PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
フリーページ
モーツァルトの文献学的な研究は格段の進歩をとげ、現在はいわゆる古楽奏法が定着し、18世紀の楽器のコピーなどを用いるオーケストラも増えた。私は卓越した演奏でモーツァルトを得意とするウィーン・フィルと作曲家晩年の傑作、交響曲第40番、41番「ジュピター」を初めて演奏し、以来ウィーン・フィルと数えきれないほどモーツァルトの作品に取り組んできたが、このオーケストラは古楽器を用いない。この短い文章の中に見てとれるのは何とも古めかしい古楽観。特に、古楽を批判するに際して「博物館」という言葉を使うところなど、古楽に関する彼の認識が数十年前のレベルに止まっていることを端的に表しているように思われます。
昔の音をその通り再現するのはそもそも不可能だ。モーツァルトの時代には今とは違うものを食べていたし、歩き方だって異なっていた。音楽も我々の日常の要求に適合し、生き続けている。我々は博物館で展示されるものではなく、生きた音楽を演奏するということを第一に考えるべきではないか。 [2022年12月18日、日経電子版「私の履歴書」より]
ロッチュは、1970年代後半から80年代の前半にかけて、バッハのカンタータを20曲ほど録音しました。1980年代といえば、ちょうど古楽器による演奏が次第に評価されるようになり、市民権を得るようになった時期です。そうした新しく台頭してきた演奏法に対し、ロッチュはどのような印象を持っていたのでしょうか。さるインタビューによると、そうした古楽器演奏はロッチュ自身もできる、とした上で、博物館的なイベントのように感じると評価しています。つまり、古楽器演奏はあくまでもバッハ時代の響きを体験してみる、という学問的な作業であって、今を生きる聴衆に向かってバッハを演奏することとは異なるもの、とロッチュは捉えていました。調べてみると、ロッチュは1929年生まれ、ニコラウス・アーノンクールと同じ年なので、古楽に対してもう少し理解を持ってもよさそうな気もします。ライプチヒが冷戦下で東西に分かれていたドイツの東側にあったことも考えると、そこではバッハを含むクラシック音楽も共産主義政治体制の一部に組み込まれていたと想像され、反権威主義な香りもする「西側」の古楽復興運動はある種の危険思想として遠ざけられていたのかもしれません。

「天才」と能力主義 2026.10.04
ピアノ協奏曲 by 矢代秋雄 2026.09.27
五嶋龍の転身から見えてくるもの 2026.09.20