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今日はそんな悩める子羊達に聞いてもらいたくて書きました。
いつもりんを楽しみにしてくださってる方、アップしてなくてごめんなさい。
ここからは全てノンフィクションです。
重い話が苦手な方は、読まないでください。
子供の頃の私は、あまり笑ったことがない。
保育所の卒園と同時に引っ越しをしてから、私の人生180度変わってしまった。
今までの幼馴染みとは別々になり、知らない土地での生活。
引っ込み思案な性格から友達もなかなかできず、一人席に座って羨ましそうに友達の輪を見ていたのが私。
それでもやっと友達になれた子とは、なぜか離ればなれになる運命。
そう、私と親しくなった子は、遠くに引っ越ししてしまうのだ。
小学三年に上がる頃から、度々ひどく息苦しくなるようになった。
それは重い喘息発作だったのだ。
母が仕事から戻るまで待つのは地獄の沙汰。
苦しくて苦しくて、表現するならば高山の頂上、深海にいるかのような気分。
どうして自分の回りにだけ酸素がないんだろう?
病院で吸入器や点滴をしてもらって生き返る。
更に中耳炎にも悩まされていた。
そんな中、高学年に上がると同時に私へのいじめが始まった。
当時通っていた小学校は、いじめの全国ワーストランキングに入るくらい荒れていた小学校。
私は大人しい優等生で、先生から贔屓されていた為だろうか。
最初のキッカケはささいなことで、私の名前と小学校の名前が一緒ということで、替え歌を作ってからかわれてからだったと思う。
いじめは日に日にエスカレートし、決まったクラスの男子生徒数人が毎日私に暴力を奮ってきた。
首をラリアットされたり頭を殴られたり体を蹴られたり。
喘息のせいか口が開いていることが多かったので、「魚の死体」などと蔑まれたことも。
どんなに痣だらけになっても、「言ったら殺す」と脅され親にも誰にも言えなかった。
いつか本当に殺される。。。
毎日が辛く、いつしか死んでしまいたいと思うようになっていった。
親の前ではいい子を演じて、自分の部屋に行ってからは涙が止まらない。
生きていてもしょうがない。
とうとうある日カッターナイフを震える右手に左手の手首に押しつける。
でも切れなかった。
臆病で死ぬことすらできなかったのだ。
何度か切ろうとして切れなくて、その度に意気地なさを悔やみ爪を立て自分の腕に傷がつくまで引っ掻いた。
ベッドに入ると、電球が涙でにじんだように見えていたのを今でも覚えている。
学校へ行きたくない、そう思うと度々微熱が出るようになった。
親は学校のことを何も話してくれない私に、ホトホト愛想が尽きていたよう。
勉強なんてする気が起きず、親には勉強してると嘘をついて、自室で漫画を読んだり絵を描いたりしていた。
授業を真面目に聞かなくなっていき、どんどん成績も下がる。
でも贔屓されるよりはマシだと思い、可愛がってくれた先生をわざと無視した。
五年生の時の新米女先生は、クラスにいじめがあるのに何もできないことでよく泣いていたっけ。
この世に楽しいことなんて一つもない。
生きていてもしょうがない。
こんな話もういいですか?
それとももっと続きが聞きたいですか?
※これは過去のことを書いているものです。書くなと言われても後2回続ける予定です。