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2日くらい前に夫が月曜日が年内最後の休みになるかも知れないからディズニーランドに行かない?と言い出した。本当はいけない事かも知れないけど、幼稚園をズル休みしていく事にした。駐車場に着いて、びっくり。すごい混んでいる...。前にも一度あったのだけど、ディズニーリゾートラインで一駅先のところに車を駐車した。MIOが乗りたいというのでリゾートラインでわざわざTDLまで行った。パークのエントランスに入るとプーさんがいた。写真を一緒に撮りたいMIOの為に行列に並ぶ。以前は大好きなプーさんでさえあの大きなぬいぐるみは怖がっていた。でも、今日は自分の番が来るとブーさんに抱きついて抱きしめてもらい大満足。続いてNAOも。そういえばNAOはこのぬいぐるみたちを怖がった事がないなぁ…。写真は自分のカメラで1枚、カメラマンの撮ってくれたものを後で見てから買うものを1枚撮ってもらった。すでにこれだけでも満足した様子のMIO。あいにく今日はMIOの大好きなプーさんのハニーハントは点検の為か動いていなかったのだけど良かったね。そしてあの大きなクリスマスツリー。やっぱりこの季節のTDLはいいなぁ。でもMIOもNAOもさっさと行ってしまう。お目当てはやっぱりというかファンタジーランド。ダンボに乗るというので夫とNAO並びに行く。私はMIOとシンデレラ城前のショーのチケットの抽選に行った。今回はMIOがやったのだけどやっぱりハズレ。姉妹揃ってくじ運がないのかしら。途中、バズライトイヤーの新アトラクションのファストパスを取りに行こうとしたらMIOが嫌だという。なんで?トイストーリー好きなのに?本人曰く”宇宙は嫌い”なんだとか….。ダンボに行って夫とNAOと合流して並んでいたらパレードが丁度始まった。ここは出発地点だから乗った後に違う所から見ようと思っていた。でも待っている間も丁度いい位置から見えたしダンボに乗っている最中に最後のミッキーの所が見れたのでMIOもNAOもそれですっかり満足して見に行かないで他の乗り物に乗るという。結局、その後もファンタジーランドの乗り物に乗り続けた。いつも並んだ事無いイッツアスモールワールドでさえ今日は並んでいた。クリスマスバージョンだからかしら…..。ジャングルクルーズに乗った後で早めに夕食を食べる事にしてクイーンオブハートのレストランへ行った。ここはまあまあ美味しく食べれるし、MIOが大好きなのでよく利用する。この間のイクスピアリのジャングルの様なレストランより安くて余程美味しい。ここでNAOはダウンした。ほとんど食べずにパパに抱っこしてもらい寝ていた。ところがお店を出たらまたすぐ起きてトウーンタウンでミニーの家やらグーフィーの家やらに入って遊ぶ。ミッキーの好きなNAOはミッキーに会いたくてミッキーの家に入りたがったけど45分待ちなので今度ねという事でパレードを見に行った。前回見つけた穴場の観賞場所だったロケットのアトラクションの下のカフェ。ところが考える事はみな同じでこの前は全然お客がいなかったのに今日は結構沢山いた。でも植え込みの後ろのベンチから結構よく見えてMIOもNAOもご満悦。ご機嫌のMIOは急に”バズに乗りたい”と言い出した。え~?!今更…だから、ファストパスをとっておこうとしたのに~。夜になってもこのアトラクションだけは長蛇の列だし、明日は幼稚園でもう帰らなくちゃいけないからまた今度にしようねとなんとか説得。それでもスターツアーズの前でまた”これに乗る”と言い出した。幸いこちらは10分の表示だったので最後にこれに入る事にした。でも、乗った後はMIOもNAOも”もう乗らない”とか言ってたけどね。それにしてももう12月だというのに本当に暖かい。3月にTDLに行った時よりよっぽど寒くなかった。でも、どうも2~3日前からなんだか鼻炎っぽいなぁと思っていたのだけど今日1日で悪化したらしく夕方から徐々に声がかすれてきてしまった。夜になったら全然声が出なくなってきてしまって子連れにはこれはかなり辛い。何しろ声が出ないと2人の子供を制御するのは困難だから。幼稚園をズル休みした罰が当たったのかしら….?!
November 29, 2004
祖母が亡くなって、早くも3週間経とうとしている。先月の末に病院に会いに行った後、MIOを皮切りに皆で風邪をひいて熱を出したりしてしまい、病気が病気だけに(間質性肺炎)風邪をうつしてしまったら大変なので、10日ほど病院には顔を出していなかった。一度、家に帰る話も出ていた程だったのだけど亡くなる前日からは具合があまり良くなくなってしまった。亡くなる前の日に、具合が良くないと聞いてまだ風邪が治りきっていなかったのだけど、母に"マスクしてMIOとNAOと明日、会いに行くからと言っておいてね。"と言付けてあった。ところが、前日の夜中に容態が悪化して、早朝に病院に泊まっていた母から危篤とTELがあった。幸い病院がうちから近所なので急いでひとりで駆けていったけど、その時にはもうなくなっていた様だった。"様"というのは最先端の医療を提供する地域の中核病院にもかかわらずなんだかかなりいい加減で死亡確認をしたのは叔父や叔母が揃ってからで本当に亡くなった時間はよくわからない。それからはお通夜に告別式、しかもその後はひいていた風邪が悪化してまた熱が出たりで翌週はNAOの七五三だった。あまりお祝い気分ではなかったけど、祖母が見たがっていたNAOの七五三は予定通りする事にした。そして、この時期は幼稚園のイベントも多くて、感謝祭の親子礼拝にNAOの入園説明会、来週はアドベント礼拝があってなんだか仏様、神様、キリストが入り交ざったゆっくり悲しむ暇も無い3週間だった。私は祖母の事を小さい時から"お母さん"と呼んでいた。母が離婚して実家に戻った時、まだ結婚していなかった叔父や叔母がいて"お母さん"と呼んでいるのを真似たのが最初なのだろうけど働いていた母に代わって、保育園への送り迎えや日常の面倒をみてくれたのはほとんど"お母さん"の祖母だった。祖母はMIOとNAOを非常に可愛がっていて、最後に会った時にNAOに"NAOちゃんの七五三が見たいよ"と言っていた。私は一時退院の話もあった位なので絶対に見れると思っていた。でも、実際は見せてあげる事はできなくて、とても悲しかった。遺体を火葬してしまってからは、なんだか亡くなったという実感があまりなくなって、今でも実家にTELしたりすると祖母が出そうな気がする。7年前に父が亡くなった時もそうだった。悲しくて、淋しいけど毎日、忙しい日常が通り過ぎてその感情はなんだか夢の様な気がする。でも、骨になってしまった祖母を見て本当にいないんだなと改めて気が付く感じ。85歳といえば長生きといえば長生きだとは思うのだけど、できる事ならもう少し一緒にいたかった。いつも悲しいお別れがある度、以前なにかのエッセイで読んだフランス人の人生哲学を思い出す。"悲しいことも人生を彩るスパイスなんだよ" さよなら、大好きだった私の"お母さん"。
November 25, 2004
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