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2010年01月18日
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昨日は震災の日。

あれからもう15年も経ったんだと思う。
あの日、長男の出産予定日2週間前だった私は、里帰り出産と言うこともあり、
大阪の自宅に。

その当時、家は兵庫県姫路市。

旦那がその前の土曜日から大阪に来ていた。

16日夜、明日から仕事なので帰らないといけないけれど、
夜帰るより、朝のほうが道路がすいているから。。。
と言う理由で時々、朝5時ごろに大阪の家をでて帰っていた旦那が。。。



「なんでよ、あんたいつも朝のほうが楽っていうやん」

私はそう言ったのだけれど、旦那は16日夜に帰っていった。

私はその夜、なかなか眠れず、何度も夜中に目が覚め。。。

下から突き上げるような衝動で目が覚めた。

母親と、父親も起きてきて、あわててテレビをつけたけれど、
直後すぎて何が起きたかまだよくわかっていなかった。

私はそのまま寝たと思う。

そして朝7時ごろ起きて、テレビを見て、わが目を疑った。
姫路に電話しても当然のようにつながらず。。。

どうやって旦那と連絡がとれたのかわからんけど。。。
幸い姫路も、大阪もどうもなかった。


電車も道路も寸断されていて、旦那も大阪にも気軽に帰ってこれなくなってしまった。

あの時、17日朝に、大阪を出ていたら旦那はどうなっていただろう?

途中で地震に合い、大阪の家に引き返してきたか。
高速に乗り、地震に合い、事故にあっていたか。
落ちた高速の場所にいたのではないか?


いまだに思うことがあるけれど。。。

16日夜に帰ったのは「虫の知らせ」か?
無事であることが何より。

その日は1日中、余震があり、怖かった。

翌日、病院で検診の日だったので、病院にいった。
何度も余震があり怖かったこと。

その後の検診で。。。

妊娠4ヶ月の人が、自宅が半壊して、こっちにきたのだけれど、
母子手帳を家においてきて、持っていない。
でも、半壊しているので家に入れない、と看護婦さんに相談しているのを目の当たりにした。

長男は1週間後の25日に無事に誕生。

旦那はいつもなら3時間ほどのところを9時間かかって病院に来た。

出産後も、子供に会いたくても道路状況からなかなか来ることもできず、
私も家に帰りたくても道路が悪かったので、という理由で家に帰ることができず。。。
帰りたいのに帰れず、実家に3月末までいて、かなりしんどかった。

その後、会社の同僚の話を聞いた。
震源地に近い「六甲道」の駅前に住んでいた子。

生き埋めになり、自ら這い上がってきたと。
肋骨を骨折しただけで済んだと。。。

そして、会社と相談し、新天地でがんばったほうがいい、と転勤を希望。転勤した、と。(男)

同期の女の子。
結婚して、山のほうに住んでいたので無事。
実家のマンションは半壊。

偶然、妹が海外旅行に行っていて留守。
妹の部屋をみると、妹がいつも寝ていた場所にたんすが倒れていた、と。
妹が家にいたら、多分死んでいただろう。。。
と泣いていた。

そして、今朝。
今朝の新聞を読んでいて。。。

被災して、子供をなくした人、家族をなくした人。

その後、必死に生きてきた人の言葉を読んでいて、朝から涙がポロポロこぼれてきた。

みんな、元気で「生かせてもらっている」だけでありがたいと。

もうあれから15年も経ったのか、と正直思う。
長男の成長を見るたびに、この日が来るたびに、「生きていること」のありがたみを感じないといけないのかもしれません。。。

いや、感じないといけないんでしょうね。

当時、伊丹の自衛隊にいた、私のいとこ。
地震で目が覚め、外をみたら、神戸のほうが空が赤かったと。。。
「空爆」だと思い、あわてて着替えた、と言っていました。

でもいとこはその後、災害現場に救助にかけつけ、、、
その時、知り合った、看護婦さんと結婚。

縁はいろいろあるものです。

でも、やっぱり、今日を生きていられることに感謝しなくては。





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最終更新日  2010年01月18日 10時58分01秒
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