Rheumatic diary

Rheumatic diary

2006.04.21
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カテゴリ: ジェリーちゃん
 また観てしまった、ゆうべ「オペラ座の怪人」(これで何度目?もう数えられない)。映画館で観られなかった怨念(笑)を緩和するためにはこうするしかないと前々から思ってた、その方法。いえ、たいしたことじゃありません、デカイほうのモニタ(17インチ)につなぎ、ヘッドフォンで鑑賞。モニタつなぐのもヘッドフォンつかうのも、わたくし簡単にはできませんから、いくぶんかの気合いが必要で、まとまった時間がとれるときがチャンスというもの。何度もみてるとはいえ、全編通してみたのは久しぶりでした。3月ころは、自分のお気に入りシーンをくり返し観てただけだし(飽きもせんと)、ここひと月は、別のジェリー映画観てたから(笑)。

 この共感した内容は、1月3日に一部書いているので重複を避けますけれど、なぜそんなにまで?といえば、この映画はトライアングルの人間模様が如実に描かれているからです。そしてこのトライアングルこそが、わたしにとってリウマチよりもずぅっと苦しいテーマだったからなのです。手塩にかけたひとを、第三者に奪い取られたファントムもわたしも、それは我が身を切り裂かれる痛み、としか言い表しようがありません。この映画のラストで、ファントムは嫉妬に駆られた狂人と化し、理性などどこにもなく、ひとことでいっちゃうと「みっともない」んです。わたしもコレと同じく、みっともないほど取り乱した日々、涙と鼻水だらけの日々があった。でも、なぜかこのシーン観てても涙は出てきませんでした。おそらく、もう涙は流しきったから、ですかね。それで、わたしはファントムに肩入れしながらも、トライアングルそれぞれの立場を客観視していました。こんなふうに冷静な目で見られるくらいに時が流れていたとは、まことに喜ばしいことですなぁ。

 置いてきぼりをくらったファントムがいちばん哀れにちがいありませんが、置いていったクリスティーヌは、ファントムの孤独を理解する唯一の存在であり、わかるからこそ後ろ髪引かれる思いは強い。でもこうするしかなかった運命は、ラウルと幸せになった後も、すっかり書き変えられるものではないでしょう。クリスティーヌを連れて行ったラウルのほうも、自分がクリスを愛しさえしなかったら、このふたりは互いに通じ合う内面(音楽の才能)をもっともっと深められたにちがいないことを敏感に感じ取っていた。ラウルにのしかかる重み・自責の念は、やはり背負い続けるしかないと思うのです。
 こんなことを感じながら、何遍も見てるうちに、わたしは「自分だけじゃない」という安心感に似た想いが浮かんできて、救われた気がしたんです。こういう感情は、味わったことのないひとに「お願い、わかって」と訴えたところで、まるきり無理な要求でして。たとえ妹や親友でも、アイツを罵るような理解しか得られない、それはわたしにとって耐えがたいことでしたから、そういう意味ではずっと孤独でした。でも、ファントム役を全身全霊で演じファントムになりきったジェリーなら、わたしの「お願い、わかって」を両手広げて受けとめてくれるにちがいない。おや、妄想か、こりゃ? まぁ、妄想でもいいんです、あの御方を観てるとそう「感じる」のだから。わたしのこれまでの孤独は、おかげさまでめでたく解消されたというわけです。

 そんなうれしい気持ちで過ごす中、まったく神さまは粋な計らいをしてくださるものですわ(感謝)。なんのことかって? 再会ですよ、元亭主との。2月24日は生涯忘れません、記念すべき日です。これでわたし、霧の中をさまよい続けた日々さえ、忘却の彼方へ(笑)。心が解放されたことに乾杯!

You are not alone!





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最終更新日  2006.04.21 14:17:45
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