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(善いか悪いか?)善し悪しですべてを考える、自分の正しさを証明するために相手を攻撃する。こんなことしていませんか?正しいをことさらに強要しようとする。「正しい○○」という表現は、どこか攻撃的に聞こえるのは、私だけでしょうか?「正しい○○」の後には、決まってMUSTがくる。○○するべきだ。○○しないのはおかしい。あなたの「正しい○○」、「善い○○」ってありませんか?その正しいの裏側には、間違っているモノをことさらに排除している、攻撃している、あなたはいませんか?私は、こっちの方がふさわしいかも…ってくらいで、そこに正しい、間違い、善い、悪い、なんてジャッジはないですね。見方を変えると、全て正しくなっちゃいますから。ロジャースの提唱した、絶対的人間観という考えも、善い、悪いのジャッジしませんね。
January 30, 2009
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いつもメルマガでいろんな話題を伝えているのですが、この話題は、こちらにも書いた方がいいかもしれないという衝動にかられたので書きました。読んで貰えたら嬉しいです。(以下、メルマガより転載)タイ古式マッサージを受けました。身体を触ってもらって、自分自身の感覚的認知の間違いに、気づくことが大切ですね。間違った感覚的認知ってなかなかみとめたくないんですよね。感覚、感じ方、フィーリングなどって不確かなんですね。(自分の癖や良くないところを直す?)「直す」は自己否定「直す」ではなく、「収める」だけ「収める」とは、その癖が出てきそうになったら、今はやめておこうと自分自身の中にきちんと収める。私がよく使う「だんだん、やめていく」って言葉も「収める」ということ。やりたくなった時、しそうになった時、「やめる」、「収める」ということ。それは、そんな癖を持っている自分自身をきちんと受けとめ、認めているあり方ですね。それを、癖を「直す」、良くないところを「直す」と言っちゃうと、どうだろう…。「直す」って今現在、機能していない状態であるものを「直す」というはず。これって、今の自分自身を壊れてると、暗に言っているかもしれないですね。自己嫌悪と自己否定が根っこにあるような気がするのは、私だけでしょうか?しかも、その直したいことって、自己の気質だったりしたら、直そうとしても、思うように直らない。また同じことをした。と焦ったり、さらに自己嫌悪になったり、してしまわないかなぁ…。そのフラストレーションは他者へと向かう。同じように、他者に対しても同じところが気になり始める。私は直そうと気に留めているのに、努力しているのに、あなたは、気づいてもいない、堂々と悪気もなくよくやれるものだ、とかって、批判的になったり、他者に厳しくなったり…。「直す」ではなく、「収める」ちょっとだけ収めてみませんか?ストレスもなくすのではなく、収めることができたらいいかもしれないですね。
January 19, 2009
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