老父のつぶやき

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2020年01月17日
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カテゴリ: 失職・再生の遍路
阪神淡路の震災から25年。それまで兵庫県南部は災害とは無縁のところだと思っていたが、それは思い込みでしかなかったのだと思い知った。6時前に何となく目が覚めて、しばらくするとゴーッと言う音がし、家がゆさゆさと揺れた。長かった。子供たちはまだ寝ていたが、二階から下に降りてTVをつけると「兵庫県で地震があった。各地の震度は・・」大阪は5と表示されているが、神戸の数字がない。神戸がやられた、と直感的に思った。

当時は地元の食品会社に務めていて、定時に出勤したら工場長から「自分の職場だろうが!早く出てこんか!」と怒鳴られたことを覚えている。設備の担当で被害を調べたが、ガラス容器7000本が倒れたくらいで、それが最大の被害くらいなもので、タンク車に水を積み込んで救援に出発できるくらいのいつもと変わらぬ状況だった。ところが出発したトラックは8時間かけてもまだ着かない。受け入れ態勢が出来ていなかったのだ。また道も大渋滞。公衆電話の順番待ちをして会社と連絡を取り、また車に戻るという位動かなかったそうだ。これを機会に携帯電話の契約数が伸びたという。

事務所のテレビはつけっ放し。火災が広がるのがすごい勢いだった。近くのスーパーからはまずインスタントラーメンと電池が消えた。すべて東部(阪神間)に送るためだ。神戸支店の被害は甚大だったが、大阪は全くと言って被害を受けなかったので大阪に拠点を移して商売は出来たが、ともかく流通が全く話にならない。
JRも山陽本線がダメになったのでローカル線を使って迂回するという奇策になった。新幹線が早くに復旧したのがせめてもの慰めだった。

幸い、私の身辺では犠牲者は出なかったので「大変やったなあ」くらいのことだが、犠牲者は6000人をはるかに超えた。家族を一瞬になくした人、助けられなかった人、当事者でなくては分からぬ経験をされたことだろう。水なし、電気なし、ライフラインという言葉はこの時から使われだしたと思う。

そして今、半数が震災の記憶がない世代だという。「いざと言う時」は必ず来る。減災のために自分が出来ることを今一度振り返ろうと思う。





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最終更新日  2020年01月17日 20時51分37秒
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Re:神戸から25年(01/17)  
式典をやめると言っていましたが、節目なのか大きく報道していましたね。

救援や様子見で大渋滞だったようです。
いとこや友人はみんな無事でした。

私は、台湾出張中でした。
夕方、韓国企業が日本の電子部品が壊滅して注文が流れてくるとコメントしていたのが印象的でした。
神戸港の貨物は、韓国に取られてしまいましたね。 (2020年01月18日 21時22分51秒)

Re[1]:神戸から25年(01/17)  
maetos さん
maki5417さんへ


神戸は今でも歩道が歪んでいるところがあります。六甲アイランドにある関係先に出張した時のゴミの山には本当に驚きました。あれだけの被害を受けて、操業再開に時間がかかってしまってはどうにもしようがありませんね。 (2020年01月18日 22時45分40秒)

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