金曜日に放送された 「私は、母になりたかった~野田聖子 愛する我が子との411日」 を見ました。
見ているのが辛くなるほどの沢山の障害を抱え、生まれてすぐから手術をして沢山の管が入っている。
呼吸を楽にするために器官を切開して、声がでなくなった真輝君。
ここは、見ていて涙があふれてきました。麻痺した手をマッサージしてもらう痛さに泣き叫んでいるんだけど、声が出ていない。口を大きく開けて顔をゆがめている。見てられなかったです。私は未だにあの顔が頭から離れないです。
野田さんは、カメラがまわっているからか?痛いね~とは言いながらも微笑んでた気がした。私なら一緒に泣いてしまうのに・・・涙ぐんでインタビューにも答えられない。
彼は何のために生まれてきたのだろうか?幸せなのだろうか?一人の女性の自己満足のための犠牲になった気がする。
沢山の管につながれて、何度もメスが入って、声もでない、ママと呼ぶこともできない、この先まだまだ手術がある・・・親として、みてて辛くないのだろうか?
生まれてきてよかったか、悪かったかは息子が決めることと語ったらしい。・・・
私には理解できないです。
人の命って神様の領域であって、本来は踏み込んではいけない領域だと思う。
医療が進んで50代でも産めるようになったんでしょうが、自然の状態で産むことができないのには、ちゃんと意味があるんだと思う。神の領域をおかしてしまった罪を小さな真輝君に背負わせるのはあまりにもひどすぎると思う。
野田さんは出産と引き換えに子宮を失いましたと・・・。自分だってこんなリスクを負っているんだと言っているようです。それは自分で選んだことではないですか?どうも美談にしようとしているようで・・・
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