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私 :この欄は、 第1回 は 「 鴻海精密工業 黒衣の巨人、中小に種まき 」 、 2回目 は 「ゼネラル・エレクトリック 顧客目線の俊敏サービス」 、 3回目 は 「カルビー 女性奮闘、さくさく時短術」 「カルビー 女性奮闘、さくさく時短術」 と続いて、今回は、 山形県米沢市にある「NECパーソナルコンピュータ米沢事業場( NEC米沢事業場) 」 だね。
2013年11月、世界で最も軽い13・3インチのノートブックパソコン「LaVie Z」が発売 されたが、 この開発・生産を担ったのが「 NEC米沢事業場」だ 。
A 氏 : NEC の元パソコン(PC)工場 だったが、 レノボ が 技術革新の拠点と位置づけた「マザー工場」 で、 15年に最軽量を779グラムに更新 し、 追随するライバルはまだいない という。
私 : 軽さの秘密 は PC本体の素材 で、 米沢の開発チーム が、重さがアルミ合金の半分ほどの マグネシウムリチウム合金を素材に使う開発に成功 したもので、 リチウムを使う構想 は、 米沢がN代EC時の08年ごろにはあった が 、加工が難しい一方で素材にすれば軽量化できると考え、「米沢」の少数の技術者が温めていたものだ という。
だが、 NECのPC事業は採算性が悪化 し、 リーマン・ショック に揺さぶられた。
A 氏 :そこに 世界最大のPCベンダー の レノボ がやってきて、 NECと合弁会社 を作り、「 米沢」はその下に入ったわけだ。
合弁会社のトップはレノボ出身のオーストラリア人、ロードリック・ラピン 氏で、着任後、「 革新的な商品開発にすぐに挑戦してほしい。目指すのは世界一だ。カネは出す 」と言明したので 、「米沢」は、世界一の軽さを目指す夢を取り戻した という。
私:「 マザー工場」である理由 は 技術だけではない 。
多品種少量生産の工場管理 で、これは、 00年代初め 、 トヨタから技術者を招いて生産現場や部品供給のムダをそぎ落として可能になり、受注から出荷までの期間は10日から3日まで縮まり、他ではまねのできない効率性を実現した という。
トヨタ生産方式 だね。
A 氏 :実は、「 米沢」 は、 NEC時代 は、「 C型工場 」と言われていた。
本社が描く事業戦略を担う中核工場の「A型」「B型」に対し、「C型」は本社や中核工場の下請け で、もとは、 NECが82年に地元「米沢製作所」を買収し、子会社にしたもの。
私 :「 下請けでは埋没する。NECに使わせる技術を目指そう 」。
発足当初 、「 米沢」 は、 廃業した木造の機織り工場を間借り し、 約20人の技術者 を集め、 副業で独自開発を進め、本社に録は記がない「秘密」の拠点 だったという。
「米沢」のトップ は 本社出身者 で、 出世コース とは言えず、「 好きなことをやれ 」と 自主性を尊重し、技術者は山形大など地元の大学や高校の卒業生で、コンピューターや設計機材を持ち込んで試行錯誤を重ね、企画や設計が仕上がると、本社に出向いて売り込んだ という。
A 氏 : PCの主流がデスクトップ型からノート型に移る なか、 事業不振でNECが2001年にPC拠点の集約を決断した際 、「 米沢」は残った ね。
私 : 現在、米沢生まれの開発トップの小野寺 氏は「 本社の血があまり混じらず、自由さを保てたから生き残れた。学歴や頭の良い悪いは関係ない。壁を乗り越える意志があるかないかだ 」という。
小野寺氏の元上司で山形大教授に転じた柴田孝 氏も、「 『できないと言うな』が合言葉だった。小型化でも世界初でも、考えられることは何でも挑戦した 」。
「C型工場」の意地
は 生き残る秘訣
だったという。
そして、この「 米沢」
の活動は、 山形
の「地方創生」の一 つであり
、3本の矢の一つでもあるね。
しかし、まだ、 世界の競争の激しさは続く 。
米沢の存在感を認めさせるには、世界に広がるグループ内の開発競争にも勝つことが条件だ という。
「米沢」に更なる「進化」が要求される ね。