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前の日記
尚、重い話が苦手な方は、お控えくださいね。
私は不良になりはしなかったものの、家では反抗的になっていった。
親は学校で何かあったか私に尋ねるけど、絶対にいじめのことは言わない。
いじめっこの「親や先生に言ったら殺す」の言葉も恐かったのだけど、さりげないSOSに気づいてくれない親への当てつけでもあったのだ。
母は強い人。
ただ 「あんたが弱いからだ。強くなれ。」
とだけ言うだろう。
父は仕事一筋で、家庭のことにあまり関心のない人。
ふがいなさをぶつけるかのように、
父に殴られた時は、思いっきり力を込めて蹴り返した。
母に注意された時は、 「クソばばあ」
と大声でののしった。
私は、サイテーな子供。
本当は、何も喋らなくとも気づいて強引に転校させて欲しかった。
子供の頃は、両親の仲のいい所を見たことがない。
両親とも家業と会社で忙しく、家族揃っての遠出の思い出は一度しかない。
いつも喧嘩ばかり。
夫婦喧嘩で父は物を投げ、それが私に命中したこともあった。
母は家を出て数時間帰って来ない。
「どっちについて来る?」
と母に聞かれたこともあった。
クラスの子が両親のいちゃついてることを自慢気に話しているのを聞き、すごく不思議だったし羨ましくも思えた。
ウチはおかしいの?
いつも喧嘩は私のことだと親は言っていた。
だったら私なんてこの世からいなくなればいいのに。
そして中学に進学、色々あったせいか、風貌はくずれ醜い顔になっていった。
ブス、ブス、大ブス!
この頃鏡を見るのも写真を撮られるのも嫌だったので、ほとんど写真がない。
整形を真面目に考えていたくらいだ。
ある時自転車通学をしていると、男子の上級生集団から大声で「ブース!」と叫ばれた。
分かってはいたけれど、ひどくショックだった。
親も 「何でお前はこんなブスな顔になったのかねぇ。」
と残念そうに私を見る。
中学三年になり、容姿の悩み、受験のストレスもあってか食べる量がハンパじゃなくなっていった。
一日にポテトチップ2袋、ジュース2缶、チョコ、食事も沢山食べて更に夜食にカップ麺。
そんなことが続くと次第に体がおかしくなっていき、毎日トイレで吐いていた。
気持ちが悪い、でも食べたいから食べる。
過食症だったんだろう。
毎日酸っぱいものが出るまで吐いた。
堕落していく自分をもう誰も止められなかった。
この世に楽しいことなんて一つもない。
どうですか、もうこんな話いいですか?
それとも続きが聞きたいですか?
※これは過去のことを書いているものです。後1回続きます。長々と引っぱってすみません。