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Ryu-chan6708

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2006.05.06
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カテゴリ: 読書感想
 最近、朝日新聞で司馬遼太郎の「街道をゆく」のシンポジュウムがあったとかで、その要約が同新聞で2頁にわたりパネルメンバーの記事が掲載されていた。その中で、平成の市町村の大合併で、「街道をゆく」にあるような由緒ある地名が消滅することを惜しむパネラーの意見が載っていたように記憶する。

 昨年の「文藝春秋」12月号の特集に 「消える日本語」 というのがあり、その中で、永六輔氏が 「永住町」 をあげていた。永氏が住むということで関心があったのであろうか。永住町は、 東京浅草永住町から、今は、元浅草三丁目に変わったという。 「消える日本語」の一つに、市町村合併で多くの古い由緒ある地名の消滅をあげている。

 ところで、永六輔氏のこの記事に気になることがあった。それは下記の記事である。


明治政府の大改革とはいえ、廃藩置県にも奇妙なねじれがある。
例えば県庁所在地と県名。
山梨県甲府、岩手県盛岡、石川県金沢などなど
山口県山口、鹿児島県鹿児島、秋田県秋田などなど。
この差は何なのだろうか。
県名と県庁所在地の名前が違うのに反対した話も聞いていない。」


 故事来歴にくわしいはずの永六輔氏が、こういう基礎的な疑問を持つのには驚いた。それは、県名と県庁所在地名が違うのは、歴史的に意味があり明治政府の意図的な政策の反映だからである。常識的なことだと思っていた。

 明治政府は、新政府に抵抗した藩(朝敵)に対して、廃藩置県のとき、わざと県名と県庁所在地名を別にした。意地悪の結果である。このことは、司馬遼太郎がどこかで書いている。氏の膨大な著作のどこに書いてあるかは忘れた。
 要するに県名と県庁所在地名とが違う県は、明治維新のとき、新政府に抵抗した藩があったのだなと、今でも幕末の頃の歴史的な事情が分かるのである。地名が歴史を伝えているのである。

 興味あることは、四国は4県あるが、香川県の高松藩、愛媛県の松山藩はともに「朝敵」と言われた藩である。だから、この2つの県だけ、県名と県庁所在地が違う。

 それにしても、名著「街道をゆく」を書いた司馬遼太郎は、歴史的に由緒ある地名が、今度の市町村合併で簡単に消えていくのを嘆いているであろう。

 後世、司馬遼太郎のような歴史小説家が、「この地は、古くはこれこれしかじかの地名があり、それが平成の政治的な問題で、現在の市町村名となり消滅した。」と日本国中を歩き 、「街道をゆく」第2作 を書き、平成10年代の日本のバタバタした文化の情勢を描くことになるのであろうか。この平成の市町村合併を後世はどのように評価するであろうか。





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Last updated  2006.05.06 16:11:53
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