっぱりすごい。彼と旅をしているといろいろな情報が入ってきて、いままで何気なく眺めていた窓の景色が、がぜん面白くなる。たとえば「あの人たちは今川で砂金をとっているところです」だとか「ここは刑務所の街で、囚人が1万人ほどいます。ここの畑はすべて彼らが強制労働で耕しているのです」だとか、ここに来るまでに、いくつもの解説をしてくれた。これからの旅がますます楽しみになる。更に彼はなかなか波乱に富んだ人生を送っている。彼は89年の天安門事件の時に、先頭に立って天安門その場にいた一人だったのだ。一度は逮捕されたが、すぐに釈放されて、その後彼らはすぐに香港に向かったらしい。そこで多くの人々はアメリカへの亡命を決めたが、彼は家族を捨てる事はできなく、また中国に戻ってきたと言っていた。多少はったりも含まれていると思ったが、彼から当時の写真を見せられると、それはもう疑いようの無い事実だとしか言いようがない。

 道浮に着いた僕らは、今度はトンファさんの家にお世話になる。そこにはトンファさんの妻と弟が僕らを待っていてくれた。例によってご馳走でもてなされ、トンファさんの2歳になる息子さんと戯れているうちに、あっという間に日が暮れてしまった。  





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最終更新日  2004年08月16日 18時18分39秒
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