Rheumatic diary

Rheumatic diary

2010.09.22
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新聞の折り込み広報紙で知った(ちびまる子ちゃん一家が表紙)
1994年9月21日 イギリス・エジンバラ市にて定められたそうだ。

きのう、日光浴をしているとき、庭(砂利の上)を這いずっているキアゲハ幼虫と出逢った。
なにかの拍子に明日葉の葉っぱから離れてしまったらしい。
葉っぱを食べ尽くしたから新たなる餌場探しの旅に出たのか?
いすれにせよ、懸命に這いずるその姿に、心が動いた。
どこへ辿り着くのかもわからないまま生きることが、どれほどの不安をはらむのか。
……認知症の母の心中を察しないわけにはいかなかった。

先週NHKのためしてガッテンで「認知症!介護の新技で症状が劇的に改善する」が放映された。
母にどう接すればいいかを考えあぐねていたわたしには朗報だったと言える。
ところが、わたしは朗報に喜ぶよりも、自分の態度が母の症状を悪化させているような気がして、反省どころか大いに「落胆」してしまった。

母は、いま軽度の認知症から中度へと移行している時期かと思う。
年齢なりと言うにははばかられるほど、物事の理解力が低下しつつある。
ふるい記憶(昔の思い出)は健在だが、なんといっても物忘れは日常茶飯。
たとえば6月から冷蔵庫に麦茶のペットボトルをいれてあるが、9月になった今も、その位置(在処)を覚えていない。
新しいことを覚えるのがニガテ、覚えられないのがこの病気なのだ。
そうは知っていても、日に何度となく繰り返される「どこにあるん?」には、忍耐も切れるというもの。
麦茶ひとつでこれなのだから、他のことも推して知るべし。
わたしが自分じゃできないこと(だらけ)を母に頼む、しかし意図が把握できない母。
わたしはついカッとなって口調が厳しくなり、命令し、言うことを聞かない(ガンコも症状のひとつ)と果ては喧嘩になる。

こういうわたしの態度・接し方は、母にとって苦痛でしかない。
ときどき「いつも怒られてるよ」とつぶやく母。
ガッテンによれば、否定された感情が積もり積もると、いつか「暴言」となったり「徘徊」といった奇行を招くことになるのだそうだ。

いま、笑顔を絶やすまい、そう肝に銘じている。
母は物忘れはひどいが、感情は細やかでおおらかである。
みーちゃん(猫)へのことばに、いつも愛情深さを感じる。
わたしがちっちゃかったころも、きっとこんなふうに話し掛けてくれてたのだろう。
それを忘れてはいけない!のだ。





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最終更新日  2010.09.22 08:17:16 コメントを書く


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