SALT OF THE EARTH

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2013/03/23
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カテゴリ: ひと
以前の職場では相続関係を扱っていたので、時折、他人様の戸籍を読むことがあった。

個人や家族のドラマが秘められているなぁ、と思ったものだ。
戦後の「核家族」戸籍になる以前、家督相続制度の時代の戦前の戸籍は「家」が単位で、
戸主を筆頭に、親、兄弟姉妹、子、孫まで一族が載っているものである。
この時代に育った人と今の私達の「家」に対する感覚が違って当たり前だと納得する。

先月亡くなった母の口座の手続に必要で(大きな財産はないのだが、地域の付き合いなのか街の信用金庫などにこまごました口座を複数持っていた)母の生まれた当時まで遡った戸籍を取り寄せた。

母と二人の弟(私の叔父)とは10歳以上離れていて、異母姉弟だとは聞いていたが、
戸籍をとって初めてわかったのは、

10年を経て祖父は再婚したのだが、日付を見ると上の叔父出生の少し前である。
今なら「デキ婚」である。
しかし、2年後に下の叔父が生まれて1年足らずで、その後妻さんも亡くなっている。
私の母も、叔父たちも「産みの母親」の記憶がないということだ。
そのまた1年経たぬうちに祖父は3度目の婚姻をしている。
叔父達が「母親」と呼んでいるのは3度目の奥さんだったのだ。

戦争をはさんだこの時代、
産後の肥立ちが悪かったり、病気にでもなれば長く生きられない時代だったのだろうし、
何かあって婚期が遅れたり、あるいは未亡人になった女性が生きていくには、
再婚でも再再婚の相手でも仕方なかったのかもしれない。
連れ合いを亡くした人には、親類や知人などが同じような境遇の人を紹介することもあるだろう。昔の戸籍を読んでいてよくあるのは、未亡人が夫の兄弟と再婚するパターンだが、


私の母は実母を知らず、祖父が再婚し弟が生まれるまでの10年あまりをどう暮らしていたのか、もう聞く機会がなくなってしまった。
祖父は戦争に行った人だし、母はもの心つく頃はおそらく疎開先にいたのだろう。
その時代には珍しいことではなかったかもしれないが、
本当の幼い頃に甘える人がいなかったと思われる。
あまり砕けたところのない、辛抱強い人だったとは思う。


母は母で何か欠落した母親像を埋めようと理想を求めたのかもしれない。
…まぁ、勝手な想像ではあるが。
知らなかった母の生い立ちを戸籍を読んで知った。
私と違い、叔父達は頼りにしていた姉だったようで、母の死を本当に惜しんでいた。
肉親でも立場が違い、同じ人の違う面を見ているわけだし、思いも違う。
ただ、その人の人生は、どんなものでもやはり重く尊いものであると思う。



































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Last updated  2013/03/23 09:28:09 PM
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Comments

slash555@ Re[1]:介助犬の立場(09/09) 優遊悠さん 最近はツイッターに移行し、…
優遊悠@ Re:介助犬の立場(09/09) このような記事を書いて下さり、ありがと…
マイコ3703 @ Blogを拝見させて頂きました(*^^*) ふむふむ!と私にもあるある!と感じてし…
いぶら @ Re:危うい年代(02/26) 姐さんご無沙汰。っていっても他で話して…
slash555@ Re[1]:重い日だった(02/01) 七詩さん 後日知りましたが、後藤さんは…

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