2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全5件 (5件中 1-5件目)
1
憲法を改正するんだと―。戦争が好きなヤツがいるもんだ―と、思っていたら、改正したらと思う人が増えたんだ―と。改正するか―という民意を問われないのに、|改正|云々と云うのは先の選挙の結果―そういうことになるんだと―。何かおかしいですね。私のような|映画ぼけ|しているやからにも、頭んなかには―|憲法|がきちんとインプットされているもんで―。世界の各国の憲法のなかで|戦争はヤメだ|といっているのは|日本国憲法|だけなんで―。これまで|戦争|がない|平和|な|日本|だったのに―。と―なるんだよね。おれっち|映画大好き|なんだけどさ、おれっち|この国|も―大好きでさ。なんせ――あ~た、おやじとか、あふくろとか―みんなやいやい云って住んできた国だぜ―。こんな話―つまんないかい?
October 29, 2005
コメント(3)
シナリオは映画の台本です。現在のフォームは、劇映画以降はほとんど基本的にはかわらない。私たちが読んでいるシナリオは|脚本|とも呼ばれていて、映画の完全|筋書き|です。シナリオを読むと映画の半分程度はわかる。しかし映画は映像ですから、シナリオを読んでも|映画|を見たことにはならない。しかし映画の|匂い|ぐらいは感じることができる。そこから映画を逆に探してみる。――とか、やってみる。私はここに|映画|を感じる。それは――映画の|音感|とか映画の|色調|とか映画の|香り|とかシナリオには―|それ|があります。そこがたまらない。
October 27, 2005
コメント(0)
映画との出会いがあったが、田舎町のことではあり、上映されていたのはまず日本映画が主だった。だから、映画雑誌の華やかな洋画の紹介があっても、まず見る機会はなかった。昭和30年前後の頃です。その頃の映画ファンは|外国映画派|と|日本映画派|と二分していた。今日から云うと考えられないぐらい日本映画は健闘していたことになる。黒澤がいて木下恵介がいて小津溝口今井成瀬五所がいて新人に増村が岡本喜が今村がいた。映画雑誌は競って|邦洋|のシナリオを掲載していた。これらシナリオは私には第一級の映画資料だった。そして黒澤明監督の―|隠し砦の三悪人|に出逢った。黒澤に関心があったもののひとつ理解できないものがあった。この映画を立て続けに6回もみた。そして映画の何もかもメモをした。そして―メモからシナリオを組み立てた。それはあくまでも|私の|鑑賞メモであり、それが|シナリオ|の形になっていた。私はその出来具合に満足した。これが大きな誤解のもとだった。私は|シナリオ|への関心に拍車がかかった。さらに映画を勇気をもって|誤解|した。私のなかでいちだんと|映画|が|逆転|をはじめた。
October 26, 2005
コメント(0)
戦後なにもない頃、知り合いのおじさんから|コンサイス英和辞典|をいただいた。ずしりとくる手頃で、今で云うハンディ・タイプ。以来このての辞書類が大好きになって、国語英語年表類からシェイクスピア・ハンドブックなど、もろもろの辞典類が私の本棚をしめている。ここ数年は|聖書|にこった。これは面白く。歴史はいつも波瀾万丈だ―。ところが、最近さる友人が持ち込んだものが|日蓮御所全集|だ。約七百年むかし|日蓮|というお坊さんが書き綴ったもの約三百五十編がつまっている本だ。北条時頼におくった意見書「立正安国論」は有名だ。しかし本書は仏との接触の仕方から姿勢のありかた、さらには衣類食物をいただいた|お礼|の手紙まで今でいう公私の生活ぶりが細々とした文章でびつしり、それはそれは迫力そのものだった。はなし相手Aと自分Bとの掛け合いのような形で読ませる場合もある。しかしなぜこんなに読ませるのか。よく考えてみると、それは―|日蓮|がいつも何かと戦っているからだ。―ではないかと思います。だから、これは|日蓮|が―生まれて亡くなるまで六十一年間、いつも何かと戦い続けたその全記録だった。
October 25, 2005
コメント(0)
| 映画館はずっと|もう一つの学校|のようなものでした。礼儀作法に始まるいっぱん常識に至まで―私は映画に学びました。政治から性事にまつわるモロモロなこと、もし私がたいそうなことを云っておりましたら―まず映画のウケウリかもしれません。映画の素晴らしいことは|もの|をすべて|画像|にしていることです。そして監督は出演者の手を借りていちおうの講釈をつけます。どだいお芝居から始まった映画です。鶴見俊輔さんは映画のことを|大衆芸術|とおっしゃいました。|映画|は何事も目線が低くして|もの|を組み立てます。むかし|牧野省三|という映画監督がいました。もとはと云えばお芝居の|座付け作家|みたいな方です。この人の頭のなかには、百とか二百か三百かのお芝居の|話|が詰め込まれておりまして、尾上松之助という主役の映画を―約千本ぐらいは作ったのではないかと云われています。例えば尾上を右から撮ったり左から撮ったりそして、できあがったのは二本の映画だったという逸話があります。時代は明治の後半四十年あたりです。監督の頭のなかにある|話のスジ|がうまく組み合わされていました。台本としてあるわけでもなく、すべて|口うつし|です。|シナリオ|はまだなかった時代です
October 24, 2005
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


![]()