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私
: 11月号の「文藝春秋」
は大型企画とし「 歴史の常識を疑え
」という特集をしており、その中で「 教科書ではわからない
」として 20項目の常識を疑う例
をあげている。
この 西郷隆盛の「ストレス病」
の話は、その 20
のうちのトップに載っている。
実は、 西郷隆盛
は 細心で緻密な計画を立て実行する人
で、 嫌いな相手
は徹底的にやっつけるということは、以前、 西部邁ゼミナール
で俺は聞いたことがある。
だから、あの上野の銅像のような 堂々として、一見、太っ腹な人
ではないのでとは思っていた。
その 緻密
さは、一見、緻密そうに見える 大久保利通
以上
だったという。
A氏 :彼の 会津藩嫌い はすごいらしく、 戊辰戦争 では明治新政府軍は徹底的に会津軍をつぶすね。
私 :この「 文言春秋 」の記事に載っていないが、 西南戦争 での 「抜刀隊」編成 には、この 会津藩の西郷に対する怨念 が、あったというね。
A氏
: 西南戦争
では 田原坂
で激戦になる。
白兵戦
になると 徴兵制で集めた政府軍
は、農民・町人出身者を中心に構成されており、 士族で構成された西郷軍の抜刀攻撃
には対応出来なかった。
そこで武士出身の者を集め、「 抜刀隊 」を編成するね。
私
:この「 抜刀隊
」は、政府軍を後方支援していた「 警視隊
」が 武士百余名
を集めて編成したものだという。
戊辰戦争で賊軍とされた旧会津藩士など旧幕府出身者が多く志願したといわれる説
と、実際には 薩摩藩郷士(外城士)出身者が主力を形成していたとする説
もあるという。
薩摩藩郷士が多いとする説は、薩摩藩出身者の多い「 警視隊
」と「 抜刀隊
」とがこんがらがっているのではないかという。
A氏 :これも「 歴史の常識を疑え 」かね。
私:「抜刀隊」の話は、この「文藝春秋」にはない。
俺が勝手に話を広げた。
旧会津藩士の隊員が、戊辰戦争で 賊軍の汚名
を着せられた雪辱 を果たすべく「戊辰の仇、戊辰の仇
」と叫びながら斬り込んでいったと言われているね。
「 抜刀隊
」は、 田原坂
で西郷軍と激戦後、これを破る。
政府軍は最後、西郷軍を追い詰め、 西郷隆盛は城山で自刃
となる。
翌年、 大久保利通が暗殺
され、 薩摩の両雄の死
で、当時の 会津の人
の中にはこれで恨みを果たしたと思った人もいるだろう。