松尾大生の独り言

松尾大生の独り言

2014.09.10
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と、先日、フェイスブックの友達に尋ねられたから、ブログという形式で書いてみたいと思う。

質問は、靖国神社惨敗が是か非か、という流れから発せられたものであった。

靖国。

自分の考えは、

「神社は嫌いだけれども、国に尽くした人々のために表敬訪問して、法華経をよみたい。靖国を否定するような奴は、国体について語るな」

そんな趣旨だった。


自分は毎年、お盆になると墓参りに行っている。

墓に、先祖の骨は眠っているが、先祖の霊が宿っているなどとは考えてはいない。



なぜかというと、一年に一回、故人を思い出し、既存の風習に従うのを、自分は佳しとしているからだ。

潜在的には、システムの習わしを、自分の為のツールとして使わせていただいているのだが、具体的には、

「当たり前のこと」

……だから、行っている、という雰囲気が的確だと思う。


靖国についての自分の発言を墓に置き換えていうならば、

「墓参りもしないような奴が、家族の在り方について語るな」

と、なると思う。


ヤクザ者が冠婚葬祭の時は一般市民よりも真摯になるように、おれみたいなハミダシ者に限って、そういうことを重視している面は強い。


そんなこんな、フェイスブックでの質問があってから、

「じゃあ、国体ってなんだべ?」

と、ここ数日、国体について、仕事中の車の中や、散歩の街並みの途上、うっすらと考えていた。



学校の教科書みたいな話をする気はないが、自分は高等学校で、政治経済や倫理の教師だった時代があるけれど、モンテスキューやプラトンの国家についての考え方を踏襲する気はない。


最初に述べたいのは、現象論について明確な信念がないと、国の定義や政体の向かうべき方向、異なる政体の共通のコンセプトを導き出すのは不可能だと感じた点だ。


国とは何か?

国の在り方とはなにか?

まず、国体に関わる部分での自分の現象論の引き出しを開けると、



人が現実には、最近の科学の成果では、

「有機的な機械」

ではなく、

「エネルギーのフィールドが肉体を規定した状態」


それが人であるという。

例えばチンパンジーとヒトのゲノムは、ほぼ同じなのに、形状は似て非なるものがある。

例えば同じ材質で造った家でも、様々な形があるように、チンパンジーと人間も、エネルギー場が違うから、別々の個体になっているというのだ。

自分の認識は、つまり、

●肉体が魂をもっているんじゃない。魂が肉体をもっているのだ。

と、いうことであった。

この点はシステムの刷り込みを受けてきた人々には、本当に理解しずらいと思う。

こないだ、Skypeで話した女性は、

「もう何年も朝おきると、自分がやりきれなくて原因不明の切なさが迫ってきて、毎朝、枕を濡らしてきた」

と、述べてきた。

現代人の様々な悩みの本源は、その所有関係(!)の取り違えから来ていると思う。

東洋では近代まで比較的、魂=肉体という考え方があったが、ニュートンやデカルト仕込みの西洋流の機械論が入ってきてから、我々は本当におかしくなってしまった。


はっきり言えば、このリニアモーターカーがリアルに運行されている時代に、我々の国家や個々人の肉体にまつわる認識の仕方は、蒸気機関車以下なのだ。

言っておくが、俺は学問のある人間じゃない。

誤解しないで欲しいんだが、頭のよい人々が、あまりに西洋流のニュートンやデカルトの考え方に洗脳されて道理に合うことを考えられなくなっているから、俺のような市井の腐れオヤジが自分の考えを述べているに過ぎない。


何をいいたいかというと、一人の人間も、一国もまた、同じエネルギー場だということだ。

人体を例にとるならば、例えば、松尾大生には、松尾大生のエネルギー場が存在する。

トーラスでもいい。

自然界のあらゆるものは、そういう自己組織化システムにより成り立っているという。


自己組織化システム(トーラス)により生成されているエネルギーの場が人間である、と信じている。


いまの科学の最先端でも、たぶん、そういう認識になってきているみたいだ。

また、ポログラム理論じゃないが、例えば、磁石は細かく分断しても大きさの異なる最初の磁石と同じ磁石になる。

俺はだから、悩める一人の日本人のエネルギー場を解析できたなら、国全体のエネルギー場も、解析できるだろう、と思考実験しているが、まだエネルギー場を観測できる装置はないみたい。

心理学で言えば国の元になる考え方は、もちろ、あの民族的無意識というやつだ。

まず人体ありきで人間が存在しているんじゃなく、エネルギー場に規定された人体、と考えているわけだから、国家もまた、集合的無意識に規定されて具現化していると、思う。

ニュートンやデカルト流の洗脳教育をうけてきたヒトにとっては、

「肉体という、突き詰めれば分子と分子の衝突によってできた肉体の中に指令機関の脳があり」

わたし=脳


と、真面目に、とらえているから、全部ぶれてくる。

なんか罠にはめられたらみたいだな……。

トルストイが「人生論」で述べたように、そういう、動物的個我を自分だと思っている人間は、やがて避けられない自己の死を解決できない。

「霊の誕生」を待たないと、あらゆる問題は解決しない、とトルストイは表現していた。


プラトンの「イデア論」を自分はよく例に出す。

人間も、肉体ではなくイデアならぬ、エネルギー場であったのだ。

一個の人間を国家とすると、臓器にはそれぞれの臓器のエネルギーフィールドがあり、その集合が肉体をなしている。

臓器は臓器で、実際は細胞により成り立っている。

細胞には細胞のエネルギーフィールドがあると思う。


人体を自然界と関連づける思想はよく聞く。

モナリザの背景もそうだったし、人体と、この惑星もまた、臓器は山、血管は川、目は太陽と月、体液は海、というように、対応しているのだという。

俺には当然と思われる考え方なんだが、ニュートンやデカルトに洗脳された人々には、わけがわからないだろうが勘弁してくれ。

仏教では、身土不二、などという。

地球を人体だとすると当然のことながら、すべては対応していると思う。

地球にとって国家とは臓器のようなものだろうか、それとも、国家の臓器が惑星なのかもしれない……。

どちらにしても物質的な現象というものは、エネルギーフィールドをより解釈して幅広くエネルギーフィールドに即して具現化していく宿命、いや、使命があると信じているんだ。

例えば昔の机は単純だったが、この数十年で様々に高度な機能の机が出てきた。

机、というエネルギーフィールドの持てる可能性を現実の机たちは、最大に引き出そうと、進化してきた。

日本人には日本人の地球や宇宙に連なるエネルギーフィールドがあると思うのだ。

可能性を最大級に花咲かせるという使命は否応なく実現されると思う。

もしかすると、いまの国家の概念を飛び出してもいいのだと考える。


未来のことは分からない。

しかし、人体でいえば肝臓のことに心臓が口を出すべきじゃないし、肺と食道や胃と腸は、……なんでもいいが、影響は与えあうのは当然だが、口だしはいけないね。

そういうことを靖国に関しては隣のエネルギーフィールドが開花と逆方向の保身のために言ってきてきいる。

方便でもなんでもいいがいまは靖国を肯定するときだと思う。


そうしないとバランスがとれないと思うのだ。

自国の歴史を否定する教育をうけていきてきた我々には、そういう揺り返しが必要だと思っている。

しかし、自分の利益のために靖国を利用するようなやつも目につくみたいだ。

あくまでも日本人のエネルギーフィールドを高めて、日本人の可能性を開花させるツールとして靖国を肯定している。

靖国の英霊が靖国だけにいるとはかぎらない。

北海道開拓の現場にも、いたと思う。

祀られているいないじゃない。

じゃ国につくしたヒトが全部いないから靖国は全部、間違いだろうか?


国家の在り方といえども、結局はひとりの人間の一念により映し出されたものだとすれば、バランスが取れて完成に向かう方向そのものが、正しい国家の選択肢であり、国の形だと思います





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Last updated  2014.09.10 05:16:43


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