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Ryu-chan6708

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2006.05.22
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カテゴリ: 読書感想
 今日は一泊旅行に出かけるので知的散歩の寄り道。

 20年位前に司馬遼太郎の 「坂の上の雲」 で日露戦争を読む。この中で、 203高地 の戦いは圧巻。しかし、20年間、どうも司馬遼太郎らしくない個所が気になっていた。

 その個所は、いよいよ、 28サンチ砲 の角度を203高地に合わせるところである。 ここで、 児玉は砲兵隊長に24時間以内に角度を変えるように指示する。しかし、専門家の隊長は、そんなに短時間で不可能だと言う。 というのは、28サンチ砲はもともと要塞砲なので土台をコンクリートで固めるからである。乾くのに時間がかかる。司馬氏は、この乾燥時間が日露戦争中に次第に改善され、最初は30日くらいかかったのが、1週間くらいに改善されてきたことをふれてはいる。
 しかし、このときの児玉の要求は24時間である。 ところが、これができてしまう。24時間後に、203高地に対して28サンチ砲の砲撃が開始され、間もなく多くの犠牲を出した203高地は陥落する。 この児玉の角度変更指示は、203高地陥落の ティッピング・ポイント

何故、砲兵隊長が不可能だという24時間の短時間でコンクリートは乾くことができたのか。

 司馬氏の本ではその説明が抜けている。 精神論では不可能である。児玉が怒鳴ったからできるものではない。対応できた優秀な技術者がいたはずである。 この疑問がなかなか解けなかったが、一昨年になって一応、解けた。

 一昨年は、日露戦争がはじまって百年になるので「文芸春秋」6月号で日露戦争特集を組んだ。そこで 「有坂成章:『世界最優秀小銃』の威力」 という軍学者・兵頭二十八氏の解説があった。
 兵頭氏は、有坂成章の技術者としての活躍を書いているが、203高地の要塞攻撃に28サンチ砲を使うという、ものすごいアイデアは、この人のものであるという。この大砲がなかったなら、児玉の天才的な力をもってしても203高地の戦いはどうなっていたか分からない。その28サンチ砲は、有坂の設計でもある。
 そして、現地での砲床構築の班長に起用されたのは、 横田穣 という人で、これも有坂が目をかけて送り出した、コンクリートの専門家であった。これで、24時間でコンクリートが乾いた理由が解けた。 やはり、コンクリートの優秀な技術者がいたのである。
 ところが、横田穣氏は回顧談を書いているのだが、 何故か、最初の砲撃で回想が終わっているという。 司馬遼太郎は、この児玉のシーンを「 機密日露戦史」 によっているらしいが、 横田穣氏の回想はこれと違ったものであったので削除されたのではないかという説もある。

24時間要求は本当にあったのか、まだ、私のミスティリーは続く。

 とにかく、この当時の日本軍の技術主義は、明治維新のときの外国の軍事力の威力に負けた反省である。富国強兵が技術力で裏づけされていた。
 ところが、司馬遼太郎が指摘するように、昭和の陸軍はこの勝利におごり、 極端な精神主義 になる。そして、太平洋戦争で圧倒的な物量のアメリカに負ける。戦後はまた技術主義にもどり、戦後30年くらいたって、製造業ではテレビ、自動車などで次第にアメリカを越すほどになる。

 今、その技術を支えた メタルカラー





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Last updated  2006.05.22 07:59:23
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