松尾大生の独り言

松尾大生の独り言

2010.01.27
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●言われているうちが花なんだよ。言ってくれる人に感謝しなさい。

と、若い頃、俺は祖母から習った。俺もその通りだと思う。

俺は不潔な上にズボラで、短所は数えきれないと思う。

妻は、諦めないで、しつこい程、同じ注意をしてくれる。感謝である

俺はどちらかというと、八方美人だし、耳障りのいいことしか他人に言えないタイプだ。

こんな自分は、ズルいなァ、と反省する。

他人に直接、厳しいことを言える人というのは、根本的に優しい方々だと思う。こういう方々には、心から感謝して、感謝の
気持ちを伝えよう!



今日も帰宅したら、早速、妻から小言を言われることだろう。夫に厳しいこと
を言わなければならない妻の立場を考えると、感謝しなくてはならないし、

●ああ、俺はまだ、諦められてはいないのだなあ!

と、嬉しくなる。

本当に諦められた人と言うのは、人から、何も言われなくなるものだ。

人間、匙を投げられたら、孤独なものです。

尾崎豊のシェリーの歌詞の中にも、

「俺はまだまだ馬鹿にされているかい?」

というフレーズがあった。

馬鹿にされていると思っちゃいけないが、とにかく、他人からは、あれこれと言われているうちが花なのだ。

若いうちは、人間、他人から厳しいことを言われると、ヘソを曲げる方々も多いことだろう。厳しいことを言っている人の優しさが、理解できないのだ。



難局とは、神仏が存在するとすれば(俺は存在すると確信しているが)、神仏から与えられた自己変革へのチャンスであると言えよう。優しさに満ちたメッセージである。だから、難局の中にいる時ほど、逆に感謝しなければならない。

●困難がやって来た時ほど、自分は安楽なのだと思いなさい。

と、中世、日本の古聖も言っている。

●平凡

ほど、恐ろしいものはない。



別に成功するでも失敗するでもなく、ただただ平均的に、平々凡々と流れていく人生。そこに価値を見いだす方々の気持ちも分かるが、神仏からのメッセージが少ないのだなァ、と、残念に思うくらいが本当ではないか。

昔読んだマーフィー博士の本に、「平均の法則」という言葉があった。

平々凡々であり、平均の法則に飲み込まれた人生は、一見しあわせなようでいて、不幸なのだと俺は思う。

●死後、既に地獄に堕ちることが確定している者には、現世(つまり、この世)では、逆に困難は起こらない


と、大乗仏教の教えにもある。

現代人には、こう言った、「平均の法則」に該当しそうな方々が、結構多いと思う。

そういう意味でも、難局こそチャンス、不景気、大恐慌、全てチャンスと考えたい。

今の日本は、国として見るならば、神仏からの強いメッセージを受けている、安楽ね時であり、チャンスの時であり、感謝の時だと、思うのだ。





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Last updated  2010.01.27 18:08:24


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