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昨日のブログで緑・みどりのことを関して、『青もみじ』の事を書きましたが、この京阪電車の1枚の吊り下げ広告だけでも「青もみじ」「新緑さんぽ」なんて青と緑が混ざって書かれているのを発見?? 昨日コメントにも、信号や青物野菜等、青と緑の混同のことを書いて頂きましたがこの広告も正に青と緑を並べて書いてあるので、ニタッとしたのでした。 そして青ついでに・・・・今年も又この看板が立ちました。去年の青葉まつりから早や1年・・・あっと言う間の1年の短さを感じざるを得ません。 ついでながら、前に載せたこの広告、またまた復活していました。 外人さんの乗客が多くなった作今、ピッタリの広告では???
2019.05.25
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最近は観光地の紹介に『新緑』と言うよりも『青もみじ』と言う言葉が使われるケースが目立つように思いますのですが、タイトルに青、あおの2日間なんて書いたらちんぷんかんぷん、やはり緑でないと・・・・。5/20のブログに書きました、京都観光地案内は昨23日になったのですが、結局この三ケ寺巡りを軸に行って来ました。まずスタートはいつもの智積院ですので報告は割愛して・・・泉涌寺へ向かったのですが、広島からの客人は四国88ヶ所を歩いて二回り、しかも内1回は友人の病気回復祈願で回られた事を聞き、是非ともここへと西国15番札所今熊野観音のこの場所へ案内しました。前に書きましたが、この弘法大師の像の周りを「南無大師遍照金剛」と唱えながら一周すると四国88ヶ所をお回りしたことになると言われているので、その通り一周回ってもらい、これで四国88け所を3回お回りになった事になります。なんて説明??させて貰いました。泉涌寺では楊貴妃観音像もさることながら・・・霊明殿のこの門に案内、天皇家の菩提寺のしるし・・・菊のご紋付です。そしてこの奥の・・・ここまでは観光客も余り足を踏み入れない歴代かなりの数の天皇を祀ってあるこの月輪御陵へ・・・次に貰った無料拝観券のある東福寺の新緑、もとい青もみじへ・・・紅葉の時と違い本当に人影が巣来なかったです。いつもは無料の臥雲橋からの通天起橋の眺めだけの報告しかしていませんが・・・今回は反対に、通天橋から臥雲橋の眺めです。無料拝観券もう一枚の方丈庭園は、本堂天井の龍図など案内して時間的制約によりカットしましたので又後日代わりに訪ねて報告させてもらう事に・・・・このあと、三十三間堂へ行ってこの日の案内を終わりました。そして、明くる今日は緑と言っても緑の絨毯を訪ねて?? 来ました。前回行った時はまだ茶色の絨毯だったのがすっかり緑の絨毯に変わっていました。今日は全国的に暑い一日なので飲み物いっぱい、タオルいっぱい持って行ったのですが、湿気が無くもそよ風がありも厚さなんて全く感じない最高のコンディションの一日でした。
2019.05.24
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昨日の続きです。お茶のあとは観能です。整理券の番号ごとに並び旗で引率され・・・能舞台に案内されました。入ってびっくり立派な能舞台はさることながら、見る人の場所がびっくりする程広く、さて、観客は500人?? 或いはもっと居たかも知れませんが、計数不能でした。ただ残念なことに場内撮影禁止で画像での報告が出来ませんのでパンフレットで・・・この田村だけで1時間10分かかりました。 只あらすじがが書かれているのである程度の事は分かりました。田村とは坂上田村麻呂からの演目だと思います。次は狂言でこれはセリフ付きのお笑いですから大体分かりました。狂言と言えば千本焔魔堂の狂言を観に行った時、確かブログに書いたと思うのですが、探せませんでした。続いて公開が3時半までだと言う飛雲閣の見学に慌てて行きました。現在修復中(2017/7~2020/3)でした。池の水が少ないのもそのためなのでしよう。ここの屋根の特徴のこけら葺き屋根り葺き替えには長野県産のサワラの木が使われたとか。因みに以前に芳春院の呑湖閣(どんこかく)を訪ねた時書きましたが京の三閣、四閣、五閣は下記の通りです。京の三閣は金閣寺(鹿苑寺)の金閣・銀閣寺(慈照寺)の銀閣・西本願寺(本願寺)の飛雲閣。京の四閣は金閣・銀閣・飛雲閣・呑湖閣、京の五閣は金閣・銀閣・飛雲閣・呑湖閣・伝衣閣です。この飛雲閣の敷地に有った鐘楼はこんなに極彩色でした。そして能舞台が有った場所は国宝唐門の内側だったので、唐門については前にも載せましたが、ついでですので、撮影の為寄り道すると・・・・ここの修復中は見られませんでした。広い敷地ですからはっきりしませんが、多分この唐門の中辺りが能舞台だと思います。
2019.05.22
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昨日書きました貰った券で西本願寺の親鸞聖人降誕会に行って来ました。西本願寺の周辺は旗や幟や立て札が並び、大変な雰囲気でした。右の茶席と祝賀能は昨日書きました通りの招待券で、左の国宝飛雲閣特別会報は解放されていました。広大な敷地右が阿弥陀堂、左が御影(ごえい)堂です。反対側から見る御影堂です。さて、お茶席はこの安穏殿の2階です。1回10人程の4列、約40人ずつが席に通され・・・多数の紋付袴の男性、和服姿の女性に茶菓の接待を受けました。下座では並行して僧衣の方から挨拶と説明を受けながら・・・この茶菓を頂きました。このあと、能を観に行ったのですが、明日に続けます。
2019.05.21
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いつもつコメント頂く東京の「東の料理人」さんから昨夜(5/18) 次の様なメールを貰いました。【・・・・・17日の新聞を見ていたら「六波羅に平氏一族屋敷跡?発掘現地説明会 19日10時~正午 問い合わせ先・・・・・」とあります。ご予定もあるかと思いますが、前に「六道さん」のブログを拝見したことを思い出し、兎に角ご迷惑顧みずご連絡だけさせて頂きます。・・・・・】こんな催し、地元に居ながら知らなかったので急遽参朝から行って来ました。場所は五条坂に面したこの場所で・・・このテントで囲われた場所です。横断歩道橋から見ると・・・右後方に清水寺がこの様に見える一等地で・・・清水焼の登り窯の有った場所にこの様にホテル建設の為の史跡調査です。貰った資料の一部ですが・・・このような事が目的の発掘調査です。遠く平安時代よりはるか昔の弥生時代の史跡も書かれています。さて、10時開始なのに、10時前に中に入ると、凄い人で、既に説明が始まっていました。向うの方にいる3人はNHKのカメラマンで今日の夕方のニュースで取り上げると言っていましたが・・・残念ながら、私は観るのを忘れました。兎に角都会の真ん中に現れたこんなに広い土地、単に登り窯だけでなく、他にもかなり住宅等取り壊されたであろうことが推測されます。向こうの正面に見えるのが開睛小中学校(元洛東中学)でその西側に清盛ゆかりの六波羅蜜寺が有ります。ところで、この現場の五条坂を挟んだ向かいに真新しいホテル?が建ちました。この場所も元は登り窯が有った場所です。当ブログの2015.8.7 と2015.8.9にホテル建設の為取り壊される前に調査されたことを書いています。
2019.05.19
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1. まず初めに「ゴメン」なんて・・・ここは絶対に気遣いいっぱい店主の店です。2. ずっと昔からの看板なのかなぁ?? 燃料の代名詞が炭なんて・・・・。3. ジンギスカンって、確か成吉思汗と書いたと思うのですが、こんな当て字もありましたかね??
2019.05.17
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昨日の続きです。百万遍の(このお寺の百万遍念仏からこの辺りの地名は「百万遍」と言います) 知恩寺に行くと入口の総門はこの様に工事中で雄姿は見られませんでした。工事中の門をくぐると広い境内は正にテント村です。さて何軒の出店か?? 200軒?? 300軒?? とにかく広い境内いっぱいで数えられません・古本市と違い特に買うものも無いので、もう一つの目的のアフロヘア仏を、記憶にあるこの御影堂の辺りを行ったり来たりして探したのですが・・・・無いのです。丁度御影堂の階段に若い僧が居たので訊ねても知らないのです。スマホの画面でアフロ仏の写真を見せると、私のスマホを持って御影堂の中に消え、多分誰かに訊いて来たと思うのですが、暫くして出て来てアフロ仏のある場所を教えてくれたのでした。(御影堂は浄土宗では「みえいどう」(浄土)真宗大谷派(東本願寺派)では「ごえいどう」と言います)しかし、その場所は私の記憶の場所と全然違ったのですが、まあ教えて場所に行くと・・・これは違う・・・・そしてやっと見つけたのですが、こんな墓地の中に無かったし、もっと大きかったと思えてならないのです。特に大きさは不確かですが場所についてはどうしても記憶と合わず帰った後も狐につままれ気がしてならないのです。 ついにボケたのか、それとも移設されたのか?? しかも私の記憶では1体だけあった気もするのですが・・・因みに一番有名なアフロ仏は黒谷金戒光明寺のお江さんお墓の横にあるこの仏です(前に当ブログに写真を載せましたが出て来ないのでグーグル画像でお借りしました)そして、全く人に知られていないこの仏は・・・清水寺の裏にある高校同窓生のお墓の横にある仏で今年の3月のお彼岸に墓参りに行った時何気なく撮っていた写真です。話が横道に逸れましたが、知恩寺をを出て徒歩10分足らずの、ブロ友さんに教えて貰ったこの白川ベーカリーへ行ったのですが・・・・前回もそうだったのですが又々定休日で目的を達せずでした。ところで今日稲荷山の仙人さんが手作り野菜を持ってきてくれたのですが・・・・14日に行った妙法院の特別公開が開設も、楽器演奏もあり、庭も見学出来て大変良かったとの説明を聞きました。改めて、来年は行かないと・・・・と思ったので有りました。
2019.05.16
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今日5/15は元々同好の士の集まりに参加して、そのあと妙法院の特別公開に行く予定でした。ところが、昨日書きました通り、妙法院の公開は昨日の5/14であったので今日は駄目でした。そんなことが有って、集まりに行くべく京阪電車の出町柳駅の地下改札を出ようとすると、この案内が目に入りました。そう言えば、以前にはこの手作り市や古本市に良く行ったもの、久しぶりにアフロヘアーの石仏にあとで挨拶 ?? にでも行くか・・・・と思いながら地上の叡電の駅に出ると・・・・いつも注意していても新車で入った時見て以来、見る事の無かったこの車両ず停まっていたのです。改札越しに暫し眺めていると・・・・間もなく発車して行ってしまいました。叡電の駅から高野川の橋を渡ろうと歩を進めると、何か異様な雰囲気・・・・沢山の警官が立ち、何かを待つ人の列が出来ているのです。あれ? 一瞬、天皇陛下か上皇がおいでになるのかと思ったのですが、ここは正に下鴨神社への入口・・・・そうか、今日は葵祭りだと気が付く始末。警官に間もなく行列が来るのかと訊ねると、その時の時間が10時5分頃だったのですが、10時半に御所を出発するのでここは11時過ぎ通るはずとのこと。という事は見物の方はまだこれから1時間以上待つことになり、私はとてもとても待てないとその場を去ったのでした。そう言えば行列に出る学生が集まらずも一般のボランティアを募集するとか聞いた事が有りましたが、集まったのかなぉ????タイトルに知恩寺を書きながら申し訳ないですが、知恩寺の事は明日に書かせて頂きます。
2019.05.15
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智積院の墓地から見上げると、正面に東山三十六峰・阿弥陀ヶ峰が見えます。この光景なのですが・・・・「山笑う」という言葉を思い出して、正に笑っている様に思ったのですが・・・調べて見ると次の様に書かれていました。Q : 俳句に使われる季語で、山笑う(春)、山粧う(秋)、山眠る(冬)とあるが、夏に当たる語は何 か。A :「山滴る(やましたたる)」語源:北宋の画家郭熙の「山水訓」に言う「春山淡冶にして笑ふがごとく、夏山は蒼翠にして滴るが如し。秋山は明浄にして粧ふが如く、冬山は惨淡として眠るが如し」を四季に配し、季語とした。今の季節を夏とすると、写真の景色は「山滴る」と表現すべきなのかも知れませんが、何か「山笑う」の方が適していると思うのですが????今年の立夏は5/6だったのでまだほやほやの「夏」 まだ、「 山笑う」でも良いか??? (笑)もう少し前に取り上げていたら悩むことなく「山笑う」景色と言えたのですが・・・・。
2019.05.09
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街を歩いていると色々のポスターが目に入ります。1. 無料と云うのが一番先に目に入りました。今までにもあったのかも知れませんが、私は初めて知る催しです。近郊の方は是非どうぞ! !2. 千本鳥居・・・確かに連なっています。 外人さんに人気の光景を使っていますが別に外人さん向けではないようです。3. 小学校中学校同窓の友達の表具店の店先に・・・・・・・は当店へ・・・・はい、障子は自分で張り替えますが、襖の張り替えは・・・この店に頼んでいます。
2019.05.05
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今回のブログは4/3及び4/4のブログの続編といいますか1ヶ月で季節の移ろいここまでも・・・と言う対比です。・・・という事で4/3に桜を求めて行った嵯峨広沢の池のたもとの平安卿へ、今回は新緑を求めて行って来ました。一緒に行ったのは男女各三人、平均年齢は計算しなくても直ぐ分かるメンバーでした。(何故なら高校の同窓生だからです)今日訪れたこの施設については4/3と4/4のブログに詳しく書いていますので説明は割愛しまして・・・(是非見比べて下さい)4月の桜の季節に比べると人の数が極めて少なく、本当にゆっくり出来て、無料とは感謝しかありません。入口からの通路こんな状態で・・・人影はなく、花いっぱいで・・・沢山咲いていたこの花がのですが小手毬 (こでまり)と云うの教えて貰いましたた。本当に名の通りの花でした。広い芝生の前には4月の桜に代って藤棚が・・・そしてせせらぎにはアヤメと・・・カキツバタ(杜若)が・・・そして極めつけが竹林のタケノコが・・・今年の筍は不作と聞いていましたが、ここでは正にアチコチでニョキニョキ状態でした。藤棚の傍の四阿(あずまや)で弁当を食べ・・・4/4のブログに書きました、岡田茂吉記念館の新緑を探訪したのですが・・・予想以上に素晴らしく、紅葉の頃は如何ばかりかとまたまた秋の訪問を誘われた気持ちになりました。2階から見えるこの広沢の池の向こうは愛宕山です。そして前にも書いたと思いますが照明の斜め下に見える山が、五山の送り火のうちの『鳥居』です。平安卿、岡田茂吉記念館のあとは広沢の池の水辺でコーヒータイムを取り、田んぼ道を通って出たのが大覚寺の大沢の池です。本当にびっくりする程大きな鯉がうようよ・・・一世を風靡した人面魚までも・・・池の横の立て札に百人一首の・・・『 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 』の句が書かれていたのですが、滝跡があるだけで、今は別に滝がある訳でもないし、みんなの疲れていたので、知りたい人はnetで調べて・・・という事で行かずに、大覚寺前からバスで帰路についたので有りました。
2019.05.04
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ご近所のこの花を見て・・・・この花が牡丹なのかシャクヤクなのか私には区別がつかないのですが・・・そうか、桜のあとは牡丹だったと気づきました。丁度高島屋へ行く用が有ったので、牡丹を見る為に建仁寺に寄りました。・・・・・が、もうかなり前に盛りを過ぎた様で殆どの花が花びらを落としたり萎びたりしていて・・かろうじて黄色い花と白い花がまだこんな風に咲いていました。もう少し早く行くべきでした。片や至る所にあるお茶の木の生垣は、この様に新芽がいっぱいでさぞかしお茶にすれば高級玉露となるのでしょう(笑) さすがお茶ゆかりのお寺です。ついでながら数年前にこの生垣の下に落ちていたお茶の実を拾って帰り、我が家でお茶づくりなんてブログに書いた事が有りましたが、その実から成長したお茶はまだこんなに小さくて話になりません。あと数鉢あります。ところで着物姿の写真撮影ですが、ここでも沢山撮影する人が居たのですが・・・偶々なのか、そう言う流れなのか分かりませんが、けばけばしたゆかたの様な着物でなく、この様な着物が目立ちました。こんな姿なら歓迎なのですが・・・・果たしてどうなのでしょう???
2019.05.03
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ホンの少し前、桜が早い、遅い、綺麗・・・など騒いでいましたが、早や新緑が映える時期になってきました。今日、郵便局へ行く為に三十三間堂を横断したのですが・・・・いつもは素通りする養源院の門から見える『新緑』に誘われて入って来ました。紅葉の景色も素晴らしいですが、新緑のこの光景に見とれました。アップして見える三つ葉葵の紋の謂われは・・・・こう言うことなのですが・・・ここに、お江が祀られている訳ではありません。お江のお墓は黒谷さん・金戒光明寺にあり、大河ドラマで取り上げられた時は一大観光地になったのですが、さて今はどうでしょう??因みにここに、少しだけお江の墓について書いています。(もっと詳しく書いたブログがあったのですが見つかりませんでした)
2019.04.25
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4/9のブログにこの写真を載せて書きました『圓通寺橋』の事なのですが・・・圓通寺橋を知っているかとの問い合わせした友達の内2人に来てもらいワイワイガヤガヤをやりました。この橋及び下の川について全員知っていたことはやはりこの程度で・・・1. 圓通寺橋は知らないがドンドン橋なら知っている、昔はもう少し長い木造の橋だった。2. 圓通寺橋の桜として書いておられる他の方のブログで「川の無い橋で暗渠になっているのだろう」 と書かれているのはその通りで、この橋より上流は昔は谷だったのですが、新幹線の東山トンネルの 工事で出た土砂で埋め立てられたもの。(今は住宅地になっている)3. この下流も全て暗渠になってしまったので、川が有った事は知られていないがその川にかかっていた 橋(夢の浮橋)について歴史的史跡の案内が有る。 夢の浮き橋についてはここに詳しく書いておられます。以上のような事を知っていても圓通寺橋についての答えにならないので、3人で現場検証(???)に行ったのですが・・・・そこで誰も知らなかった事を新発見したのです。これが川が流れない橋の下ですが・・・赤矢印の方向が圓通寺橋で、中央部が石段の坂道を上がって行くと圓通寺橋を見下ろすすぐ上に道路から少し入り込んで階段の上に古い大きな門(下の写真です)がありました。覗きに行きましたところ・・・表札のかかった普通の家でもある様な、無い様な、立派な門に『園通庵』と書かれていて・・・足もとにも同じく園通庵と書かれた石碑が立っていたのです。園通寺ではなく園通庵、歴史的な建物の様でありながら、表札の上がった一般の家の様な建物でもあり・・・・さて、この新しく分かった事実を元に改めて調査しないと収まらなくなったので有りました。
2019.04.14
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七条通りを歩きますと・・・・どのバス停にも黄色いジャンパーのおじさんが立っているのです。このバス停も・・・(向うを歩いている赤い服の人達は外人さんです)向かい側にも・・・このバス停にも・・・(二人の黒いコートの方も外人さんです)その訳は・・・混雑軽減の為、今までの「後乗り、前降り」を「前乗り、後降り」に変更するテストをしているのです。単純にどちらでも同じではと思ったのですが、訊いてみると成る程その方が間違いなく効率が良い事が素人の私にも分かりました。何故なら、後(と言っても真ん中辺り)から乗ってそれより後ろの方に座ったり、立っている客は降りる時バスの後ろから前まで移動せねばなりません。混んでいるとそれが困るので後から乗ると前の方へ進む人が多く、どうしても前の方が混み、後の方の人は余計に降りるのに時間がかかります。それが前から乗ると・・・自然に後ろに移動するのは自明の理です。成る程、それは良い改善だと思うのですが、何か弊害があるのか・・・テスト的に観光地を結ぶ、一部のバス、例えば京都駅から三十三間堂、清水などを通る系統でテストするが、他の系統は元のままの後ろ乗りだと言うのてす。・・・・という事は例えばこれらのバス停に来るバスも系統によって後ろから乗るバス、前から乗るバスが混在して行先によって乗り口が違うことになります。そのややこしさを乗る人に説明して誘導する為にこのオレンジのジャンパーを着た方々が立っているのです。テストなんて言わずに全面的に変更しても良いと思うのですが、乗り方を変更したらどんな弊害が予測されるのでしようね??
2019.03.30
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過日の京都新聞に依りますと・・・京都のホテルに宿泊した外国人の割合が2018年は前年比3.7ポイント増の43.9%と過去最高を更新したとか。(国内客は4年連続減)お彼岸のお中日に行けなかったお墓参りに昨23日行って来ました。まあお彼岸のうちだから良しという所です。冒頭に外人さんの宿泊比率を43.9%と書きましたが、今から書くルートでは70%も80%も外人さんではないかと思える景色ばかり、しかも特に最近は着物姿が目立つようになりました。往きは・・・東大路からこの八坂の塔を通ったのですが・・・手前の着物姿は勿論ですが、ちょっと見難いですが向こうの方の白い着物姿は結婚式の前撮りです。こんなに人の多い中での撮影は至難の技では???そして庚申堂では勿論着物姿が目立ちます。黒板には「まず本堂にお参り、その後写真撮影自由」と書いてあります。 (笑)庚申堂と言えばご近所の軒先には「くくり猿」・・・この景気は昔も今も変わりません。こんなポスターも有りました。勿論、ねねの道も同様の景色です。冒頭の外人さんの多さを書いた新聞記事の通り、もちろん白色系の外人さんも・・・ここからはいつも書くことで申し訳ないですが・・・我が家の墓はまるで山登り・・・ほぼ遠くに見えるお墓の一番上に近い所です。まあお蔭で市内を見下ろし・・・向こうに愛宕山が見え・・・左に振ると・・・ちょっと分かり難いのでアップしますと・・・京都タワーの高さと同じくらいの高さと言う所でしょうか???さて、往きは東大路でしたが、還りは・・・清水寺を通り山越えで帰りました。産寧坂の景色です。明保野邸の枝垂れ桜はここまで咲いていました。人が多すぎて良いアングルでは撮れませんでした。このあと清水寺の参道、境内は更に人ひとひとなので、撮影もせず通り過ぎましたが、この行程で我が家のお墓を含め4軒のお墓参りを済ませたのも、また例年通りの事でした。
2019.03.24
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今日(20日)の京都は気温21度のポカポカ陽気でした。気持ち良い気候に誘われて出町柳まで行ったのですが、いつもの景色とは言え、春めいた気持ちの良い光景にパチパチと撮って来ました。デルタ地帯のこの景色ですが・・・松の木陰を良~く見て下さい。分かりましたか??今までは暖かい日差しを求めていたのが、一転木陰を求める外人さんでした。対岸の景色はと言うと・・・三条や四条の等間隔に座る景色はありません。若い二人のカップルがいないからなのでしようね??飛び石を渡る姿は・・・別に水温まなくても見られる景色ですが、やはり温かくなると気持ちが良さそうに見えます。これは外人さんでした。こちらも多分外人さんなのでしょう・・・東洋系の・・・。幾ら見ていても飽きない景色です。ついでながらここ(豆餅のふたば)では、いつも通りの景色が繰り広げられていました。
2019.03.20
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今日は平日なのに最近毎日続いている京都女子大の校舎解体の騒音が有りませんでした。 建設会社の案内板を見に行くと・・・ 成る程、「作業なし」と書かれていました。 先日の「作業なし」の日は入学試験の日だった事を書きましたが、今日は?? 時節柄答は分かりました。 折角ですので、足を延ばしました。 卒業式は袴姿が定番になってしまったようです。 2枚目の校門前の写真と昨年のブログの写真を見比べて頂くと・・・・近隣を悩ましている『騒音」工事の成果が対比できます。・・・ここですが校舎が影も形も無くなっているのがお分かり頂けます。
2019.03.15
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国立博物館の催しポスターにこんなのが掲示されました。仏教の色々ある宗派の中で一番一般的に知られていない宗派ではないでしょうか??私は『時宗=一遍上人』と云うのは歴史の時間に習ったことで知っていますが、それ以外の事は知りません。否、知りませんでした、が、10年程前に旧東海道53次歩きをした時、神奈川県藤沢市を歩いている時、街道沿いに立派なお寺があり、それが遊行寺という時宗の本山であることを知りました。(余談ながら、一緒に歩いていた友人が「遊行寺なら国定忠治の子分だった板割の浅太郎のお墓があるはず」と言い、探すと確かに有りました)そんなことがあって数年が経過してブログを始めた時、ハンドルネーム遊行爺さんとブロともになったのはそんな事の記憶が関係していたと思います。事実遊行爺さんはその遊行寺の地元の方でした。ところが、お気に入りブログの記録を見ると2015.12.27付けの記事をもって更新が途絶えてしまい、現在に至っているのです。博物館のポスターを見て、遊行爺さんのことを思い出し、どうしておられるのだろうなぁと感慨にふけったので有りました。
2019.03.14
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今朝9時50分に地下の京阪七条駅から地上に出ると目の前にこんな光景が見られました。ゴミを主役にして記念撮影のようです。 ああ、あの活動だなと気づきました。やはり、角度を変えると竹箒、バケツなどの掃除道具が置いてありました。いつの頃から始まったのか定かではありませんが、この活動が終わったあとでした。下の部分を拡大しますと・・・確かに由緒ある橋なのに余りと云うより間違いなく脚光を浴びないこの橋に地元の方々がホランテイァで定期的にされている活動ですが私は初めて見たのでした。何と言っても昔のものには風格が有ります。角度を変えますと・・・残念ながら・・・この切り株、立派な柳の木だったのですが、(前に書きましたが)台風21号の爪痕です。
2019.03.07
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前撮りは遂に御所までも・・・そして、前撮りの自撮りも・・・(変な日本語ですが)若い外人さんは仲良く・・・。
2019.03.01
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過日鴨川の堤を通りますと・・・疎水は夷川発電所を過ぎて鴨川の手前で直角に曲がり、鴨川と並行して流れるのですが、疎水側のゲートが閉じられ、鴨川へのゲートが開かれて水が鴨川へ放水されていました。この鴨川への開かれた放水ゲートから・・・方向が逆になりましたが、水はこの橋の下を通って、鴨川へ・・・当然、下流の疎水はこの様に水は一滴も流れていません。向こうに見えるゲートは確か御池通りの同じ様な鴨川へ放水の為のケートです。疎水の補修工事か清掃の為に行われる冬の風物詩です。(他の季節もあるかも知れませんが)この日は暖かい日でしたので、早やこう云う風景が見られました。場所は三条大橋ですが本当に上手く等間隔に座るものです。どうしても人は右岸に集中、左岸はこんなものです。いつもの法住寺の案内板、今回は・・・こんなのが・・・。
2019.02.28
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京都では景観の維持のため店舗の外装や看板の色、道路への出っ張りなど厳しく規制されています。そんななか、今日烏丸御池~四条へ歩く事になりいつもの通りキョロキョロしてこんな事例ほ発見しました。まずは・・・黒い看板に書かれているのは「餃子の王将」。全く他所で見かける「餃子の王将」らしくないこの看板事務所かな?? と思いながら・・・・歩を進めると、店でした。餃子の王将のイメージ変更戦略なのでしょうか???マクドナルドやローソンの京都での地味な店舗づくりは前に書いた事ありますが、ここもまた極力赤を抑えています。極めつけはここなのですが・・・檜皮の塀に瓦の門構え・・・広告の部分をぼかすと・・・料亭かなとも思えますが・・・ 答は・・・セブンイレブンの店舗でした。奥まった立地を目立たせるための檜皮の塀のエントランス・・・なかなか考えたものと感心はしましたが・・何も買わずに通り過ぎました(笑)
2019.02.20
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いつも乗る京阪電車は特急車両には吊り下げ広告が有りませんが、他の車輛は広告の花盛りです。今ぶら下がっている広告は梅の名所の案内などですが、こんなのも有りました。天狗と馬と鳳凰と狐を並べている粋な広告です。さて、どこの広告かお分かりでしょうか??私は一つ間違いました。左から鞍馬寺、藤森(ふじのもり)神社、平等院、伏見稲荷大社と思ったのですが・・・二つ目が貴船神社でした。馬と言えば藤森神社、貴船神社と言えば水なのにと思いましたので、貴船神社を検索してみますと、ウィキペディアに下の様に書かれていました。古来より歴代天皇は干ばつの時には黒馬を、長雨には白馬を奉納して祈願をしていたといい、後に生きた馬に替えて、馬形の板に着色した「板立馬」を奉納したと伝えられる。これが現在の絵馬のの原形となったため、貴船神社が「絵馬発祥の社」といわれる。成る程、水では絵にならないですよね。
2019.02.17
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コンビニに駐車していたこの車に書かれている住所に目が止まりました。この様にsimpleに書かれていたのです。この辺りの住所を正式に書くと多分・・・京都市左京区聖護院・・・・・となるのですが、そう書かず、また『東大路』丸太町下ルとも書かず『東山』と書かれているのです。そう言えば今は東大路と言っているが、昔は『東山線』と言っていました。市電が通っていたので『東山線』と言ったのですが、通りの名前そのものを『東山線』と言っていたのです。(北大路も西大路も市電が走っていましたが昔から北大路、西大路と言っていましたのに)東大路丸太町下ルと書かず、昔風にその東山丸太町下ルと書かれているのは、多分老舗の会社なのでしょう。一台の自動車に書かれている住所を見て、『東山線』の市電で通学していたことに思いが馳せました。
2019.02.11
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ふとん着て寝たる姿の東山、その三十六峰の清水山と阿弥陀ケ峰の間に平家物語ゆかりの清閑寺が有ります。当ブログの主役の智積院を本山とする真言宗智山派のお寺です。清水山の麓は清水寺であり、阿弥陀ケ峰の頂上には豊臣秀吉のお墓がありメジャーですが、清閑寺は隠れ名所のような位置づけで訪れる人もそう多くは有りませんが、その庭に『要石(かなめいし』が有ります。この事については前にも書いたはずなので探したのですが出て来ないのでグーグル画像をお借りしますと・・・この庭から京都市内の眺めがこの様に扇型に見えて、その扇の要に当たる所にある石なので『要石』と言われるらしいのです。前置きが長くなりましたが・・・・七条通りを東に向かって前方を見上げる様に歩きますと・・・正面に扇型の山並みが見えます。左が清水山、右が阿弥陀ケ峰、そして一番凹んだところに清閑寺が有り要石が有りますので逆要石の風景と言う所です。因みに、この谷間 ? を国道1号線が走って今は京都と山科を結ぶ幹線ですが、昔は渋谷街道と言って鄙びた街道でした。その当時の昼なお暗くて通るのが恐かった細いトンネルが国道トンネルの横に現存しています。
2019.01.30
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昨日の続き鴨川の風景です。ちょっと前までは鴨川の何処にでも沢山の群れで乱舞する姿が見られたユリカモメですが、いつの頃からか姿が減り出し、最近は本当に見かけなくなったのですが・・・一昨日に久しぶりに見る事が出来ました。ちょっと前まででしたらこんな群れは小さい小さい群れという事だたのですが、今では「貴重な群れ?」です。以下の写真は代り映えしないですが・・・ずっと数は変わらないで見ることが出来ます。 最後、二条まで下りますと・・・・いつもの風景、みそそぎ川が二つに分かれ・・・左側がそのまま、みそそぎ川として流れ、右側は直角に右へ曲がり高瀬川となります。下(しも)では両方とも再び鴨川に合流するので一時の別れ?なのですが、好きな光景です。
2019.01.25
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雨が降らないことを報道するテレビでここ暫くは代名詞の様に報道されたのが干上がった(静岡の)安倍川でした。多分砂利の下には地下水の様に水は流れているのでしようが、あれだけの大河に水が無いのは衝撃の光景ではありました。片や・・・またまた出町柳へ行くことになり鴨川や如何に???と覗きますと・・・確かに水量は少なく、いつも水の中を泳いでいる亀が完全に姿を現していました。まあ余り見かけない光景かと思います。ついでながら比叡山と鴨川とサイクリング車と、赤いシャツ・・・絵になるのでパチリ。そして出町柳の枡形商店街に『大根炊き』の貼り紙が・・・『大根焚き』ではなく『大根炊き』と書かれているのは何か意図があるのか、何も考えずに書かかれたのか??? 普通は『焚き』なのですけどねぇ。ただ一杯百円にはびっくり。相場は千円くらいだと思うのですが・・・神社が主催でなくて、商店街が主催かな?? それで『炊き』なのかな?? それで安いのかな?? 分かりません。という事で日頃前を通りながら全く関心のなかつたその神社へ・・・小さな祠にお参りもして来ました。2月9日には賑わうのでしょうが・・・・無人でした。
2019.01.24
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数ある観光地をいくつか一括りにして宣伝する手法が良くあります。例えば何の関係も無い東福寺と泉涌寺と智積院の3ヶ寺を「福」と「美(楊貴妃像がある)」と「智」を求めての3ヶ寺巡りとか・・・・○○七福神巡りなどは常套手段です。京阪電車沿線の社寺を『赤』で絞ったこんなのも有りますが・・・今日・・・こんなポスターが目に留まりました。初めてみるポスターです。明治150年記念の一環なのでしょう。京都市が明治の建物庭園で括った企画のようです。岩倉具視旧宅は他の2ヶ所とと違い歴史的な意義は有りますが、景観的にはどうかと思うのですが、、それも又良し、ちょっと遠いので折角なら近所の実相院がお薦めですが紅葉の無い今時分の実相院は想像もつきません。そうそう、歴史のある『京の冬の旅』と言う括りも有りました。今回は智積院も入っています。堂本印象のこの襖絵、特別公開とか・・・・お寺の襖絵??? とは思えません。
2019.01.14
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長らく更新を休んでしまいましたが、今日から復帰させて頂きます。 実は、酷い風邪でほゞ1週間潰してしまいました。 1/5頃から喉が痛く鼻もおかしいので風邪だとは思ったのですが、1/7に予定していたゴルフが私がアッシー君だったので休むわけに行かず、ティッシュいっぱい持って無理して行ったのですが、当日から痰と水ばなが酷くなり、翌1/8からは完全にダウン、1/10までは完全にダウンで一日中ベッドで酷い痰と水ばな、喉が痛いので食べるものも食べられず完全にダウンしていました。(高熱で無いのでインフルエンザではありませんでした)完全におかゆ食でしたが、それも少しだけしか食べられなかったので体重3kg強減ってしまいました。ティッシュは2ケース使い、昼夜逆転した様なベッド生活をしておりましたが、昨日の11日からましになり、今日でやっとほゞ元通りに回復しました。齢をとると本当に風邪は怖い事を思い知らされました。 そんなことで、更新は勿論の事パソコンは一切開く気になれず、時間があるのに読書も出来ず、ひたすらベッドの中で悶々とした生活でした。長らく家を一歩も出なかったので少しは歩かないとと、久しぶりに今日試運転電車で京都へ行って来ましたがまだ本調子ではない事を痛感して帰って来ましたが、その時のレポートです。 今日の午後は七条通りがいつもと雰囲気が違うのです。こんな光景を見て、あっ、今日はもう12日、明日は通し矢なんだ ! ! ! と気づくありさまだした。明日の華やかな景色はお伝えできれば良いのですが、どうも無理の様なので、当ブログの去年若しくはそれ以前の1月の記事を見て頂ければ書いている筈です近くの甘春堂の「通し矢」の貼り紙も・・・明日の振る舞い酒の為に準備しているこの酒屋経営のコンビニの当日の様子も・・・書いている筈です。という事で、今年は通し矢の記事は予告編?? となりました。
2019.01.12
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一昨日、三十三間堂の来年の通し矢のポスターの写真を載せましたが・・・今日またまたこんなポスターを見かけました。前に当ブログで何度か取り上げましたが通し矢と同日、お向かいさんの催しです。大根焚きと云えば千本釈迦堂と言われる様に本家は釈迦堂だと思うのですが、このお寺でいつから行われる様になったのか、そう古くはないと思うのですが・・・。お代はというと前に書いた事あるのですが、記憶がはっきりしませんが確か一杯千円だったと思います(間違っているかも知れません)ところで漢字で書けばなにも問題ないのですが、『だいこんだき」と言うと、それは『だいこだき』と訂正が入る事があります。別に『だいこんだき』でも良いと思うのですが・・・同じように京都御所の敷地全体の事を御所と言うとそれは京都御苑であって、京都御所はその中の一部と言う訂正が入る事が有ります。京都に住む人で京都御苑と言う人はまずいないと思うのですが・・・。
2018.12.26
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三十三間堂に今年もまたポスターが貼り出されました。お加持も、拝観も、もちろん通し矢もみんなみんな無料の日です。因みに通常は拝観だけで確か600円です(笑) これもこの季節毎年載せている京都市の南隣、久御山町の光景ですがおびただしい聖護院大根の廃棄品、欲しい方はどうぞお持ち帰り下さいと書いてあれば・・・・その点九条ネギは廃棄品が出ないのでしようね??? 何か清々しい光景なのでパチリとして来ました。
2018.12.24
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四条通りの歩道拡幅工事に伴いそれまでは歩道の端にあった地下配線用のボックスが歩道の真ん中に有る様になって危険だと書き、その後やっと歩道の端に移設されたとも書き、さらに11/2にはそのボックスの上がこの様に装飾されてメデタシメデタシ・・・と書いたのですが・・・久しぶりに余り通らない四条通りも寺町辺り以西を通りますと・・・なんとなんと・・・頂部の装飾だけはしてあるのに、まだ歩道の中央部に鎮座してるボックスが相当数あるのです。そんなの有りぃ?? という事で過去に歩道端部へ移設されたと書きましが、それは間違いで四条通の西の方にはまだまだボックスが歩道中央部に残っている事が分かりましたので、過去の記事を訂正させて頂きます。どう思っても装飾より移設の方が先だと思うのですが・・・・
2018.12.17
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12/14は赤穂四十七士の討ち入りの日。多分赤穂でも盛大な催しがあるとと思いますが、京都でも大石内蔵助の大石神社がある山科でも義士まつりが行われますが、三十三間堂向かいの法住寺でも毎年の様に取り上げていますが、この催しが行われます。お寺だけでなく、近くの商店などにこんなポスターが沢山貼られます。法住寺は元々後白河法皇ゆかりのお寺なのに、何故赤穂義士の像があり、何故こんな催しが行われるのかなぁ?? と思い調べて見ますと…大石内蔵助が討ち入りの大願成就を祈願した寺と書かれていますのでその縁かと思いますが、何かとってつけた感じがしないでもありません。そんなことより、昔はこの頃になると必ずと言っていい程、忠臣蔵の映画が封切られました。筋書きは分かっているのに毎年の様に観に行ったものです。大石内蔵助は片岡千恵蔵も演じたと思いますが、やはり何と言っても長谷川一夫でした。浅野内匠頭は市川雷蔵が、吉良上野介は山形勲も有りましたがやはり進藤英太郎が一番でした。何でも忘れる齢になった今も、坂東好太郎演ずる赤垣源蔵の徳利の別れの名シーンはいまだに憶えています。
2018.12.13
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12/5及び12/7と忘年会が続きました。12/5は元の会社のOB会の忘年会だったのですが、例年は会社が御堂筋より西にあるため忘年会や会食の会場も御堂筋の西側で行われるのですが今回は御堂筋より東、心斎橋筋よりまだ東で行われたので超久しぶりに心斎橋筋を歩くことになりました。そして歩いてびっくり、私の昔から記憶している心斎橋筋のイメージとかけ離れた光景だったのです。それは・・・昔からの店が少なくなりけばけばしいドラッグストアの多くなっている事でした。テレビなどで外国人旅行者向けのドラッグストアが花盛りということは見たり聞いたりしていましたが、目の当たりにして仰天でした。隣接したり、向かい同志だったり100m足らずの距離にさて何軒のドラッグストアが有りましたやら。昔(今も)、道修町が薬の街と言われましたが、今や心斎橋筋が薬の街と化していました。そんなことでドラッグストアの写真を撮っても仕方ないので・・・例年通りの御堂筋のイルミネーションを撮って来ました。横断歩道で南を向いて・・・北を向いて・・・・伝統ある建物の大丸百貨店ビルも建て替えで姿を消し・・・代わりに旧そごう百貨店ビルでの営業中で・・・御堂筋の景観も、ころっと変わっていましたが、地下でも地下鉄・心斎橋駅周辺の駅も大工事中で工事現場を歩く様でした。そして、12/7は登山友達8人での忘年会と、今日12/8は京都一周トレイルの桃山~伏見稲荷間のウオーキングでした。その忘年会は来年の登山計画検討会もありました。下がそのためにリーダーが予め作ってくれた、たたき台ですが、既に来年の秋までの登山計画が書かれています。この個別の検討はさて置き、会に先立ち、腹ごなしの為、豊国廟の530余段の階段を登り、豊臣秀吉の墓を参ったのち、裏から清水寺へ歩いたのですが・・・・そこでもびっくりでした。それは・・・参道にレンタルの着物は前から、乱立していたのですが、新たに、こんな参道にまでドラッグストアが歩いた通りだけで3軒も店開きしていたのです。いつの間に??? と言う程の「早業??」お寺の参道にまでドラッグストアの波が寄せているとは・・・・またまたびっくりでした。翌日即ち今日の京都トレイル歩きは明日書かして頂きます。
2018.12.08
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昨日は島津製作所の旧本社について書きましたが、折角ですので近くにある創業の建物も撮って来ました。昨日の旧本社は河原町二条下ルに有りますが、この建物は木屋町二条下ルに有ります。真裏のレンガの建物は日本銀行京都支店で、その左の高層ビルは京都ホテルオークラです。余談ながら、このホテルが高層ビルに建て替えの計画が上がった時、景観上の強い反対運動がおこったのですが、建てられました。当然今ではこんな高層ビルを建てる事が出来ませんので返す返す残念な事てす。自転車を除けて撮りたかったのですが、泥棒と間違えられたら困りますのて我慢しました。この記念館見学出来ます。丸に十の字の島津家の家紋も・・・ところで日本銀行京都支店はこの記念館と背中合わせで、建物としては河原町側が正面です。(昨日載せた島津製作所旧本社ビルの向かい)前を通って掲示板のポスターが目に入りました。なかなか粋な計らいをしてくれるものです。 しかし、所要時間70分とは何を見せてくれるのでしょう??金庫の中まで見せてくれるのでしょうか??三条通りの旧日銀ビル(今は京都府文化博物館)の金庫は今は喫茶店になっていますが・・・・。
2018.11.22
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犬も歩けば・・・ではないですが、ちょっと街歩きをすると次から次へ催しのポスター等案内が目に入ります。昨日の「せんど」のポスターのすぐ近くには・・・ここの紅葉、無料なのに素晴らしいです。直ぐ近くの来迎院の紅葉とその奥の孝明天皇陵の一本の紅葉の名木(静寂の中で多分独り占めできるはず)とみんな回って全て無料、お薦めです。いつも博物館の前にユニークな絵の案内を立てるこのお寺、多分手書きの案内ポスターも立っていることでしょう。ここは高台寺の真向い、高台寺の紅葉とセットでどうぞと言う催しなのでしょう。真宗大谷派の本山東本願寺のこの催し、檀家寺からはいつも案内をもらえのですが、お参りしたことが無い罰(ばち)あたりです。
2018.11.13
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一昨日書きました高槻の病院から阪急電車で河原町へ出ました。地上へ上がってまず目についたのがこれ、茶色の無粋な障害物です。元々四条通の歩道の端にあった地下配線の管理ボックスですが・・・歩道拡幅工事に伴い歩道の真ん中に有る事になり、まるで当たって下さいと言わんがごとく危険な障害物として、「近々移設します」と書きながら長らく放置されていたことは当ブログで何回か書きました。そしてかなり経って道の端へ移設されたことまで書きましたが・・・今日見ると四角い箱だったものがテーパーのついた屋根の様がついているのです。近寄りますと・・・詳しい材質は分かりませんが陶器なら割れるので金属か樹脂に印刷されたか焼き付けられたか、こんな絵がはめ込んであるのです。 さてこのボックス四条通りの鴨川から確か烏丸通りまで南北に不確かですが20ケはあると思うのですが、多分みんなこの様な絵がはめ込んであるのでしょう。差し当たり四条通を渡り、真向かいのものを見に行くと・・・やはり・・・こんなのがはめ込んで有りました。しかもこんなパネルも・・・他のボックスにどんな絵がはめ込んであるはず、ボロクソに言っていた無粋な四角い箱が俄然興味あるものになったのです。この箱を辿りながら四条通を歩くのも面白いと思い、折角なら定期的に絵を取り換えて貰えば尚良いなあと思いました。(定期的に換えるのは既定の方針かも知れません)ところでこんな事で四条通を行ったり来たりしているとなんとこんな光景が撮れました。日頃はひと人ひとの京都のど真ん中、四条河原町でしかも昼下がりなのに、人っ子一人いないゴーストタウンでした。
2018.11.02
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2年間閉鎖して行われてきた南座の耐震工事が完了し、今年からまた顔見世が南座に帰って来ます。先日は四条通を閉鎖してのお練りが行われ、テレビで大々的に(多分全国区のニュースでも?) 報道されていました。テレビ、新聞で詳しく報道されていますが、今日四条に出ましたので、ちょっと様子を見て来ました。一昨年は先斗町歌舞練場で、昨年は岡崎のロームシアターで行われましたが、まねきはやはり南座でないと『絵』になりません。今年は・・・・この3人の襲名披露が11/1からで・・・あと2日・・・12/1からは下の様になるようです。おねりの報道をテレビで見ていたら海老蔵も来ていましたが、今回は何処にもその名前は無いようです。(お練りの様子はユーチューブに沢山あります)
2018.10.30
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1. またまた三十三間堂関連で・・・ 過日妙法院での50年に及ぶ三十三間堂の仏像の修理についての講座を聴いて来たばかりですが、 この度、又こんな案内が貼られました。国宝指定となった今、妙法院でも俄然三十三間堂に光を当てているようです。(妙法院は三十三間堂を所有する寺院)2. これも鬼門除け 今までに御所の猿が辻や枳殻邸の大規模な土塀の鬼門除けを書いた事がありますが 友達の家の近くでこんなのを発見。 「いけず石」を置かれるよりよっぽど良いし、これでは小さい鳥居を置くの代わりにもなり犬の排尿 もされないでしょう。3. 今まで気づかなかった花なのに・・・ 上の写真の近くの友達を訪ねると、こんなに藤袴が咲いていたのです。過日御所の近くの藤袴祭りに遭遇して、初めて知った藤袴の花でした。こんな花今まで見た事無いと思っていたのですが、花を知らなかったから咲いていても気づかなかったということを証明した様なものでした。咲いている所には咲いている花なのですね。
2018.10.29
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今日は、滅多にない忙しい日だったので、いつもと違い9時前に京阪七条駅から七条通りを歩いていますと・・・国立博物館の人気のある催しの時の行列の光景が目に入りました。今やっているのは・・・これなのですが・・・地味な催しで人気も無いだろうと思っていたのですが、そんなこと思うのは門外漢の私位のものなのか・・・七条通りから、駐車場へ列が続き、その先が曲がっていたので何処まで続いているのか分からなかったのですが、とにかく開場前からこんなに行列が出来るということは、余程人気がある催しなのだぁと思い知らされました。上が朝の事なのですが、午後になって行ったのがここです。前に書きましたこの講座を聴くためだったのですが・・・・その前にちょっと寄る所が有りました。それはいつも載せている妙法院この庭の・・・この案内を読み、歴史を振り返りたかったのです。と言いまいのは・・・10/12、10/13のブログに書きました、御所見学の時、ガイドの方の説明に明治維新直前の「七卿落ち」について詳しい説明がありましたが・・・。その説明の中で妙法院の事について、触れて貰いたかったのですが、何も触れられなかったので、歴史の詳しい背景を知った上で、もう一度ここに立って歴史を振り返りたかったのです。さて、文化講座ですが庭とは反対側の建物の2階で行われたのですが・・・そのことについては明日書かせて頂きます。
2018.10.21
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昨日の続きです。御所での見学を終えると丁度お昼時でした。御所のすぐ南の進々堂の寺町店にランチに行くことになり丸太町通りを渡り、寺町を下がると、何かいつもと雰囲気が違うのです。歩道に沿って、何か鉢植えの花がいっぱい並んでいるのです。直ぐの下御霊神社まで進みましてもこの通り・・・・みんなで誘われるように門をくぐりますと・・・ここにも恥ずかしながら名も知らない花、花、花の鉢植えがいっぱい並んでいるのです。何の花かと思ってよく見ると・・・藤袴祭と書かれていて、これが藤袴である事が知りました。「藤袴祭」って何 ? ? 詳しいことを知らなかったのですが・・・翌日の京都新聞のこの記事を見つけ、詳しい事が分かったという次第です。そう言えば、革堂(こうどう,西国三十三所第十九番札所) にも沢山の藤袴が並んでいたなぁ・・・とあとになって思い出しています。御所見学の後の町歩きで、偶然初日の藤袴祭に遭遇し、知らなかった秋の七草の藤袴を沢山見る事が出来て良い一日を過ごせました。ランチのあと、三条大橋まで行きますと・・・・毎年書いている事ですが、夏の風物詩の鴨川の床の解体工事が行われていました。鴨川と禊川の間の狭い堤にクレーン車を入れての作業、どう云う順番で行われるのか知りたいものです。
2018.10.14
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昨日の続きです。昨日書きました拾翠亭が偶々見学当日の京都新聞に載っていると聞いていましたので、今日その新聞記事を見ました。この切り抜きですが、単に写真だけ紹介していた石の橋はこう言うことでした。この九条家の拾翠亭の次に行ったのが閑院宮邸跡でした。拾翠亭のパンフレットに依りますと位置関係は右下角(烏丸丸太町交差点)で拾翠亭はその上です。明治になって遷都が行われるまでは上の地図の様に御所周辺に200の公家屋敷が立ち並んでいて、現在の様な周囲を石垣と塀で囲われたのは明治になってからということでした。この閑院宮邸については去年に訪れてブログに書いていますので参照ください。ここです。話はころっと変わりますが長い江戸時代の徳川幕府の将軍が八代目で宗家に跡継ぎがいなくなって徳川御三家の紀州徳川家から吉宗が八代目将軍になったことは知られている事ですが・・・今回の見学でガイドさんから聞いたことは・・・天皇家も同じ様に江戸時代に皇位継承者がいなくなって、1780年~1817年に在位した光格天皇は傍系のこの閑院宮家の親王が即位したのというのです。ということは今はなくなったけれど、閑院宮家が今上天皇のルーツと云う事・・・私は初めて知ったのでした。光格天皇を検索して見ますと天皇家と閑院宮家の系図が書かれていて確かにそのようになっていました。ここです。単に表面だけの観光では知り得なかったことをガイドさんの説明を聞き、検索して検証して、知らなかった天皇家の歴史の一面を知り得て良い勉強になりました。このあともう一つ書きたい事がありますが明日に・・・・。
2018.10.13
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高校同窓女性お二人に誘われて、中京区役所が主催の催し『京都御苑(九条家拾翠亭、閑院宮邸跡の周辺散策』に参加して来ました。60人の定員に対し120名程の申し込みが有るので、抽選で当たるかどうかと言われていたのですがバッチリ当たったとのことで参加することが出来たのです。集合場所の堺町御門に早めに着くと、既にボランティアの案内人の方、区役所職員、区の観光協会会長まで来ておられて・・・瞬く間にもこんなに人が集まり、観光協会会長の挨拶の後、3班に分かれてガイドさんの詳しい説明を聞きながらの見学となりました。資料も・・・・これ以外にもたくさんもらいまして・・・・見学開始です。ここの庭は過去に訪れてブログにも書いた事がありますが、茶室の中に入るのは初めてでした。しかも説明付きで・・・資料に依りますとこの建物は今から200年程前に当時の五摂家の一つであった九条家の別邸しして使用されたもので主として茶会や歌会等の社交の場として利用されたとか。そして拾翠とは、みどりの草花を拾い集めると言う意味らしいです。この茶室の壁の白い斑点のようなものはキズでも反射でもなく、ほたる壁と言う仕掛けです。大きな池、石橋の有るにはは広く素晴らしいのですが・・・何と言っても2階の座敷からの眺めでした。透かし丁子の彫りのある柵に・・・すだれ越に見える光景も又良しで・・・ガイドの方も言っておられましたが、2階の良さは余り知られていないので、いつも人影が無いのでゆっくりするのには最高の場所だと思いました。因みに入場料100円、木金土の週3日が入れるらしいです。御所はいつもウロウロしているのにこの2階の存在は知らずにいたのが今更ながら残念な思いでした。行かれた事無い方には是非一度お薦めしたいです。明日に続きます。
2018.10.12
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常々当ブログに登場する枳殻邸のカラタチですが・・・白秋の ♪カラタチは秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ♪の歌の通りの光景てした。ところで根元を見ますとを・・・「萩」かな??? カラタチと萩、なんと風流な ! ! ! と思ったのですが・・・・上の方にあの嫌な引っ付き虫が・・・こんなところにもあの繁殖力の強い何とか云う外来種が「寄生?」していました。早く駆除しないとと思うのですが、萩と思う人もおられるのでしょうね。
2018.09.30
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過日梨木神社の萩を見に行ったことを書きましたが・・・その梨木神社の直ぐ下(しも)の京都府立鴨沂(おうき)高校の前を通りました。この学校、数年をかけて全面建て替え工事をしていたのですが、完成した様で綺麗な校舎が見えていました。ならば、あの名物の門はと言いますと・・・・門は昔のままの姿で・・・・さすが、ちゃんと保存されていました。ふと、東の東大の赤門とどちらが古いのかと知りたくなり帰って調べますと・・・この門は1900年にこの地に移築されたがいつ建てられたかは不明で、東大の赤門は1827年(文政10年)建てられ、現存の地へ移築されたのが1903年とか。現在地に建ったのは鴨沂高校の門の方が古いのだと分かりました。この事を調べている過程で鴨沂高校の「鴨沂」と言う名前の由来を初めて知りました。ウイキペディアに依りますと・・・「名前の由来は鴨沂の鴨(おう)は鴨川の鴨、沂(き)は水のほとりという意味があり、鴨川のほとりにある学校ということから来ている」そう言えばこの学校の前身、女紅場址と言う石碑が丸太町鴨川のホン傍に立っています。今までそんな意味も知らずにオウキ、オウキと言っていたのが恥ずかしい思いがしました。ついでながら(確か昨年も載せたと思いますが) その向かいの寺町御門の立派な百日紅を撮ったのですが・・・台風被害だろうと思うのですが、今年は少し貧弱な咲き方でした。
2018.09.27
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9/12のブログに書きました梨木神社の萩は早かったことが分かりましたので一週間後(9/19)に再訪しての続報です。出町柳の三角点で高野川と合流すると前の賀茂川の橋を渡っていて余りに清々しい景色なので絵画調で撮って見ました。ところで、私の頭では鴨川は出町柳で高野川と合流するまでは賀茂川で、合流して鴨川となると思っているのですが、出町柳より上流でも鴨川と書かれていることも有るので、間違ったことを書いてはと思いグーグルマップで調べました。すると・・・・何と出町柳より上流は鴨川と賀茂川が交互に書かれているのです。どちらでも良いのか、通称と正式名称の違いなのか、理由は分かりませんが、両方正しいということになるのでしようか。話が横道に逸れましたが、一週間後の梨の木神社の萩は・・・・まだもう一つだったのですが、その代わりに短冊が満でした。この辺りの花は特にまだまだと言う感じです。こちらはかなり咲いていて、短冊も満開です。調べますと今年の萩祭りは9/17に俳句大会があり、萩祭りは9/22~9/24までとのこと。依ってぶら下げてある短冊はその俳句大会のものなのでしょう。沢山の句が有りましたが、秀逸は左下のこれではないかと・・・(笑)アップしますと・・・俳句というには季語が無いと思いましたが、それがあるから不思議ですこの句を詠まれた方の日頃のセリフそのものの気がするのですが・・・・果たして??
2018.09.21
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18日は自宅から62km 離れたいつもの三重県のゴルフ場でゴルフでした。大阪(枚方)~京都府~滋賀県~三重県と4つの府県を通過するのですが、みんな端っこの方をかすめるようなものです。毎回書いていますが、ほうじ茶は滋賀県信楽の朝宮で買い、頼まれる炊き出し番茶は宇治茶の本場、宇治田原で買いますtがる滋賀県の信楽と京都府の宇治田原と言ってもひと山越えた隣通し車で5分位のものです。その番茶を買う店の前に最近、立派な案内板が立ちました。『永谷宗円』の生家とか。こは何者ぞ?? と検索して見ると・・・・『日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円は、宇治田原町湯屋谷生まれ。元文3年(1738年)に、新芽の茶葉を蒸し、焙炉(ほいろ)と呼ばれる器具の上で茶葉を手揉み乾燥させる青製煎茶製法をこの地で考案し、現在の日本緑茶製法の礎を築きました』とか。関西では最近京都府のもう一つの茶どころ和束に脚光が当たり、テレビ報道も多くなっています。同じ京都府の茶どころとして宇治茶は和束に負けておられないと言うところでしょうか??因みに朝宮と宇治田原は山ひとつ挟んで隣同士と書きましたが、和束もまた隣でトライアングルを形成しています。ところで、話が変われりますか、遠距離運転を癒してくれたたくさん案山子が有ったこの場所・・・看板はそのままなのて、未だに再開される形跡なし、どうなっているのか、気になるところです。
2018.09.20
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何回も書いているテーマで恐縮ですが・・・僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来るああ、自然よ父よ僕を一人立ちさせた広大な父よ・・・・・御所の細道を通る時いつも口ずさむ高村光太郎の『道程』ですが、残念ながらいつも通る時には、僕の前に道がある写真しか載せられませんでした。(前に一度だけ道の無い写真を載せた事がありますが)昨日の梨の木神社の続きに御所に入りますと・・・・台風21号は通り過ぎたのに、まだこんな貼り紙があるのはご愛嬌として・・・台風21号による豪雨で「僕の前に道がない」世界が広がっていました。こんな事なら自転車で来て、「僕の後ろに道が出来る」を実践したかったのですが・・・後の祭り、足跡だけしか残せませんでした(笑)別の場所では自転車の轍に依る『道』でなく、雨水が横に流れて、『道』ならぬ、『みず道』が出来ていました。昨日は梨の木神社及び御所の外側の折れた木を載せましたが、御所内でもこんな光景が散見されました。そして三条大橋まで来ますと、川の流れの中に何か??・・・・多分金属の矢印の案内板が泳いでいました。 これも台風余波・爪痕 ? なのでしょう。
2018.09.13
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出町柳から京都市市役所に行く用件が有ったので、梨の木神社の萩や如何ならんと寄り道しました。梨の木神社の萩を撮る絶好のポジションも参道を遮断するマンションが建って景色が変わりました。目的の萩は咲きはしているのですが、とてもとても盛りとは言えず元気な花が見られませんでした。マンションを迂回している参道の萩も然りで・・・本来の参道に出ると、一層花がなく・・・染の井の水を汲む景色は予想通りでしたが・・・本当に花が咲いていないのです。がっかりして梨の木神社と御所の間の通りを南に歩き出すと・・・これは御所側の台風被害なのですが・・・梨の木神社側もかなりの被害が有りました。思うに茶色く枯れた枝は先の台風で折れたもので、手前の緑の枝は今回の台風21号で折れたのではないかと思うのですが・・・帰って梨の木神社の萩祭りの日を調べると今年は9/22~9/24までとのこと。とすると、今日は早すぎたのかとも思うのですが、蕾もそう無かった気がするので、木の枝だけでなく、萩の花も台風で落花したのかとも思ったりしているのですが、事実は分かりません。
2018.09.12
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